終わらざる夏 下 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087450804

作品紹介・あらすじ

1945年8月15日、玉音放送後に〈知られざる戦い〉が、美しい北の孤島で始まった――。それぞれの場所で、立場で、未来への希望を求める人々を描く浅田版「戦争と平和」。第64回毎日出版文化賞受賞作。(解説/梯久美子)

感想・レビュー・書評

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  • 北方領土関係のことを学ぶために読み進めた作品。悲痛な結末となっているであろう登場人物のそれぞれの人生に想いを馳せ、下巻を読み進めるのはとくにしんどかった。
    アメリカ軍への交渉のために動員されたはずの民間人と日本軍。樺太の戦闘を不穏な空気として感じ取っていた時期。米軍の軍師が来着する前に、ソ連が国土として希求していた南下指向である千島列島の占守島に上陸、昭和20年8月18日ポツダム宣言を受諾した後だというのに、ソ連軍の攻撃が始まる。
    「止めて止まらぬ戦争と、終わってから仕掛けてくる戦争とでは、同じ戦争でもまるでちがうと思うのであります」
    「戦争は人と人とがするものじゃないんだ。人間同士がどんなに仲良くたって国と国との戦争になれば、誰もが鬼になってしまう」
    立場、場所、時期が錯綜するが、ロシア人との交流や攻め込んだ兵士の苦悩も描かれている。
    「クリルでは三千人のソヴィエト兵が殺された。戦争が終わっていたのに。これは犯罪です。だからあなたたちは働く。死んでも働く。あたりまえ」不可侵条約を一方的に破棄して宣戦布告をした国に対して圧勝しながらの降伏で、ソ連邦領内へ強制労働となった際の通訳からのその正当性を主張した返答に理不尽さを感じる。シベリア抑留についても学ばなければ。

    敗戦の二文字を消し寄する波自由と書きて鷗飛ぶ見ゆ
    夏子の日記に書き留めた歌
    疎開先から脱出して親元へ何とかたどり着いた譲や静代の様子や、缶詰工場の女子挺身隊員の帰還のみが救い。
    梯久美子さんの解説も胸にしみいるように作品の理解を助けてくれる。野見山暁治さん「旅と雲」リトグラフが表紙。

  • 1945年8月15日、終戦。しかし、夏は終わっていなかった。日本はポツダム宣言を受諾した。日本軍の武装解除後、ソ連が占守島へ侵攻。アイヌ民族を占守島から追放した戒めであろうか。この理不尽な戦闘が起きてしまった。日本軍、ソ連軍ともに多くの死者を出した。鬼熊然り、片岡然り、正義感にあふれ、勇敢な方々が散ってしまった。日本は絶対に日米開戦はしてはいけなかったということに尽きる。戦後75年、占守島の史実を目の当たりにして、日本を守ろうとした先人への敬意と、武力で解決できることはあまりにも小さいことを認識した。

  •  上・中・下巻を通して悲しい小説でした。戦争、そして国家に翻弄され続けた人々の姿は、戦争によって真に失われるものは何なのか、ということを示しているように思います。

     下巻に入り、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争は終わります。しかし、それにも関わらず占守島にソ連軍は攻めてきます。それは、戦後の領土確保というソ連国家の思惑のためでした。

     しかし、占守島は戦時中、戦力を移動させる手段がなかったため、戦車などの機械も、そして実力のある兵士たちも十分すぎるほど残っていました。一方のソ連は戦闘があったという記録さえ残しておけばいいため、送られた兵士たちはわずか。戦機も不十分でした。

     国自体はすでに勝利しているにも関わらず、死地へ送られるソ連兵たち。そして、その攻撃に応戦せざるを得ない日本軍。戦争が終わってすらもその余波は、人々の想いも涙も、戦勝国も敗戦国も関係なしに飲み込んでいきます。

     作中に「戦争をしたものはみんな敗者」という言葉があります。物語が終息に向かうにつれ、その言葉が実感を伴って心に打ち込まれます。しかし戦争の奇妙なところは、その敗者の責を負うのは、戦争を起こした国家や、権力者たちではなく、市井の人たちなのです。戦争の不条理の真実は、そこにあるのではないかと思いました。

     妻、子供、親……、この小説に登場する人たちの誰かを想う気持ちは、とても美しいです。そうした大事な人を想う心の強さは、普通の世界では賞賛されるはずのものです。

     しかし、戦争という異常自体の前には、そんな美しい想いも無力なのです。この想いを持ち続けている人が、生きることができる世界を造ることが、自分たちの使命なのだろう、と感じました。

