カティンの森 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087605907

作品紹介・あらすじ

第二次世界大戦中、ソ連の捕虜となったポーランド人将校数千人がソ連内のカティンの森で密かに虐殺された。そのなかに、フィリピンスキ少佐がいた。だが、この事件を知らない少佐の娘ニカは、母と祖母と一緒に少佐の帰還を空しく待ち続けていた。やがて彼女の前にある過去を持った青年が現れる…。美しく悲しいニカの恋の物語と共に、ポーランド史の暗部を巧みに描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • カティンの森事件を舞台にした三人、三世代の女性の物語。
    ソ連と不可侵条約を結んだナチス・ドイツは1939年9月にポーランド侵攻を開始した。そしてソ連も同時に東側からポーランド侵攻を開始し、東部地域を併合した。これによってポーランド国軍の多数の将校がソ連の捕虜となったが、ソ連は捕虜とした2万人以上のポーランド将校を虐殺し、カティンの森など三箇所の地中に埋め、隠蔽をはかった。
    戦争中既にこの虐殺事件は西側諸国の知るところとなり、調査も行われたが、ナチス・ドイツはこれをソ連によるものと主張したが、ソ連はこれをナチス・ドイツによるものだと強く主張していた。

    こういう歴史的事件を背景に、戦後、ポーランドのクラクフで、ソ連の捕虜となり、消息不明となっている夫アンジェイを待つアンナ。夫の母であり、息子は必ず戻ってくると信じ、あらゆるものにその兆しを見つけようとするプシャ。幼い頃の父の思い出しか記憶になく、父を愛しているが、父の亡霊に束縛されている母に反発するヴェロニカ(ニカ)。
    三人の女性の暮らしが描かれる。
    アンナは夫アンジェイがカティンで虐殺されたものと思っているものの、見つかった犠牲者のリストには夫によく似た名前があるのみで、未亡人としても認められない。また、それ故に一縷の望みを抱いているが、そんな時に夫の部下だったという兵士が家を訪ねてくる。
    彼は夫と親しかった事の証拠としてアンジェイの持っていたシガレットケースを渡すが、彼はソ連軍に協力する見返りとして解放されたため、アンジェイのその後については知らなかった。
    果たしてアンジェイはどうなったのか。カティンについて調べることがタブーでもあるソ連支配下のポーランドでアンナは夫のその後について調べようとし始める。

    三世代の女性のうち一番若いヴェロニカは母や祖母が帰ってこない父がまだ生きていると信じているかのように話す事に反発している。父は既に亡くなっており、その遺体が見つからないだけだという事を認めようとせず、「カティン以前」に囚われて前に進もうとしないことに苛立っているからだ。
    しかし、その彼女がユルという青年と出会い、ユルがソ連の支配に反抗する反乱分子として捕えられ、収容所に入れられ、その生死も定かではなくなった時、母アンナと同じ気持ちとなってユルを探し続ける展開が、痛ましい。

  •  物語の時代背景は
    1939年、ナチス・ドイツとソ連は不可侵条約を結び、二国による
    ポーランド分割を秘密裏に決定。9月1日、ドイツが西から、同月17日ソ連が東から
    ポーランドに侵攻。ソ連の捕虜になった将校は、ソ連国内の各地に収容された。
    1940年3月5日に下されたソ連共産党政治局の決定により、同年4、5月に
    ソ連内収容所に抑留されていたポーランド人将校一万数千人が虐殺された。
    犠牲者の遺体はカティンをはじめとする三ヶ所に埋められた。
    しかしこの事実は、公式にはナチス・ドイツの犯罪とされた。(帯より引用)

    著者は事件関係者に取材を重ねてモデルらしき人物もいたと、訳者あとがきに書かれてるので
    そうした史実に基づいて描かれたものである。

     大学の講義か。考古学者である女性講師がプロジェクターに映し出される
    始皇帝戦闘部隊の兵馬俑などの映像で講義をしてる。
    北京郊外で発掘された50万年以前の北京原人の骨片
    彼らが食人風習の儀式となって死んだことを示すものであると
    講義の冒頭、彼女はこう語った
    「食人の悪習は存続しました。二十世紀になってその姿は変えはしましたが。
    それはもはや個人が対象ではなく、一国の国民が他の国民を食い尽したのであり、
    遺骸はすべて地中に埋められました。
    こうすれば、後々、何千年となく、発見されずに終わるとの悪企みによって・・・・・」
    そして、彼女は、ソ連の捕虜となっていたポーランド人将校一千数千人が虐殺された
    とされるカティンの森へと旅立つ列車に乗り込むというのが、物語の導入部である。

