他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087211986

作品紹介・あらすじ

生の手ざわりを求めて――。
“正しさ"は病いを治せるか?
“自分らしさ"はあなたを救うか?
不調の始まる前から病気の事前予測を可能にし、予防的介入に価値を与える統計学的人間観。
「自分らしさ」礼賛の素地となる個人主義的人間観。
現代を特徴づける一見有用なこの二つの人間観は、裏で手を携えながら、関係を持つことではじめて生まれる自他の感覚、すなわち「生の手ざわり」から私たちを遠ざける。
病いを抱える人々と医療者への聞き取り、臨床の参与観察、人類学の知見をもとに、今を捉えるための三つ目の人間観として関係論的人間観を加えた。
現代社会を生きる人間のあり方を根源から問う一冊。

◆目次◆
第一部 リスクの手ざわり
第1章 情報とリスク
第2章 正しく想像せよ
第3章 ゴンドラ猫は恐怖する
第4章 新型コロナウイルスの実感
第二部 危機に陥る人々・その救済の物語
第5章 狩猟採集民という救済
第6章 「自分らしさ」があなたを救う
第7章 人とは何か
終 章 生成される時間

◆著者略歴◆
磯野真穂(いその・まほ)
人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。
著書に『なぜふつうに食べられないのか-―拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。

感想・レビュー・書評

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  • 磯野真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』を古田徹也が読む。「長寿命」には尽くされない価値と倫理を | レビュー | Book Bang -ブックバン-
    https://www.bookbang.jp/review/article/724979

    他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学/磯野 真穂 | 集英社の本 公式
    https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-721198-6

    他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 – 集英社新書
    https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1098-i/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      他者と生きる 磯野真穂著: 日本経済新聞 [有料会員限定]
      https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD1...
      他者と生きる 磯野真穂著: 日本経済新聞 [有料会員限定]
      https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD121EF0S2A210C2000000/
      2022/03/06
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      『他者と生きる』をめぐって 2 – 集英社新書プラス
      https://bit.ly/36RdxXk
      『他者と生きる』をめぐって 2 – 集英社新書プラス
      https://bit.ly/36RdxXk
      2022/04/05
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      『他者を生きる』をめぐって 3 – 集英社新書プラス
      https://bit.ly/3vEH9iI
      『他者を生きる』をめぐって 3 – 集英社新書プラス
      https://bit.ly/3vEH9iI
      2022/04/27
  • 一般的に常識とされていることや前提そのものに問いを投げかけていく。そして、数多くの学者の論文を引用しながら複数の考え方を紹介した上で、著者独自の考察を展開していく。難解な箇所も多く、じっくり読む必要があるが大変興味深かった。

    ・本書の中で出てくる「スマホ脳」「FACTFULLNESS」「私とは何か『個人』から『分人』へ」は既に読了したお気に入りの本たちであったが、特に前の2冊については、そもそも過去の人類を「平均人」としてある程度一律化し、当たり前のように正しい根拠として取り扱っていることについて是非を問う。自分にとっては斜め上の、相当斬新な問いであった。

    ・人類学や論文などを読み慣れていない私にとって、納得しながら読めたページはそう多くなかったように思う。ただし、響く考え方、フレーズは随所にあった。

    ・1年後くらいに再読したい。


  • 優しくて、丁寧な内容だった。「正しく考える」「正しく生きる」ということを少しでも窮屈に感じたことがある人であれば、読むことで少し自由になる(これまで立脚していた点が、さまざまある点のうちの一つに過ぎず、他にも立脚できる点があることがわかる)のでないかと思った。

    情報経験だけでなく直接経験を多く持ちたくなった。また、内心怯えながらでも、多くのものや人に出会い続けて、ラインを積極的に引き続けていきたいと感じた。

    個人的な備忘のために以下少し要約を記載。
    味わい深い内容なので、また読み直したい。

    ------------------
    「自分らしさ」と聞くと一般的には、自らの内部にある考えや思いをピュアに表明することを想像することが多い。また、現代だと「自分らしく」あることが称揚される。

    しかし著者は、「自分らしさ」がこのような内発的な動機や、その他大勢の意見への反抗だけでは成立せず、他者からの承認を必要とするものであり(例えば「自分らしい殺人」というのは他者から承認されにくいため成立しない)、すなわち実は「私たちらしさ」なのではないかと主張する。

    その上で、実のところ「私たちらしさ」と呼ぶべきものが「自分らしさ」という呼称に隠蔽される背景には、戦後日本の個人主義的人間観(一つの身体の中に一つの個人が宿っており、それは世界からも歴史からも分離が可能であるという人についての理解)と、個人主義的人間観と(実は)相性の良い統計学的人間観(統計的に立ち現れるが実際には存在しない「平均人」を想定する人間観)があるとする。
    また、統計学的人間観は、生物的な命が存続することが何よりも素晴らしいとする倫理を纏っており、それはこの人間観が、個人主義的人間観に基づいているからであるとする。

