ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))
- 新潮社 (2008年8月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181837
感想・レビュー・書評
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人気も実力のうちだが、その実力だけでは占める地位は正当化されない。地位の正当化には、実力に加えて正当性が求められる。(p.25)
簡潔は良い。素直も悪くない。しかし、簡潔であり、素直でありながら、品格ももたせることは、充分に可能なのである。品格がプラスされると、同じ一行でも聞く人は重みを感じるようになる。それが、聞く人を心から納得させる力になるのだ。(p.28)
帝国は、覇権下にある地方の人々の生命と資産の安全を保障してこそ帝国なのである。(p.65)
一種の直接民主制だが、直接民主制度には、扇動者に左右されやすいという欠点があった。(p.78)
それ以前は、たとえ悪帝と断罪された人の死後に帝位を継いだ皇帝でも、先帝の行った政策で良策と判断したものは、継続しただけでなくさらにそれを発展させるようなことまで、迷うことなく行ってきたのだった。基本的な政策の継続は、これによって保証されたのである。皇帝の治世が長かったことだけで、継続性が保証されたのではない。継続することがエネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであることを、自覚し認識していたからであった。(p.82)
哲学や芸術面ではギリシア人に及ばず、体力では肉食民族のガリアやゲルマンの民族に劣り、技術でさえもエトルリア民族の教えを受けることで、あれほどのインフラストラクチャーの完備を可能にした技術立国になり、経済の才能でもカルタゴやユダヤの人々にはるかに及ばなかったのがラテン民族だったが、そのローマ人がこれらの諸民族を傘下に収める大帝国を築きあげ、しかも長期にわたってその維持に成功してきた真因は、実にこの、持てる力の合理的で徹底した活用への執着、にあったのだった。(p.83)
継続は力なり、はやはり真理なのだ。(p.84)
平和は最上の価値だが、それに慣れすぎると平和を失うことになりかねないという「パクス・ロマーナ」の逆説的な現象が、現れはじめたのは海上だけではなかった。(p.129)
人間とは、混乱の時代はとくに、いわゆる「貴種」に救いを見出したくなるものなのである。(p.133)
宗教は純粋な信仰のみでは組織としては成り立たない。教会は、宗教を旗印にかかげていようと組織であることでは変わりはない。そして、組織として機能していくためには、馬車でもあるかのように、純粋な信仰と冷徹な組織力という二つの車輪が不可欠であり、そしてその両輪をまわすのに必要な油も、欠くことは許されないのである。(p.145)
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ことし発売の3冊のうち、中に入りました。
あぁ、ローマ帝国ももう終わりと思うと寂しいな。
しかしもう1800年くらい前に滅びてしまっているんだよね。
悲しいなぁ。
どうしても変えられない過去というものに哀愁を感じる今日この頃。
変えられるなら変えてみたい。
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00138
B010
他-9999999-001 -
ゲルマン人のドナウ川越え侵入の活発化、パルティアを滅ぼしたササン朝ペルシアの侵攻が繰り返され、帝国の防衛に力が注がれる中、ローマの軍事皇帝は次々交替する時代に入る。戦っても明確な勝利が得られず、弱腰の講和をした皇帝は軍団兵の不満が募り、殺されてしまうのである。
これまで重要な防衛基地にだけ軍団を置いて軍事力を限りなく少なくして平和を保ってきたローマ帝国に亀裂が入り始める時期だ。また、度々登場しはじめるキリスト教徒への弾圧もその後のキリスト教の繁栄と関連ありそうだ。