     主人公である彼女・ヴェロニカの高校時代にまで遡り
    母のアンナとともに家族の回想として
    事件の真実に迫っていく姿が描かれていく。
    カティン事件の生き残りであるアンジェイの同僚・ヤロスワフ大佐が
    ある遺品を渡すように託されたと、
    アンジェイの母・ブシャ、妻・アンナ、一人娘のヴェロニカの前に突然現れるのである。
    無事帰還を信じる妻アンナもヤロスワフも互いに惹かれあっていくが貞節を守り通す。
    そんな様子をヴェロニカは察知しているのであるが
    ヴェロニカもまた、元地下活動家で画学生のユルという恋人と出会う。
    事件の真実を探ろうとすればするほど
    男たちが突如として彼女たちの前から姿を消してしまう・・・・・・。

    戦争に送り出す際に、寒いからと冬外套持って行くように云う。
    持っていくのをアンジェイが渋っていたら
    「戦争するのは、男だけど、負傷兵の世話は女の仕事ですからね」と
    母・プシャの一言が、残されていく者の切ない思いがしてならない。
    大国の思惑や論理によって事実が隠ぺいされ葬り去られる怖さ
    時代によって正義が逆転してしまう。
    その国、その民族が悪者であるとかイメージし人をモノ化してしまう戦争の狂気
    一番の犠牲者は残された女性や、子どもたちであると改めて感じた。
    P:S この原作は、カティン事件の被害遺族でもあるアンジェイ・ワイダ監督により12月5日より映画公開される。

  • ちょっとまだ自分では消化しきれなくて、ここに感想を書くのはやめようと思ってた。

    なのに、何らかの思いを綴らなければ次の本へ進めない。
    いつまでも本棚に戻せない、机の上にあり続ける一冊があった。

    そういう作品もあるんだな、と知る。

    だが、読後半月以上経過しているため、詳細は定かでない。


    *


    それが、『カティンの森』。

    随分長く積読していた本だが、わが年下の彼女(笑)、ブロ友nanaco☆さんの、映画化された同作品のレビューで読む決心がついた。


    そこで彼女も触れていたが、思い出すのは 2010年4月に起きたポーランド空軍墜落事故。

    カティンの森犠牲者追悼式典に出席するためにロシアのスモンレスクへ向かった、ポーランド大統領夫妻と同政府要人96名を乗せた飛行機が墜落、全滅した事故だ。

    私はその事故で初めて、背景にあるカティンの森事件を知る。
    ニュースに疎い私がそれを強く記憶し、ざっと歴史を調べた理由は、その翌月にモスクワを旅することにしていたからだろう。

    あの時、プーチン首相(当時)の冷めた目に、ロシアに対する胡散臭さをどうしてもぬぐえなかったことを覚えている。


    また、その事故の3日前にも行われた式典に、ポーランド首相と共に参列したプーチン首相は、カティンの森事件について改めてソ連の責任を認めた上で、ロシア国民に罪を被せることは間違いだとし、謝罪しなかった。

    その式典参列者の中に、この作品の映画監督アンジェイ・ワイダ氏もいた。

    ロシア側のその態度に、その時 ワイダ氏はどう思っただろう。

    ワイダ氏の父は、カティンの森事件で虐殺されている。


    ひょっとしたら父親は生きている、、、
    彼の母親は、ほとんど生涯の終わりに至るまで夫の無事を信じ、帰りを待ち続けたという。

    彼は、この映画があの事件の真実を明るみに出すだけでなく、
    カティン犯罪の巨大な虚偽と残酷な真実を、永遠に引き裂かれた家族の物語として描くことで、
    歴史的事実よりはるかに大きい感動を引き起こし、祖国の過去から意識的、かつ努めて距離を置こうとする若い世代に語りかけたかったのだ。


    この作品は、そう映画化されることを前提に、アンジェイ・ムラルチク氏によって執筆された。

    ムラルチク氏は言う。
    「独りでは、この主題を取り上げる勇気はなかったと思います。
    カティンについて虚構の物語を書くと考えただけで、身が震える思いでしたよ。
    でもそれが映画の原作となれば、別です。俳優が演じるわけですから、仮構も可能になるのです(訳者あとがきより抜粋)」

