夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.50
  • (15)
  • (36)
  • (53)
  • (6)
  • (2)
本棚登録 : 598
感想 : 37
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055084

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 新潮文庫で読んだ。四分冊のうちまだ一冊目だからほとんど導入であり、物語の面白みが生まれてくるのはこれからだろう。平田学派がのちにどのような運命に陥ったかは既に知っているため、ある程度物語のオチは想像できる。しかしこれは歴史小説であるし、そういう「どんでん返し」を求めるのは違うだろう。どちらかといえば、決定された運命に翻弄される登場人物の悲哀を間近で見せてくれるような物語を期待すべきだし、実際本作はそうなっているはずだと思っている。

  • 國學院大學教員からのおすすめ

  • 時の流れと社会を俯瞰するとき、明治から現在に共通するどん詰まりというか、憂鬱というか、そんな空気は必ず垣間見えるのだという確信のもと、そんな空気を読み取れる小説はないかと手に取った本。常に変化する社会の中、役割を果たす人たちの苦悩と悲劇が描かれているのではないか、という意識で手に取った。

    手に取った意識とは別の感想。尊王攘夷という発想と運動は、最近落ち着いた、というより報道されなくなったが、西欧とイスラムの摩擦、衝突と大差ないのではないか。対米テロへの批判は、暴力による意見の強要という意味で許容できるものではないのだけれども、「国家」レベルで交流を求めてくること、要求を受け容れ追従することは双方にとって「異常」な情勢である。要求を受けた側、どんな国家・くに・コミュニティにも違う文化を直ちに受け入れることなど到底できることではなく、合理的な判断ができるものではない。つい150年前、記録も記憶も精神も、何らかの形でうまい形で残っている、今の文明・技術をして振り返りのできる時代だからこそ、日本という立ち位置にいる私たちにとって、本書は協調のよすがになるのではないかと感じた。

    歴史小説を読むのは久しぶり。「面白おかしく」描かれた戦いの羅列には辟易するけれど、この小説はそうではなかった。上梓されてすぐさま時代考証が甘いだの、大衆小説はこれだからレベルが低いだのと酷評されたようだけれども、(当時の目線であっても)さほど違和感は感じるものではないのでは。

  •  「破戒」を読んでとても良かったので、「夜明け前」を読みはじめた。なんとか最初の一冊を読み終えたが、結構辛かった。というのも、主人公が決まっておらず、多くの人々の幕末の姿を描いているのでなんとも読み辛いのである。幕末の雰囲気を理解するための歴史本としては秀逸であるのだけれど、個人の心理的な葛藤などはサラッと触れるのみなので、私の苦手パターンである。夏目漱石でいえば、「吾輩は猫である」だ。
     あと3冊ある。全部買ってしまったので、とにかく読むぞ!

  • 黒船襲来、攘夷運動。幕末、新しい時代の足音が中山道でも慌ただしくなってきた。若い半蔵も多くの人の感化を受けながら、一方庄屋としての立場から、落ち着かない。2020.2.29

  • <u><b>木曽路は全て山の中である。</b></u>

    <span style="color:#cc9966;">山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生まれ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。</span>

    何かに挟まれて、苦しむ人が出てくる小説が妙に胸にしみる。だから、明治知識人が出てくる本が好きなのか。だから漱石が好きなのか。

  • 島崎藤村は文豪として知られるが、読書家の知人を見渡しても夏目漱石などと比べあまり読まれていないという印象を受ける。私自身島村には馴染みはなかったが、書店でふと目に止まりあらすじを見たところ引き込まれ、全4巻一気に読んでしまった。私が読んだ歴史小説の中で傑作中の傑作である。

    夜明け前の主人公のモデルは平田篤胤の国学に心酔する宿場町の庄屋であり、「古き良き時代」を取り戻そうという志を胸に秘める。それはすなわち、武家政権を倒し古事記の時代にあるような王政を復古させるというものだった。一介の庄屋という高くはない身分の主人公であったが、勤皇の志士に便宜を図ったり草莽の志士たちが集う会合に出席したりして、彼は復古運動に密かに情熱を注ぐ。折しも幕末。開国によって社会が混迷を深める中、彼らの運動は多くの人々の心をとらえていった。

    封建制の下諸藩に強い影響力を及ぼしていた徳川幕府の力も幕末の荒波によって地に落ち、ついに大政奉還によって待ち望んでいた「復古」がなされたかに見えた。しかし現実は思わぬ方向へと進む。西欧の文物が急速に流入し、国学を信奉する主人公の居場所は次第になくなっていったのだ。かれはやがて発狂し、その生涯の幕を閉じる。

    島村は、本書に「夜明け前」という題名をつけた。近代化という夜明けの前にあった出来事という意味なのだと思う。しかし私は、この題名は、その響きのもつ芸術性は別にして、どうしても本質からずれているように思えてならない。本書は決して、近代化の直前にあった話という単純なものではないと思う。むしろ、近代そのものの話であるはずだ。近代化にとってどうしても必要だった何か、表立っては語られないが近代を影で成立させている何か、その「何か」が本書のテーマだと考える。いずれにせよ、「近代国家日本」が曲がり角に差し掛かっている今だからこそ、この作品は大きな意味を帯びるようになるだろう。

  • 「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    p335 ¥140 C0193 (2017.05.12読了)(1966.05.23購入)(1966.04.10・23刷)
    以下は読みながら書いた読書メモです。

