広瀬正・小説全集・5 T型フォード殺人事件 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087463781

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  •  T型フォード―――。なんという懐かしい響きだろうか。T型フォードと聞くと、それがどんな姿をしているか、車オンチの私でさえも大体想像が出来るほどだから、その名称と形状とは広く人口に膾炙していると云えよう。約一世紀前のアメリカで、売れに売れたフォード・モーター社の自動車である。

     そのT型フォードクーペが、ある日、泉大三という資産家のもとでお披露目された。泉家の中には、彼の娘のユカリとその婚約者でアメリカ人のロバート・ジョーダン。そして、T型フォードのお披露目にさきだって招待されていた四人の男、すなわち、作家の白瀬圭一、大学助教授の早乙女寛、自動車修理工の曾我二郎、医師の疋田善三がいた。

     そのT型フォードは、滋賀県で開業医をしていた疋田善三の祖父・善之介が、往診用という名目で大正十五年(昭和元年)に購入したものだったのだが、ある忌まわしい出来事の為に、昭和二年までの一年ほどしか使用されず、そのまま仕舞い込まれていたのである。その忌まわしい出来事とは、施錠され密室状態になっていたはずのT型フォードクーペの中から、死体が発見されたことであった―――。

     資産家・泉大三と医師・疋田善三は提案する。四十六年前の疋田家で起こった殺人事件の真相がいかなるものか、推理してみようではないかと。そこで、手がかりとなる物品が、やはり疋田善三の手によって提示され、彼を含む七人の男女は、九ミリ半の映写機であるパテー・ベビーのフィルムと疋田善三の叔母(疋田善之介の娘)・麻里子を撮影した写真に目を通すことになったのである。いや、目を通すどころではない。皆一様に食い入るような視線を注がずにいられなかった。フィルムの方はともかくとして、叔母・麻里子が写っているという二枚の写真は、あろうことか彼女のヌード写真となっていたからである。

     この導入部を経て、医師・疋田善三は、生前の麻里子叔母から告白されたという、四十六年前の事件をめぐる疋田家の様子を語りだす。娘時代の疋田麻里子は、滋賀県の商家の跡取り息子・三田村圭吉と交際していたこと。けれども、京都帝大出のエリート・辻井篤の出現により、麻里子の心は辻井篤の方に傾いてしまったこと。その辻井は、麻里子の友人・田中菊江と将来の約束をしていたのではないかと思われること……などなど。そして、麻里子の心をつなぎとめられなかった三田村圭吉は、悪い取り巻きを身辺に置くようになり、とうとう商売が暗礁に乗り上げ始める。三田村は、辻井との婚約が成立した麻里子に向かって、自分と交際歴があった事をばらすとほのめかし、彼女から金銭をせしめようとするのだ。その三田村に対抗すべく一計を案じて撮影したのが、例のヌード写真であったらしい。

     そのヌード写真を撮影するために、麻里子は疋田医院の書生兼運転手・馬杉太一を使った。自宅に女中や使用人がいる環境で育った麻里子にとっては、馬杉太一は使用人の一人に過ぎなかったが、彼女の全裸を目の当たりにした馬杉は、写真を撮らされたことをきっかけに彼女に秘かな恋心を抱き始めるのだ。だが、馬杉はある日、麻里子と辻井から自分の気持と出自とをからかわれた為に、腹立たしい思いに駆られてしまう。

     以前の記事でも指摘したことだが、広瀬正作品では、いわゆるマイノリティ(少数派)や社会的弱者、身体障害者と呼ばれる人々が重要な役を担って登場する例が多い。作者の広瀬氏は、そういった立場の人々を作中に登場させることで、社会的に恵まれている人々、或いはごく一般的で普通とされる人々との違いを明確にしたり、不都合な生活を余儀なくされていることを読者に気付かせたりしているのだ。加えて、その対立する両者の立場が、ふとしたきっかけで逆転する、もしくは相互に理解し、歩み寄るようなストーリー展開を見せたりもする。それでは『T型フォード殺人事件』において、その対立する両者とは何かといえば、これは明らかに麻里子や辻井篤といった裕福でハイソサエティな人間と、馬杉太一のように裕福な人間に使役される階級の人間である。現代でも、所有する財産の多寡によって「見えざる階級」というものは厳然として存在しているが、ほんの数十年前までは、財産云々ばかりではなく、受け継がれてきた階級制度・身分制度の残滓(ざんし)によって、一人ひとりの「分際」というものが否応なく押し付けられてきていたものである。麻里子や辻井、馬杉といった登場人物は、そんな時代に生きていた人々なのだ。麻里子と辻井の、馬杉に対するからかいは、そういう背景を負った底意地の悪いものであった。