    「ワイダと約束しました ― 彼には映画監督として独自のヴィジョンを創造する権利がある。
    わたしは自著で自分のヴィジョンを守ると。
    でも、映画と小説は理想的に補い合っていると考えています(同)」


    私も思う。
    この作品は原作を読み、映画を観ることによって、より深く理解できると。

    映画の中で強烈な印象を残すのは、エンディングの、ただ淡々と、同じ血が通った人間の仕業とは思えない凍りつくような虐殺シーンだが、
    片や原作では、そのような露骨な描写はなく、待ち続ける家族の痛々しい感情が細かく丁寧に記されている。
    待つ女性たちに、一段とスポットを浴びさせている形だ。


    それは、ポーランド将校であるアンジェイ・フィリピンスキ少佐の、母・ブシャと妻・アンナ、そして娘・ニカの物語。

    ブシャとアンナは、アンジェイの生還をひたすら信じて待ち続けている。
    「カティン以前」の光に満ちた生活と、「カティン以後」。

    娘ニカも父との懐かしい想い出、父の誇らしい姿を忘れたわけではないのだが、彼女は父との再会をほとんど諦め、今を楽しみたいという気持ちの方が強くなる。


    カティンを奇跡的に生き抜いたアンジェイの部下・ヤロスワフ大佐と、
    後にニカのボーイフレンドとなる、戦時にパルチザンとして抵抗運動をしていた美術学生のユル、
    この2人も物語を展開さす上で要となる人物である。

    その6人の苦しみ、哀しみ、諦め、うらぎり。
    ニカはある出来事から、アンナと同じ道(気持ち)を歩むこととなる。

    それらを生み出したのが、カティンの森事件であり、その罪をナチス・ドイツになすりつけたソ連の嘘であり、
    そして、その真相に触れることすら しばしタブーであったポーランドの弱さであった。



    強国に挟まれ、常に侵略され続けたポーランド。
    このカティンの森事件の直接な背景に、1939年のドイツとソ連によるポーランド侵攻がある。
    さらに遡ると、ドイツ・ロシア・オーストリアの三国に分割された時代にぶつかる。


    弱国ゆえの宿命か。


    だが、だからといって、なぜソ連によって優秀なポーランド将校がカティンを含め1万数千人も虐殺されなければならなかったか?

    訳者はこう記す。

    それは、ポーランドとソ連関係の「過去」と「未来」に関わると。

    「過去」とは、ソ連が敗北したポーランド・ソ連戦争を根に持つスターリンが、ポーランド軍人に対して強い不快感を持っていたこと。
    事実、虐殺された捕虜の多くが、ポ・ソ戦争に従軍した者だった。

    それではなぜ、そのポ・ソ戦争が起こったかというと、第一次世界大戦後、ロシア革命で混乱しているソ連(ロシア)に対し、ポーランドがかつての領土を取り返すために侵略したからであった。


    では、なぜそこに「未来」も関わってくるのか?

    それは、ポーランドの軍人と知識人たちを抹殺することで、指導者を失ったポーランドに真空状態を作りだし、そこにソ連仕込みの連中を入れることで、


    結局、いつの時代もソ連(強国)の思惑通りにされてきたということだ。


    これらを頭に入れた上で改めて物語と向き合うと、もっとすんなり話に入っていけるだろうし、

    映画の冒頭シーン、ドイツ軍から逃れるアンナ母娘たちと、ソ連軍から逃れてきた人達が橋の上ですれ違う、進んでも引き返しても先はないポーランド人の姿を理解できるだろう。

    真実を闇に葬る為に消された人々のことも。。。




    真実を知ろうとすると、いつも現れる「なぜ?」。

    この「なぜ?」に歴史があり、「なぜ?」をどんどん遡っていくことが歴史教育だと思う。

    答えは見つからないかもしれないが、
    それを導き出そうとする過程が、今後 我々の未来に必要なこと、同じ過ちを繰り返さずにすむヒントを教えてくれると思っている。


    ほぅ。。。苦し紛れにこう締めくくろう。(笑)

