黒い雨 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101034065

感想・レビュー・書評

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  • サンマの肝みたいな一冊。極上の脂をまとった白くふっくらとした身を陽とするなら、血生臭くどろりと黒い肝が陰。そして両者は隣同士で接する位置にある。ただ思い切って味合えば、肝特有の苦味の中にサンマの本質とも言うべき滋味も感じることができる。

    ひたすら戦争と原爆のエグさ、そしてその後遺症についての生々しい描写が続く。原爆の恐ろしさについて触れた文学作品って数多あるんだろうけれど、井伏鱒二がこれを出したことに大きな意味があると感じる。彼ぐらいのネームバリューがあれば「井伏鱒二読んだことないからいっちょいってみっか」という私のような素人に、あらためて戦争について考えさせることができるので。特にこんな時代だからこそ、戦争体験の後世への伝達ツールとしてきちんと機能する読みやすさだし、あらためて教科書とか課題図書とかにしたらいいと思うよ。ほんとマジにマジで。

    印象的だったのは、原爆投下直後の広島で必要になったあらゆる物資の中に「お経」があったこと。身近な人間がバタバタ死んでいくような悲惨な状況下で、その尊い死を軽視せず尊厳を与えたこの行為はどれだけの人に安堵を与えたのだろうね。飢えを凌ぐための食糧品以上にもしかしたら価値があったんじゃなかろうか。戦後を生きなければならなくなった残された人たちにとっては何よりの精神安定剤だったんじゃないかなぁ。

    下記は印象に残った本文の抜粋です。

    広島は焼けこげの街、灰の街、死の街、滅亡の街。累々たる死骸は、無言の非戦論(15頁)

    戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。(205頁)

    矢須子は次第に視力が弱ってきて、絶えず耳鳴りがするようになったと云っている。はじめ僕は茶の間でそれを打ちあけられたとき、瞬間、茶の間そのものが消えて青空に大きなクラゲ雲が出たのを見た。はっきりそれを見た(279頁)

  • 正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。

    辛い描写も多く、読むのがなかなか進まなかったが、日本人として後世へ伝えなければという使命感のみで頑張って読み進めました。

  • 戦争はやはりやってはいけないと教えてくれる本

    耳にうじ虫がわく兵隊さんの話などがすごく印象に残った。

    戦争は恐ろしい。
    核爆弾の怖さが淡々と書かれていた。

  • 淡々とした描写が悲惨さを増長するようで怖い。こう言う描き方もあるんだ、と作品としての素晴らしさもあるので読んでおきたい本。

  • 「井伏鱒二」が広島への原爆投下から数年後の被爆者の苦悩を描いた作品『黒い雨』を読みました。
    「原民喜」の『夏の花』に続き、原爆関係の作品です。

    -----story-------------
    あの20世紀最大の悲劇を、坦々と、静かな語り口で後世に伝える――小説の力だ。

    一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。
    原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。
    被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。
    -----------------------

    雑誌『新潮』で1965年(昭和40年)1月号より同年9月号まで連載され、連載当初は『姪の結婚』という題名であったが、連載途中で『黒い雨』に改題されたそうです… 被爆者「重松静馬」の『重松日記』と、被爆軍医「岩竹博」の『岩竹手記』を基にした作品なので、「井伏鱒二」の創作ではなく、実際の体験に基づく日記・記録によって書かれたルポルタージュに近い作品です、、、

    主人公の名前は『重松日記』の著者「重松静馬」の氏名を逆転させた「閑間重松(しずま しげまつ)」という名を使ってあるし、『岩竹手記』の著者「岩竹博」の名は、そのまま使ってありましたね。


    広島市への原子爆弾投下より数年後の広島県東部の神石郡小畠村… 「閑間重松」と「シゲ子」の夫妻は戦時中広島市内で被爆し、その後遺症で重労働をこなすことができない、、、

    養生のために散歩や魚釣りをすれば、口さがない村人から怠け者扱いされるような状況… そんな中、「重松」は、同居する姪「矢須子」のことで頭を痛めていた。

    「矢須子」は、婚期を迎えているが、縁談が持ち上がるたびに被爆者であるという噂が立ち、縁遠いままなのである… 1945年(昭和20年)8月6日朝、「重松」は広島市内横川駅、「シゲ子」は市内千田町の自宅でそれぞれ被爆したものの、「矢須子」は社用で爆心地より遠く離れた場所におり、直接被爆はしていない、、、

