- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087714876
作品紹介・あらすじ
4000曲の詞を紡ぎ、時代を駆け抜けた作詞家・安井かずみ。林真理子、コシノジュンコ、金子國義、ムッシュかまやつ、吉田拓郎。20人余の証言から浮かび上がる、伝説の女の素顔。
感想・レビュー・書評
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うーん、さすがの読み応え。関係者の証言によって浮かび上がってくる、安井かずみという人の人生に胸が震える。
島崎今日子さんのインタビューの凄さには定評があるが、ここでもその力は遺憾なく発揮されている。 安井かずみさんの華麗なプロフィールからは窺い知れない影の部分も、様々なエピソードとして聞き出し、それが決して暴露的な後味の悪いものにはなっていない。あとがきで、安井さんの妹さんに対して、全面的な協力と出版の快諾を感謝する言葉が述べられている。礼賛本ではなくても、真摯な姿勢があれば、著者の敬意と共感の念はちゃんと伝わるということを教えてくれる。
正直に言うと、最初のあたりはかなり反感を抱きつつ読んでいた。林真理子さんの証言から始まっていたせいもある。加藤和彦さんと結婚した後のセレブでハイソなライフスタイルの格好良さを林さんが語れば語るほど、「あーそー」という気分になる。いい気なもんだなって感じで。(大体、林真理子さんの良さが私にはちっともわからない。どんな人が彼女のファンなんだろう?)
しかし、読み進めていくうちにだんだん、常に時代を意識し、その中で自らの理想を現実のものとして生きようとした安井さんの人物像に引き込まれていった。証言は後になるに従って影の部分にも大胆に踏み込んでいく。また、何人もの証言が重なり合いながら、彼女の人生をたどっていき、その死へと向かう構成になっていて、これは本当にうまいと思った。
最も印象的だったのは、最も容赦ない評をしている吉田拓郎の回。この二人が親交があったというのは意外だ。この本は各章のタイトルが安井かずみ詞のヒット曲からとられているのだが、それらは私が小中学生の頃いつもテレビから流れていて今でも歌えるものばかりで、とても懐かしい。ただし、その「詞」がどうだとか思ったことはまったくない。歌の詞を意識して聴いたのは、拓郎のようなシンガーソングライターの曲であり、「職業作詞家」のものではなかった。安井かずみさんが自分の仕事と才能に強烈な誇りと自負を抱いていたのは間違いないが、それだけではない複雑な思いもあったのだとわかる。
また、彼女の「運命の人」であった加藤和彦さんについて書かれていることは、私がまったく知らなかったせいもあるだろうが、かなり衝撃的だ。常に行動を共にし理想の夫婦と見られ、病床の安井さんをこれ以上ないと皆が認めるほど献身的に看病した彼が、どうして彼女の亡骸を家に連れ帰らずお葬式まで五日も病院の霊安室に置きっ放しにできたのか。豪邸の前にはビニール袋に入れられた安井さんの写真や服や下着までが大量に捨てられていたという。このことが私には何よりも痛ましく悲しく感じられてならなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初読
はーーーー読み応えがあった!
島崎京子さんという方は存じ上げなかったのだけれど、
彼女のインタビュー・構成の上手さと、
あとがきにあるように様々な人の協力を得られた幸運とで
この濃度なのだろうな、と。
当然、加賀まりこにもオファーした筈なのだけど、
受けなかった理由も気になる。
金子國義の「僕と彼女は特別」感にも、そうでしょうねぇ…とため息が出るし、
大宅映子さんの「みんな(森瑤子も)先に行って失礼しちゃうわ。どうしてくれるのよ私の老後」
の軽やかさに当時の仲良さげな感じが思い浮かぶし
ムッシュの優しさ、吉田拓郎の辛辣も、驚いたり納得したり。
初めての結婚相手や実の妹さんのインタビューまである濃度。
安井さんの著書は何冊か読んでたけど
加藤和彦については安井かずみが亡くなった後にすぐ再婚をした事など
断片的にしか知らなかったので、どういう事なんだろう?
