- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087462685
作品紹介・あらすじ
ひとりの少年が1対1で宇宙と向き合い生まれた、言葉のひとつぶひとつぶ。青春の孤独と未来を見つめ、今なお愛され続ける詩人の原点を英訳付の二カ国語版で初文庫化。著者18歳の時の自筆ノートを(一部)特別収録。
感想・レビュー・書評
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これが今から半世紀以上前に、自分の祖父よりも年配の人が書いた詩だとは、とても思われない。この詩集から受ける作者の印象は、良くも悪くも世間に頓着しない、育ちの良い青年といったところだ。中性的というよりは無性的な、童話めいた世界観はどこかユーモラスで、時に可愛らしくすらある。まったく、世の中が朝鮮戦争特需やマルクス主義革命などで騒然としていた時に、火星人の生活に思いを馳せ、それを
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
などと表現してしまう青年が、地球の男に飽きた女たちに愛されなかった筈がない。もっとも、社会の中心にいた男たちとの心の距離は、二十億光年程度では済まなかっただろう。20世紀の日本において、たぶん谷川氏は地球人より、むしろ火星人寄りであった。それは、次のようなフレーズからも明らかである。
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
こんなふうに、地球の科学体系を超越した宇宙的公理をサラリと書いてしまうのは、谷川氏が別の惑星からやって来た異星人だからに違いない。地球にひとりぼっちの異星人が故郷を偲んで書いたものだとすれば、この詩集の突然変異的な斬新さも、孤独という割には人間関係に全く拘泥していない感じも、いくらか納得いくのである。
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
世間知らずの青年のフリをした異星人は、今や世間知らずの老人のフリをした異星人として、現役で地球を侵略中である。最も効率的なやり方は子どもたちを洗脳することだと知っている彼は、絵本や教科書にたびたび登場し、その難解な宇宙語を通して、地球人の頭を柔らかくするプロジェクトを完遂しようとしている。……詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
詩の中に入り込もうとしないで、絵を見るように少し離れたところから眺めてみた。
近付こうとしてもなかなか近付けないからアプローチの方法を変えて。
時々、しっくりと馴染む言葉があった。
あ、分かるな、と。
時々、私が使っている言葉と違うと感じる言葉があった。
知っているはずなのに、知らない感触。
詩を読むのはたぶん苦手。
でもたぶん好きなんだと思う。
読んでいる時の静寂とか、思わぬ言葉に会えた時の驚きが。
手書きのノートが素敵。
全部ノートが良かったな。 -
使われている日本語自体は易しく子どもでも理解できるものですが、意味が難解で…詩初心者には理解しづらいです。
本の表題にもなっている「二十億年の孤独」という作品の解説は、NHKで放送していた番組を観てなんとか理解できました。
音読すると、音のリズムが感じられて楽しいです。
日本語の美しさを感覚で味わうことができます。
この本はまた何年か後に読み返して、何度も向き合ってみたいと思います。 -
「二十億光年の孤独」は、1952年、谷川俊太郎、21歳の際のデビュー作である(初版は創元社刊)。
この集英社文庫版は、元々の詩集に谷川の自註、詩論、自伝風エッセイが付き、山田馨の解説が付される。少年だった谷川が詩を書きとめていた自筆ノートの画像も収録され、さらにはW.I.エリオット/川村和夫による英訳版も収められるというなかなか盛りだくさんな1冊となっている。
冒頭に三好達治が序として詩を寄せる。谷川の父・哲学者の谷川徹三の友人でもあったわけだが、好意からというよりは(もちろんそれもあったのだろうけれども)、本当に鮮烈な驚きが一文に込められているように思われる。
詩は18歳から20歳のころに書き溜められていたもの。
「若さ」を感じさせる。透明で、孤独で、でもどこか快活で。
「個」として厳とそこにありながら、その手は遠く彼方へと差し延ばされる。
小さな「我」は、しゅんと背筋を伸ばして立つ。
三好は若き詩人を水仙花に譬えている、
清冽にまっすぐに、細くもしなやかに、彼はそこにあるのである。
1つ挙げるなら、やはり表題作だろうか。
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
二十億光年とは、谷川の自註によれば、当時の谷川少年が宇宙の直径と認識していた距離である。
1950年、ビッグバン理論が捉えられており、宇宙は膨張していくとされていた。
その広大無辺な空間のただ中に、少年は一人立ち、くしゃみをしたりなどするわけである。
別の季節に触れる詩もあるのだが、全体から何となく思い浮かべるのは、清冽な冬の朝の空気である。静かで密やかですがすがしい。
詩論の中で、詩人はこう述べる。
バラについてのすべての言葉は、一輪の本当のバラの沈黙のためにあるのだ
バラについて語る言葉はバラを超えることはない。詩人はそれを知りつつ、その渇きのゆえに詩を書く。
その覚悟に胸を突かれる。
