- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101065038
感想・レビュー・書評
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文体が独特に感じた。戦争という狂気的な環境の中、極限の状態から生じる人生観を追体験した気がする。
面白く読めたかはさておき、人生観を考え直させるような純文学純文学した作品は好きだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もろに文学だった。
極限状態に陥った人間が、生き残るためにカニバリズムに走る、もしくはそれを抑制するさまがありありと記されている。
娯楽の一つとして小説を読んでいる自分にはかなり重いが、戦争における個人の極限状態が見事に描かれた読むべき作品。 -
戦争ものの傑作だとは聞いていたけど、どちらかというと、戦争という極限の状況でのカニバリズムと宗教に関わる話という色が強いような気がする。つまり、反戦とか平和主義の主張というよりも極限状況での人のふるまいや精神状態についての考察に主力が置かれている。たしかに、それらをひっくるめて反戦主張という読み方もできるかもしれない。さらに、ベトナム戦争や湾岸戦争でクローズアップされた銃軍兵士のPTSD問題についても自身の体験としてどちらかというと自責の念に囚われながら語られている。こういう風に自責が前面に出てしまうと、なるほど、公的責任は取り上げられにくくなってしまうんだろうなあ。あの戦争での地獄を見るような体験は現代的な問題として将来的にも何度も表出していくのかもしれない。
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「敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。]
「たじろがない人はいないだろう。飢えと孤独の極限状態で人間がどうなるかをみきわめようとした戦争文学の傑作である。が、手ばなしにすすめるわけにはいかない。ー圧倒的な描写力にぐいぐい引き込まれ、読者は異常な状況に放り出される。安易な救いや癒しはない。しかし、そこには戦争の一つの断面がある。ひとりの人間が生々しく存在している。覚悟して見届けてほしい。」
(『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介より)
大岡昇平 1944年に召集されてフィリピン・ミンドロ島の戦線に行った。米軍の上陸によって山中に逃げ、翌45年1月に捕虜となりレイテ島の収容所に王られた。戦後、戦場の経験を書き始め、すぐれた戦争文学を残した。
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加賀乙彦(作家、犯罪心理学者)・選 大岡昇平
①『野火』(新潮文庫)
②『レイテ戦記 上・中・下』(中公文庫)
③『花影』(講談社文芸文庫)
「大岡昇平といえば『野火』だ。これは間違いない。老兵が敗残の身になって逃げまわるが姿が、彫刻のように硬く彫り込まれた文体で書いている。『不慮記』の事実性がそげ落ちてしまい、完全な小説に昇華した。事実の描写ではなく、文章が事実を突きつけてくる。書かれたことは、事実よりももっと現実味を帯びてきて、読者の頭から去っていかない。それほど文体が力強かった。つまり、事実は消えても文体はそっくり残って古びて行かない。」
(『作家が選ぶ名著名作 わたしのベスト3』毎日新聞出版 p94より) -
味方に見捨てられた。戦地にあって病に斃れ戦えない以上、軍隊の論理からすれば、当たり前なのだろう。見捨てる側もされる側も人間。そこに、人間らしさというものは、互いにもうない。
屍体の描写が淡々となされているのが、余計に不気味さを感じさせる。自分の足についた山蛭を食べる場面には、気持ち悪くなった。そして、ついに人肉を…という場面。読むのが辛い。
この小説にも、最後には希望が待っているのだろうか。
生きて帰れたことが希望なのか。書いたことなのか。この小説が、この惨禍が繰り返されることの歯止めとなることか。そもそも、希望そのものを期待してはいけない話なのだろうか。 -
凄惨。テンポの良い読み味と、戦争の悲惨さと宗教観の織り交ぜ方が好き。
締めの「神に栄えあれ」に続く文が読んでて気持ちいい名文。 -
立ち昇る自然の生命力と、戦争の生々しさと、すべてが鮮明なイメージで記憶され、そこに十字架が浮かび上がるといった構図を忘れることができない。全体的に静謐で、無駄のない文体が印象的。
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高橋源一郎の本で紹介されていた戦争を描いた戦後に書かれた名著である。読んだつもりでいたが全く忘れてしまっていた。フィリピンの戦場で人を食べるかどうかの話とばかり思っていたがそれはテーマの一つであり全体ではなかった。捕虜となり帰国して最後は精神病院に入りその時にフィリピンの教会の場面を思い出すという最後の場面を読んだ記憶がなかった。
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順序は逆だが、塚本版映画を観てから読了。主人公一人称による内面の吐露、特に信仰心と飢えの限界で見る幻覚のシーンが映画との大きな違い。
ひたすら彷徨い、食いものを探し、傷病に苦しむ(それも戦闘が原因ではない)兵士たちの無残さが際立つ。戦況とは無関係の、延々と続く地獄が赤紙兵卒の戦いだ。撃たれて死ねればまだよし、ほとんどは泥水に浸かり、生きながら腐って屍を晒していく。こんなに生き死にが無意味な場所で、人肉食に思い悩む主人公は滑稽だが、狂ってさえも割り切れないのも人なのだろう。 -
私は道徳的に生きてきたと思っていた。しかし、それは、たまたま道徳に反する必要がなかっただけだ。人生の分かれ道はたくさんある。その選択の数だけ人生はある。それが必然なのか偶然なのかわからない。ただ、この小説を読むと、私の人生や価値観は偶然でしかないように思われる。