  •  この物語は、戦争という大きな力の中で、日本人としてではなく、人が人としてそれぞれ考えて、最善を尽くす物語だ。
     主役は居ない。
     いや、構成上は確かに居るのだけれども、時の中でそれぞれの人物は平等に描写されている。なんと言えばいいんだろうか。普通(普通なのかな)は、主役(ヒーローなり正義の味方)が居て、脇役が居て、そして対立する悪役なり困難があり、ソレを打ち砕くものなのだが。この物語は、日本が敗戦するという史実を元にして日本軍を描いているフィクションだ。つまり、架空戦記でも無い限り、この戦いで勝利することはあり得ない。全ての登場人物に名前があり、物語が有る。悪役など誰も居ない。ただひたすらに人として至極まっとうに生きていた。
     始まってしばらくして「誰が主役だろう」と探すことになる。それくらい密度が濃い、出てくる一人一人に名前が有り背景があり、過去がある。「物語にどう絡んでくるんだろう」と気になる。けれど、中盤を超えてくると「ああ、みんな生きてるんだな」としか思えなくなる。物語や主要な出来事や、歴史の大きな一歩を踏み出していない人であっても、きちんと生きているのだ。

     非常時において(平常時も同じかもしれないけれど)、国などの大きな力に対して「ああ言っているから仕方が無い」と、ルールの隙を突いて生きることはたやすい。反骨しているように見せて斜に構えて生きることすら可能だろう。
     けれども、この物語は、一人一人が真摯に考え、逃げることをせず、自分が出来ることを全うしようとしている。その姿は祈りにも似ている。

     正しい人と思われる為では無く、人としてどう生きるのか正しいか、その主軸を自分に持つと言うこと。自由と言うこと。大きな力に対して、諦めるのでは無く、ほんのわずかな可能性であっても向き合うこと。
     フィクションだからこそ描けるまっとうな小説だった。

     「永遠の0」のように、ステレオタイプの悪役に画一的な非難を送れば済むことでもなく、「原発ホワイトアウト」のように、権力や官僚制度の中で出来る事は無いと諦めることでもなく、一人一人が考えることを諦めない、フィクションであるならば、こういうものを読みたい。

     上中下と続く上に、全ての登場人物に物語があると言っても過言では無いので、読書慣れしていない人にはお勧めしにくいが、活字中毒なら読んで間違いは無い。むしろ読んで下さい。

  • 千島列島(当時)の最北端の占守(シュムシュ)島、ソ連領のカムチャッカ半島は目と鼻の先。
    しかし、そこから東に連なるアリューシャン列島はアメリカ軍が押さえていた。
    戦争終結を視野に入れて、大本営はアリューシャン列島からアメリカ軍がやってくると睨み英語通訳を占守島に送り込む。
    これが間違いだったとは言い切れないと思う。
    お人好し・・・だったのかな。
    アメリカ軍ではなく、ソ連軍が国際法を破って侵攻してきた。

    上巻中巻にもたびたび出てきたが、原住民や、少数民族に対しての大国のやり口がひどい。
    どうして、「土地はもともとそこに住んでいた人たちのもの」と考えることができないのか。

    占守(シュムシュ)島の戦闘とはまた別に、『終章』のシベリアの日々が一番悲惨であると感じる。
    短い夏に花の咲き乱れる占守島の風景は天国のようだったが、シベリアは地獄だ。
    神の兵はそこでは餓鬼となった。
    特に、菊池忠彦軍医の先輩である、工藤医師の苦悩を思うと涙を禁じ得ない。
    占守島の野戦病院で一度、工藤の様子を見ていればこそ。
    工藤は軍医として前線を転々としてきた。
    仕事は、負傷した兵の手足を敗血症を防ぐために切断すること。
    ひたすら四肢を切り落とし、動脈血管を結紮(けっさつ)するだけの日々。
    自分はもう生きて帰っても「普通の手術」はできないと言っていた。
    その後送られたシベリアでは、安楽死のための空気注射をしなくてはならなかった。
    人を生かすために医師になったのではなかったか。
    彼の絶望は計り知れない。

    日魯漁業の女子挺身員400名と、疎開先を脱走した静代と譲が無事に帰還できたことだけが救いである。

    もう戦争をしてはならないと、登場する大人の皆が若者に言い聞かせているが、世界のどこかで毎日戦争は続いている。

    解説は、梯久美子(かけはし くみこ)さん。
    占守(シュムシュ)島の悲劇は今に至るまでほとんど伝えられておらず、歴史の闇に葬り去られていたと言う。
    この本はもっとたくさんの人に読まれなくてはいけない。