    このような人間観に対して筆者が主張するのは関係論的人間観と呼ばれるもので、身体があるから個人があるという前提に立たず、自己と他者との関わりによってはじめて「私」が生じるとするものだ。

    この関係論的人間観に立脚すると、他者と接合されて生まれる「自分らしさ」(実のところは「私たちらしさ」)とは他者と生きる中で立ち現れるものだとしている。
    その後、最終章で、統計学的時間と関係論的時間の差異について論じており、これもめちゃくちゃ面白い。
    ------------------
    長々と要約じみたことを書いてしまったが、以下が個人的に心に残った。
    ・現代医学が多くの場合、リスクの実感を醸成することを目的としてレトリックを駆使すること
    ・身体的な実感を伴わない情報経験は生命としての世界との関わりを希薄にすることにつながり、結果として想像力が権威によって勝手に想起させられることにつながること
    ・そのような想像力の操作に抵抗するために、情報の背景にある意図や歴史、政治的事情を把握するのが重要であること
    ・様々な病の原因として、誰も確かめようのない狩猟民族時代の人間の脳と現代の人間の脳との対比を引き合いに出すのは、全人類にとって納得しやすい「平均人」を用いた起源の語りだから
    ・選択というのは、それによって変わっていく自分がその後起こる出来事に対応していくことを許容することである、ということ

  • この本は、全体を通して「手ざわり」がテーマになっていると思います。
    まず、ひとりの医師としてこの本を読んで、自分は目の前の患者の生活を過度に医療化してしまっていないだろうかと、振り返るきっかけになった。エビデンスや統計学的情報を絶対的「正しさ」として振りかざして、その人のもつ経験や物語、「手ざわり」感を、ないがしろにしてしまっていないだろうか。
    後半で語られる「関係論的時間」の概念は、時間というある種無機質にも感じるものに、「手ざわり」感をもたせてくれるようで、新鮮に感じました。

  • あと少しで読み終えるんだけど
    読み進められない。
    ギブアップ。

  • 「急に具合が悪くなる」という往復書簡を元にした書籍で知った人類学者の磯野真穂さんの新刊が出るということで手にとってみました(実際は図書館予約)。

    「急に具合が悪くなる」は、哲学者である宮野真生子さんとの往復書簡。宮野さんは多発性の転移がんを患っていて、その書籍が出る前に亡くなった。

    哲学と人類学。往復書簡という形の本であったけれど、なかなか内容が難しくて、理解しきれないままでしたが、それでも、いろいろな気づきのある書籍でした。


    今回の「他者と生きる」も、とても難しい本でした。ちょっと気を抜いて読んでいると、どんどん置いていかれる感じがあって、かといって、真剣に読んでいても理解できない部分もあり…。

    それでも、たくさんの気づきをもらいました。

    その1つは「自分らしさ」という言葉。

    「自分らしさ」という言葉。今では、当たり前のように使っている言葉だけれど、平成になった頃から盛んに使われるようになったとのこと。

    けれど、突き詰めてみれば、「自分らしさ」というのは、社会や他人とのつながりにおいて、自分の選択肢を正当化するための言葉であって、本当の意味(?)での自分の本性というわけではないのだ、というようなことが書かれていて(言葉も解釈も違うかもしれませんが)ハッとしました。


    そして、この「自分らしさ」にもつながることなのだけれど、「自我」というものの捉え方が、社会や文化によって違うということを知ることができました。

    世界でのフィールドワークのいくつかを例にして書かれていたんですが、メラネシアのカナク人やジャワの内陸にある村では、「私」という感覚や、「私の身体」という感覚が、現代社会の日本における「私」や「私の体」とは違っているという話が衝撃的でした。
    社会の役割を果たすためにある使えるものとしての「体」。その「体」は、個人のものではなく、その社会のもの。「私」というものも、個人のものではなく、社会の中での役割を担う意識としても「私」???

