堀田善衞を読む 世界を知り抜くための羅針盤 (集英社新書)

制作 : 高志の国文学館 
  • 集英社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087210521

作品紹介・あらすじ

『方丈記私記』『ゴヤ』などで知られる作家・堀田善衞。縁のある作家、学者が、その魅力を語る。一流の創作者たちが、こぞって堀田作品を愛読するのは何故か? 現代に通じるメッセージを読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 堀田善衛は何冊か読んでいたが、この堀田善衛の魅力を伝える紹介本を読んで改めて他の作品も読みたくなった。5人の作家や学者による紹介文も彼の魅力をよく伝えているが、終章の「堀田善衛のことば」は直接に彼の考えが伝わるので非常に参考になる。
    「おれは、人が生きることに賛成なのだ。」『路上の人』より
    「納得できない場合には、未決のままにしておかなければならない。」『ミッシェル 城館の人』より

  •  実際にフランスに行ってみると、日本とのあまりの違いに反発することもありますが、その一方で素晴らしいところもたくさんあります。自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです。自分の国しか知らないと比較が難しい。例えば、北朝鮮です。今、我々が外側から見て、「民衆はさぞや不幸だろうな」などと思いますが、結構幸せかもしれない。一つしか知らない人間は、かなり幸せなはずです。自分と他を比較するようになると、人間は不幸になります。
     しかし、さらに比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる。だから、フランス文学やヨーロッパ文学を学ぶのは、他者を体験することもであります。

     人間をピュリスムでもって、潔癖主義的な形で追い詰めていくことの危険性というものがある。モンテーニュと同時代のジャン・カルヴァンを描くことで、その潔癖主義に日本的なファシズムとの類似性を認めているのでしょう。禁欲という形で追い詰めていくと、自分で勝手に禁欲するならいいけれども、最終的には自分が禁欲できるということを盾に、人にも禁欲を強いていくことになる。こうして共産主義ともファシズムともよく似た、人工抑圧社会が出来上がってしまう。
     カルヴァンみたいな超禁欲人間がいるとすると、そういう人たちを偉いと言う人たちが必ず周りにいる。そうすると、禁欲的な規範に合わない人間を切り捨てていく。ところが、誰もが同じ禁欲的な規範に従って生きることは無理なので、そのひずみが、ゆがんだ形で現れてくる。
     これは別に、モンテーニュの時代に限ったことではなく、現在のイスラム原理主義などにも当てはまります。キリスト教とイスラム教は違いますが、結局は似たようなことになる。
     これまでのファシズム批判は、自分は反ファシズムの側に立って、相手を一方的にやっつけるというものでしたが、ファシズムの権利は、人を引き付ける、ある種の禁欲主義の魅力があるのです。同じように共産主義にも禁欲の魅力がある。若い人は特にそういうのに惹かれる。堀田さん自身も共産主義のかなり近くまでいったこともあるし、そういうのに惹かれた面もあったかもしれない。同時に、危険性も非常によく分かっている。それと似た状況は、戦後の日本で何度も出てきました。それは別に、時代を問わず、過去にもあったものです。堀田さんが『海鳴りの底から』で描いた島原の一揆のように、禁欲を一つの核に据えた原理主義的な宗教運動があった。それを英雄的に描くということではなくて、全体として描くとなるとどうなるかというのが堀田さんの大きな課題だったと思います。
     たいていの宗教は地域主教から出発しています。地域的な、かなり土俗的な主教から出発するけれども、その宗教が大きくなってくると、途中からある種の普遍宗教に変わらざるを得なくなる。キリスト教がその典型です。
     もともとキリスト教は、エルサレムのユダヤ人コミュニティの閉鎖的で小さな地域宗教でした。それが、ギリシャ人の社会に広がりローマに行く。ローマからさらにヨーロッパ各地にどんどん広がっていく。そうすると、さまざまな人たちをその宗教に取り込まなければいけない。それまではユダヤ人コミュニティの小さな地域宗教だったものが、普遍宗教に変わらざるを得ない。「カトリック」とはそもそも「普遍的」という意味の言葉です。
     普遍主機右京に変わらざるを得ないということは、民族とか肌の色とか、言語とか、そういうものに関係なく、普遍的な価値観を持つということです。そうなると、さまざまな人間を一元的にまとめる必要が出てくる。そのためには、ある種の禁欲というものを核に据えないと、たくさんの人を引き付けることはできない。これは共産主義もファシズムも全部同じです。普遍性を持つには、禁欲性への歩み寄りをしていかないと駄目なんです。
     しかし、そうなってくると、普遍的な物差しに合わせて、その物差しに合わない人は切り捨てていいんだということになってきます。だから、普遍性を持つことが逆に党派性を呼び込んでしまう。普遍主義的党派性とでも言ったらいいかもしれない。普遍主義的党派性とは形容矛盾のようですが、これは地域的な党派性とはまた違うものです。
     例えば、地域政党なり地域主義は、それは確かに排他的ではあるけれども、普遍的な排他性は持たない。つまり人間と人間でないものとを線引きして、同じ人間なのにこの人たちは人間ではないとするようなことはあまりしないものです。よそ者は排除するけれども、よそで生きる分にはかまわない。その党派性は村や地域あるいは国の枠を超えない。
     ところが、これが普遍的なものになると、非常に危険です。堀田さんは戦前のファシズム、それからの戦後の左翼運動に関わっていくうちに、その危険性に気づいたのだと思います。