  • (2010.04.06読了)
    アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」の原作本です。映画のために書かれた本なので、映像を意識した文章になっています。
    「カティンの森」と言うのは、第二次大戦中にソ連軍に連れ去られた1万5千名のポーランドの将校が、カティンの森の他全部で3か所に分けられて虐殺された事件の呼び名として使用されています。
    事件が明らかになったのは、1943年4月、ソ連に攻め込んだドイツ軍が、カティンで虐殺された数千人のポーランド将校の遺体を発見したことによります。
    国際委員会が調査し、「40年春にソ連が虐殺した」と結論付けました。
    1943年9月にカティンを取り戻したソ連は、1944年1月に調査結果を発表。ポーランド将校を虐殺したのは、ドイツで、時期は41年秋。ドイツ軍は、43年の調査の際、死体の衣類から1940年4月以降の日付のある一切の記録文書を取り除いて再び死体を墓に戻した、と発表。
    1945年からの共産党政権下では、カティンの森に関することはタブーとなった。
    1990年に、ゴルバチョフ・ソ連大統領がソ連の犯行と認め、ポーランドに陳謝。
    虐殺が行われたのは、1940年4月~5月と言うことです。目的は、知識人や指導者となりうる人を取り除き、ソ連の言いなりになる政権をつくるためです。

    物語は、1945年5月ごろ、戦争が終わり、兵士が少しずつ帰還してきており、共産党政権も動き出している時期に設定されています。
    おばあさんと、母と、高校生の娘の3人家族が主人公です。
    祖母は、ブシャ。母は、アンナ。娘は、ヴェロニカ、愛称ニカです。
    アンナの夫であり、ヴェロニカの父、アンジェイ・フィリピンスキ少佐の帰還を待っています。カティンで死亡した人たちの名簿に入っていたのですが、名前が微妙に違うし、名簿に乗っていた人の中で、帰還した人がいるので、実際に死亡を確認できる証拠を見るまでは、死亡を認めることはできません。
    娘のニカは、現在を楽しみたいのですが、アンナは、夫の思い出のみに生きています。
    気持ちのすれ違いは、やむを得ないことなのですが、・・・。
    ある日、アンジェイ少佐の元部下が訪れ、少佐のことを調べる手伝いをしてくれることになります。元部下のヤロスワフ大佐は、ソ連に協力したので、殺されずに済みました。
    ヤロスワフ大佐は、カティンの森での発掘現場を見て、その際仲間が殺された薬莢を拾ってきていました。その他の証拠を入手しようとしますが、密告によって捕まってしまいます。密告したのが、ニカの恋人のユルだったのです。
    ユルの兄が反政府活動で捕まり、兄を助けてもらう約束で密告したのですが、約束は果たされませんでした。その上、ユルも捕まってしまいます。
    ニカも母親と同様、待つ人になり、母親の気持ちが分かるようになります。
    ヤロスワフ大佐の仲間によって、アンジェい少佐の遺品が、アンナのもとに届けられました。遺品となった手帳をアンナとニカで少しずつ読む日々が始まります。
    カティンに連れて行かれ殺される直前までの様子が分かるようになっています。

    ●ソ連での俘虜生活(161頁)
    「あそこにいたのは、えりすぐりのインテリゲンツィアです―教授、医師、技師、学者。一人残らず、子どもに様に純真だった。」
    家族宛の手紙は月一回、切り取り式の手紙発送許可証を使う。入浴も禁じられていた。衛生状態は、家畜以下だった。野戦病院とは名ばかりで、死に場所も同然。そこで私たちは、戦時俘虜に関する国際赤十字のジュネーヴ協約の適用を主張した。所長からどういわれたと思います?「ジュネーヴだの赤十字だの、そんな協約はロシア人には無関係」
    ●共産主義の美点(221頁)
    「共産主義の唯一の美点は、そこの世界では、誰も孤独ではないということだ。誰に対しても、守護天使がついてまわるから。人は脅されれば沈黙する―それが、連中の狙いさ」
    ●ホラティウスの詩句(285頁)
    この日を楽しめ。明日の日はどうなることかわからぬから
    ●死とは(342頁)
    死ぬとは存在しなくなることではない。存在しなくなるのは思い出の持ち主がいなくなった時だ。