    しかし、縁談が持ち上がるたびに「市内で勤労奉仕中、被爆した被爆者」とのデマが流れ、破談が繰り返されていたが、そんな折、「矢須子」にまたとない良い縁談が持ち上がる… この話をまとめたい「重松」は、彼女に厳重な健康診断を受けさせたうえで、「矢須子」が原爆投下時、広島市内とは別の場所にいたこと(=被爆者ではないこと)を証明するため1945年(昭和20年)8月当時の「矢須子」や自身の日記を取り出して清書しようとする、、、

    しかし実際には、「矢須子」は「重松夫婦」の安否を確かめるため船で広島市に向かう途中、瀬戸内海上で黒い雨を浴びていた… しかも再会した「重松」らと燃え上がる広島市内を逃げ回ったため、結果として残留放射能も浴びていたのだ。

    この事実を「重松」が書くべきか悩んでいる折、「矢須子」は原爆症を発病… 医師の必死の治療もむなしく病状は悪化し、縁談も結局破談になってしまう、、、

    1945年(昭和20年)8月15日までの日記を清書し終えた「重松」は、空にかかる虹に「矢須子」の回復を祈るのだった。


    私は、芸備線沿線の山村で育ったので、芸備線沿いの矢賀や戸坂、矢口、下深川、三次(当時の駅名は備後十日市)、塩町、庄原等の駅名や地名は懐かしかったし、とても身近に感じられましたね、、、

    出てくる町や村がリアルに想像できるので、他人事には感じられず… それだけ、身につまされるとともに、辛さや哀しさが生々しく感じられた作品でした。

    71年前に故郷で起こった悲惨な出来事… 被爆地出身者のひとりとして、この事実を忘れてはいけないんだと強く感じた作品でしたね。

  • ・市井の人々の誠実に素朴に生きる姿を通して反戦を描く点が「この世界の片隅に」と通ずると感じた。

    ・井伏鱒二の作品は他に「屋根の上のサワン」「本日休診」などが気にかかる

  • 今ウクライナで戦争が起きている。この小説の中でも広島に原爆が落とされ未曽有の惨事が戦争という形で描かれているところは共通だ。だから戦争は止めていかないといけないと思う。正義の戦争より不正義の平和、地獄絵図が現実で起きている、新型兵器、悲惨な街、人々の様子は痛いほど分かった。読み進めていくのが辛いシーンもあった。

  • 新潮文庫の100冊にて選んだ。司馬遼太郎が影響を受けたと言われる作家、井伏鱒二の代表作。昭和20年8月6日午前8時。日本人なら学校で誰もが教わる、広島へ原子爆弾が投下された日。
    本編から言葉を借りると「光の玉が煌めいた瞬間」、市井の人々はどのような朝を過ごしていたのか。戦後も数年になる頃、主人公重松は姪の矢須子の縁談のために「被曝日記」と称し、落ちた直後の2キロ地点での状況、10キロ先での状況、当時の食生活などを6日朝の被曝から15日正午のあの放送までを振り返る。
    戦後、原爆症を抱えながら生きる重松を通して前半は広島での惨憺たる状況を目の当たりにし、後半は被爆者の、原爆症による体の痛みや苦しみ、確実な治療法もない中看病し続ける人々を描いている。

    前半部の、灼熱の焼け野原でその辺に死体が転がっている状況が「地獄とはこんな所だろうか…」と思ったりして最初はかなりしんどかった。が、焼跡を歩いて回りながら市中を観察する重松と一緒に、読んでいるこっちもだんだん麻痺してきて人の死に慣れてきてしまう。読後、冷静に反芻していると実際に起きた人の死に「慣れる」という普段絶対に感じることのない感覚にちょっと異常なことが起きていたな、とゾッとする。

    そして後半の原爆症の描写は本当に痛々しくて、何より悲しい。病気によって起こる負の感情に対して、どの国が悪いと政治的に考察したり真正面から「戦争は良くない!!」と憤るのではなくて、ただ淡々と、そこに悲しみがあることが辛い。こんな風に人が死んではいけない、と強く思わされる。

