新釈 遠野物語 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101168074

感想・レビュー・書評

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  • (*01)
    柳田は伝説成立の要件として具体的で固有名称で呼ばれる地物と関連付けられていることを指摘している。その点で本書に収められて数編の創作は伝説的でもある。
    新釈遠野物語と称しているものの、多くは釜石側に編まれた物語である。本書に現われる地名を地図に探れば、この新釈物語の世界がやや立体的に(*02)浮かび上がってくる。
    伝説の語りは怪異とされ得体の無いものを対象にしていると印象されてしまうが、本書においてはそうでもなく多くは動物譚(*03)として読める。
    語りの老人の姓は犬伏であり、老人はイヌないしキツネをトーテムとしてトランペットという鳴き声の隠喩とともに老人像が描かれる。「川上の家」はカッパ(これも古典的には動物である)、「雉子娘」はキジとコウモリ、「冷し馬」はウマ、「狐つきおよね」はキツネ、「鰻と赤飯」はウナギとコイと老人周辺の人物との交歓であった。動物との交歓のクライマックスは獣姦と殺傷である。冒頭の「鍋の中」の巨漢は柳田の文脈の面影が残る山人であり、人間よりは動物に近しい霊的な存在であった。

    (*02)
    創作か実在か定かでない地物も登場するが、これは最終話で主人公(*04)が指摘する老人の語りのクロニクルな編集における齟齬とともに、創作面と現実面との作為的なずらしや歪みとして読めるのかもしれない。時間と空間をもっともらしく現実に溶接する試みとして興味深い。

    (*03)
    もう一つの物語の筋に近代と資本がある。鉱山の現場、運搬の現場、畜産の現場、小作の現場を、老人は近代的な個として巡っている。この近代の解釈を新釈とするかどうかはともかく、伝説的な語りの中に近代がどのように現れるか、柳田の本編でもその端緒は現われていたように思う。

    (*04)
    主人公が老人の語りに対し、時に急かすような合いの手を入れる。そしてそれを老人が諌めるというおなじみパターンが数話繰り返される。合いの手は物語に読み手を参入させる方法である。主人公を通じて私たちは物語に挿入されているのである。

  •  悲劇的な作品が多い。ハッピーエンドの話は少ないし、何か教訓めいたものでも、自分の妻を殺してしまうなどの悲しい話が多い。

     民話とは口伝によるものであり、文章化されたものは意味がないという主張がある。本来民話というのは語り部さんによって、明文化された形ではなく、語りという音声によって伝えられてきたもので、それを文章化するということは民話の本質を損なう恐れがある。それを避けるためにこの小説では、洞穴に住むお爺さんに主人公が話を聞くという形をとっているらしい。語り部さんに話してもらっている感じをできるだけ再現している。

     遠野に行きたいと思った。テレビで柳田國男の遠野物語が百周年を迎えることを知ってこれを読もうと思ったわけだが、実際にこのような民話の舞台となった地を訪れてみたいと思った。

     馬、キツネなど、動物と人間が交わる話が多い。おそらく現在よりも、昔は動物と人間の距離が近く、心が通じているような感覚が大きかったのだろうと思う。

     安吾が言う、モラルがない、アモラルな話も多い。特に河童の話は非常に悲しい話だった。

     最後の締めくくりがあまり気に入らない。お爺さんに話を聞いていた主人公はキツネに騙されていたという話で、俗にいう夢オチに近い。確かにこのような話の締めくくりは難しく、このような形でしか終わらせることはできないかもしれないが、あまりにもありがちな終わらせ方で、面白くない。

  • 柳田国男の「遠野物語」が嫌いだと話したところ、こちらならどう、と貸してくれた。こちらは面白い。対話というスタイルがそもそもの民話にふさわしいスタイルだということもあるだろう。しかしそれ以上に大事な違いがある。
    柳田国男は別に遠野が好きだった訳ではなく、遠野で民話を採集してくれる知合いがいただけで、現地はまったく不案内なのに対し、井上ひさしは現地に詳しいのだ。だからまったく書かれ方が違う。柳田国男のしたことの価値はあるのだろうが、私はその方法が嫌いだ。官僚だもの。
    井上ひさしの話はともかく引きつける。これは面白い。毎度彼は東北の匂いのする物語を作るけれど、やはり地に足がついている。それはとても大事なことだと思う。面白かった。

著者プロフィール

(いのうえ・ひさし)
一九三四年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。一九六四年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。六九年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。翌七〇年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。以後、芝居と小説の両輪で数々の傑作を生み出した。小説に『手鎖心中』、『吉里吉里人』、主な戯曲に『藪原検校』、『化粧』、『頭痛肩こり樋口一葉』、『父と暮せば』、『ムサシ』、〈東京裁判三部作〉(『夢の裂け目』、『夢の泪』、『夢の痴』)など。二〇一〇年四月九日、七五歳で死去。

「2023年 『芝居の面白さ、教えます 日本編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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