    ☆関連書籍
    「ワルソー・ゲットー」リンゲルブルーム著・山田晃訳、カッパブックス、1959.12.05
    「ワルシャワ物語」工藤幸雄著、NHKブックス、1980.08.01
    「ポーランド 労働者の反乱」芝生瑞和著、第三書館、1981.05.10
    「ワルシャワ貧乏物語」工藤久代著、文春文庫、1985.06.25
    「ワルシャワ猫物語」工藤久代著、文春文庫、1986.07.25
    「カチンの森とワルシャワ蜂起」渡辺克義著、岩波ブックレット、1991.06.13
    「戦場のピアニスト[新装版]」ウワディスワフ・シュピルマン著・佐藤泰一訳、春秋社、2000.02.10
    「戦場のピアニスト」ロナルド・ハーウッド著・富永和子訳、新潮文庫、2003.02.01
    「天の涯まで ポーランド秘史(上)」池田理代子著、朝日新聞社、1991.06.05
    「天の涯まで ポーランド秘史(下)」池田理代子著、朝日新聞社、1991.06.05
    (2010年4月8日・記)

  • いわゆるカティンの森事件を題材にしたフィクション。全編通じて美しくも陰鬱な雰囲気に満たされた内容でした。
    とはいえ、カティンの森事件の内容を説明するものではありません。当事件に巻きこまれた男性の家族の、彼を「待つ」その心情のコントラストを描く作品です。

    ・・・
    物語のあらすじをざっと言えば、カティンの森事件で家族を亡くした3世代の女の話です。出征した息子の帰りを信じている母ブシャ、夫の死をほぼ確信するも貞節を守りながら未亡人として生きる妻アンナ、父の死を受け止めつつも寧ろあらたな人生を切り開きたい娘ヴェロニカ。彼らに訪れる戦後の動乱と人々の心象を描くもの。

    ・・・
    やはりやるせないのは、解消されざる母娘の「今」に対する感情。母アンナからすれば残りの人生はまさに「敗戦処理」に過ぎない。一方娘にとっては、白紙のノートブックのような人生が開こうとしている。その考えの違いが家庭内でも不協和音を奏でます。

    「母は、苦しみを独占する権利があるという想いなしではいられないのだ、そうすることによって、喪失の痛みを人生のたった一つの意義に変えているのだと。彼女のただ一つの愛の対象が帰ってくるという望みを絶たれ、最後までその愛に忠実になろうとしながら、母の選んだのは、犠牲とならずに済んだものへの憎しみと遺恨だった」(P.243)

    自分が幸せでない時、他人の幸せを祝福することは難しいことが多いわけですが、この違いが母娘に起こるところに、運命的ともいえる悲劇性を見て取れます。娘ヴェロニカは自身の恋愛をせめて家族に祝福してもらいたい一方、母アンナは厭世的な発言が多い。

    やや作りすぎの嫌いはあるものの、娘ヴェロニカの恋人が更なる犠牲者を生み出し、また彼自身体制の犠牲となることで最終的にヴェロニカも母の立場を理解するようになります。つまり、悲劇は繰り返されることになります。

    また読中、ポーランドという国の経緯についても、つくづく何とも言えない思いになりました。
    ロシア、プロイセン、オーストラリアの3列強による3度の国土分割を経て、第2次世界大戦ではドイツとソ連により通算4度目の分割を経験することになります。加えて、アウシュヴィッツはユダヤ人虐殺の現場となり、ポーランド人将校はロジアのカティンへ連行され虐殺される。戦後はソ連の影響を受けた共産体制の下、真実を探ることも許されない。

    また物語では妻アンナは、夫の名前がカティンでの死亡者リストに名前が誤って掲載されていたことから、夫の死亡も認定されず、恩給の代替受給も許されず、厳しい立場に追い込まれました(この誤報に一縷の望みを託す点がまたなんとも・・・)。

    ・・・
    実に重苦しい作品でした。
    この家族の救いの無さは、胸にどんよりとした嫌味を残す一方、なぜポーランドはこのような他国の蹂躙を受けることになったのか、なぜロシアは虐殺の事実を画したのか等の歴史的事実とその背景も知りたく思いました。

    ヨーロッパ史、東欧史、近現代史に興味がある方にはおすすめできる作品だと思います。

  • ポーランドを旅行してから、ポーランドへの興味が尽きない。
    アンジェイ・ワイダ監督の映画「残像」を観た後、カティンの森のことを知り、この本を読みはじめた。
    こんな残酷な事件があったとは、知らなかった。
    ポーランドという国は、本当に先の大戦でドイツからもソ連からも傷つけられた国だったんだと改めて思う。
    観光客で溢れていたクラクフを思い出し、戦後よくぞ復興されたと思うと同時に、アンジェイ・ワイダ監督が、自国の暗い歴史を忘れず、映画を作り続けてこられたことに胸を打つ。

