蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)

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著者 : 田山花袋
  • 新潮社 (1952年3月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101079011

蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 性欲とフェチ感丸出しのラストが有名ですが、現代人からしたら明治版ラノベ、というレベルの話かなというのが読後の感想です。

    悶々とするおっさんの内面と行動を、そこまで冷静に分析して、そこまで理知的に、しかもそこまで正直丁寧に書かんでもいいよ!と途中で突っ込みは入れてしまいましたが…。

    時は明治後期。妻子ある中年小説家・時雄の元に、彼の大ファンだという、女学生・芳子から熱烈なファンレターが届きます。文通へ発展する二人。
    女学校を卒業した芳子は、小説家を目指すために時雄の弟子になろうと、東京にやってきます。

    「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」いる単調な生活に味気なさと侘しさを感じていた時雄は、突然目の前に舞い降りた若い女の存在に、舞い上がってしまいます。
    自分を「先生、先生」と慕う芳子と両想いだと思い込む時雄。

    妻や親戚は当然ながら、不倫か!?と身構えます。
    しかし、芳子のほうはそんな気はなかったらしく、彼女自身の軽率な行動のせいで恋人の存在が割とあっさりばれます。しかも、その恋人が、時雄の目の前に現れてしまうのです。
    ここから、芳子の恋の最大の保護者のふりをしながら、実は憤懣と嫉妬に乱れ狂う時雄の姿が延々と描かれてきます。

    単調な日常に色を添えてくれたものに固執したくなる気持ちは理解できます。
    しかし、本文でどんなに小難しく文学的な言葉に包んで表現していても、(下世話な表現で申し訳ないのですが、)ありていに言って、「きっともう彼女は処女じゃないんだ…」という点にこだわって堂々めぐりしている妻子持ちの中年男性の姿には、「おいおいおい…」と思ってしまいました。

    それに、読んでいると、「この男、自分の前に現れたのが芳子でなくても、若くてちょっと綺麗な女なら、たぶん(いや、絶対)誰でもよかったよな」、という妙な確信がついてくるという…。

    そして、かの有名なラスト。
    本当に性を感じさせて生々しい。
    現代のコンテンツには、平凡な恋愛小説でも、もっと過激な性描写が溢れており、それと比べたら十分マイルドで使い古された内容ですが、明治40年(1907年)によく書いたよ!と、ここまでの呆れぶりを手のひら返して感心してしまう不思議。

    いえ、これがすべての始まりだったのかも、と思うから感心するのかもしれませんね。
    この作品がなかったら、後世の谷崎潤一郎の官能作品群とか生まれなかったかもしれないと思うと不思議な感慨を覚えます。
    私小説の出発点と言われるだけのことはあるのかも。

  • 蒲団に残るあのひとの匂いが恋しい―赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。その新しい作風と旺盛な好奇心とナイーヴな感受性で若い明治日本の真率な精神の香気を伝える。

  • 蒲団
    複雑な心境がよく描写されており、読みやすい。結末の主人公の様子は気持ち悪いと言われることが多く、実際に読んで「ああこれか(笑)」と思ったが、その人間らしさがまた作品として味わい深い。

    重右衛門の最後
    不遇な重右衛門に深く同情した。八つ墓村と重ねてしまうところがあったのは私だけ?

    同じ自然主義の関連として島崎藤村、ゾラも読みたい。

  • 不器用な主人公と弟子の女。最後のシーンはエモいですね。

  • ずっと読みたくて、でも大筋で話が分かるから情けなさすぎで読むのを躊躇っていたこの本。
    読んでみると、まず主人公が思っていたよりずっと若く、今の自分と大して変わらない歳であることに驚く。
    そして、女性の方からも何らかの思わせぶりな誘惑があったのかと思っていたのに、他に恋人を作って全く主人公を意識もしていないという。
    ほんとに、全て主人公の妄想で、ただ結婚生活に飽きた男が若い娘にときめきたかっただけの話。
    現在絶賛育児中のわたしからすれば、ふざけんなと言いたくなるけど、こういうのって男性も同じなんだとわかった。