    これまた言葉も解釈も違っているかもしれないけれど、少なくとも、今現在の一般的な日本人(あるいは西洋文化における?)の感じ方とは全然違う。


    これらのことを読みながら、世界情勢の見方も、西側諸国的な視点で見ていたら見えないものがありそうだな、などと、全然違うことを考えながら読んでいました。
    「人権」「国家」の考え方の違いの根本に、「自己」とか「自我」とかの捉え方も、もしかしたら違うものであって、私には想像できないような捉え方をしているのかもしれない…。と。


    そして、もう1つ印象に残っているのは、「関係性的時間の曲線」という考え方。「自分」というものは、自分だけではなく、他者(社会)との関わりで成り立つものであって、時間というものも、均一に流れているのではなく、他者(社会)との関係性によって浮き沈みがあるのだ、という考え方。

    必然的なことしか起こらない時には時間は真っ直ぐに流れるけれど、偶然的な「出会い」にぶつかった時には、時間の曲線は下降したり、上昇したりする。カーブを描けば、描いたグラフの線は長くなる。すなわち、時間が「長い」と感じられる、と。

    他者との相互作用の中で、時間曲線をふらふらと伸ばしたり、「なかったことにして」時間曲線を真っ直ぐに突っ走ったり。そんなふうに、自分の人生の時間を思い起こしてみると、違った視点から「私」というのをみることができるような気がしました。


    難しい本だったけれど、得ることはたくさんありました。
    これは、いつか読み返してみたい書籍の1つです。

  • 良書。ターニングポイントで読み返したい一冊。「自分らしさ」の考察は、先日読んだ『ダイエット幻想』の内容から発展したもの。日本人の遺体に対する考えに関する項では、原爆で亡くなった曽祖父と大叔母を「火葬できた」事に感謝していた曾祖母の言葉を思い出した。

  • 『#他者と生きる』
    統計学的人間観に従ってリスク管理をするでなく、未来に向かって飛び他者と共に在る中で時間を作り出し生きていると実感できたなら、統計学的時間で測られた"長い"時間でなくとも、その人生は厚く、深く、長い。
    とても良い。とても考えさせられた。

    自身の生活を振り返ると、客観的な正しさに身を委ねて、日常を予測可能な範囲に留めてしまっているな。まだ来ぬ未来へ依拠する愛と信頼に基づく選択は、今ある関係性からは想像できなかった自他の生成が待っているかもしれないのだから、他者との関係性を持とう!頭を上げよう!手を挙げよう!


    「私」の境界はどこか?もすごく考えさせられた。
    身体の概念を持たず、「人」が関係性の中で存在すると捉えられているメラネシア社会。
    皮膚を境に自己が途切れるのではなく、むしろ自己は共有されているアフリカのバカ・ピグミー。

    自分だけで生きているとは思っていなかったが、所与としての人があることは無意識に考えていたと思う。他者との関係性の中で生成される自分という存在について考えた。
    この興味はティム・インゴルドに向かう。
    #読了 #君羅文庫

  • 他者と関わりながら生きるとは、どういうことなのか?
    一見当たり前のような問いの本質は、人間とは?生きるとは?という人生観につながってる。
    本書では様々な事例を元に、この哲学的な問いに丁寧な補助線が引かれていく。
    医療における私たちが感じる選択の難しさや、様々な文化を持つ民族の考え方、コロナ禍で日々私たちを追い込んでいく数字など、読んでいて悲しくなったり驚いたりしながら、人との関わり方の多様な視座が示される。
    他者と愛を持って関わりたくなる一冊。

  • 【書誌情報】
    『他者と生きる――リスク・病い・死をめぐる人類学』
    発売日:2022年1月17日
    定価:990円(税込)
    版型:新書判/280ページ
    ISBN:978-4-08-721198-6

    生の手ざわりを求めて――。
    “正しさ”は病いを治せるか? 
    “自分らしさ”はあなたを救うか?
     不調の始まる前から病気の事前予測を可能にし、予防的介入に価値を与える統計学的人間観。
     「自分らしさ」礼賛の素地となる個人主義的人間観。
    現代を特徴づける一見有用なこの二つの人間観は、裏で手を携えながら、関係を持つことではじめて生まれる自他の感覚、すなわち「生の手ざわり」から私たちを遠ざける。
     病いを抱える人々と医療者への聞き取り、臨床の参与観察、人類学の知見をもとに、今を捉えるための三つ目の人間観として関係論的人間観を加えた。
    現代社会を生きる人間のあり方を根源から問う一冊。
    https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-721198-6

    【目次】
    第一部 リスクの手ざわり
    第1章 情報とリスク
    第2章 正しく想像せよ
    第3章 ゴンドラ猫は恐怖する
    第4章 新型コロナウイルスの実感
    第二部 危機に陥る人々・その救済の物語
    第5章 狩猟採集民という救済
    第6章 「自分らしさ」があなたを救う
    第7章 人とは何か
    終章 生成される時間

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著者プロフィール

いその・まほ:人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。
著書に『なぜふつうに食べられないのか-―拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、『他者と生きる』(集英社新書)、共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。本作では、著者の執筆に伴走し、言葉を寄せる。

「2022年 『「能力」の生きづらさをほぐす』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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