若い藝術家の肖像

  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (554ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087734263

作品紹介・あらすじ

『ユリシーズ』へとつながる、ジョイスの半自伝的小説。彼の主人公は神話の発明家ダイダロスの末裔である。あるいはすくなくともダイダロスの末裔であらうとする。鳥でも天使でもない者が飛ぶことができるのは、言葉によつて思考し、表現するからである。ジョイスはイギリスの属国アイルランドの一人の男の子が言葉に執着しながら育ち、やがてキリスト教の信仰から離反し、イギリスの帝国主義からもアイルランドのナショナリズムからも独立し、言葉によつて立つ文学者にならうと決意するまでを、言葉をめぐる問題を中心に言葉で書いた。自由と脱出は飛びかける者の特性である(訳者解説「空を飛ぶのは血筋のせいさ」より)。

感想・レビュー・書評

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  • 難しかったなー!でも自分にとって、難解な作品読んでる感じ、やっぱり好き・・・!
    難解だったけども、主人公の青年がいて、宗教とか生活が絡んで芸術について考えていく姿を描いた作品って、個人的にはタイプだと思うので、またいつか読んでみたい!

  • 丸谷才一氏による新訳と銘打ってジョイスの『若い藝術家の肖像』が集英社から出版された。同社版『ユリシーズ』と同じ和田誠氏の装幀で、『抄訳フィネガンズ・ウェイク』など他のジョイス本と並ぶと壮観である。ついこの間、岩波文庫から大澤正佳氏による新訳が出たと思っていたところへ丸谷氏の新訳である。この時期にぶつけたのは、岩波文庫版に影響されてのことだろうか。旧訳の発表からずいぶん年月がたっている。どんな名訳でも、時代による経年劣化は避けられない。丸谷氏にはジョイス訳者としての矜持がある。改訳が遅れ、岩波の新訳が定本になる事態は避けたかったのではないだろうか。

    ところで、『若い藝術家の肖像』だが、難解なことで知られるジョイスの作品としては比較的読みやすい。単純な時間配列でないし、文体が一通りでないところがジョイスらしいが、主人公スティーヴン・ディーダラスの少年時から青年時までを素材にした半自伝的作品である。イエズス会系の寄宿学校に通う少年スティーヴンが、周囲から将来は司祭にと嘱望されながらも、藝術家への希望をあきらめられず、親の期待に背く形でトリニティ・コレッジに進む。寄宿学校での友人との議論や、宗教や女性に対する内心の葛藤を、ジョイス一流の様々なタイプの文を挿入しつつ描いた一種のビルドゥングス・ロマンである。

    ビルドゥングス・ロマンは「人格形成小説」とも呼ばれるように、形式的には主人公の内面の成長を描く。幼少年期から青年期にかけての人間の心理が素材となるわけで、家族との確執、友人との交流、初恋、性への目覚め、肉欲との葛藤と、当時も今も若者ならではの悩みは尽きない。現今の若者にはどう映るのかは分からないが、ここには一つの若い魂がある。そこはジョイスだから、単なるビルドゥングス・ロマンを書くはずもない。イエズス会司祭による偏執狂的な地獄の描写だとか、いかにもスコラ学臭芬々たる美学論だとか、逸脱する話題は尽きない。他にも頻出する「鳥」のイメジャリー、ダブリンの街のみずみずしい描写等々、採りあげたいことは多いが、本題に入ろう。

    さて、丸谷氏による新旧訳の比較だが、全面改訳の名に恥じないように、一応全編にわたって手を加えていることが分かる。しかし、全体を通してみればそれほど大きな変更ではない。研究者でもなければ新たに新訳を買い求める必要があるかどうかは難しいところだ。そんな中で、第一部、子ども時代のスティーヴンが、悪友に突き落とされる場所が旧訳では便所であったのが、新訳では水たまり(溝)に代わっていて、ほっとした。旧訳ではさかんに「おしっこ」という文字がおどっていたが、新訳では「水」と、おとなしくなっている。スティーヴンが寄宿していたクロンゴーズ・ウッド・コレッジはもともと城で、家畜の侵入を防ぐために溝が四角に切ってあった。それをジョイスの同級生たちは “the square ditch”(四角い溝)と呼んでいたらしい。旧訳で丸谷氏はそれを便所と意訳したのだろう。新訳では欄外の注で新訳の根拠となった資料が示されている。経年劣化の一つの例でもあろうか。

