- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087734300
感想・レビュー・書評
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(2010.11.05読了)(2010.10.28借入)
ノーベル賞発表の季節が過ぎました。時流に身を任せて、幾つかノーベル賞関連の本を読んでみることにしました。今年のノーベル文学賞は、バルガス・ジョサですが、それはいずれ読むとして、中国のノーベル文学賞受賞者の高行健さんの本を読んでみました。
2000年の受賞ということです。先日、週刊ブックレビューに出演していたので、知りました。著作の翻訳は、ノーベル文学賞受賞後ということのようなので、知らなかったのもやむを得ないことでしょう。
この本は、ノーベル文学賞受賞対象の本ではありませんが、厚さが手ごろなので、読んでみました。短編集で、8つの作品が収められています。
各作品についてのコメントが訳者によって書かれていますので、拝借しておきましょう。
●「母」(1983年)
20年前に母親を失った息子の回想。労働改造農場で命を落とした母の葬儀に参列できなかった親不幸な息子は、高行健の自画像に他ならない。こうした母への強い思い入れ、一種のコンプレックスは彼の創作の原点といえる。
●「円恩寺」(1983年)
新婚旅行中の男女が古寺を訪れる話。この設定は、長編小説『霊山』(1990年)の「彼女」を伴って放浪する「おまえ」を彷彿とさせる。
●「公園にて」(1985年)
再開した元恋人の男女が公園で語り合う、ほとんど会話のみの作品。男女間の感情の行き違い、越えがたい溝は、この作家の永遠のテーマである。
●「痙攣」(1985年)
海水浴中に痙攣を起こした男の心情を描く。主人公は文字通り、生と死の狭間を漂う。そんな時、人間は何を考えるのか。
●「交通事故」(1985年)
交差点での衝突事故発生から、再び平静に戻るまでを描く。時間の流れの中で、人間の存在や事件がいかにちっぽけなものであるかが強く印象づけられる。
●「おじいさんに買った釣り竿」(1986年)
実験性の強い作品。妻子と都会で暮らす現実空間の中で、おじいさんと暮らした少年時代を思い出しながら、ラジオのサッカー中継を聞いているという状況は、実際の生活においていくらでもあり得るだろう。
●「瞬間」(1991年)
視覚がとらえた風景と幻想の断片をつなぎ合わせたような作品で、ストーリー性がほとんど読みとれない。
●「花豆」(1984年)
50歳の誕生日を迎えた男が、お互いに好意を抱きながら結ばれなかった幼なじみの女性に語りかけるスタイルで書かれている。甘酸っぱい青春の思い出と苦難の時代を経てたどり着いた今日、その間の歳月の重みがひしひしと胸に迫る。
☆「母」(16頁)
当時は、「四旧」(旧い思想、文化、風俗、習慣を指す)打破が叫ばれ、いたるところで家宅捜索が行われていました。ぼくは未発表の原稿が災いをもたらすことを恐れたのです。ぼくはストーブの前にすわり、原稿を次々に投げ込みました。読書ノートの束もありました。カント、ヘーゲル、の著作の要約、太平天国や古代神話に関する研究資料の抜粋です。もちろん、ぼく自身の見解や感想もありました。あの時代は前後の脈絡にかかわりなく、一言でも不穏当な言葉が見つかれば、大げさな批判の対象にされ、罪を着せられたのです。
☆「円恩寺」(26頁)
ぼくたちはすっかり幸せに浸っていた。新婚旅行に伴う渇望、熱中、愛情、ぬくもりの真っ只中にあった。ぼくたちは、10日間の結婚休暇に一週間の有給休暇を加えて、半月の休みしか取れなかったけれども。確かに、結婚は一生の大事だ。ぼくたちにとって、これ以上に重大なことはない。どうして、もっと長く休みが取れないのか?
(社会主義は、労働者に優しかった?)
