蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

  • 735人登録
  • 3.29評価
    • (14)
    • (82)
    • (141)
    • (23)
    • (5)
  • 106レビュー
著者 : 田山花袋
  • 新潮社 (1952年3月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101079011

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 自然主義文学のさきがけといわれる『蒲団』に、中編作『重右衛門の最後』を併録。明治の雰囲気が伝わってくる文体と精神背景が味わえて、なかなか楽しむことができました。
    『蒲団』は、生活に倦怠感をおぼえている主人公の小説家に、田舎から美少女が小説家になりたいと弟子入りしてきたことから起きる恋のさや当ての物語です。(笑)「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」生活に倦んでいた主人公は、弟子入りしてきたハイカラで発展的な精神を持つ美少女に恋心を抱くが、師として監督する立場でもあることからその苦悩が始まる。弟子の美少女の誘惑にも自制してきたのだったが、ある時、ろくでもない男が恋人になったと知ったことから、主人公の煩悶が始まる・・・。
    主人公の小説家の葛藤する様は、本来苦しい想いが伝わってきても良さそうですが、設定が設定だけに現代人にはなぜか可笑しみもあって(笑)、美少女の父親や恋人の男のふるまいにも突っ込みどころ満載なので、意外と軽いノリで楽しめました。(笑)最後の「書名」のもとになっている主人公の行動は、マニアックなフェティシズムに溢れていて、可笑しみの頂点に達するとともになかなかの名場面でした。あ~、という何とも言えない感じが良いです。(笑)確かにこれは泣けてくるし、もふもふしたくなる気持ちもわからなくはない。(笑)
    『重右衛門の最後』は、信州山奥のとある村で発生した放火事件とその村としての決着について、旅行者としてきていた主人公の目を通してたんたんと描かれる。学生時代に友が語った故郷の信州の美しい自然に魅かれて、主人公は友を訪ねてその地に到来する。そこでは折しも重右衛門という人物が主犯と目される放火事件が相次いでおり、主人公が到着した夜にも火事が・・・。
    信州の自然がきれいに描かれているのを対照として、夜に人為的に発生する火が彩りよく、視覚的イメージが面白い作品だったと思います。身体に劣等感を持つ重右衛門が次第に凶悪化し、村に反発していく様子は自然への反発という意味にもなるのでしょうか。これも主人公が傍観者であるが故に、重右衛門の苦悩を深化させることができず、割と軽い調子で事件の推移を見守るような感じです。
    「解説」では田山花袋にむしろ辛辣気味な評価なのには驚きました。(笑)

  • 性欲とフェチ感丸出しのラストが有名ですが、現代人からしたら明治版ラノベ、というレベルの話かなというのが読後の感想です。

    悶々とするおっさんの内面と行動を、そこまで冷静に分析して、そこまで理知的に、しかもそこまで正直丁寧に書かんでもいいよ!と途中で突っ込みは入れてしまいましたが…。

    時は明治後期。妻子ある中年小説家・時雄の元に、彼の大ファンだという、女学生・芳子から熱烈なファンレターが届きます。文通へ発展する二人。
    女学校を卒業した芳子は、小説家を目指すために時雄の弟子になろうと、東京にやってきます。

    「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」いる単調な生活に味気なさと侘しさを感じていた時雄は、突然目の前に舞い降りた若い女の存在に、舞い上がってしまいます。
    自分を「先生、先生」と慕う芳子と両想いだと思い込む時雄。

    妻や親戚は当然ながら、不倫か!?と身構えます。
    しかし、芳子のほうはそんな気はなかったらしく、彼女自身の軽率な行動のせいで恋人の存在が割とあっさりばれます。しかも、その恋人が、時雄の目の前に現れてしまうのです。
    ここから、芳子の恋の最大の保護者のふりをしながら、実は憤懣と嫉妬に乱れ狂う時雄の姿が延々と描かれてきます。