    そして、合わせて収録されてる話。
    『蒲団』にしか興味なかったので、読まずに返そうかとも思ったが、読んでみるとなかなか面白かった。
    生まれつき通常の状態ではないということは不幸なことだと思うけど、自分で身上を持ち崩したのに反省もせず、周囲に迷惑ばかりかけている人間でも、亡くなった後はきちんと弔ってやらなければならないというのは理不尽だなと思う。
    死ねば今生の罪は消えるということか。
    それでは、あまりに釣り合わないと思ってしまう。
    けれど、多くの人間から憎まれ恨まれることが、ある人物のエネルギーとなって迷惑行為をなすのなら、その原動力となる負の感情を持たないということが、実は一番平和への近道なのかもしれない。
    すごく難しいことだけど。

  • 蒲団は面白かった

  • 女弟子に密かな劣情を抱く時雄。文明開化のうねりのなかで若き学生との恋に惑溺する女弟子。善良で不埒な時雄の懊悩を赤裸々につづった「蒲団」。
    閉鎖的な田舎村で起こった私刑を第三者的に見つめる「重右衛門の最後」。
    前者は、いまいち踏ん切りのつかない時雄にいらいらしつつ、いつ堰を切るのかとドキドキしていたけど、結局、中途半端に終わってしまった時雄が終始身悶えする姿に、なんだか善良さを脱しきれない人間にありがちな苦悩を感じ取れました。
    一方、後者は、ここ最近少し話題になっているインターネットによる私刑に通じるところがありまして、しみじみと思いを馳せながら読んでいました。

    それはそうと、褒めているんだか貶しているんだかよくわからない解説はなんなんですかね笑 こんな辛らつな解説には初めて出会いましたよ。

  • 「恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。」(p28)蒲団のみ読了。知り合いから勧められて、けども何だか難しそうで敬遠してた。まあ難しかったw 川上弘美の『センセイの鞄』を思い出した。あれとは違って、こっちは幾分童貞の妄想みたいで、ストーカーみたいな心情ばかり描かれてる気がする。何と言うか自分を見てるようで、いつの時代も変わらん人間がいるもんだなと思う。近代文学にしては楽しく読めた。

  • 「蒲団」
    弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に
    スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに
    逃げられてしまう
    それは理不尽なことには違いない
    俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう
    けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と
    西洋文化に由来する、いわゆる近代的自我との板ばさみにあって
    この時期の文化人は
    自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない
    つまりエゴイストになりたくてもなれないという
    そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない
    森鴎外とエリスの関係など見るに
    けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ
    しかしそういう、ある種の煮え切らなさ・女々しさは
    現実と真正面から向き合って生じるものでもあるのだから
    それがそのまま
    近代日本においては「男らしさ」と呼べるものでもあったのだ
    男はつらいよ、ってそういうことですね

    「重右衛門の最後」
    さんざん甘やかされながらも
    よその子供から身体的特徴(でかい金玉)を馬鹿にされ
    屈折して育った重右衛門は
    祖父の期待を裏切って悪人になり
    最終的には、村人の集団リンチで処刑されてしまうのだけど
    日本では、悪人も死ねば許される風潮があるので
    なんか名誉回復もしたしよかったんじゃないの、という話
    大江健三郎の「万延元年のフットボール」や
    町田康の「告白」などに、今も受け継がれるテーマだ

  • 5月13日『花袋忌』この一冊

  • 読みにくいかと思いきや、そうでもなかった。時雄が酔っ払って引きずって行く蒲団と、最後の蒲団、白さがいやに生々しい。

  • 表題『布団』が気になり手に取りました。
    絶対に結ばれることのない、親子ほども年の離れた相手に対しての執着・自分勝手な所有欲は、他人から見ればみっともないの一言。とても人には知られたくないような男の欲を堂々と描いた作品は他になく、当時としては画期的なことだったようです。

    蒲団に残るあの人の匂いが恋しーー女々しいような情けないような滑稽な描写は妙に人間臭くて、不思議と嫌いになれない。

  • 申し訳ないけど主人公がめっちゃ気持ち悪い!

