- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784092905276
作品紹介・あらすじ
言葉を話せない少女と2ひきの動物の大冒険
主人公は、雇い主に「イヌ」と呼ばれている少女。
少女は、言葉も話せず、住み込みのペットショップでこきつかわれ、心開ける唯一の友だちは、店の売り物でもあるハナグマ(アライグマの一種)の「エズミ」だけ。
ある日、店に連れてこられたオウムが友だちに加わり、一人と二匹の逃亡の旅が始まります。さまざまな冒険を経て、少女がたどりついた場所、出会ったものとは!?
少女と動物との交流、道中に出会う魅力的な人々、密航者におそわれそうになる大ピンチなど、スピーディな展開と、心温まるエピソードがいっぱいつまった作品です。
【編集担当からのおすすめ情報】
野生動物を研究する著者による、2ひきの動物と少女の心あたたまる冒険物語。ハナグマのエズミと少女イヌとのほほえましいやりとりや、頭のいいオウムのカルロスの活躍など、終始、読者を飽きさせません。
ラストの、少女が自分のアイデンティティ(出自と言葉)を見つけるシーンがぐっと心に迫ります。
感想・レビュー・書評
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“街のペットショップで、住みこみではたらかされているやせっぽっちの少女、「イヌ」。
イヌの友だちは、お店にいるハナグマのエズミだけ。
そこに、オウムのカルロスがくわわり、イヌと2ひきの「おうち」への旅がはじまります。”
(表紙折り返し部分より)
『あたしがおうちに帰る旅』
というタイトルもさることながら、一見しただけで、少女(「イヌ」とよばれていて、なにやら虐待?されているらしい)、動物、旅…と盛り沢山の、個人的に興味深い情報に、思わず手に取ってしまった。
今、どうしようもなく本が読めないので、児童向けでしかも水戸黄門的な安心ストーリーを思い浮かべた私の判断は正しい。
すんなり読むことが出来、適度にワクワクし、途中ご都合主義かな?と思いながらも、まぁ児童書だしと納得し、なんとなく感動して読み終えることが出来た。
児童向けのファンタジーでありながら、子どもの強制労働という社会問題にも触れている。というか、それが主題か。
ドキドキワクワクの冒険ファンタジーでありながら、社会問題を主軸にしているというのは、なんとも興味深い。
イヌの「おうち」は一体どこだろうか?
アマゾンの熱帯雨林を思い浮かべる。
では、イヌが働かされていた国は?
最初、著者の在住しているイギリスを思い浮かべだが、さすがにイギリスでそんな未開な事件はないか。
イヌが大西洋を渡り故郷に辿り着くらしい記述を思えば、ヨーロッパのどこかの国だろうか?それともアフリカ北部?
子どもの強制労働というのは、世界ではどれだけ普通にまかり通っていることだろう?
日本に居ては、そういった世界のことを、普段身近に感じることは少ない。遠く隔たれた世界のお話。
これを読んだ児童は、そういった世界の在りようを、思い描くことが出来るだろうか?
この話からそれを想像するのは難しいかもしれない。
私は、イヌと共に冒険をして、エズミやカルロスとの日々を過ごして、イヌの虐待された日々の空虚さを思い、動物たちや温かい人たちとの心温まる交流に触れ、自分のルーツへ近づく湧き上がる気持ちを体験し、そして最後に、“子どもの強制労働”というテーマがぽつりと心に残った。
冒険旅行で楽しんで、社会問題を心に刷り込む。ほんの少しでも。
深く切り込んではいないけれど、少しは心に残るのでは?
私はこの話が好きだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少女は、“イヌ”とよばれている。イヌは、“おじさん”のペットショップで、動物たちのめんどうをみている。“おじさん”は、イヌの本当の親ではなく、イヌに対してひどい扱いをしている。イヌのいちばんの仲良しは、ハナグマのエズミ。ペットショップにしゃべるオウム(正確には、コンゴウインコ)、カルロスが送られてくる。
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イヌと呼ばれペットショップで酷使される少女が逃げ出す話。
これは☆1か2か迷う。
あらすじは社会問題を子供向けのお話として語るYAっぽいけれど、読むとただのファンタジー。
ファンタジーや冒険ものとしても微妙だけど、問題を語るものとしては非常に拙劣。
まずキャラクターがつくりものすぎ。
よくしゃべるコンゴウインコのカルロスはファンタジーとみなせばまあアリといえなくもない。
じどうろうどうでこきつかわれるかわいそうなこ、を知識もなしにイメージだけでかいたような主人公は完全に変。
ろくに人と話したことがなくて口もきけないし物も知らないのに、思考回路が発達していたり常識の範囲内で行動したりする。
隠し扉から逃げるならこっそり出なきゃ意味がないだろとか、
自分の名前さえもたないのに動物の名前は誰がつけたんだよとか、
「古い布でつくった服」って誰が作ったんだよまさかおじさんかよ自分で作ったならどこでどうやって作り方を覚えたんだよとか、ツッコミどころ満載。
頭で考えた設定上の無知と、ストーリー上必要な行為がかみ合っていない。
訳者後書きに、「このお話をはじめて読んだとき、この女の子がしゃべらないことをまったく意識しませんでした」とあるけれど、そりゃそうだろう。
この子は「しゃべらない子」じゃなくて「セリフがないキャラクター」でしかない。
かんもくの子を描いているわけじゃない。
そんで「おうち」の描写が最悪。
カルロスからポリネシアを連想してしまったせいもあるけれど、「ドリトル先生」のなかの黒人の国みたいな描き方。
イヌのなじみかたも「ペットショップ育ちの犬を野山に放して自由にしてあげる」みたいな勝手でお気楽な強者特有の発想で気持ち悪い。
いったこともないルーツにそう簡単になじめるものか。
現実には生まれ育った場所にもルーツのある場所にもホームを感じられずに苦しむ子供がたくさんいるというのに。
あとがきの中には「世界のどこかでは現在でも子供を強制的にはたらかせるということがじっさいにおこなわれています」ともある。
著者は孤児の売買など、子供がもののようにあつかわれている現状を調べ、注意をひくためにこの物語を書いたのだと。
だったらなんでこんなありえないどこかのくにのおはなしにしちゃったんだろう。
なにも調べずにイメージだけで書いたんだろうと思った。
調べて書いてこの出来ならそうとう鈍い人ってことになる。
ココナッツは甘くないだろみたいな些細な無知から、現実をまったく反映しないストーリーまですべてにおいて薄っぺらい。
訳者の「どこかでは」って言葉は的確だ。
どっか遠い国の自分と関係ない話だから楽しく消費できる。
この本に出てくる問題はせいぜい「悪いおじさん」だけで、児童労働もそれがまかりとおる世界の構造もまったく関係ない。
表紙の絵はかわいいけど詐欺。中の挿絵と違う人。
絵としてはどちらも悪くないけれど印象がだいぶ違うから、中の絵を最初にみたときはぎょっとした。
訳も微妙。
カルロスがかつて世話になった人たちの中の「帽子屋のマッド」って、いかれ帽子屋のことかな?
他のもなにかのキャラクターっぽいけれどよくわからない。
隠れた木箱も「箱」というよりコンテナっぽいし。