「雑巾がけ」から始まる 禅が教えるほんものの生活力

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087860306

作品紹介・あらすじ

ぶれない、動じない、禅僧の「胆力」は、体得した生活力あってこそ。雑巾の絞り方から台所仕事、筆文字まで、日常生活の作法を高僧が逐一指南。無駄の無い、理に叶ったからだの所作は美しく、心も調えてくれる。

感想・レビュー・書評

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    清掃の禅

  • 禅寺、過酷です。真冬もせんべい布団を二つ折りにして、それに挟まって寝るなんて。。

    ・汚れた雑巾は、バケツの水の中でしっかり揉み洗いします。一片の端と端をもって真ん中ですり合わせるように揉んで、そこがすんだら隣の一辺に移って同じように両端を持って揉み、それを四辺すべて行います。
    たかが雑巾のすすぎ方に、茶道の作法のようなこだわりは必要ないじゃないか、と思われるかもしれません。けれど、逆なのです。掃除のように日々繰り返して暮らしを調える作業にこそ、もっとも効果的な道具の扱い方や手順があって、そうしたきわめて合理的な日常の動きを取り入れたのがお茶なのです。

    ・食事五観文。食前に必ず唱える。自分がこの食を頂くのにふさわしいか、そんなことを考えたことがありますか?

    一、功の多少を計り彼(カ)の来処(ライショ)を量(ハカ)る
    (この食事が食膳に供されるまでのあらゆる労苦に感謝します)

    二、己が徳業の全闕(ケツ)を忖(ハカ)って供(ク)に応ず
    (自分の行いがこの食をいただくに価するものであるかどうかを顧みます)

    三、心を防ぎ、過貪等(トガトントウ)を離るるを宗(シュウ)とす
    (心を正しく保ち、あやまった行いをしないよう、むさぼり、怒り、愚かさの三毒をもたないことを誓います)

    四、正に良薬を事とするは形枯(ギョウコ)を療ぜんが為なり
    (食とは、身体をやしない、正しい健康を得るための良薬と心得ます)

    五、道業を成ぜんがため将(マサ)にこの食を受くべし
    (さとりの道を成し遂げるために、この食を頂きます)

    ・托鉢の雲水が発する「ホォーッ、ホォーッ、」という声は、仏法の法のこと。雲水たちはただお布施をいただくのではなく、施してくれた方に対して別の形で報いる。どう報いるかというと、托鉢でお布施を受け取ることによって、喜捨のチャンスをつくって差し上げる。喜捨する側は、その一瞬、「これは私のもの」という所有欲とか執着心から離れることができる。

    ・そこで五祖の一番弟子の神秀という人が、「身はこれ菩提樹、明鏡の台のごとし、時々に勤めて払拭せよ、塵埃をして惹かしむること莫かれ」という偈を張り出した。わが身は菩提樹で、心は曇りのない鏡でなくてはならない、常にほこりがつかないよう心して磨いておくことが肝心だ、という意味です。周囲は皆、さすが神秀、これで後継者は彼に決まりだねと噂した。
    ところが、神秀の偈を聞いた慧能が、私は違うと思う、と言ったものだから、騒然となりました。読み書きすらできないお前が、いったいどう違うのだと詰め寄られて、慧能の答えは、「菩提もとより樹なし、明鏡にもまた台なし、本来無一物、いづれのところにか塵埃をひかん」。磨かねばならないチリがつくような心というものが間違っている、人の本性にはそもそも塵などつかない、何もない無一物のものにどうやったら塵がつく、と反論したのです。

  • 禅の哲学や考え方も記しながらも、基本的な日々の生活の中で必要な作業のやり方や作法について記した本。

    禅の考え方を深めたい人には物足りないかもしれないが、禅僧の生活を垣間見て、自分の生活へのヒントにしたい方には良い内容だと思う。

    覚えておきたい言葉
    ・失敗は成長の糧。どんな場においても真実です。

    ・慣れた環境を自分で打破し、一歩を踏み出す。それこそが行脚の精神である。

    ・あなたがしたことは、全てあなた自身に還ってくる。

    禅の僧侶になるのには並々ならぬ覚悟と試練を耐え抜かねばならないのを知って驚きました。
    お坊さんは凄いです。

  • 大雑把な面倒くさがりだけども、こういう丁寧で質素な生活力を身に着けたい…
    図書館で借りたので、再読して時々自分を戒めようと思いました。

  • 禅僧の生活はシンプルで無駄がない。現代は物と情報が溢れかえっている。昔と比べて豊かになったように見えるが幸せになったとは言えないような気がする。禅僧の生活は必要最小限の良い物を大切にして長く使おうとする精神が素晴らしい。本当に大切な物は意外と少ない事と礼儀作法の歴史、大切さを学んだ。

  • シンプルが一番。
    何でも面倒くさがらず、丁寧な暮らしをしたいと思った。

  • ■禅

    A.一掃除、二信心:お勤めなどをするよりも、掃除をすることがまず肝心、というのが禅の教えだ。身の回りが清らかだと、自ずと心も澄んでくる。日々の掃除に真剣に取り組むことは、どんな禅の修行にもまさる修行といえる。

    B.生飯:禅の食事には、自分の飯椀の中から飯粒を7 粒ほどつまんで飯台に出す、「生飯」という作法がある。これは、自分だけ満足すればよいという我欲を戒め、他と分かち合うことの大切さを忘れないようにするためのものである。

    C.無功徳:禅では、人のために何かをしようと思ってはいけないと教える。他人のために何かをすると、人は無意識のうちに見返りを期待してしまうからである。

    D.無言の雄弁:禅では、食事や入浴などの際、言葉を発してはならない。こうして沈黙に耐えることは、自らの内面と対峙じすることでもあり、心の底力をつける鍛錬ともなる。

  • 一大さんからのコメント

    ・最近たるんでるなぁと思う人、掃除から生活を見直してみませんか?
    ・身の回りのものを無駄なくコントロールしたいと思いませんか?
    ・ぜいたくが幸せだと思いますか?

    OPACへ ⇒ https://opac.musashino-u.ac.jp/detail?bbid=9000923045

  • ■書名

    書名:「雑巾がけ」から始まる 禅が教えるほんものの生活力
    著者:有馬 底

    ■概要

    ぶれない、動じない、禅僧の「胆力」は、体得した生活力あってこそ。
    雑巾の絞り方から台所仕事、筆文字まで、日常生活の作法を高
    僧が逐一指南。
    無駄の無い、理に叶ったからだの所作は美しく、心も調えてくれる。
    (From amazon)

    ■気になった点

    ・人間誰だって欲はある。その欲を抑え、己を律し自分と他とを
     等しくとらえ、偏りなくふるまうことができるかどうか。

    ・他人のために何かをすることで、人は無意識に見返りを期待
     しがちになる。

    ・人が認めようが認めまいが、自分のやるべきことはしっかりやる。
     そうでなくてはいけない。

    ・自分がしたことは結局、自分に返ってくる。
     良くも悪くも「誰かのため」は「自分のため」なのである。

  • 禅寺では、どんな生活が行われているのかを垣間見ることが出来ます。当たり前のことを疎かにしない、きちんとした所作が心を磨くようです。この本を読むだけでも、その清廉な空気の様なものが胸に広がります。

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著者プロフィール

現代日本の仏教界を代表する禅僧。臨済宗相国寺派館長、金閣寺・銀閣寺住職。京都仏教会理事長、「宗教者九条の和」呼びかけ人。久留米藩藩主有馬家(赤松氏)の子孫。

「2020年 『宗教者と科学者のとっておき対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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