    過去を振り返っているのでもちろん現在(戦後5年くらい)の描写も挟まれるのだが、被爆者への差別や原爆症のために働いていないことへの僻みがあったり、現在でもよくネットなんかで見かけそうな理不尽な言動を受けるシーンが多々あって昔の話、と簡単に片づけることができない。東日本大震災の時の東北産野菜への風評被害を思い出す。

  • 終戦から20年過ぎた1965年、雑誌『新潮』に連載された広島市への原爆投下を題材にした小説。
    被爆者である重松静馬の日記と、軍医の岩竹博の手記が元になっています。

    「閑間重松」という被爆者が中心となります。
    原爆後遺症によって労働をすることができない彼は、被爆者の仲間と共に川釣り等へでかけますが、村人からは心無い言葉を投げかけられ、除け者扱いされます。
    また、同居する姪の「矢須子」は、実際は爆心地から離れた場所におり、原爆の影響がある兆候は見られないにも関わらず、被爆者という噂が立っているがために縁談が決まらずにいます。
    そんな姪を不憫に思った重松は、矢須子が影響を受けなかったことの証明と、彼が経験した原爆の悲惨さを残すために、当時の日記を持ち出して清書します。
    本作は、日記に書かれた原爆投下当時の様子と、落とされてずいぶん立つにも関わらず現在も原爆の影響を受ける重松たち家族の日々が書かれた内容となっています。

    激しい光と巨大な轟音、立ち上るきのこ雲は、普段どおりの変わらない日常を過ごしていた大勢の人々の生活を一瞬で破壊しました。
    人は溶け、弔いもされないままやがて蠅まみれになって、無惨にも人骨を晒す。
    生き残っても、正体の分からない新型の兵器とやらによって苦しみ、内蔵が不調を来し、生きたまま蛆が湧いて呻きながら死んでいく。
    "原爆の恐ろしさ"といえばそうなのですが、"原爆"というものがわからない当時の人々に取っては、"原爆"という兵器ではなく"戦争は嫌だ 平和が良い"という祈りを感じる内容だと思いました。
    戦争小説というと、軍機の厳しさ、兵隊の勇ましさがクローズアップされますが、本作に登場する人々は、兵隊、勤め人、含めて、そこに住んでいた人です。
    原爆によって焦土と化した広島にいた人々がどうなってしまったのかが描かれていて、戦争の悲惨さを訴えかける戦争小説でした。

    2021年、「黒い雨」訴訟で、住民側が勝訴したというのが話題になりました。
    落下現場から遠く離れた場所にいた人々も、原爆による健康被害を受けたと思われる人がおり、その人々を被爆者と認めるための訴訟でした。
    作中でも、健康体に見えた矢須子ですが、実は原爆投下後に降った黒い雨を全身に浴びており、後に原爆症に苦しむことになります。
    その後、重松は、原爆症で死地の淵から回復したという『軍医予備員・岩竹博の手記』を手に入れ、本作中で紹介しますが、その内容も壮絶なものでした。
    本作は矢須子の回復を祈るシーンで終幕していますが、その文面には、諦念が込められているように感じます。
    本作で書かれた矢須子が被爆者であるということが、57年越しにようやく認められたというのは、なにかすごいことのように思いました。
    原爆の影響は落とされた場所だけではなく広範囲であることが認められ、改めて原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを再認識させられる名著だと思いました。

  • TVドラマ化・映画化もされた,井伏鱒二の代表作ともいえる戦争文学の傑作。実在の被爆者をモデルに描かれており,戦争の本当の恐ろしさと,平和の尊さが身に沁みます。唯一の戦争被爆国日本。忘れてはいけない真実がここにあります。1966年野間文芸賞受賞。

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著者プロフィール

井伏鱒二 (1898‐1993)
広島県深安郡加茂村(現、福山市加茂町)出身。小説家。本名は井伏満寿二(いぶしますじ)。中学時代より画家を志すが、大学入学時より文学に転向する。『山椒魚』『ジョン万次郎漂流記』(直木賞受賞)『本日休診』『黒い雨』(野間文芸賞)『荻窪風土記』などの小説・随筆で有名。

「2023年 『対訳 厄除け詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井伏鱒二の作品

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