とずっと引っかかっていた私には、この本はこれ以上無い答えだった。
答えといっても、結局「本当のこと」なんてわからないのだ。
その人が見ていた角度からしか見れないのだから。
それでもやはり、弱くて、強くて、醜くて、美しいのが人間であり、
「素敵なふたり」だったのだなぁと私は思う。 -
おとなになった頃、安井かずみさんのエッセイを手に取り、作詞家であられるのに、歌じゃなく、そちらに大きな影響を受けました。彼女のライフスタイルの全てが是とされるわけではないけど暮らし方のいい面は学んで、できっこない面は流す、ことで読者だった私は、随分趣味を広げました。箱入り娘だった私が、海外へ行く経験を持ったのも、彼女のおかげです。
エッセイを読んでからこの評伝に触れると、また違う印象を私は持ちました。かずみさんは、加藤和彦さんとご結婚後奔放な生活を正したというのは、ちょっと違うと。もともと堅実な家庭のお育ちですし、ミッションの女子校というのは、華やかさより、真面目で平和、穏健な思想を与えます。妻としての家庭性と、職業人としての自立を同時に教育として受けた方だと、考えていいのではないでしょうか。
かずみさん自身は、本来真面目で家庭に仕える、今から見れば古風な女性像と、自分の生活を自分で管理し自立して自由に行動する女性像を、一度に身にお持ちだったかと。ですから本来、奔放なひとではなかったと思うのです。ただ彼女の職業だと、アーティスティックで刺激ある生活を送ること、が活力源だったのだと思います。
でも、本来の彼女の少女時代からの心の基盤を考えると
その生活は、大変な疲労感を伴ったのではないかと。古典的な奥様として、旦那様についてゆく。家庭の安らぎのシンボルになることを求めていらした。同時にクリエイターとして、スタイルを持つことも、求めていらした。真逆なものを求めれば、大変だったはずで。
夫である加藤さんの側のご実家には触れられていませんが、京都のよいお家の出である加藤さんも、精神的には同じように、内容は奥様と逆の葛藤を持ち、ご自身なりの家庭や夫婦に求めていらした気がします。まして、世間がどう見るかが、大きな行動の基準になる関西の家庭の感覚を、東京の芸能関係者の家庭に入れたらスノップな方向に行くほかない。
かずみさんの中には「わかりやすい妻」ではない。それへの自責が、私は確かにあったと考えるのです。和彦さんも、スタイリッシュな外国風の夫をご自分でやりながら、「わかりやすい妻」がくれる、家長の生活を欲していらしたでしょう。
求めていない顔で求められるのは、苦しい。
才能はおふたりともありながら。
すごく個人的な「才能」というものが。
家庭という狭い場に収斂された時、個人対個人、という対立は、現実には妻と夫という別のパワーバランスで回転する。大変な桎梏があったと思います。ただ、それだけじゃなく、やはり愛情があったから続いたのです。
でも、愛情の問題も、「夫に恋人がいても、妻ならアホになって家を締める。」という家庭観と「浮気など思いもかけない。真面目に夫婦は一緒に暮らす」という価値観の対立が、あったと見ます。加藤さんは、『離婚する気はないのだし』と思っていたことがかずみさんには大きな背信に映ったとしたら。そこに世間からの目、という価値観がのしかかったら。
あの本に書かれていることが、起きたと思うのです。稀有な才能があって時代を作ってきたかずみさんと和彦さん。素敵なお二人であったのは確かです。ひとりひとりの素顔と、夫婦としての素顔は別。そう思って読むと、クリエイター安井かずみさんと妻加藤かずみさんの2つの姿が見えてきます。
クリエイターである面を追う読み方。
女性としての面を追う読み方。
そこへ、時代の空気や流れを加味してルポとして読むのがいいと思います。
理想の妻でなくては、と思いながら、完璧になれないと悩む妻。一方、優しく優れているけれど、世間からの視線を気にし家庭内での「あかんたれ」の顔と「立ててもらう男」の顔は封じ、妻に尽くした夫。
歯車は合っていたのです。同じ価値観で、社会に勝つことを目指したふたりは。でも、片方の歯車は早く折れ…。残った歯車は…。せつないですね。
ふたりのかずみさんが残した、遺産。
作品は残り、今も愛されています。 -
☆2つ。
先日読んだ吉田拓郎 口述本『もういらない』に続いて、同じく拓郎の関連本だという事がこの本を読んだ唯一の動機。」
とは言っても、拓郎と安井かずみのことばかりを書いてある本ではない。他にわたしが知っている人で言うとかまやつひろし、など・・・すまぬ、その他の人物は一人も知らない。
例えば浅田美代子の『赤い風船』の様なヒット曲でも、その詞を書いたのが安井一美だという事はたいがいの人は知らなくて当然だろう。 でもそちらの無名?の人たちのお話だって最初は少しは面白い。