*英訳の方では、「たちまち」とか「思わず」の場面でsuddenlyを使うのだなぁと思ったり、詩の中には朝鮮戦争の影があるものがある等、日本語版にはない解説もあり、なかなかおもしろかったです。「秘密とレントゲン氏」という作品ではレントゲン氏をMr. X-Rayと訳しているけど、これはちょっとレントゲン博士を重ねているんだと思うので、Mr. Roentgenのままの方がよかったんじゃないかと思ったり。まぁ、多分英語圏でレントゲンとは言わないからなんでしょうね。
ともあれ、全般にちょっと難しかった(^^;)。自分の実力的にやはり英詩を原語で楽しむレベルまで行っていないんだと思います。 -
さくっと読むつもりが思いのほか読むのに時間を要した。
1949年冬から1951年春頃までの作品から、1952年に谷川さん自身が選んだ作品たち。
それに加え「自註」「私はこのように詩をつくる」「私にとって必要な逸脱」「自伝風の断片」「自筆ノート」が収録されていて、詩の理解を更に深めることが出来た。
音読するときっと気持ちよさそうな、独特のリズム感を持つ生き生きとした、みずみずしい言葉たちはしかしはじめから最後まで、「絶対的な孤独感」に包まれている。
18歳でこんな詩を書いていたなんて驚きだ。
丁寧な丸文字で書かれた自筆ノートからも少年の人となりを垣間見ることができるし、巻末の、編集者の山田馨さんの解説による新進詩人の誕生のエピソードも読み応え十分だった。
今の、自在に言葉をあやつる大詩人である谷川さんにして『二十億光年の孤独』の少年像は絶対に書けないであろうとここで山田さんが記している。
谷川さんの辛かったその時期、その瞬間だからこそ生まれた「静かな明るさのなかに、生きることをよろこぶ少年がいる世界」。
裏表紙からは英語に翻訳されたものが読めるんだけど、英語がなんのこっちゃ分からなくても、字を追うだけで自然に英語教材のリズミカルで美しい英語が聞こえてきてしまうような静謐さ。
なんだかよく分からないんだけど、どうしようもなく心を掴まれて仕方ない、時間をかけて何度もゆっくりと読みたい詩集。
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明快な詩を好む私には難解なものが多かった。
世間と折り合いながら生きてきた中年が、独特の軸をもつ十代の若者と、初見でそう容易く会話できるわけもなかろう。
その意味では随筆のほうがすんなり読めた。
薔薇と詩のくだりがいい。
高村光太郎の「五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴えへたいから中身だけつまんで出せる詩を書くのだ」というフレーズを思った。光太郎の詩をまた読みたくなった。 -
谷川俊太郎さんは、1931年12月15日生まれなので、間もなく、89歳になります。
「二十億光年の孤独」は、1952年に発表されたものなので、谷川さんが若かりし頃に書かれた作品集になります。
私の現在の年齢が59歳であること、詩心とは無縁であること、などで、この作品を味わうことはできず。
ツマミ読み程度。 -
人は、言葉に生かされ、言葉に殺される。時は超えてはいけないから、言葉で記憶する。また、言葉に救われる。
谷川さんの詩は、独りでありながらどこか広いところへ連れていってくれる、そう感じる。 -
説明するまでもないあの谷川俊太郎氏の、デビュー当時(二十歳前後)の作品を集めた詩集。
みずみずしく豊かな感性にあふれている。言葉のつかい方が素晴らしく、のびのびとした表現に満ちていて、読み手に宇宙の深淵すら感じさせる。
中でも、表題作の『二十億光年の孤独』は本当に素晴らしい。
「万有引力とは ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う」
存在の根源的な孤独を、宇宙の広さで表現する。自分自身が満点の星空を見上げながら感じた気持ちを思い出して、胸が震えた。
少年(あるいは青年)は、その透徹した目でもって、自己の内面と正面から向き合い、言葉でもって自身と自然とを結びつけているようにさえ感じる。
だからこそ、解説にもあるように、ひとりを描いているのに暗さをまったく感じさせない。さびしさを感じるのに悲しくはならない。
それは、言葉でもって自分と超自然的なものとが1対1で結ばれているような、そんな感覚になるからなのではないかと思う。
この凛とした、透明な、静かな命の煌き。これこそ、小説であれ詩であれ、私が「言葉」に求めることに他ならない。
凄い詩集に出逢ってしまった。
蛇足ではあるが、本書の私にとっての良さは、詩そのものはもちろんのこと、先に挙げた山田氏の解説や、谷川さん自身が自身と詩作について述べている部分も本当に素晴らしい(この気持ちを表現する語彙力がないのが悔やまれる・・・)ことだ。
印象に残った部分として、一篇のバラの詩についてのエピソードがある。著者が「どんな詩の中のバラだって、本当のバラにははるかに及ばない」と言ったのに対し、より年長の詩人が「それでは詩を書く意味がないではないか」と言ったことで、詩観の相違に気づいた、という場面がある。
言葉には限界があり、すべての言葉は「本当のバラの沈黙」のためにある。言い換えると、言葉は本物と私たちを結びつけ、時により深く本物を知らしめるためにある―この著者の詩観は、私が今まで感じていた言葉というものに対する疑いやもやもやを氷解させてくれたのである。
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