    『漢奸』という小説は、堀田さんの上海での体験を基に書かれたものです。堀田さんは、日本が戦争に負けるということが分かってから上海に行って、何年間か、かなり自覚的に現地にとどまっていました。当時上海は日本の占領地で、そこで日本が管理する中国語の御用新聞を出していたのです。この小説は、その時に文芸欄を担当していた中国人の詩人記者の話です。「漢奸」というのは、要するに裏切り者のことですね。民族を裏切ったものという意味です。その詩人は実に善良で、しかも日本語で訳されたシュールレアリスムを日本語で勉強して、シュールレアリスムの詩を書いていたのです。およそ政治とは関係ない中国の青年なのですが、貧乏で小さな家に家族がいっぱいいるために、棺おけを部屋の中に置いて、その中に横になって詩を書くという人だったのです。
     日本が降伏して、その後上海を中国国民党の政府が占領する。同時にそれを中国共産党が包囲する。二重スパイカ、三重スパイかわからない人たちがいろいろ暗躍する中で、その善良な詩人は売国奴として懲役刑の判決を下される。歴史の歯車の上に乗っかって生きているというときは、自分が善良であっても、正しいことをやっていても、あるいは好きなことを一生懸命やっていても、それでいいのだということではないのだな、ということを強く感じた作品ですね。
     自分がわずかに経験した戦争と戦後の間にも、そういうことがいっぱいあるのだな、と思いました。
     ですから僕が漫画を描いたり、何か書く時にも、これはどういう意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にはどういう意味があるのか、それから自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか、そういうことを、ちゃんと考えてやらないと、この詩人記者と同じとんでもない運命になると思っているのです。これは非常に雑な受け止め方だと思うのですが、この二作品『広場の孤独』と『漢奸』という小説から受けた衝撃は、その後自分がアニメーションという職業をやっていく上でも、ずいぶん自分の最後のしんばり棒みたいになった体験でした。
     実際には、その後の自分の判断をふり返ると、決定的な瞬間に何度も間違えた選択をしてきました。
     イデオロギーというか、自分が空想した主義主張で判断して、自分の眼で見た時の違和感や心のすみに浮いた疑問を軽視したからです。堀田さんの文学は、自分で見、自分で感じたことで、思想を組み立てるものだったのに、まぁ、僕の判断は情けないものですが。

  • 2018.12―読了

  • 4.05/111
    内容(「BOOK」データベースより)
    『南京虐殺事件を中国の知識人の視点から記した『時間』、時代を冷静に見つめる観察者を描いた『方丈記私記』『ゴヤ』などの評伝、『インドで考えたこと』『上海にて』などアジア各国を歴訪して書いた文明批評など、数多くの優れた作品を残した作家、堀田善衞(一九一八~一九九八)。堀田が描いた乱世の時代と、そこに込めた思いは、混迷を極める現代社会を生きる上での「羅針盤」として、今なお輝きを放つ。堀田作品は、第一線で活躍する創作者たちにも多大な影響を与え続けている。堀田を敬愛する池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、宮崎駿が、堀田善衞とその作品の魅力、そして今に通じるメッセージを読み解く。』

    目次
    はじめに 『方丈記私記』から 富山県 高志の国文学館・館長 中西 進
    第一章 堀田善衞の青春時代 池澤夏樹
    第二章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡 忍
    第三章 「中心なき収斂」の作家、堀田善衞 鹿島 茂
    第四章 堀田善衞のスペイン時代 大高保二郎
    第五章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎 駿
    終章 堀田善衞 二十のことば 富山県 高志の国文学館
    おわりに/【年表】堀田善衞の足跡/付録 堀田善衞 全集未収録原稿──『路上の人』から『ミシェル 城館の人』まで、それから……


    著者:池澤 夏樹, 吉岡 忍, 鹿島 茂, 大高 保二郎, 宮崎 駿
    編集:高志の国文学館
    出版社 ‏: ‎集英社
    新書 ‏: ‎224ページ