    もう一つ、気になることがある。原文では冒頭から“He”と、三人称で書かれている主語が、丸谷訳では「ぼく」という一人称になっている。旧訳では、それが寄宿学校に入った時点で、「彼は」になっているのだが、新訳では、寄宿学校に入ってからも一人称で記述されている。スティーヴンの成長に連れ、主語の「ぼく」が「自分」に、そして「スティーヴン」へと変わっていく。この過程は、スティーヴンが後に美学論で詳しく論じる藝術の進化の過程を踏んでいるのだろうと思うがどうだろうか。「藝術は必然的に、次々に進んでゆく三つの形式に分かれる、ということがわかってくる。その三つの形式というのはこうなのね。抒情的形式。これは藝術家が自分の映像を自分との直接的な関係で提示する形式。叙事的形式。これは藝術家が自分のイメージを、自分および他人に対する間接的関係において提示する形式。劇的形式。これは藝術家が自分の映像を、他人に対する直接的な関係において提示する形式。」

    あと、目立つところではスティーヴンが恋人におくろうと考えた詩の第一行と第二行が新訳と旧訳では入れ替わっている。これは、第何聯何行目と第何聯何行目には同じ詩句が来るという厳密な約束を持つヴィラネルという定型詩であり、原文通りに訳す必要があることに思い至ったのであろう。当然新訳が正しい。

    「もうミニを持っているなら、セカンドカーはロールスロイスがいいだろう」という有名な文句があった。ロールスロイスが他でもない英国製であるところが少しばかり気になるが、それにならうなら、「『若い藝術家の肖像』を読んだなら、その続きとして『ユリシーズ』読むのがいいだろう」と言いたい。紛れもなく『ユリシーズ』は、20世紀を代表する小説と言えるが、ファースト・カーとしては少々扱いづらい。冒頭のマーテロ塔でのマリガンとのやりとりも『肖像』を先に読んであれば、ずいぶん分かりやすくなる。父サイモンとの確執、聖体拝領拒否と母の死、と『ユリシーズ』におけるスティーヴンの鬱屈は、ここにはじまっていたのだ。小さいながらも旧ミニは運転の醍醐味を知るにはもってこいの車であった。それと同じように『肖像』は、ジョイス文学を味わう上でのエッセンスが詰まっている。『ユリシーズ』という名車を運転する前に、是非一度ハンドルを握ってみることをお薦めしたい。一言つけ加えておくなら、すでに『ユリシーズ』を読んだが、『肖像』はまだという読者にもこの機会に読んでみられることをお薦めする。ロールスロイスばかりが車でないことを知る、またとない機会ですぞ。

  • 古典に関しても、キリスト教の教義に関しても、アイルランドの歴史に関しても、聞きかじり程度の知識しかない私のような読者にとって、丸谷才一氏の詳細な訳注は、大変ありがたい。

    まずは註を参照することなしに、物語の流れに身を任せようと思ったのだけれど、ついつい下(註)を読んでしまうのであえなく挫折。

    19世紀末のアイルランドで、カトリック教徒として成長することは、どのようなものであったのか。
    延々と続けられる、地獄の有様に関する説教もだけれど、性欲を満たすことも、そもそも性欲を抱くことすらも重罪とされるなかで、主人公スティーブン・ディーダラスが味わう葛藤の激しさには圧倒される。

    原題に込められたジョイスの思いの読み解き、自作のヴィネラル(定型詩)が挿入された意味、そして本書を“言葉による考える若者”の発現であるとする訳者の指摘に、なるほどな~と納得。

      A Portrait of the Artist as a Young Man by James Joyce

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著者プロフィール

James Joyce(James Augustine Aloysius Joyce )【1882年 – 1941年】。本原書名 James Joyce 『Exiles A Play in Three Acts With the Author's Own Notes and an Introduction by Padraic Colum, Jonathan Cape, Thirty Bedford Square, London, 1952』。

「1991年 『さまよえる人たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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