    気持ちはわからなくもないけど、布団は嗅ぐんじゃないよ…

  • やたらと外国文学、特にロシアの作家、作品をとりあげるが、今となっては不自然。当時はそういうのが風潮だったのでしょうか。当時受け入れられた小説がこういうものだったと感じるところに価値を見出す作品。13.11.21

  • もう、あのシーンはよ!はよ!という気持ちで読んでました。

    それにしても主人公は嫌な男だ。停車場で綺麗なお姉さんを見て「妻の出産がうまくいかなくなって死んだらああいう綺麗な人と住めるかなー」とか考えたり、若い書生に惚れてうまくいかなくて細君に八つ当たりしたり。

    頗る読みやすい文体だった。

  • 時雄は芳子だから恋をしたわけではないと思う。惨めな自分の晩年に華を添えてくれる「女」という生き物なら、誰でもよかったのだろう。男の身勝手さを惜しげもなく晒した作品。建前などかなぐり捨てて書いてるから、真に迫っていてとても面白い。時を重ねても雄の性を捨てられない「時雄」と、匂いたつような若さと美しさを備えた「芳子」という名前設定が、最後のシーンを象徴しているようである。

  • 蒲団は悶々とした中年の悩みがユーモラスに描かれていて、割と親しみ深く読めた。その分重衛門の最後の方が人間存在の悲哀が重くのしかかるようで言葉にし難い気持ちになった。

  • 自然主義文学のさきがけといわれる『蒲団』に、中編作『重右衛門の最後』を併録。明治の雰囲気が伝わってくる文体と精神背景が味わえて、なかなか楽しむことができました。
    『蒲団』は、生活に倦怠感をおぼえている主人公の小説家に、田舎から美少女が小説家になりたいと弟子入りしてきたことから起きる恋のさや当ての物語です。(笑)「妻に子供を奪われ、子供に妻を奪われて」生活に倦んでいた主人公は、弟子入りしてきたハイカラで発展的な精神を持つ美少女に恋心を抱くが、師として監督する立場でもあることからその苦悩が始まる。弟子の美少女の誘惑にも自制してきたのだったが、ある時、ろくでもない男が恋人になったと知ったことから、主人公の煩悶が始まる・・・。
    主人公の小説家の葛藤する様は、本来苦しい想いが伝わってきても良さそうですが、設定が設定だけに現代人にはなぜか可笑しみもあって(笑)、美少女の父親や恋人の男のふるまいにも突っ込みどころ満載なので、意外と軽いノリで楽しめました。(笑)最後の「書名」のもとになっている主人公の行動は、マニアックなフェティシズムに溢れていて、可笑しみの頂点に達するとともになかなかの名場面でした。あ~、という何とも言えない感じが良いです。(笑)確かにこれは泣けてくるし、もふもふしたくなる気持ちもわからなくはない。(笑)
    『重右衛門の最後』は、信州山奥のとある村で発生した放火事件とその村としての決着について、旅行者としてきていた主人公の目を通してたんたんと描かれる。学生時代に友が語った故郷の信州の美しい自然に魅かれて、主人公は友を訪ねてその地に到来する。そこでは折しも重右衛門という人物が主犯と目される放火事件が相次いでおり、主人公が到着した夜にも火事が・・・。
    信州の自然がきれいに描かれているのを対照として、夜に人為的に発生する火が彩りよく、視覚的イメージが面白い作品だったと思います。身体に劣等感を持つ重右衛門が次第に凶悪化し、村に反発していく様子は自然への反発という意味にもなるのでしょうか。これも主人公が傍観者であるが故に、重右衛門の苦悩を深化させることができず、割と軽い調子で事件の推移を見守るような感じです。
    「解説」では田山花袋にむしろ辛辣気味な評価なのには驚きました。(笑)

