アナザー1964 パラリンピック序章

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  • 小学館
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093887403

作品紹介・あらすじ

あの日の主役は僕らだった!

五輪とともにパラリンピックが開かれることになったのは約1年前。傷痍軍人や障害者ら53人は突如「選手」として大会を目指すことになった――。

ある出場者はこう回想する。
「当時の日本は、やって来た外国人から『日本に障害者はいないのか』と聞かれていたような時代。息子も娘も出るのを嫌がって、家族も出すのを嫌がって、みんな家の中に引っ込んでいたんだから」
障害者スポーツという概念は存在しない。彼らは、人前に自らの姿を晒すことさえ、抵抗があった。だが、いざ大会が幕明けすると――。
「競技場へ行って思ったのは、この大会は我々が主役なんだということでした。お客さんたちも僕らを主人公として見てくれていたと確かに感じる雰囲気があったんだ」

物怖じする出場者らを励ましながら大会に送り出した異端の医師・中村裕(「太陽の家」創設者)。会場で外国人選手をエスコートした”元祖ボランティア”語学奉仕団。その結成に深く関わり、その後も障害者スポーツをサポートした美智子妃・・・出場選手たちのインタビューに加え、大会を支えた人々の奮闘も描く。

列島が五輪に熱狂した1964年に繰り広げられていた、もう一つの物語。

【編集担当からのおすすめ情報】
大宅賞作家による取材期間5年ごしのノンフィクションです。パラリンピックはどこからやってきたのか。2020年大会を前に、ぜひ皆様に知ってもらいたいです。

感想・レビュー・書評

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  • 2021/09/21

  • 1964年、日本を熱狂させた東京五輪の後に、あまり多くの注目を集めることもなく開催されたパラリンピック大会は、日本が障害者スポーツというものに初めて接する場になった。それがどのように実現され何を残したか、選手をはじめ関係者の証言からたどるノンフィクション。
    五輪とともにパラリンピックのホスト国にもなることが決まり、なんとか面目を保つために奔走する日本政府。選手たちの間には「見せ物にされるのでは」という不安さえあったが、障害者のリハビリと社会復帰に一生をささげた医師中村裕や、若者たちにボランティア精神を広めた橋本裕子、その橋本と親しく接した皇后美智子ら関係者の熱意、また前向きな海外選手との交流を通じて、パラリンピックは日本における障害者福祉発展の基礎を築いた――これが現在も語られる公式のストーリーだ。そこからはみ出し裏切る出場選手らの語りを拾っていることこそ、本書の大きな功績といえよう。実際、各地の療養所からかき集められた患者たちは、やったこともない複数の競技にわずか1年程度の練習で駆り出されることになったのだった。
    なかでも驚かされるのが、「わたしには(パラリンピックに出る以外の)選択肢はなかったの」という笹原千代乃の証言。国際イベントに日本もなんとか女性選手を出さなければという圧力の中、彼女はパラリンピックに出るのなら箱根の療養所に入れてやるがダメなら荷物をまとめて帰れと告げられたのだという。箱根療養所はもともと戦争負傷者のための「廃兵院」に起原をもつ国立施設。だから「国の意向には従う必要がある」とはもうひとりの選手の発言だ。療養所の壮行会では事務長が「なにがなんでも勝たねばならぬ」と歌って選手たちを送り出したという。
    これまで障害者に見向きもしなかった国の突然の関心を圧力と感じつつ、選手たちの多くは気乗りしないままに参加した大会だったが、実際にパラリンピックは彼らの人生を大きく変える転換点となった。はじめて「自分たちこそが主役だ」という感覚を得、明るく人生を楽しむ他国の選手たちの様子に衝撃を受け、療養所で一生を送るだけの人生しか描けなかった者たちの多くが、ここから社会的自立への意欲や職を得ていくことになる。
    とはいえ、いろいろ問題はあってもパラリンピックには日本の障害者権利のうえで意義があったとまとめてしまうことには慎重であるべきだろう。彼らにとっては競技への参加よりも、他国の障害者たちの様子や彼らが使う機能的な車いすを目にしたこと、パラ後における企業での体験などの方がずっと重要な意味をもっていた。実際、障害者の権利のための運動は、一過性のイベントよりもずっと広い社会のなかで根強く闘われてきたのだ。
    その点で著者の筆は十分に慎重であり、医師や療養者、ボランティアたちの気持ちと、出場した選手たちの気持ちとの微妙なズレや、選手たちの中での経験の消化のしかたの違いにも注意を払って書き留めている。だからこそ、本書の最初と最後を皇室のエピソードでまとめていることには首を傾げざるを得ない。

  • 780-I
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  • パラリンピックの黎明期、日本でどのように前回東京オリンピックの後にそれが開催されたのか、そこに携わった人たちの証言や取材で著されたノンフィクション。
    今ではオリンピックの後に必ず開催されるパラリンピック、しかしその歴史はオリンピックに比べれば、まだ浅い。
    前回の東京オリンピックの後に開催されたパラリンピックは、障害者の社会的立場と生き方をかえていくことになるものだった。
    それまでは障害者は社会と遮断され、病人として看護される人、自分では社会活動はできない人と思われていた。「リハビリテーション」という概念すらなかった時代である。
    その時代に日本でパラリンピックが開催された意義は大きい。
    障害者も健常者と同じように社会生活を送れる、またそのように社会制度もかえていくという分岐点になった大会だとも言える。そこに皇室、特に現上皇后の尽力が大きかったことがわかる。
    前回東京大会から50年以上が経つが、障害者スポーツの進歩は目を見張るものがある。それと同時に障害者に対する社会的認識はどれだけ変わったか。また生活環境はどれだけ改善されたのか、今一度考える時なのだろう。

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著者プロフィール

稲泉 連(いないずみ・れん):1979年、東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒。2005年に『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で大宅賞を受賞。主な著書に『「本をつくる」という仕事』(ちくま文庫)、『アナザー1964――パラリンピック序章』(小学館)、『復興の書店』(小学館文庫)、『サーカスの子』(講談社)などがある。

「2023年 『日本人宇宙飛行士』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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