- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087208825
作品紹介・あらすじ
日本の「戦後」認識にラディカルな一石を投じたベストセラー『敗戦後論』から20年。第二次大戦に敗れた日本が育んだ「想像力」を切り口に、敗北を礎石に据えた新たな戦後論を提示する。
感想・レビュー・書評
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敗戦後論から20年。さまざまに論じた加藤典洋の1冊だが、白眉は大江健三郎論なのだと思うが、残念ながら初期の小説群以外全く読んでいない。しかし、大江が晩年「沖縄ノート」で非難した集団自決事件への名誉棄損裁判の行方には関心があった。もう一度大江の小説群を読んでみようと思う。
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敗者というと、ひどく重く、ネガティブなものであるような気がする。特に著書の姿勢としては戦後日本のありようをオーバーラップさせている面は強いだろう。でも、それがわかっていてなお、ここでいう敗者とは、無視できない他人がいて、そういう外部となんとか折り合いをつけて生きなければならない自分自身という気がする。勝者は勝者であるがゆえに、しばしば他を無視することができる。あるいは自分を押し通すことができる。でも人間生きていてさ。常に自分を押し通すことが可能だろうか。そんなわけないよなぁ、と思うのだ。である以上、ここで論じられているのは、自分自身のことに他ならないという・・・なんというか、とても刺激的な本だった。吉本隆明と鶴見俊介は、もっと意識的に読んでいきたいと思ったね。あと大江健三郎についてはほとんど読んでいないんだけど、異様な迫力で論じられていたな。そんなことがあったんだ、と重く感じた。
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「敗者の想像力」とは
目を合わせて会話する欧米の流儀よりも
小国に住む人々の伏し目がちな態度を好ましく思う筆者が
それを説明するために
あーだこーだと並べ立てた一連のイメージである
しかしわざわざ説明するまでもなく
相手の目を見ることは攻撃的な態度でありうる
「ガン付け」という不良用語にもあきらかなように
信頼関係のない相手にそれをやることは
ときに不躾な態度として、言いがかりのタネにされるのだ
キリスト教の道徳を共有する欧米人なら
初対面でも目と目で通じ合うことがあるのだろう
だがそれに対して伏し目がちイコール敗者、とする連想にも
かなり一方的で不躾なものがある
敗れざるとも、面倒を避けたい気持ちは誰だって持っているだろう
加藤典洋の特異なゴジラ論には、僕もずいぶん影響されました
この本でも
シン・ゴジラと「電通」の観念的な対立関係を指摘するあたりは
少し面白いと思ってしまったのだ
しかしここで言う「敗者の想像力」は
一歩間違えば勝ち馬の尻を追う態度になりかねないもので
「沖縄ノート」裁判を扱うくだりに
それは強く感じた
告発の正当性はさておき
敗れ去った者たちの正義をすくい上げようとする意味でなら
曽野綾子にだって「敗者の想像力」はある -
戦争
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【由来】
・図書館の新書アラート
【期待したもの】
・加藤典洋だから
【要約】
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【ノート】
・加藤典洋との出会いは随分前に本屋でたまたま目についた「さよなら、ゴジラたち」であり、それ以来のお付き合いなので、どうしても「ゴジラの人」という印象が強い。本書は、著者の一貫したテーマである「敗戦」についての思索の軌跡であるが、特徴としては、「シン・ゴジラ」から庵野監督、エヴァンゲリオン、さらには「千と千尋の神隠し」まで俎上に載せながら、気がつけば大江健三郎論かよ!という展開。大江本は1冊しか読んだことがないので、何となく読み進めていくしかないのだが、渦中の(既に「過去の」か)稲田議員が、大江吊し上げ裁判の集団原告の一人であることは初めて知った。
・「負けは勝ち、勝ちは負け」とは、
【目次】 -
大学時代読み切れなかった本をやっと読破。
間違いなく私の人生の中で出会えて良かった本10番に入る。
この本をきっかけにジブリ作品を見返したい、さらにはその作者、宮崎駿に影響を与えてきたものをもっと知りたいと思い、新しい本を購入。宮崎駿『出発点』『折り返し点』 -
某所読書会の課題図書.膨大な数の作家名が出てくるが,残念ながら読んだものが僅かだ.カズオ・イシグロの作品の考察で主人公が「かくも従順に,抵抗もせずに,不当なことを受け止める」由だが,その行為自体が"敗者の想像力"になるのか,と推測してみた.ゴジラの話も楽しめた.山口昌男の「挫折の昭和史」の解説で「控え目で壊れやすい」知的感受性を抑圧する構造が,連続して続いてきたことに"敗者の想像力"を見ているような気もした.大江健三郎の沖縄裁判の話はあまりよく理解できなかったし,"敗者の想像力"からやや外れている感じがした.
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これはすごい本だ。
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大江健三郎についての論は秀逸
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この本を読むきっかけとなったのは、2017年6月9日、大阪朝日カルチャーセンター中之島教室主催の、内田樹先生と高橋源一郎先生による対談である。
その中で、高橋先生はこの著作の内容に触れながら、権力に立ち向かう「敗者としての立ち向かい方」についての示唆をされていた。
それは、この本の第2部で詳しく述べられている。一例を挙げれば以下のようなところである。
“この世にはさまざまな不正がある。すぐにはただせない「悪」もある。けれども、この世の不正をただすことができないままに果たされる、それと同じだけ大きく、深い「正しさ」もある。あるはずだ。”
今、日本では多数派政党による悲惨な政治状況が現出している。そんな現状を何とかしたいと切歯扼腕しながらもどかしい思いを抱きがちであるが、この本はそんな思いに新たな視点と、そして何より希望を持たせてくれる著作である。