    「夜明け前」を読み始めました。
    1966年に購入していますので、積読51年になりました。
    第1章を読み終わったところです。
    「木曽路はすべて山のなかである。」という書き出しの文章は、調子がいいですね。詩も書いている人なのですから。
    黒船来航の話が出てきますので、1853年ごろの話ですね。
    舞台は中山道の宿場、馬籠宿というので、調べたら岐阜県中津川市となっていたので、長野県じゃないの? と思ったら2005年2月に岐阜に移ったとか!
    それまでは、長野県木曽郡山口村ということでした。
    名古屋や彦根の殿様たちは、東海道ではなく中山道を通って江戸と行き来しているんですね。
    主人公は、馬籠宿の本陣の当主、青山吉左衛門55歳のようです。お隣の伏見屋の金兵衛さん57歳とは、かなり懇意のようです。吉左衛門の息子の半蔵さん23歳がお民さん17歳と結婚したところまでが描かれています。お民さんは、隣の妻籠宿の本陣の当主の娘さんです。
    旧仮名遣い、旧漢字なのですが、文章自体は読み易い!

    第三章まで読み終わりました。物語の主軸は、青木半蔵さんの方に移ってきました。日照りのための雨ごい、1854年の東海地震、南海地震、翌年の江戸大地震などが出てきた後、馬籠、妻籠の本陣の祖先が三浦半島の横須賀から来ていることがわかって、半蔵さんと妻籠の寿平治さんで横須賀まで出てゆきます。ハリスの着任と同時期になっています。
    江戸大地震では、藤田東湖が亡くなった話に触れています。横須賀に行く前に、江戸見物をしたり日光へ足を延ばしたりしていますが、日光での話は省略されています。読みたかったですね。
    アトリを食べる話とか、ツグミを食べる話なども出てきます。バード・ウォッチングというか、野鳥の写真を散歩のついでに撮っているので、興味深く読んでいます。
    旅の始めにみちおしえも出てきます。著者は、色んなことに興味があるようです。

    5月10日の読売新聞「編集手帳」に『夜明け前』の話が引用されていました。芭蕉の石碑を建てる話で、石碑の文字の穐(あき)の字の禾編が崩して書いてあって蠅に見えるという所です。
    この間読んだばかりだと思いながら読ませてもらいました。こういうことってわりとありますよね。

    第一部上巻(第七章)、読み終わりました。
    第四章は、医者で半蔵の学問の師匠であった宮川寛斎さんが開港間もない横浜へ出稼ぎに入った話になっています。幕末の馬籠宿の話だけで終始すると思っていたので、びっくりしています。
    第五章は、また、半蔵の話に戻ります。
    馬引きのストライキの話や、山の草刈り場の境界争い、皇女和宮の嫁入り、その際の助郷の話などが述べられています。
    桜田門外の変、生麦事件、等の話も噂話として伝えられています。参勤交代が廃止になり、江戸に留め置かれていた大名の妻や子供が、続々と故郷へ帰って行く様子も記されています。この辺の話は初めて聞いたような話です。
    半蔵は、国学の平田篤胤の信奉者のようですが、本陣としての役割を父親から相続するし、妻子もいるので自分の役割の方に重点を置いて暮らしてゆこうとしています。
    一息入れてから、下巻へ行きます。

    【目次】
    第一部
    序の章   5頁
    第一章   19頁
    第二章   60頁
    第三章   105頁
    第四章   153頁
    第五章   192頁
    第六章   222頁
    第七章   300頁

    ●木曽名物の小鳥(119頁)
    鳥居峠の鶫は名高い。鶫ばかりでなく、裏山には駒鳥、山郭公の声が聴かれる。仏法僧も来て鳴く。
    ●江戸まで十二日(125頁)
    郷里を出立してから十一日目に三人は板橋の宿を望んだ。戸田川の舟渡を越して行くと、木曽街道もその終点で尽きている。
    ●文久三年(286頁)
    その時になってみると、東へ、東へと向かっていた多くの人の足は、まったく反対な方角に向かうようになった。時局の中心は最早江戸を去って、京都に移りつつあるやに見えてきた。

    ☆関連図書(既読)
    「破戒」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.
    「桜の実の熟する時」島崎藤村著、新潮文庫、1955.05.10
    「大系日本の歴史(12) 開国と維新」石井寛治著、小学館ライブラリー、1993.06.20
    (2017年9月15日・記)
    (amazonより)
    山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。

  • いうまでもなく島崎藤村の代表作。
    日本文学史の中でも必ず触れられている有名な作品。

    それだけに、読むのがなんとなく億劫だったが、読み始めると、意外に面白い。

    傑作作品や有名な作品というのは、えてしてこんなもので、そういう評判をとるだけのことはあるのだ。

    詩人として有名な島崎藤村の小説を読むのはたぶんはじめて。
    堅牢で見事な日本語による重厚な作品。

  • 主人公となるのは藤村の父。時代としては黒船到来の少し前から明治の始め頃まで。庄屋の目から見た御一新という時代小説としても面白いけど、狂うということの身近さや何が悪いということのないどうしようもない感じが怖くもあり哀しい。
    二部構成で一部上下巻と長いのでとっつきにくいけれど、桜の実の熟する時や家など読んで外堀から埋めるのもいいかも。

全37件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1872年3月25日、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名島崎春樹(しまざきはるき)。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、筆一本の小説家に転身した。日本の自然主義文学を代表する作家となる。

「2023年 『女声合唱とピアノのための 銀の笛 みどりの月影』 で使われていた紹介文から引用しています。」

島崎藤村の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×