ローマ人の物語 (36) 最後の努力(中) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181868

感想・レビュー・書評

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  • コンスタンティヌス帝といえばビザンツ帝国設立直前のオリエト色が強い皇帝だと勝手に考えていたが、実際は帝国西方ガリア・ブリタニアから徐々に東へ進出して統一皇帝に成り上がった皇帝だった。
    うれしかったのはコンスタンティヌスの凱旋門の浮彫、彫像のアップの写真を載せてくれたこと。それぞれの皇帝時代が感じられ時代の盛衰が色濃く現れていた。
    さあ、古代ローマが終わりに近づく次巻へ。

  • すごく面白く読んだ。313年ミラノ勅令。世界史で覚えた年代と事柄。キリスト教を公認したと習った。その詳細が分かった。
    コンスタンティヌスとリキニウスの戦い。戦闘と戦争の違い。これまでのローマの戦い方でないのは、その戦術の詳細が描かれていないことでもわかる。ただの混戦。コンスタンティヌスは勝利しているが、戦術と言えるほどの戦術はなく、リキニウスのまずさ、マクセンティウスにしても同様だが、やはりその戦術とも言えないレベルの戦い方がコンスタンティヌスを勝たせている。
    カエサルやハンニバル達とは時代の違い、時代が変わったことを感じる戦いだった。鮮やかさはなく、長期的な見方もない。それは今のロシアとウクライナのことを思い浮かばせた。ロシアとて、古代ローマに比べれば戦いをしているわけでなく、レベルとしてはリキニウス程度なのではないかと思う。それなのに、核を保有していることを思うと、より恐ろしさを感じる。いや、ロシアに限らずアメリカも北朝鮮も世界中のどの国も現状ではリキニウス程度。それは世界が平和であるからこその、まずい戦い方なのだろうけど。
    教科書で知るコンスタンティヌスとこの小説の中のコンスタンティヌスとではだいぶ印象が違う。キリスト教を公認したくらいだから、穏やかな皇帝をイメージしていた。だが、野心もあるし行動力もあり、思っていた以上に荒々しい皇帝だった。

  • この後もまだ少しはローマ帝国は続くので断言はできないけれども、最後の良心的な皇帝がディオクレティアヌスだったのかもしれない。
    最終的な権力は自分一人の手に納めたままだったものの、広大なローマ帝国を4分割して皇帝を四人置くというのは、どう考えても我欲よりも公的な必要を重視しているように思える。

    しかも、本人がまだ健在なうちに、皇帝の世代交代を図る。
    ある程度国に平穏が戻ったら、次の世代に国をまかせる。
    老害になりたくないという個人の想いもあったのかもしれないけれど、それよりも国を思っての決断だったと信じたい。
    そしてそれは、正しい在り方だったはずだ。
    後継者もみな同じ思いなのだったら。

    良かれと思ってシステムを変えたはずなのに、そのシステムにしがみつこう、または自分こそがそのシステムに選ばれようとする我欲に捕らわれた後継者たちは、結局守るべき自分たちの国で内戦を起こし、土地を荒廃させ、人心を疲弊させるのだった。

    民衆からしたら、誰が勝とうと負けようと、知ったこっちゃないはずだ。
    国を守ってくれるのが皇帝というものなのだから。
    なのにその皇帝たちが自分たちの土地を踏み荒らす。

    まだ皇帝を続けられる余裕を持ちながらも、自ら引退したディオクレティアヌスは、後継者たちによって自分の妻や娘が国外追放のあと、死刑に処せられたことをどう思ったのだろう。
    まだ引退して10年もたっていないというのに、自分達を後継者に引き立ててくれた人への恩義などみじんも感じていないその仕打ちを。

    こうして衰えていくローマ帝国を立て直すために、ついに東西の皇帝はキリスト教を公認することにする。
    それがローマ帝国滅亡の最後の一手だったかもしれない。
    ローマ帝国がずっと示してきた『寛容』とは真逆の一神教を受け入れたということは、帝国は寛容ではない道を歩き出したということなのだから。

  • コンスタンティヌスしかわかりません…。
    この辺の歴史は苦手です。
    また読みます。

  • ディオクレティアヌスが引退して、テトラルキアの中、コンスタンティヌスが正帝となり権力を持つお話し。

  • コンスタンティヌス大帝は西の副帝から東の正帝となり、そして東西統一を達成していく、その軌跡を追う。
    本書によって、ローマ帝国の首都がローマから東進し、アジアとの境界にあるコンスタンティノープルでなければならなかった理由がよく分かる。
    当時のローマ帝国にとって最大の脅威は、ササン朝ペルシャだった。ペルシャに対する防衛を行うためにはローマは離れ過ぎていたのだ。

  • ディオクレティアヌスが確立した四頭政は政権移行後、早くも崩れ去り、6人もの皇帝が帝国に出現。
    そのうちの一人、コンスタンティヌスが競争を勝ち抜き、その他を滅ぼすことで皇帝に。
    その間、ミラノ勅令を出し、ローマ帝国内でキリスト教を公認する。

  • 「コンスタンティヌス帝のミラノ勅令」、歴史の授業で習った時には「ふーん」と聞き流しましたが、ここまでの歴史を見てくると、いかに重大なことだったかわかる。

  • このシリーズも最後の方に差し掛かりつつあり、さすがの帝国もいよいよ斜陽の様相を見せています。それだけに最盛期の頃と比べると、とにかく皇帝の地位に値する様な人物の登場数が多すぎて名前など覚えられたものではありません。似たような名前も多く覚えることは止めて大方の流れで読んでいる感じです。
    退位した前皇帝が指名していた4人の皇帝で政治を行う「四頭政」の第二次が始まって間もなく、その一人が突然病死します。4人の力関係が拮抗している中でした。4つの席を廻り結局 、6人もの皇帝が存在する事態になります。この事態の収拾にローマ人同士の戦いがはじまります。こうして同盟を結び戦いを征服した2人の皇帝、リキウスとコンスタンティヌスが313年に歴史上重要とされるミラノ勅令を発令したのでした。キリスト教の公認です。
    このミラノ勅令は、ローマ人が1千年以上にわたって持ち続けてきた宗教に対する概念を断ち切ることを意味するものでした。国家である共同体の宗教であったローマ伝統の神々に対する敬意について何もなかったからです。このことも含め、この頃のローマは皇帝の近衛軍団も消滅する事態になったり、今でもローマの名所旧跡で有名な「コンスタンティヌスの凱旋門」が寄せ集めで安易に造られたことに触れ、ローマの国力の衰退を物語るものであると紹介しています。(凱旋門は写真入り)
    その後、紀元324年リキウスとコンスタンティヌスが権力を争い戦闘を始め、コンスタンティヌスの勝利に終わります。この章ではこれまで先人の築いてきた「ローマ的なるもの」を手放すことになるローマの国のもの哀しさがあるようです。

  • コンスタンティヌス帝の政争の巻である。

    ローマの国力は徐々に落ちていくのだが、彫像の技術の劣化がその事実を如実に伝えている。

    コンスタンティヌスの凱旋門を飾る彫像は、諸事情から過去のものと当時のものを混在させてつくられているらしく、それぞれの写真も掲載されている。
    それらを見ると、コンスタンティヌス帝の時代のものだけ技術が異常なほど劣り、中学生の夏休みの宿題レベルに思える。

    いよいよ暗黒の中世への入り口に来たのかと思うと、読んでいるこちらも少し気が重くなる。

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