☆「公園にて」(44頁)
「こういう人工的な環境の美しさは嫌だな」
「さっきは公園が大好きだって言ったじゃない?」
「それは子供の頃のことさ。ぼくは山奥に移住して、原始林の中で7年間、樵をしていたんだよ」
☆「痙攣」(62頁)
彼は今、自分の足の力で、この冷たい水流から脱出するしかないと気付いた。我慢できる痛みでも、我慢できない痛みでも、耐えるしかない。これが唯一の救われる方法なのだ。
☆「交通事故」(69頁)
ベビーカー付きの自転車は、おもむろに道を横断しようとしていた。バスはクラクションを鳴らしたが、減速しなかった。男が乗っていた自転車はセンターラインを越えたところだった。砂埃は治まっていたから、見通しが聞かなかったはずはない。男は疾走してくるバスを見たはずだし、クラクションも聞いたはずだった。
☆「おじいさんに買った釣り竿」(89頁)
ぼくはもちろん知っている。都会の人が釣りをするのは、魚を釣るのが目的ではない。公園へ行って釣堀の入場券を買う人は、静寂と自由を釣りに来ている。家庭から逃れ、女房や子供を避け、静かに思いにふけるのだ。
☆「花豆」
クラスメートたちの噂話の種になることを恐れて、公共の場所、例えば学校では、ほとんど口を利かなかった。家に帰った時だけ、ぼくたちは少年少女の恥じらいを感じることもなく、毎日お互いに行き来していた。(150頁)
きみは人生の困難に出合った時、苦しみを感じた時、可能な限りぼくを訪ね、心の内を吐露し、ぼくの前で泣いた。恥ずかしいなどとは思わずに。そうだ、女は男と違って、いつも弱者であり、身内や友人の慰めを必要としている。(154頁)
愛とは、実に説明しにくいものだ。信頼が前提になるが、それだけではいけない。ぼくと華純は、もめてばかりいる。彼女は僕の妹のクラスメートで親友だから、ぼくは何でも話した。それでも誤解が絶えない。嫉妬は女の天性だろう。しかし、きみは一度も嫉妬の感情を見せたことはなかった。それもまた、ぼくたちの友情が恋愛に発展しなかった理由の一つなのだろうか?(167頁)
進歩的なぼくの家でさえ、ぼくが子供の時に病気をすると、母が占い師を呼んできた。占い師は、前世の両親がぼくを連れて行こうとしている。夜は漁網にくるまっていないと命が危ないと言った。その夜、母は、隣人に頼んで漁網を借りてきて、ぼくの身体にかけた。戸口にはニワトリの血を塗った包丁を置いた。(180頁)
「おじさん、『ダンカン伝』を読みましたか?」
「リンカーンだろう?」アメリカの大統領、奴隷制を廃止した人物だ。
「ダンカンはダンスする人よ。モダンダンスの創始者じゃない」娘たちはクスクス笑った。彼女たちには彼女たちの本、アイドル、言葉があるのだ。(205頁)
(2010年11月6日・記)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「母」詩情漂う作品 ぼく→彼→おまえ
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腰巻きにはノーベル文学賞受賞が謳ってあるが抵抗文学ではない。プロレタリアート文化大革命とそれ以降を描いた現代文学ではあるが、共産党支配の現状を淡々と述べるにとどまる。(中共支配の)大陸の雑誌で発表された短編集が1989年2月台湾で出版された。6月・運命の天安門大量虐殺事件の際、フランスに幸運にも(?)居た著者は亡命を選び、作品は中共支配下地域では発禁となった。2000年ノーベル文学賞にも党政府は沈黙のまま。戯曲で世に出た著者は、『花豆』で書簡体で独白的に話を進める。対話=施行の対決になるのに不足しているのは主人公の恋心が対決する相手。それは毛沢東
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文革という大きな歴史の濁流のなかで時に
歪められ時にいっそう瑞々しい青春の回想録。作者・高行健はフランスに亡命し中国では一切の著作を発禁されているというからよりいっそうノスタルジックさが悲壮になる。
痛切になってくるのはもはや記憶にも記憶にも残ってない母を回想する「母」と数十年前の初恋を描いた「花豆」。
そして純粋に巧いのが「おじいさんに買った釣竿」。主人公がTVでサッカー中継を見ながら少年時代を回想するという二つのストーリーの流れが見事に小説という表現手段で成功している。