    単調な日常に色を添えてくれたものに固執したくなる気持ちは理解できます。
    しかし、本文でどんなに小難しく文学的な言葉に包んで表現していても、(下世話な表現で申し訳ないのですが、)ありていに言って、「きっともう彼女は処女じゃないんだ…」という点にこだわって堂々めぐりしている妻子持ちの中年男性の姿には、「おいおいおい…」と思ってしまいました。

    それに、読んでいると、「この男、自分の前に現れたのが芳子でなくても、若くてちょっと綺麗な女なら、たぶん(いや、絶対)誰でもよかったよな」、という妙な確信がついてくるという…。

    そして、かの有名なラスト。
    本当に性を感じさせて生々しい。
    現代のコンテンツには、平凡な恋愛小説でも、もっと過激な性描写が溢れており、それと比べたら十分マイルドで使い古された内容ですが、明治40年(1907年)によく書いたよ!と、ここまでの呆れぶりを手のひら返して感心してしまう不思議。

    いえ、これがすべての始まりだったのかも、と思うから感心するのかもしれませんね。
    この作品がなかったら、後世の谷崎潤一郎の官能作品群とか生まれなかったかもしれないと思うと不思議な感慨を覚えます。
    私小説の出発点と言われるだけのことはあるのかも。

  • 表題『布団』が気になり手に取りました。
    絶対に結ばれることのない、親子ほども年の離れた相手に対しての執着・自分勝手な所有欲は、他人から見ればみっともないの一言。とても人には知られたくないような男の欲を堂々と描いた作品は他になく、当時としては画期的なことだったようです。

    蒲団に残るあの人の匂いが恋しーー女々しいような情けないような滑稽な描写は妙に人間臭くて、不思議と嫌いになれない。

  • 時雄は芳子だから恋をしたわけではないと思う。惨めな自分の晩年に華を添えてくれる「女」という生き物なら、誰でもよかったのだろう。男の身勝手さを惜しげもなく晒した作品。建前などかなぐり捨てて書いてるから、真に迫っていてとても面白い。時を重ねても雄の性を捨てられない「時雄」と、匂いたつような若さと美しさを備えた「芳子」という名前設定が、最後のシーンを象徴しているようである。

  • 中島さんの作品の後に読むとなんとまあ、時雄の行動の幼稚なこと。全くもって私は「妻」の視点からでしか鑑賞できなくなっている。これはちょっと失敗。これから中島さんの『FUTON』を読まれる方花袋のを先に読む方がいいでしょう。いろいろ抜きにして純粋な感想。この小説「中年男が失恋後恋人の蒲団で泣く」という一文で表され、それでまかり通っているけれど、そんなことはない!なんてことはない。その通り。結果失恋して泣くんです。発表当時は女々しいとのお声もあったでしょうが、現代では無問題。時代が追いつきましたよ、花袋先生。

  • ずっと読みたくて、でも大筋で話が分かるから情けなさすぎで読むのを躊躇っていたこの本。
    読んでみると、まず主人公が思っていたよりずっと若く、今の自分と大して変わらない歳であることに驚く。
    そして、女性の方からも何らかの思わせぶりな誘惑があったのかと思っていたのに、他に恋人を作って全く主人公を意識もしていないという。
    ほんとに、全て主人公の妄想で、ただ結婚生活に飽きた男が若い娘にときめきたかっただけの話。
    現在絶賛育児中のわたしからすれば、ふざけんなと言いたくなるけど、こういうのって男性も同じなんだとわかった。

    そして、合わせて収録されてる話。
    『蒲団』にしか興味なかったので、読まずに返そうかとも思ったが、読んでみるとなかなか面白かった。
    生まれつき通常の状態ではないということは不幸なことだと思うけど、自分で身上を持ち崩したのに反省もせず、周囲に迷惑ばかりかけている人間でも、亡くなった後はきちんと弔ってやらなければならないというのは理不尽だなと思う。
    死ねば今生の罪は消えるということか。
    それでは、あまりに釣り合わないと思ってしまう。
    けれど、多くの人間から憎まれ恨まれることが、ある人物のエネルギーとなって迷惑行為をなすのなら、その原動力となる負の感情を持たないということが、実は一番平和への近道なのかもしれない。
    すごく難しいことだけど。

