少年 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001067

作品紹介・あらすじ

お前の指を、腕を、舌を、愛着した。僕はお前に恋していた――。相手は旧制中学の美しい後輩、清野少年。寄宿舎での特別な関係と青春の懊悩を、五十歳の川端は追想し書き進めていく。互いにゆるしあった胸や唇、震えるような時間、唐突に訪れた京都嵯峨の別れ。自分の心を「畸形」と思っていた著者がかけがえのない日々を綴り、人生の愛惜と寂寞が滲む。川端文学の原点に触れる知られざる名編。

感想・レビュー・書評

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  • 1972年川端康成亡くなって50年となり、全巻35巻の第10巻のなかで全集のみでしか読めなかった部分を文庫化した作品。
    その全集は川端康成50歳を記念して刊行されたもの。その編纂にあたり、本人も自身の全作品を振り返っている。その時に、幼少期からの作文や学生時代の日記を取り上げながら、50歳の気持ちを書き加えていくといったいった形式。
    出版社はこの文庫の発表にあたり、「川端のBL」と扇状的すぎるかなあと思う。確かに寮生活での日記が主で、その中でも清野少年に対する恋慕的行為表現は多い。他にも美しい少年を見かけるとそちらも気にしてしまう。と、多少そういう傾向ではありますが。
    日記書簡からの回想なので、小説でもエッセイでもないかなあ。やや欲求不満読書。
    川端作品を数冊しか読んでないので、深読み的な面白さは難しいかな。書簡の希少性や「伊豆の踊り子」秘話、学生時代の文章など川端文学の起源でしょうか。

  • 川端康成の知られざる“BL作品”が刊行1週間で異例の重版 SNSでも歓喜の声 | ORICON NEWS
    https://www.oricon.co.jp/news/2230586/full/

    旧制中学の寄宿舎で、川端康成が熱烈に愛した「少年」とは。発売前から大注目!知られざる川端のBL作品『少年』本日3月28日、70年ぶりに復活。|株式会社新潮社のプレスリリース
    https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000501.000047877.html

    川端康成 『少年』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/100106/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      全集でしか読めなかった川端康成の知られざる相貌 美しい後輩への愛 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
      https://w...
      全集でしか読めなかった川端康成の知られざる相貌 美しい後輩への愛 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
      https://www.bookbang.jp/review/article/729770
      2022/04/11
  • 令和四年四月一日発行
    装画/遠藤竜太 
    五十歳に達した記念に全集刊行した折に、寮生活での様子や友人とのやりとり記した日記を題材にまとめたものと思われる。
    父母が早くに亡くなり祖父母に育てられ病弱児だった頃を振り返り、思春期の多感な時期に心情を記した日記と、追記解説が交互に綴られている。
    『私は自作が雑誌などで活字になった直ぐには読まない』『長い休みが近づくと、少しずつ家なき児のかなしみがにじみ出てくる』などと繊細さが表現される。
    清野少年との戯れは『愛と敬いとの現れであった』『少しでも美しいものを見たときに、私の心に起るのは何だ。なぜ私はこんなにいやしいのだろう。』『私はもっともっと愛に燃えた少年たちとルウムをつくりたい。』『一番私を愛してくれて、私のなにもかもゆるしてくれるにちがいない』『愛の初めもその流れも自然で安穏であったのが、思い出をやわらかく温めている』『清野少年と暮らした一年間は、一つの救いであった』と特別な関係を悦楽よりも哀しさがこもった死に近い印象を持った。解説では川端の作品には体臭が感じられないとあり、妙に納得。
    文中に、道を歩きながら谷崎さんの「人魚の嘆き」を読んだ。とあり、直前に同じ本を読んだという偶然に驚いた。

  • 「清野少年と暮らした一年間は、一つの救いであった。私の精神の途上の一つの救いであった。」

    16歳で天涯孤独となった19歳の寂しさが、旧制中学校の寄宿舎にて同室となった無垢な同性の後輩との生活によって癒された様を、当時の日記を基に24歳の時に記した散文に、50歳の現在の視点を織り交ぜて精美な文体で記した作品。