  • レポートのため読破。

    カティン以前以後、という表現が何度も登場。それだけでこの事件の衝撃が伝わってきた。


    また社会主義の最も恐怖的な面としての「監視社会」が物語に止めをさし、社会主義の性質である「秘密」という名の情報隠しで全てがストップしてしまう。

    カフカの城・審判の雰囲気を持つ。
    カフカもユダヤ人であることから、こういったところがよく分かっているのではないか。

    ソ連が一時的に連合国側として闘ったため、戦後も連合国各国は事実を秘匿してしまう。そこに社会主義ということが重なる。


    登場人物の人生、一度しかない人生、全て「何も分からないまま」終わっていってしまう。

  • 1939年9月17日 独ソポーランド侵攻、分割占領
    1940年4-5月 ソ連による1万人を超えるポーランド人将校の大量虐殺
    1943年 ソ連に侵攻したドイツによる現場発掘、検証
    ソ連はドイツのやったことと主張

    そして第二次大戦後のソ連とポーランド共産党政権による虐殺の隠蔽
    真実を求め、追究する遺族や関係者は裁判もなく消されてゆく

    その後
    1990年ゴルバチョフソ連大統領が自国の犯行と認めポーランドに謝罪

    カティン事件の被害遺族であるアンジェイ・ワイダ監督
    (父親が犠牲者)により映画制作、2007年9月17日試写

    ポーランド文学者工藤幸雄が邦訳、最後の作品となった
    (2007年12月映画『カティンの森』を見て年末に着手、
     2008年3月7日訳了4か月後逝去)

    行方不明となった将校の母、妻、娘の戦後の生活を描くことをとおして
    ソ連、ポーランド共産党政権による捏造とそれを維持する過酷な政治の実態が語られている

  • 第二次世界大戦中にソ連の捕虜となったポーランド人将校がソ連内のカティンの森をはじめとする数箇所で密かに虐殺されたという実際の事件を基に描かれている「真実」の物語です。女性たちの姿が心を打ちます。

    この本はいまだにその真実が明らかになっていない2万にも上るポーランドの将校がソ連によってひそかに虐殺された「カティン事件」を基にした映画のノベライズ版です。描かれているのは、行方不明となったアンジェイ・フィリピンスキ少佐の帰りを今か今かと待ち続ける母ブシャ、妻のアンナ、そして娘のヴェロニカ(ニカ)を軸にして描かれています。

    ポーランドの歴史の闇とユルという青年とニカとの恋。アンナの前に現れるカティンの森の生き残りであるヤロスワフ・セリム大佐も物語に絡んでくる中盤になってくるにつれて、アンジェイがもう二度と彼らの前に帰ってこないんだという事実と、彼が残した遺品。手帳の中に俘虜となってから自分の今際までを書き記した言葉がどうしようもなく、陰鬱にさせました。

    僕がこの事件を知ったのは、高校の世界史の授業で、サブテキストである資料集にカティンで発見された遺体の写真が掲載されており、これがおそらくカラーだったら直視ができないようなむごたらしい写真で、どこをどうしたらこういうことができるのかと、ずっと長年の疑問で、この本の巻末に書かれてある答えがひとつ、スターリンがソ連とポーランドとの戦争で完膚なきまでに負けて、それ以来彼らに強い恨みを持っていたこと。第二にインテリ階級である彼らを抹殺することで指導者層に空白地帯を作るという目的があったのだそうです。なるほどなとは思いましたが、決してこれが許されるものではないことはここで言うまででもないでしょう。

    すべての結末は本書に譲るとして、アンジェイはもちろんのこと、母親のブシャやニカとユルの恋の結末や、アンナやセリム大佐の運命も国家や歴史に翻弄されたのだ、ということはあくまでフィクションながら、僕の心に迫ってくるものでありました。

    さいごに、この映画を創作したアンジェイ・ワイダ監督の父親もまた、カティン事件の犠牲者だそうです。NHKのインタビューで
    「これはどうしても作らなければならない映画だった」
    と語っていたのが印象的でした。

  • 恥ずかしながら、この映画で初めてカティンの森虐殺を知りました。世界大戦時代はまさに狂気の時代。

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