    メモ:
    堀田善衞 著作
    『広場の孤独』『漢奸』『方丈記私記』『ゴヤ』『海鳴りの底から』『路上の人』『時間』『若い日の詩人たちの肖像』『定家明月記私抄』『インドで考えたこと』、他。


    ー抜粋ー

    『僕たちは今、この時代を生きている。この時代は文学でどう表現できるか。この時代を生きながら、それをどう書くか。文学を志す人たちはみんな考えていると思います。そういう時に、堀田さんはとても参考になります。フィクションだけれど、ファクトを基にした、ヒストリーを基にしたフィクションで、そのからくりが面白い。よい例がこの『若き日の詩人たちの肖像』です。』(「第一章 堀田善衛の青春時代 池澤夏樹」)37ページ

    『現代は他者に対する意識が少し弱まっているような気がしますが、それに対して堀田さんが特効薬になるのは、自分を客観視しているからです。自分語りでなくて、自分を含めた社会、世間、世界を書こうとしている。だから、走り回っている本人を上のほうで見ている自分がいる。この構造が身に付くと、生きるのが楽になると思います。より手応えのある生き方ができる、そういう文学です。』(「第一章 堀田善衛の青春時代 池澤夏樹」)38ページ

    『…堀田さんはロシア革命を描いたジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』などを例に挙げて、ルポルタージュは「民間文書」である、ということを強く主張していた。言う意味は、例えばこのロシア革命にしても、我々の社会の出来事にしても、せいぜい一、二行の記録しか残らない。まして百姓一揆とか米軍基地や射爆場建設に反対した住民のことなどは、むしろ権力側や官の側が記録を抹殺してしまう。かくして歴史は公文書や官製文書によって一方的に書かれてきた。対してルポルタージュは、一人の書き手が現場を駆けまわり、人々の動きを凝視し、その声に耳を傾けて記録される民間文書なんだ、と。たとえそれが敗れた闘争であったとしても、単に負けたのではない、人はその中でこう闘い、このように生きたのだと具体的に伝える民間文書があることは絶対に必要だし、それが我々を励まし、思想を深めるのだ、というようなことですね。』(「第二章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡 忍」)』66ページ

    『僕は、このように僕らの一番の芯になっている堀田さんの三作品、『広場の孤独』と『漢奸』、それから『方丈記私記』を、ぜひたくさんの人に読んでもらいたいと思っています。これは強靭な文学です。強靭なものというのは、今これから始まってくる大混乱の時代、何かの形でものを考えたりする時の手掛かりになると思うのです。』(「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎 駿」)161ページ

    『つまり初めて読んだ時から、何か物事に迷ったり、ぶつかったりした時には、堀田さんは今何を考えているのだろうと思うのです。そして、堀田さんを探してキョロキョロしてきたんです。
    本当に僕にとって堀田さんは、海原に屹立している、鋭く尖った巌のような人で、現代の歴史とか、経済情勢の波の上に立って動かない存在なのです。僕らは同じ方向に向かって船を漕いでいるつもりなのですが、いつの間にか右に行ったり、左に行ったり、わけが分からなくなってしまう。そうして自分の位置が分からなくなってしまった時に、ふと見ると堀田さんが、ああ、やっぱり同じ位置に立っていて、ああ自分はこんなに流されていると分かるという座標になるような人だったのです。』(「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎 駿」)163ページ

  • 堀田善衛さん自身の小説を読む上での格好の入門書。人生訓としても貴重。


  • 第二章 堀田善衛が旅したアジア 吉岡忍
    p52
     これはもう本当に堀田さんの『橋上幻像』の世界です。次々に国家から逃れて、どこに自分の居場所があるんだと探しているうちに、通過してきた言葉どれも自分のものではなくなっている。

    第五章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿
    p152
     ですから僕が漫画を書いたり、何かを書く時にも、これはどういった意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にどういう意味があるのか、それが自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか。

    p157158
     今もありありと覚えてあえるのですが、『方丈記』をめぐって、企画検討会というのをジブリで開いた時に、「今はまだ、僕らは貴族の館の築地塀の中にいる。『どうもこの頃、給料の布をもらって売りに行っても、たいした粟が買えない』と、ぶつぶつ言っていたとしても、しょせん安全な築地塀の中にいる」と。「でも、そのうちだんだん築地塀が壊れるぞ。そうしたら舎人も持ち逃げするし、夜盗も入ってくる」などと話していたのです。


