- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087451269
感想・レビュー・書評
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今度
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3+ → 3+
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2017.12.22-12.25 再読 評価変更なし -
この摩耶雄嵩さんと埴谷雄高という「死霊」を書いた作者がどうもこんがらがって、本屋さんで、あの植谷さんはこんなふざけた(ゴメン )話も書いていたのか、まさかまさか、と思っていた。
何しろ探偵もの。
だけど詩人ポーだってホラー小説を書いた。
装丁もクラシックだし、帯の「5年ぶりの最新刊」というのも、5年ぶりに復刊されたのかとこれも瞬時に思ってしまった。
その上「人形芝居を思わせる抽象性の魅力」ときたので納得の上で勘違いをした。
要は植谷雄高という作家を良く知らない、名前を読んではいたが記憶に残っていない、難解な幻想的な作家と思い込んでいたということだった。
その上、ハニヤと読まずにウエタニと読んでから、あっ、あのハニヤ、すでに亡くなった植谷さんだと気が付いた(笑)
そんなわけで図書館に予約したが、読み始めて一頁目でやっと人違いだと気が付いた。
思い込みとは恐ろしい。
とは言うものの、面白かった。
5つに分かれた短編で、それぞれが発端は本格ミステリ風に始まる。
事件が起きた状況はさまざまだが、そこに偶然だったり招待されていたり、呼び寄せられたりして、犯人を割り出すことになる。
それが自己申告の「貴族探偵」というわけで、彼の名刺には金の箔で一行「貴族探偵」と書いてある。
20代の痩身の美青年で、いつもメイドや運転手、ボディガードまで引き連れている。
美人と見ると歯の浮くような美辞麗句でいい気にさせてデートに誘う、トンでもないお坊ちゃんに見えるが、使用人の作法のしつけや陰日向のない仕え方を見ても只者ではないらしい。
そんなプロフィールを織り交ぜて事件は解決するのだが、働くのは、使用人で、彼らが事件の糸をほぐして推理し、犯人をあげて謎解きをする。
そしてその間、ソファに座って美女を口説いていた探偵は、解決後は優雅に去っていくということになっている。
こういうのは珍しい、車椅子探偵でも頭は使う。
「ボーン・コレクター」でも一本の指と頭は使っていた。
しかし、このありえない探偵は面白かった。
作者のプロフィールがはっきりしたので近刊の「隻眼の少女」を予約したが、人気らしく何時回ってくるかわからない、しかたない、楽しみに待っている。 -
面倒な調査は使用人任せ。
なんなら推理もメイド任せ。
異色の安楽椅子・貴族探偵の活躍ぶり(?)がわかる連作。
キザすぎて逆にコミカルな貴族探偵の姿が目に浮かび、サクサク読める。
…本書の描写とはかけ離れているが、なぜか脳内では北村一輝さんに変換された
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短編集。ドラマの方はちらちらとは見ていたけれど小説の方は読んだ事がなかったのだが思ったよりコメディ色は薄かった。短編集だけあって謎はあっさりと解決されていくが収録されている中にある「こうもり」という作品はちょっと異色。確かに地の文に嘘は書いたらいけないもんなぁ…。貴族探偵というキャラクター性もあって騙されたな。
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テレビドラマの印象があってなんだか手がでなかったけど、麻耶作品に興味を抱いて購入。奇天烈な貴族探偵のキャラクターが浮世離れではあるけど、(そこが魅力的なんだけど)それぞれの作品は本格派。物語とかテーマで読み込ませるのでなく、謎で勝負って感じ。
それぞれのキャラの個性は表立ってこないけど、それによって趣向がはっきりしていてありな世界観だった。うむ。 -
さるやんごとなき身分の若主人が使用人と共に事件にあたるオムニバス。
全て使用人に任せきりで、一切推理をしない探偵という目新しい探偵もの。
トリックは些か強引でこじつけ感があるが、トリックよりも、ある意味お約束な話の流れを楽しむ小説か。
個人的に貴族探偵本人よりも使用人の三人に興味が湧いた。探偵は個人的にいけ好かないというか…使用人は頭脳、というのはわかるが、どうしても何もしていない風に映ってしまう。
好みの問題だろうか? -
さるやんごとなき身分の貴族の青年が、地位と権力に物言わせて数々の難事件を解く連作短編ミステリ。貴族探偵という字面だけでキャラが立っているが、本作の真骨頂はそこではない。当初は使用人を足として使い捜査を任せ、推理のみ貴族探偵がするのだと思っていたが、なんと貴族探偵自身は一切推理をせず、推理、解決すらも全て使用人に任せているのである。「雑事など使用人に任せておけばいい」とは貴族探偵の弁ではあるが、ここまで徹底しているのも珍しい。装置としての探偵役は数あれど、推理をしない探偵という、探偵の特権階級すら剥奪された探偵は他に例がなく、真相さえ明らかになれば推理など誰がしても同じという、作者の高笑いが聞こえてくる。貴族探偵自身の存在意義がどこにあるかといえば、謂わば探偵が謎を解くための舞台装置としての役割だろう。その強権で推理劇のための土台を作り、あとは全て使用人に任せる。田中、山本、佐藤という真の探偵役たちの没個性的な名前というのも、使用人は道具と言って憚らない貴族探偵の言葉と符合していて面白い。後期クイーン問題という文脈ありきの作品ではあるのだが、おういうアクロバティックな方法でのアプローチが光る本格推理の一本である。