    心が洗われるというか、清々しい感傷が胸を打つ。

    けれど同時に。

    異質なものでも倒錯的なものでも何を書いても清涼な美を感じさせるのが川端の文体だと長年思っていたのに。
    その文体は変わりないのに、どろりとした感情の「質感」や立ち昇るような「温度感」が、微かながら、けれどもところどころに顔を覗かせる様には、少し驚かされた。

    川端自身の私的な若い頃の日記や手紙がベースだから、若さゆえの覆い隠すことを知らなかった直情的な生々しさみたいなものが滲んでいるのかもしれない。

    でも、あのラストの一文は。
    その「若さ」の対極にあるような感じで。
    「老い」を噛み締めるからこそのものかと思うと、不思議な感慨が胸を打つ。

    川端作品の中では知名度は高くないけど、不思議と読み応えのある作品。

  • 2022年、川端康成没後50年で新潮文庫の新装版(巻末解説やエッセイは新規)が続いている。
    で本書、200ページに満たないうっすい本の、ざっくり5分の4が本文。
    5分の1は、全集の解題を文庫に合わせた形で転載、年譜、そして宇能鴻一郎が谷崎潤一郎や三島由紀夫を並べて漠然と書いただけのエッセイ、という、志はやや低い文庫本。
    とはいえ川端が50歳になんなんとする全集刊行時にまとめた思春期追悼が、文庫としてまとまったのは意義深いことだと思う。
    先日読んだ高原英理・編「川端康成異相短篇集」の異形さに惹かれた。
    しっかり再読したりまとめたりしたいと思ううち、積読にしていた(これもまた高原英理・編「少年愛文学選」で抄を読んだことのある)「少年」の全容を知りたくて読んだが、……こちらもまたなかなか。
    よくもまあ書けたなと思うが、そもそも、よくもまあ大学に提出できたな、とさらに。
    しかし読み終わるころには、全部ひっくるめて味わえるようになってきた。
    第一に清野萌え突き抜け度合いパない。
    ・「お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した」
    ・「リリシャシャ、リリシャシャ」(勘違いしてはいけないのは、大本教に清野父が帰依したのは、後のこと)
    ・「こないに握ってても、目が覚めたら離れてしもてまんな」
    ・「私のヘングインになってくれ」「なってあげまっせ」
    ・「私はもっともっと愛に燃えた少年達とルウムをつくりたい」etc,etc……。
    そして川端の、人交わりから弾かれた自意識……人に頼って生きてきたという意識……どちらも存在して初めて「魔的」が生まれたのだな、と感慨深い。
    美しいものを愛玩したいというサイコすれすれな人物だとは思っていたが、フィギュアではない愛くるしさのような肉から立ち上る精神の美性にも恋着するのだな。
    また作中、宮本ー清野(川端ー小笠原)がふたりだけいるのではなく、50を迎えた川端が、後に破れた婚約者や、踊り子や、といった人生における重要人物を込みで当時を振り返ってみたら、彼が初恋の相手だったと思われてくる……という経緯。
    屈折した思い、折れ曲がった感情が、記述そのものから立ち上がってくるように思う。
    てなことを書いてみたが、読後に発見した以下の2サイトほど「楽しんでいる」読者はなかなかいまい。
    ・川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054890741013
    ・川端康成関連インデックス うみなりブログ。
    https://naruminarum.hatenablog.com/entry/2029/01/01/131100
    特に後者、本文よりも熱中して読んだ。
    仕事中にこっそり読んでいたが、ふふふ……という笑い声を抑えられる困ったくらい。

  • 文豪BLとしてその方面ではたびたび名前があがるものの、今まで全集にしか収録されていなかった川端の『少年』が、時代の変化を受けてか、ようやく文庫化!うきうきしながら(邪念)読み始めましたが、ちょっと想像してたのと違ったというか、厳密にはこれ「小説」じゃなく回顧エッセイなんですよね。

