【嵐吹く時も 下】 三浦綾子さん
順平が亡くなって後も、カネナカの忙しさは変わらなかった。
番頭の甥である三郎もカネナカで住み込み働いていた。
カネナカに来る前は商家に奉公に出ていた三郎は如才なく働いていたが
密かに判を持ち出し、多額の借金をし行方をくらませた。
知らずのうちに三郎の保証人にされていた志津代たちは
店も土地も全てを手放し、苫幌を離れ旭川へと移ってきた。
旭川での生活は苫幌での生活とはかけ離れた静かなモノであった。
文治は記者として働きはじめ志津代との間に3人の子どもをもうけた。
旭川の静かな生活に物足りなさを感じるふじ乃の前に増野が現れる。
増野は数年前に行商をやめ、東京で着物屋を営んでいた。
すでに妻を失っている増野はふじ乃に東京の自分の家に来ることを
すすめる。
元来商売好きのふじ乃は新太郎の実の父である増野の誘いを受け
旭川を離れて東京へ行った。
10年後新太郎が家出をした、「ソチラに寄った時には知らせてほしい」
とふじ乃から頼りが届いた。
新太郎はふじ乃の故郷佐渡に渡り、心に思いを秘めて志津代の
元へやってきた。
その時、新太郎は旭川で自分が本当は増野ではなく、順平の本当の
子であったことを知る。
不義の子として生まれたと信じていた新太郎は志津代と
同じ両親を持つ兄弟であることに感涙する。
そして、ふじ乃、志津代、文治と共に佐渡へ行くコトを条件に
東京へ帰るコトを約束する。
☆
今まで読んだ三浦綾子さんの本と少し違うような気がする。
あまりキリスト教を全面に出していない。
志津代が主人公だと思っていたけど、下巻では新太郎が
物語の重要な役割を担ってる。
放埒な志津代の母のふじ乃
慎ましやかで聡明な文治の母キワ
形は違えど、子を想う親の気持ちの深さは変わらない。
志津代は好き放題に生きているように見えるふじ乃を
蔑んで見つめている部分があった。
しかし、志津代も自分が母となって初めてふじ乃の想いを
思い至る。
実際になってみないと分からないコトって多くある。
また、文治の弟の哲三が下宿先の内儀と不義の中になったくだり
があった。この時、キワは哲三に対し激しく憤った。
そして、コレがもしふじ乃なら笑ってすますかもしれないと
文治は思った。
正しい者には誘惑におちいる者を単に邪悪だと責める傾向がある。
気をつけて、自分を諫めたい言葉だと思う。
何事も自分が正しいと思うコトにも気をつけたいと思う。
「あの時の自分は間違っていた」と思うことが今までも何度も
あったから・・・