  • 嫉妬というと、"女の"嫉妬なんてわざわざ"女"を強調したりすることが多いが、なぜだか"男の"嫉妬、という言い方はあんまりしない。でも別に、嫉妬という感情に男女の別があるわけではない。ただ、男は嫉妬を「権力闘争」や「大人の対応」なんて言葉で都合よく包み隠しているだけだ。
    文学者である竹中時雄の元へ、文学を志す女学生からの熱心な手紙が届くようになる。彼女が後に正式な弟子として受け入れることになる芳子。かつて情を燃やしたはずの妻にも飽き飽きしていた時雄は、芳子にいつしか好意を抱くようになる。芳子の恋人である田中との仲を芳子の"師"として諭し心配するフリをして、内心は嫉妬心を強くするひとりの中年男性の苦悩を描く。
    話が進めば進むほど、この身勝手な中年男子が変態的にすら思えてくる。男が理想的な女を規定したがるのは現代にも通づるものがあるが、そのくせ自分は嫉妬心を燃やし、芳子を失えば彼女が使っていた蒲団の匂いを嗅いだりするのだ。
    こうした男の女に対する態度だけでなく、旧式の女性(時雄の妻)vs新時代の女性(芳子)という世代間での対立構造もまた現代に通づるものがあって、明治時代とて日本人は根本的に同じなんだなぁと思ってしまう。従ってそこまで大きな違和感なく読めるが、「あぁそんなに嫉妬したんだねー大変だったんだねー」以上の感想は抱きづらい。私小説ってやっぱりこんなもの?そしてちょくちょく出てくるロシア文学が知識があることだけをひけらかしているようで逆に嘘っぽくないか?

  • 青空文庫で蒲団のみ。
    時雄の懊悩ひとつひとつが我が身を捻じるかの様で非常にのめり込んだ。
    節操を汚した芳子の父親のなんと真っ当な物言い。さすが人の親。
    細君がうまいこと緩衝材になって物語的にも読む側にとってもテンポを保ってくれた。
    時雄がずっとあの調子で懊悩しまくってたらとてもじゃないけど息が詰まって読破不可能であった。
    細君よ、ありがとう。

  • 初読。通説に寄れば私小説の濫觴とされる本作。背景には鴎外や露伴ら明治知識人の碩学には到底敵わない浅学な若手小説家が、自己を披瀝する率直さで勝負に出たところ、エポックメイキングな対抗軸を打ち立ててしまったという事情がある。花袋はさながら小説界のセックス・ピストルズである。現代的私小説観に照らせば主人公は固有名詞を持ち、話者は非人称で、筋も単調な浮気の成り損ないでしかない。読者がただそこに著者を投影しているに過ぎず、事実モデルとなった少女は帰郷せず花袋の養女となり、その関係が周囲に認められてさえいた。そうした不道徳をすることに抵抗はなかったが、それを文学のために擬装することは恥じたのだ。毀誉褒貶の毀と貶ばかり聞き、柄谷行人をして読まなくていいと言わせるほどだが、それでも日本文学全体が永く花袋の蒲団の中に包まれていたのも事実なのだ。

  • 「蒲団」は片思いする情けない男の話である。「新小説」1907年9月号に掲載。自然主義文学の祖としても有名。

     展開が早く、文章も抑制がきいていていい。人物もよく描けている。おもしろい。

     しかし、どうして100年以上も批判され続け、論争の対象になるのかを再考してもいい。当時、花袋を批判した作家のほとんどが忘れ去られ、多くの私小説作家があとに続いたものの、この作品ほど読まれたものはない。

     文学史の研究書や批評家のことばを信じたり、誰かからの聞きかじりで批判する前に、まずは読んでみるべきである。花袋の個人情報なしにも読めるのだから、小説としてもちゃんと自立している。

     ちなみに主人公は蒲団を匂いだのではなく、《夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心ゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。》(p.88)のである。

    「重右衛門の最後」はさほどよくない。話は冗長で、人物や土地の説明が多い割に、語りはうまくない。ネタバレ感が大きい。この作品は★★。

     しかし、おもしろいのは解説である。福田恆存は「蒲団」低く、「重右衛門の最後」をやや甘めに評価している。これは、まあいい。

     すごいのは田山花袋への酷評である。「蒲団」を《平凡稚拙な小説》と切り捨て、《かれの内部には、なにかを選びとらずにはいられないほどの切実な問題意識が欠けていた》と断じ、ついには《花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう》とまでいっている。

     ほとんど嫌悪に近い「解説」である。どうして戦後の文学者はこんなにも花袋を憎悪し、酷評し、罵倒するのかを知りたくなった。

  • 青空文庫にて「蒲団」のみ読了。

    明治の作品としてはさきがけであったにだろう。
    しかし、今では当たり前になってしまった思考なので、その当時の驚きは薄くなってしまうのだろう。

    引用
    「夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」
    ▶この後に性欲が先にきているので時雄の気持ちは、肉の恋であるのだが。この臭いを嗅ぐという行為は様々な思いから来ている。

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