著者 島崎今日子の事は申し訳ないが全く知らない。しかし思いのほか読みやすい文章であったので、わたし世代的には全く知る由も無かった作詞家 安井かずみについて割りと興味深く読むことが出来た。
この本中で吉田拓郎が登場するコーナーには「ジャスト・ア・Ronin」というサブタイトルが付けられている。同名の曲は安井一美の詞である。(曲はもちろん吉田拓郎)このコーナーで1970年代のよしだたくろうとテレビのしがらみについて拓郎自身が次のように語っている。
決してテレビに出たくなかったわけではないんだ。だってそういうキラキラした芸能界にあこがれて広島から東京へ出てきたなから。自分で思うように出られるものなら是非とも出たかった。でもあの時代のテレビ屋というのは「おい出させてやるからああしろこうしろ。出たかったら俺の云うことを聞け!」という風な、金のブレスレットとか首輪をじゃらじゃらと身に着けた連中がハバを利かせていて、こりゃだめだ状態だったのだよ。
しかし安井一美は ZUZU というニックネームだったらしいが、よせよぉそんな鼻っ垂らしな名前、とだけ異世代のわたしは思ってしまった。再びすまぬ。-
2013/08/11
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おおPippoさん、ながぁーいご無沙汰です、ってなんだかいっつもツイターでのつぶやきを見てるのでそうでもないようなきもするw。
この本! ...おおPippoさん、ながぁーいご無沙汰です、ってなんだかいっつもツイターでのつぶやきを見てるのでそうでもないようなきもするw。
この本! いやいや、単に拓郎を辿っていたらこうなっただけでして。すまんこってす。すごすご[m:237]。[m:80]
(ここに書いてもなかなかPippoさんへは伝わらないような気もする。まいっかw)2013/08/11
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カッコイイということはやはり痛々しいものなんだな・・。
筆者もあとがきに添えているように、取材対象にいささか偏りがあるのは仕方がない。
しかし温かな眼差しを持って過去を紐解いていく筆者のスタンスは好感を覚えるどころか、泣ける。
大量消費社会という、もう二度と来ない「時代」と「人」。
作品は永遠に残るが、そこで生きていた人たちの熱い想いや生き様は、こんな形でもっともっと伝えていかれなければならないような気がした。歳かな(笑)。 -
美しく才能にあふれ、付き合う人たちもみんなどこか秀でたものを持つ人ばかり。エネルギッシュでおしゃれで、まさに別世界を生きていた女性。
…こんなイメージをさらに確固たるものにさせられるエピソードのあとには、結婚してからのどこか無理をしているようにも感じられるエピソードが。
どんな人にも光り輝く面だけではないのだなあ、としみじみ感じた一冊。 -
2016.7.9市立図書館
ハピリーくらしっく課題図書。
初出は『婦人画報』の連載記事。
作詞家として、かっこいい女性のロールモデルとして、一世を風靡した安井かずみに仕事でプライベートでかかわってきた人へのインタビュー・取材を通じて、安井かずみの仕事や人生を浮き彫りにする評伝的作品。一つ一つの章のタイトルには安井が詞を書いたヒット曲の題名があてられている。
取材を受けた証言者は、フェリスの同窓生、音楽仲間、遊び仲間、はじめの夫の新田ジョージ、実妹から邸宅・別荘の隣人や主治医まで。2番目の、そして人生を大きく変えた夫加藤和彦本人が鬼籍に入っているので、そちらからの視点がやや弱め、夫婦の実態については両方の言い分がききたいところ。作品や発言、著作からうけとれる強気で華やかな人生の裏にある、もともとおじょうさん育ちの彼女の核にどこまでせまれているか、という点ではよくわからない。ずっと下の世代の自分としてはちょっと痛々しい印象が強かった。みんなが今になって感じていてもあえて心の底にしまっていることもあるかもしれない。現代に生まれていたら、しなくてもいい強がりや苦労も多かったように感じる。
戦後の音楽史と高度成長期の日本の先端を生き急いだようで、55年の生涯は短かった。長く生きても幸せだったかどうかわからないけれど、バブルがはじけた後の日本でどういう姿を見せたのか見てみたかった気はする。 -
著者は朝日新聞でメディア評を書いている評論家。単著では自立した女性の著書が目立つ。文体が心地よく、朝日の文章は毎週好んで読んでいる。その流れで買った本。安井かずみを通じて戦後の高度経済成長からバブル、そして崩壊と昭和の大衆文化史を見るようで興味深く読んだ。加藤和彦の評伝があれば読んでみたい気になる。