- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101063362
感想・レビュー・書評
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孔子の没後33年、生き残っている弟子の一人、蔫薑(えんきょう)が、山奥の陋屋に孔子研究会の面々の訪問をうけて、孔子の詞やエピソードを昔語りをする、という設定で、孔子の人となりを描いた書。春秋時代、乱世の中国、中原を放浪する孔子とその弟子、顔回、子路、子貢達との強い絆が印象的。
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曾根博義氏の解説を読むと、本書は『論語』の成立過程を結果から推測し、名句の紹介と解説を中心とした教訓書的な小説であると述べられている。『論語』について知りたければ本屋に良書がたくさんある。こちらを手にする意味は薄い。
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自分の中で孔明と孔子が淡く混じっていたことに気が付いた本。論語を読もうと思いつつも、なんだかとっつきにくいから、そんな理由で読んでみた。小説として読み易く少し余韻が残る。
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中学生のときは全く面白くなく、苦痛を覚えながら読了しましたが、齢を重ねると滋味を感じます。
末席の弟子による孔子と高弟の思い出話。 -
まだ論語が出来る前に、ただひとりのこうしの弟子の生き残りとして、こうしとの思い出、言葉などを語るといった、ちょっといままでにはなかったかもしれない作品。
そして井上靖、最後の小説。80代に書いたという。
読んでいてダライラマの説法とはこんな感じなのかなと想像。ひとつの事柄について師が語り、周りが質問していく。天命とは、仁とは。 -
孔子の死から30年後に、魯都の「孔子研究会」の人びとが、門弟の一人だった蔫薑という人物のもとを訪れ、孔子やその高弟の子路、子肯、顔回らの人となりを尋ねる話です。
著者の歴史小説に対しては、大岡昇平が「借景小説」だという批判をおこなっており、本作に対しても呉智英が同様の観点からの批判をおこなっています。それらの批判は要するに、著者の歴史小説に登場する人物は近代的な人間像だというものなのですが、確かにそうした印象はあります。
たとえば、本書の最後に蔫薑が故郷の蔡の国を訪れたときのことを語っているのですが、国の興亡という大きな運命に翻弄される人間の尊重を謳い上げるところなどは、近代的な人間賛歌としか言いようがなく、孔子の実像からかけ離れているという批判者たちの意見に賛同したくなります。 -
同じエピソードを何度も繰り返したり、なんか冗長だな。架空の弟子に語らせる、って目新しくはあるが、うーん。
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孔子の死から30年後の時代設定で、孔子研究家達との対話から孔子像を浮かび上がらせるというアイデアは流石であるが、これといった展開があるわけでは無い為、正直退屈感を覚えた。
が、解説で著者晩年の作品であることが分かり納得。架空の弟子蔫薑の口を借りてどうしても書いておきたかったのだろう。