     辻井が馬杉に向かい、
    「おい、きみ」といった。馬杉は、はじめて顔を上げた。辻井は、うす笑いを浮かべ、
    「きみはジェラシーという言葉を知っているかい?」ときいた。
    「いいえ」と馬杉は答えた。
    「ぼくは、英語はぜんぜんわかりません」
    辻井は気持ちよさそうに笑い、
    「そうかい、英語はぜんぜんだめかい。じゃあ、きみは中学校を出ていないのかい?」
    「はい、出ていません」
    「No, I did not か、ハハハ……。どうして、きみは中学校へ行かなかったんだい?」
    「それは……うちが貧乏だったからです」
    「ふん、貧乏か。貧乏ということは、つまり、親に甲斐性がなかったということだな」辻井の低い笑い声が響き、馬杉は、
    「失礼します」と立ち上がった。

     馬杉太一の心には、冷静さを装おうとしても装いきれないトゲが、深々と刺さっていたことだろう。

     そしてその翌日、疋田家の鍵のかかったT型フォードから辻井篤の撲殺死体は発見されたのであった。

     資産家・泉大三の家では、疋田家で起こった殺人事件について推理大会が行われ、密室状態のT型フォードにどのようにして死体を入れたかについての実演までがなされていた。と、そこへ、死体役の早乙女助教授が毒殺されるという新たな殺人事件が発生し、泉家はさらなる謎に見舞われるのであった―――――。

     この話、T型フォードに死体を入れるトリックや、真犯人が誰であるかといった面については比較的単純である。そもそも四十六年前の事件に関わる人々が、疋田家・辻井家・田中家のなかで辻井篤への殺害動機のある人間と馬杉太一に限られており、ほとんど二者択一か三者択一なのである。したがって、ミステリ小説が様々な文明の利器を用いて複雑になってくる以前の、素朴な推理小説といった観があり、物足りないと思う方もいらっしゃるだろうことは否めない。ただ、大正時代にミステリアスな殺人事件が起こるとしたら、確かにこんな感じだろうなぁという想いもある上に、T型フォードを始めとする、現代では観賞するだけのアンティークとなった多くの小道具が、作中でその機能を十分に発揮しているのを読むと、過ぎ去ってしまった時間をほんの少し取り戻せたような気もして、なかなか悪くないのである。

     ちなみに、作中での「私」は作家の白瀬圭一なのだが、最終章の「第六章 馬杉太一の手記」の途中から、この「私」という一人称で指し示される人物が、いきなりガラッと変わる仕掛けになっており、読む側は少々、ギョッとさせられる。この理由については、最後の部分で明かされているので、ギョッとしたり混乱したりしても、安心して読み進めていただきたいなと思う。

  • 題作は、SFではなくて、ミステリー。
    でも、この人にとっては、映写機も、T型フォードも、きっと、タイムマシンだったんだと思う。

    そして、戻りたい時代は1つだけ。あの江戸っ子の気質が残る東京の下町。

    ということを「立体交差」を読みながら、感じていました。

  • 表題の中編とほか2編収録。
    表題作は勿論、「立体交差」が面白かった。
    煙草のところ。ゾクゾクしました。

  • 表題作ほか2編を収録の中短編集。表題作が素晴らしい。T型フォードでの密室殺人に注目させておきながら、過去編と現在編という枠構造を利用し意外な犯人を演出している。これが昭和40年代に書かれていたとは!!。

  • 広瀬正のT型フォード殺人事件を読みなおしました。以前読んだ広瀬正の文庫を再度読み直しています。広瀬正というとタイムマシンSFのイメージが強いですが、こんなミステリも書いていたんだなあ、という感想です。嵐の山荘で、昔起きた殺人事件の謎解きをしていく主人公たち。しかし、その山荘で殺人事件が起きてしまいます。どんでん返しが二重にしくまれていて楽しめました。

  • おもしろい(*´∀`*)

  • 推理・サスペンス・時間もの
    他の作品のように、じっくり・もう一度読みたいというより
    サラッと読み終わる感じ。
    最後に買って、最後に読み終わる。
    コレで終わりと思うと、少々物足りなくて
    マイナスゼロ~エロス~ツイス~タイムマシンのつくりかた~鏡の国のアリス
    とループしそう。

  • 広瀬正の作品の中で、
    唯一、まあまあの出来と言える作品。

    彼の他の作品を全部読み終わってから、
    それでも、まだ読みたいなら、
    読むべき作品。

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