- Amazon.co.jp ・本 (688ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101019512
作品紹介・あらすじ
1994年冬、沖縄のマグロ漁師・本村実はフィリピン人船員らとともに37日間海上を漂流した後、奇跡の生還を遂げた。だが 8 年後、本村は再び漁に出て、今度は二度と戻らなかった……。命を落としかけたにもかかわらず、なぜまた海へ向かったのか? 著者は本村の後姿を追って沖縄、グアム、フィリピンを彷徨い歩く。国境などないかのように生きる海民の声を聴くうちに見えてきたものとは──。
感想・レビュー・書評
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『極夜行』を読むか迷っている最中に、文庫コーナーで目に入った作品。
オビには「37日間海上を漂流して生還したのち、再び海へと消え去った男を描く傑作ノンフィクション」とあった。
この話で追われるのは、沖縄のマグロ漁師である本村実で、一度ならず二度までも「漂流」した結果、今も行方不明のようだ。
私も読みながら、筆者のように「なんでまた海に出たのか」と思い、そこに海の男から連想する、豪傑というか、無鉄砲さが浮かんで、行かずにはいられなかったのかと早々に結論づけた。
けれど、そんな見えやすい答えを退け、佐良浜の風土や漁の成り立ち(カツオやらマグロやらダイナマイトやらが出て来て面白い)、人柄、そして南洋への乗り出しを綴っていく中で、そういった単純な冒険譚とは違った側面を浮かび上がらせる。
……なんて書いていると、そう書かされているような気になって嫌なのだけど(笑)
海によって栄華も衰退も知り、それでも生き方から自由になれなかったのかな、という思いに変わった。
それほどまで海には力があるのか、はたまた人が縛られてしまうのかは分からないけれど。
私は高野秀行のノンフィクションも好きで何冊か読んだのだけど、ノンフィクションは決して書き手が存在しないのではないのだと思った。
追うべきテーマに対して、ドキュメンタリーにおける取材者は透明なものかと思っていたけれど、この作品には角幡唯介という人がちゃんと登場する。
インタビューが聞き取りづらかったり、激しい船酔いに襲われたりと、こちらはこちらで忙しい。
でも、書き手の姿が見えていることが、追う側の位置に合わせやすく、私はファインダーのこちら側にいるのだと感じられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1994年に37日間の漂流ののちに生還した沖縄のマグロ漁師・本村実が、その8年後に再びマグロ漁に出漁し行方不明になっている。本書は、本村の漂流の足取りをたどった旅の記録。
早大探検部出身の角幡唯介は、19世紀に129人が全員死亡した探検をたどって単身で北極を踏破するなど、常人とは異なる好奇心のスイッチを持つ人物。本書においても、彼の好奇心は本村の軌跡をたどるどころか、沖縄・日本・南太平洋の島嶼エリアの戦後近代史や、遠洋漁業の隆盛の歴史といったテーマも深く掘り下げるにいたっている。
本村の出身地である伊良部島・佐良浜の漁民が、日本の遠洋漁業成立にいかに貢献したか、という視点は特に面白い。沖縄の方言とも異なる言語をしゃべり、広大な南太平洋をあたかも裏庭のように動き回る伊良部島出身の漁民たちを「佐良浜民族」という独特の人たちととらえて書いている。
著者は、本村の最初の漂流と同じコースをたどって実際のマグロ漁船にものって航海している。さらにはフィリピンの片田舎のスラム街に住む本村を救助した船員たちも見つけ出しインタビューも実施。長編ドキュメンタリー映画を見ているかのような錯覚に陥る読後感だった。 -
分厚い労作だが、一気に読み終える。さすがの構成&筆力だった。
以下、雑感。
一時期、沿岸部に暮らしたことがある。そこでよく聞いたのは「浜っ子だからね」というセリフ。良い意味でも、悪い意味でも使われていた。よく言えば豪放磊落、悪く言えば無鉄砲で無軌道(当地の言葉だと、荒い、とか、きなかい、とか)喧嘩っ早いけど忘れるのも早くて、利に聡いかと思えば情に厚い。そういう人のことを言っていた。この作品にはそういう人がたくさん出てくる。というか、九割方、そういう人たち。角幡さんはその中でも、2回の漂流を経験した沖縄の漁師を通じて「海」を描こうとしたんだという。何と大胆な。描きたかったのは漁民じゃなくて海だったのね!ごめんなさい、あとがき読むまで気づけませんでした…
足掛け3年(かな?)に及ぶ、国を跨いだ聞き取り&体験を通じて、海に生きる人たちは「民族」と言ってよいほどの、それ以外の人とは隔絶した感性を持って生きていると角幡さんは結論づけたようだ。けれど、むしろそれは角幡さん自身、もうすでに『雪男は向こうからやってきた』で気づいていたんじゃ無いのかな?一線を踏み越えた経験をした人は、そこから帰ってこられない。海であれ、山であれ、街であれ。異界の異界たる相貌を知った人は、ヨモツヘグリを食べたのと同じ。もう、常世の人なんじゃないだろうか。何だか青木繁の「海の幸」をしきりに思い出しながら、本を読み終えた。
私たちは、一部の人やレジャーとしてのそれを除き、山から恵みを持ち帰ることをやめてしまったけれど、海の恵みと切り離されて生きることにはまだ成功していない。あんな災害が繰り返されているのに。土から離れては生きられないのよ、とシータは叫ぶけど、どっこい、海の方がまだ強く私たちを呪縛しているんじゃ無いのか?と感じてしまう。 -
漁船が沈没して救命ボートで1か月間漂流した男達の冒険譚
…と単純なハナシではない。この船長はせっかく助かったのに、また海に出て、また行方不明になる!(そして今もなお帰ってこない)
その「なんでまた?」を書いた、海と海の男達の壮大な物語 -
文庫本あとがきが とっても良い
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凄い!読み進めるうちに、沖縄・宮古佐良浜の漁師になります。佐良浜のマグロ漁師・本村実は37日もの漂流の後、何故8年後に再び、海に・漁に戻ったのか?
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元新聞記者だからこそ書けた。いや新聞記者だったからこそ、私みたいな末席を汚している記者から見たら、なんてものを書いてくれたと思う作品。社会部のような地取り取材から初めて、その奥の深さを掘っていく。角幡さんの講演会で一度、「自信ない。島の人たちの気持ちをどこまで映してたか分からない」と言ったけど、これでそんな事言われたら、我々記者は何も出来ないよ。この作品が角幡作品で一番好きです。
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角幡氏の探検譚やエッセイをいくつか読んだことがあり面白かったので読み始めたが途中で断念
漂流ノンフィクションと名うたれて想像する漂流の体験談、奇跡の生還劇みたいなのを想像していたけど、もっと深く考察されている
漂流者の、漂流に至った原因を、その方のルーツや土地の歴史・風土などから分析していく…という作品なのかなと判明した時点で、そういう話に興味のない私には読み続けるモチベーションがなくなってしまいました。 -
久しぶりのルポルタージュだけど、最後まで話しに入り込めなかった。出来事の詳しすぎる説明に戸惑った。