会津士魂 2 京都騒乱 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087488173

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  • 文久三年(1863)2月,發生浪士組上洛乙事,但也於同時發生了生麥事件,而由於京都尊攘公卿的逼迫下將軍被迫上洛,並被逼答應5月為攘夷期限。老中小笠原長行為了與西方談判拒絕開港事宜,並且支付了生麥事件賠償金四十餘萬兩(但並非他本人直接答應),因而成為眾矢之的,他帶兵上洛要解釋,卻被擋在大阪,因此尊攘公卿從恐懼又變成氣燄高張。此外,尊攘派與長州預計更進一步掌握大權,在長州建議下設立御親兵想漸漸把天皇置於股掌之中,而5月時姉小路公知遭暗殺,又被拿出來大作文章,指稱是薩藩田中新兵衛所為。新兵衛後來自殺因此終究未水落石出,然而尊攘派與長州也因此獲得藉口解除薩藩的乾門守衛,想將薩藩勢力排擠出京洛,而薩藩也面臨七月的薩英戰爭。八月天誅組拱出中山忠光在大和起事。然而尊攘派與長州的跋扈、假敕令亂發早已引起天皇的不快,終有8月18日政變,將長州和尊攘派公卿逐出京洛。

    隔年元治元年(1864)6月發生池田屋事件,長州起兵布陣在天王山、天龍寺、伏見等地,並進攻御所。天皇對容保給予高度信任,容保也抱著病軀指揮,所謂蛤御門の変一役,血戰相當激烈,会津陣亡33人是最多的(薩藩7人)。京洛因火勢燒掉兩萬八千餘戶。長藩撤軍後,容保疾呼將軍應該打鐵趁熱親自東征,強烈主張這次一定要除惡務盡,斬斷禍根。身為公武合體派他並非單純佐幕派,有強烈的尊皇之心,因此也獲得天皇極高的信任。然而他與會津藩士孜孜矻矻的奮鬥與活躍,卻也引起老中們的側目與忌妒,根本無意採用他的意見。而讓尾張藩主(容保的哥哥)擔任征長總督的結果,便是姑息養奸,讓長藩以武裝恭順、三個家老的性命呼攏過去,實則高杉晉作已經開始準備動手。而幕府的愚蠢之處就是勝利之後就以為可以恢復参勤交代跟以前幕府的威信,但時局早已不同,薩摩已有異心,終究兩雄藩聯手。在征長期間,会津藩還奉命去處理流竄到關西的水戶天狗黨。另一方面中山忠光躲在長州,最後也被長州人給暗中處理掉。

    作者的人物評認為,無私的清潔會遭人記恨,這也就是所謂政治就是清濁兼容。然而容保這種無私的潔癖、毫無野望與計算,反而使一身濁氣、懷有惡心的人無法理解。幕府死抱著權力,長州渴望獲得政權,薩摩則充滿野心,因此無私中道的容保,反而遭到各方的無法理解與排斥。作者也指出,正因為蛤御門の変的慘烈與這場戰役造成的怨恨,也使得日後長州反擊將会津藩指稱並抹黑為朝敵,造成会津藩的悲劇。而他也指出長州藩內部鬥爭慘烈至極(然而会津因為特殊的教育體制,並未有這樣的矛盾與派閥鬥爭),許多一流人物也在自相殘殺中逝去,維新後只剩下三流人物。作者評慶喜雖然不笨但被過大評價,其實無法擔起大任也沒有能肩負時局期待下的責任感(只有在蛤御門の変表現得很出色),在小笠原事件中甚至還為了保身把幕府內部的缺點暴露出來,相當離譜。其實讀到慶喜的所有作為,我始終感到困惑的是,島津斉彬這般人物,甚至是其他的一干賢侯,為何會壓寶在此人身上,甚至還有東照宮再來云云的評價。而極度困難的時局卻落在這樣一個小器量之人肩上,也是一個悲劇人物。

  • 幕末に夢中になってきた「入門時期」に読んでおけばよかった。
    (偏っていようがいまいが)本当に引用や史料が多く、テキストとしては最適だろう。

    小説の要素は薄い。
    しっかし、三田村新蔵は悪運の強い男よな。

  • 京都時代。池田屋から禁門の変まで。
    2011/1/26

  • 無私無欲で、文字どおりに心身を擦り減らすように―体調を崩していて、衰弱していた中でも御所に参内し、配下の将兵の総司令官としての職務を全うしようとする描写が出て来る…―して京都守護職の役目に精励した、余りに純粋だった会津侯に対し、長州、薩摩、幕府は余りに狡猾であったり小心であり、京都の騒乱はそういう他の勢力に会津が翻弄されてしまう導火線になっていた…というのが“第2巻”の主旨であろうか…
    “第2巻”では、騒乱の収拾に心を砕き、役目に精励する会津侯と家中は天皇の信認という大変な名誉を得る。が、やがて過酷な運命が待っている…それが描かれる“第3巻”以降にも注目せねばなるまい…

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