    50歳になり全集を刊行することになった川端康成が、自分の過去をランダムに振り返り、日記や手紙を抜粋する形で記した作品で、メインになっているのはタイトル通り、寄宿学校時代に川端が溺愛していた同室の後輩・清野少年の思い出ではあるけれど、時系列もバラバラだし、無関係な雑談も多々。今まで文庫化されなかったのは、同性愛うんぬんのタブーのためではなく、単純に作品(読み物)としてそれほど面白くないからかも、と思ってしまった(失敬)

    もちろん川端康成のひととなりを知るうえでの貴重な資料の側面はあると思うし、清野少年の人物像というのも興味深くはありますが。清野少年は父親が新興宗教の幹部だったこともあり、幼い頃からその宗教を当たり前のように吸収しており、その神様の正しさは別問題として、とにかく純粋で心が清らか。生い立ちが複雑で孤独な少年だった川端は、この清野の純粋さ、自分に寄せてくれるまっすぐな信頼に救われ、癒される。

    川端と清野少年の間には、決定的な意味での肉体関係こそなかったものの、完全にプラトニックかというとかなり身体的接触は頻繁で、ちょっと驚く。以下いくつか抜粋。

    【床に入って、清野の温かい腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の渇いた唇が彼の額やまぶたに落ちている。P22】

    【上級生の要求に無智でありながらも、僕が帰省する夜は、隣室の大口が入って来てこわいと、泣かんばかりに告げて、僕の帰省をやめさせて、そのくせ僕とは床を重ねるように取ることをゆるし、僕とくちづけながら大口のことを訴えて(以下略)P33】

    【今朝もほんとうに清野の胸や腕や脣や歯の私の手への感触が可愛くてならなかった。P99】

    【今朝は清野を抱き接吻した。P101】

    【暗い冷たい寝床に入ると、それまで起きていた清野が腕や胸や頬で、私の冷え切った手をあたためてくれたのが実にうれしかった。今朝、長い長い抱擁。P109】

    最後の一線こそ超えていないものの、鴎外なんかの潔癖さ(彼は断固拒否していたような)に比べたら、かなりの発展家な気がする。川端は清野少年以外にも、後輩にお気に入りの美少年が幾人もおり、駅のホームでたまたま見かけた「柔らかい美しい少年」と同じ車両に乗り、「病的な妄想に耽った」りもしている。

  • 川端康成没後50年ということで、新刊として刊行された「少年」

    さてどんな小説だろうかと蓋を開いてみると、全く予想外であった。大衆小説を予想して読んでいたので、率直に、非常に読み進めにくかった。内容的には森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」や三島由紀夫の「仮面の告白」と似ている(ただ後者は読みやすかった)。また話の構成の巧さで言えば、彼らにはちょいと劣るかな、、?

    そこに書かれている内容は、青少年の頃の川端と後輩の清野の長きにわたる交流である。互いに寮生活の中で愛(この場合、友愛も恋愛も全て包括している)を育むも、川端の卒業によって徐々に疎遠になっていき、、、というような感じである。

    ここで交わされる愛の行為は非常にプラトニックで、先に挙げた鴎外の作品に出てきた輩や三島の描く人物とは違い、暑苦しいものではなく、非常に静謐さに溢れていたように思える。けれど、在学時においては少なくとも燃えるような恋情を抱えていたのではと私は考えている。

    いずれにせよなかなかに興味深い話であった。

  • 宇能鴻一郎氏があとがきで「川端の描く女には体臭がない」と書いていたが、確かにそういう感じで少年愛も描かれていた。

  • 理解に苦しむ場面もあったが、新鮮な感じだった。空気感や感情を読み取りやすかった。少年がきれいだった。

  • 旧制中学の寮で同室になった後輩の少年との思い出を、過去の日記や手紙から紐解いています。
    思い出すままに並べたような、輪郭をもたない記憶。少年への印象も美化なのか理想なのか、願望か。まるで夢のようです。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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