逆説の日本史6 中世神風編(小学館文庫): 鎌倉仏教と元寇の謎 (小学館文庫 R い- 1-6)
- 小学館 (2002年6月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094020069
感想・レビュー・書評
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(「BOOK」データベースより)
「神国」ニッポンは元冦勝利の“奇蹟”により何を失ったのか?!鎌倉幕府滅亡の背景を掘り起こしながら、責任の所在が曖昧で、危機管理能力が欠落しているという現代日本の病巣の淵源を明らかにする。昨今の有事論争をまつまでもなく、この国の今を生きるものにとって示唆的な警世の書、待望の文庫化。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
鎌倉仏教と元の謎
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あとがきで、井沢氏が書いている、宗教に対する謙虚な姿勢には好感がもてる。
元寇を分析する事で、現代の有事に備える視点でも大事だと思う。 -
井沢節のさえ渡る逆説の日本史シリーズ第6巻。
この巻では、鎌倉仏教の勃興~元寇~鎌倉幕府の崩壊まで。
前回読んだのは学生時代で、あれから7年経つが
前はまったく分からなかった鎌倉仏教が案外スラスラ読めた。
井沢氏の言うように
従来の歴史学の宗教無視は酷いと思う。
自分が宗教を信じないのは自由だが、昔の人は信じていたし、だから宗教は歴史にも大きな影響を与えた。これを忘れてはいけない。
この巻の前半を読めば宗教に関する基礎知識が身に付く。
例えば、仏教とは輪廻からの解脱を目的にしたものであり、決して他者を救済するものでは無かったが、時代は下って南無阿弥陀仏で有名な浄土宗となると、阿弥陀仏は誰をも救ってくれるという事が決められている。
このように、仏教思想の変遷を辿る上で非常に勉強になる一冊。 -
ご本人とその政治的主張は非常にクセがあり(マイルドに言って)、好き嫌いが別れそうですが、彼の通史は本当に面白い。「怨霊信仰+コトダマ+ケガレ忌避+和の精神」という日本人の宗教観をベースに古代史から現代までを新たな視点で考察しています。粗い・甘い箇所もあるけど掛け値なしに面白く、目から鱗。考えさせられます。
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第六巻。
鎌倉新仏教の読み解き、
元寇、そして後醍醐天皇と倒幕の動きを
「なぜそうなったか」というところを焦点を当てて
描く。
とりわけ、鎌倉新仏教、というより、仏教、それも
そのルーツから日本に入ってきてどうなったか、
というところが非常にわかりやすく、納得いくかたちで
提示してくれている。
釈迦の修行にはじまった仏教が、大乗仏教と上座部仏教に
分かれ、それが日本に入ってきて
「造り變へる力」が働いた結果、どうなったか。
浄土宗の法然ののち、浄土真宗(一向宗)の親鸞にいたっては妻帯を公然と
おこなった。
著者は、これはキリスト教に近い慈悲・平等になっているものの、
あくまでキリスト教と違うのは「造物主」ではなく「縁起説」に基づく
ところであるとする。
そして、組織化した活動とすることに、親鸞は否定的であり、
すなわち、それは社会の中で放っておけば埋もれる運命にあった。
だが、のちに蓮如という敏腕宗教組織マネジャーが現れることで、
この運命が変わっていく。
一方、このような思想は実力本位の武士たちにはなじむものではなく、
彼らに受け入れられるようになったものが禅である。
栄西の臨済宗は、この武士・権力とうまく付き合うことを選び、
根付いていった。
だが、それは仏教本来の修行道に反すると思った道元の曹洞宗は
坐禅主体の自己修行スタイルを求めていく。
これもまた、浄土真宗と似た、というか、スタイルはまるで違うのだが、
放っておいたら組織化はされず、朽ちる運命にあったというところがある。
それを、瑩山が、こちらも敏腕マネジャーとして寺を作り、布教に
努めたために、のちのちにまで組織拡大が達成される。
単純化した解釈、あるいは特定の思想に依拠する歴史観では
「この宗教は人々に受け入れられ、発展しました」
となってしまうが、
大局的、かつ時代特殊性をよく考えて歴史を見てみれば
「ほっといたら消えそうな元祖流を、別の敏腕組織マネジャーが
見事に組織化させることに成功した」
という構造が見えてくる。
なるほど、宗教とは、「カミ・ホトケ」的なところに始まるのに
現実社会の組織の話と非常に深く関係するということが理解できた。 -
宗教って元もと難しいものだと思うけどそれを一般の人に広めていく過程で受け入れやすい形に変質していく様がよく描かれていた。
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禅宗が近代化に及ぼした影響や、神風が日本の防衛意識に及ぼした影響など、興味深い。