  • 1945 8/15日本人として忘れては行けない終戦日の玉音放送、ポツダム宣言受諾での無条件降伏、勝負けよりも戦争が終わる事に喜びを感じるまで苦労&矛盾を重ねた人々の気持。沖縄戦、硫黄島、南方戦線等戦い末期の話は戦後生まれの私達は映画、本で知っているが、北方果ての北千島列島での戦いは、シベリア抑留の話は耳にしていたが理不尽な戦争の果てに有る史実を知るに触れ哀しさ、悔しさ、凛々しさ色々な感情に心揺さぶられる。
    終戦間際で徴兵上限の45歳で通訳の役目を担い戦後の交渉を目的に千島の北端の島に渡った片岡、その島で自給食料確保で缶詰め工場で働く女子高生600人、二度の戦争で自己の思いとは別で英雄と化した鬼熊軍曹、南方戦線で生き残った岸谷らは、玉音放送で戦争は終わった後に戦争を挑んでくるロシア軍に対し、女子高生をなけなしの船で逃しながら戦いに挑む。
    やめろと言われてもやめられない戦いと違い、終わった後に手を上げている相手に戦いを仕掛けてくるロシア軍に鬼熊等の軍は戦い局部戦に勝利し美しき島を守る。しかし敗戦国の軍人らは、シベリアの強制労働(捕虜同様)の扱いを受ける。何処か幕末の戊辰戦争での会津藩が斗南への流された史実と同じ匂いを感じた。
    片岡の子嬢が疎開先の長野から東京を目指す旅程の出来事(最後は、渡世人で人を殺めた務所から徴兵を受けた途端終戦を迎えた男に上野まで送られる)にも涙する。人を殺めた自分が刑務所で生き、人を殺めても正当化されながら多く死する堅気の軍人の差に矛盾を感じ、心を入れ替える渡世人も何故かカッコ良い。
    終戦まじかな日本で個々の生活、感情を読むにつれ当時の不幸な時代に涙が出る。
    幼少時代に戦争、終戦を生きて高度経済成長を支えた私の両親の時代、亡くなった寡黙な父からは直接戦後の苦労話など聞いた事が無く、噂程度で潜水艦の乗務中亡くなった叔父がいて、両親も居らず戦後を姉に育てられ幼少時代を生きた事を知る程度だが、戦争を知らない私としては、色々と考えさせられた。多分、これからの時代、間接的にも遠ざかる戦争を語り継ぐ良い本の様な気がする。

  • 小説の構成としては、初めに盛り上がりすぎて最後はぼやーとぼかしているので、肩透かしにあったような気分になる。題材としては、一般的に知られていない史実をテーマにした意義のあるものだと思う。アメリカがアリューシャンを越えクリル諸島から攻め込んで来ることを想定して占守島に留め置かれていた陸軍が、日本がポツダム宣言を受けて無条件降伏したにも拘らず攻め込んできたロシア軍と戦う話。陸軍とは言え、終戦間際の民間人と少年志願兵に助けられた寄り集まり。島に土着していた数家族、銃後の労働に従事している女学生を含めて、沖縄と同じく悲劇としか言いようのない上陸戦だったはず。ロシア兵の描写を挟むことで、日本人の一方的な悲劇的な小説とはなっていない。戦争で死ぬことに対しての理由を問いかけられたような印象を持った。

  • 上巻、中巻、それぞれ泣かされるポイントがありましたが、下巻はずっと涙無くして読み進められない。

    第二次世界大戦の終戦間際にソ連が宣戦布告してきたという歴史は学んだ。
    広島、長崎への原爆投下、沖縄の玉砕戦など、我々が忘れてはならないものとして、語り継がれていると思いますし、学校の授業などでもきちんと教えてくださっている。

    しかし千島列島の北端の占守島という小さな島で、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏をした後に、戦いが繰り広げられたことは知らなかった。

    そこで操業していた日魯漁業の缶詰工場で働く女子挺身隊の少女400人をなんとか無事に本土に返すというドラマもあったとのこと。

    戦争は個人ではダメだとみんな言うが、国同士になると人間が鬼になってしまうというようなことが書かれていましたが、攻め込んだソ連の兵士の視点でも書かれており、彼らも同じく辛い思いをしていたんだなぁ、同じ人間なんだなぁと感じました。

    今も世界のどこかしこで紛争のようなものが、行われています。
    そんな事止めようよと、言わなきゃならないんだろうね。
    どうすれば良いのかはわからないが…
    勝っても自分の大切な人との別れを伴えば、嬉しくも何ともない。
    そんな単純な考えで、世の中が平和になればいいですね。

  • 最終の下巻。

    なんとなくは予想していたが、悲しい結末になってしまいました。

    戦争には敵も味方もないのだ。
    ただ、なんだかんだと理由をつけて戦争を推進する為政者とそれで得をする面々がいて、知らないうちに振り回されて犠牲になる庶民がいるだけなのだ、という感想をもちました。

    本書の内容はほぼ史実に基づいているらしく、「あの戦争」で知られざる一つの戦いがあった事実を伝えてくれる本であると思います。
    まさに大作。

  • 知らない史実でした。メタファーとなる物語、夢の連結、私は上野駅が一番印象に残りました。丁寧な本でした。

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著者プロフィール

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で「吉川英治文学新人賞」、97年『鉄道員』で「直木賞」を受賞。2000年『壬生義士伝』で「柴田錬三郎賞」、06年『お腹召しませ』で「中央公論文芸賞」「司馬遼太郎賞」、08年『中原の虹』で「吉川英治文学賞」、10年『終わらざる夏』で「毎日出版文化賞」を受賞する。16年『帰郷』で「大佛次郎賞」、19年「菊池寛賞」を受賞。15年「紫綬褒章」を受章する。その他、「蒼穹の昴」シリーズと人気作を発表する。

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