    池澤夏樹さんと宮崎駿さんの章に興味を持ち、読みました。宮崎駿さんのは2008年の講演の一部を文字にしたものみたいです。
    堀田善衛さんの著書は読んだことがありませんでしたが、『ゴヤ』は名前は知っていたくらい。ベトナム戦争中のベ平連の活動も今では想像もつかないくらい危険なものだったのかなと。
    戦争を目の当たりにしてきた作家と現代の作家には大きな隔たりがあるようにも感じています。もちろんそれは平和が長く続いている証拠で恵まれたことでもあります。
    昔、親戚の年配者の方と話しているときに「今の人間が戦争映画を作っても嘘っぽい。昔の戦争映画(戦争映画以外もですが)は全員が戦争なり空襲なり、飢えや貧しさを体験していた。だから目に宿っている光が違う。今の役者にあんな目はできない」と話していました。そのときはよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。
    国内の小説をあまり読まなくなっているのは、現代の物語が偽物とまでは行かないまでも、私小説的な閉じた方向にあるからなのかなと思ったりもします。それがつまらないわけではありません。ただ、広く深い世界に触れたときの、言葉にできないような気づきが宿っている作品は確かに存在します。宮崎駿さんの言うところのハッとさせられる。救われるような感覚。各識者が敬意を持って語っている本でした。

    内容はとても面白いのですが、2018年刊行のわりに、年代が年代なのか、対象のせいなのか、ホモソーシャルが過ぎる気もしました。

  • 恥ずかしながら堀田善衞さんを知りませんでした。この本をきっかけに、その後、堀田さんの本を色々読み、こんなすごい人がいたんだと驚きました。良い出会いを与えてくれます。

  • 2021/7/2(金)夜読了。honto電子書籍にて。

    堀田善衞という人の著作は読んだことはない私ですが、
    本書は、堀田さんに興味を持ち、理解を深め、堀田さんの著作を読みたくなるのに十分な内容です。
    (なんで本書を読むことになったかきっかけは忘れましたが、どこかで紹介されていたんでしょうかね。)

    著作物は、著作物そのものの内容が命ですが、著者の人格が評判が良いものであれば、著作物の価値はきっとさらに上がる、そんなことを感じさせる複数人による人物評の数々です。

  • 冒頭「『方丈記私記』は一九七一年、堀田善衛五三歳の時に出版された。」
    末尾「日暮れて道なお遠し。」

    先日から齋藤美奈子氏の『名作うしろ読み』を読んでおり、冒頭が有名な作品は多いけど末尾の文章ってあまり気にしてなかったかも、自分も記録してみるかと思い今回から書いてみる。実用書とかをどうするかは決めていない。

    さて堀田善衛。本を読むようになってから、宮崎駿を一つの道しるべにしてきた。「宮崎駿が影響を受けた日本人作家といえば司馬遼太郎と堀田善衛は欠かせない」ということはこれまで読んだ本で知っていたけど、『方丈記私記』、『ゴヤ』が代表作って「何が専門の人なんだろう?」という感じだった。正直、自分たちの世代では司馬遼太郎に比べてあまり知名度がないと思う。

    堀田善衛さんは日本が戦争に突き進んでいく時代に青年期を生き、その体験が作品に影響している。藤原定家も鴨長明もゴヤも内乱に生きた人物である。堀田さんの手にかかれば歴史と現在がパッとつながる。ソ連崩壊と大化の改新の共通点。歴史を知って現代の世界を見るとはこのこと。

    知識だけでなく実際の行動もとった方。海外から日本を眺める視点も持った方。

    この本を一冊読んだくらいでは広大な世界観をのぞき見した程度だと思うけど、どんな人なのか多少は理解ができたかな。まずは一冊何か読んでみたい。やっぱり『方丈記私記』かな。

  •  堀田善衛という人は「インドで考えたこと」ぐらいしか知らなかった。「広場の孤独」「方丈記私記」「ゴヤ」「定家明月記私抄」「めぐりあいし人びと」など、脱走米兵を匿うベ平連の活動、南京虐殺事件への関心、ゴヤへの関心も反戦から…。ゴヤが描いた死が迫っていることへの恐怖に怯える眼をした犬の絵に関する解説は驚き。堀田がゴヤに惹き込まれていった原因はそこにあるという。「何万人ではない、一人ひとりが死んだのだ。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差がある。」との南京事件を取り上げた「時間」の文章も凄い!宮崎駿が映画にしたかった作品!堀田氏のキリスト教嫌いが想像できる一方で、「伝道者の書」の引用がたびたび行われていたことは興味深かった。

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著者プロフィール

1945年生まれ。作家・詩人。88年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、2010年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、11年朝日賞、ほか多数受賞。他の著書に『カデナ』『砂浜に坐り込んだ船』『キトラ・ボックス』など。

「2020年 『【一括購入特典つき】池澤夏樹=個人編集 日本文学全集【全30巻】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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