  • 「蒲団」
    弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に
    スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに
    逃げられてしまう
    それは理不尽なことには違いない
    俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう
    けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と
    西洋文化に由来する、いわゆる近代的自我との板ばさみにあって
    この時期の文化人は
    自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない
    つまりエゴイストになりたくてもなれないという
    そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない
    森鴎外とエリスの関係など見るに
    けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ
    しかしそういう、ある種の煮え切らなさ・女々しさは
    現実と真正面から向き合って生じるものでもあるのだから
    それがそのまま
    近代日本においては「男らしさ」と呼べるものでもあったのだ
    男はつらいよ、ってそういうことですね

    「重右衛門の最後」
    さんざん甘やかされながらも
    よその子供から身体的特徴(でかい金玉)を馬鹿にされ
    屈折して育った重右衛門は
    祖父の期待を裏切って悪人になり
    最終的には、村人の集団リンチで処刑されてしまうのだけど
    日本では、悪人も死ねば許される風潮があるので
    なんか名誉回復もしたしよかったんじゃないの、という話
    大江健三郎の「万延元年のフットボール」や
    町田康の「告白」などに、今も受け継がれるテーマだ

  • 申し訳ないけど主人公がめっちゃ気持ち悪い!

    気持ちはわからなくもないけど、布団は嗅ぐんじゃないよ…

  • もう、あのシーンはよ!はよ!という気持ちで読んでました。

    それにしても主人公は嫌な男だ。停車場で綺麗なお姉さんを見て「妻の出産がうまくいかなくなって死んだらああいう綺麗な人と住めるかなー」とか考えたり、若い書生に惚れてうまくいかなくて細君に八つ当たりしたり。

    頗る読みやすい文体だった。

  • 嫉妬というと、"女の"嫉妬なんてわざわざ"女"を強調したりすることが多いが、なぜだか"男の"嫉妬、という言い方はあんまりしない。でも別に、嫉妬という感情に男女の別があるわけではない。ただ、男は嫉妬を「権力闘争」や「大人の対応」なんて言葉で都合よく包み隠しているだけだ。
    文学者である竹中時雄の元へ、文学を志す女学生からの熱心な手紙が届くようになる。彼女が後に正式な弟子として受け入れることになる芳子。かつて情を燃やしたはずの妻にも飽き飽きしていた時雄は、芳子にいつしか好意を抱くようになる。芳子の恋人である田中との仲を芳子の"師"として諭し心配するフリをして、内心は嫉妬心を強くするひとりの中年男性の苦悩を描く。
    話が進めば進むほど、この身勝手な中年男子が変態的にすら思えてくる。男が理想的な女を規定したがるのは現代にも通づるものがあるが、そのくせ自分は嫉妬心を燃やし、芳子を失えば彼女が使っていた蒲団の匂いを嗅いだりするのだ。
    こうした男の女に対する態度だけでなく、旧式の女性(時雄の妻)vs新時代の女性(芳子)という世代間での対立構造もまた現代に通づるものがあって、明治時代とて日本人は根本的に同じなんだなぁと思ってしまう。従ってそこまで大きな違和感なく読めるが、「あぁそんなに嫉妬したんだねー大変だったんだねー」以上の感想は抱きづらい。私小説ってやっぱりこんなもの?そしてちょくちょく出てくるロシア文学が知識があることだけをひけらかしているようで逆に嘘っぽくないか?

全106件中 1 - 10件を表示

田山花袋の作品

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)に関連する談話室の質問

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)に関連するまとめ

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)の作品紹介

蒲団に残るあのひとの匂いが恋しい-赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。その新しい作風と旺盛な好奇心とナイーヴな感受性で若い明治日本の真率な精神の香気を伝える。

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)のKindle版

ツイートする