クローゼット (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101203829

作品紹介・あらすじ

十八世紀のコルセットやレース、バレンシアガのコートにディオールのドレスまで、約一万点が眠る服飾美術館。ここの洋服補修士の纏子は、幼い頃の事件で男性恐怖症を抱えている。一方、デパート店員の芳も、男だけど女性服が好きというだけで傷ついた過去があった。デパートでの展示を機に出会った纏子と芳。でも二人を繫ぐ糸は遠い記憶の中にもあって……。洋服と、心の傷みに寄り添う物語。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、何のために『ダイエット』をするのでしょうか?

    コロナ禍で外出機会も減った2022年。体重計で有名なタニタが『ダイエット』に関する意識調査を行っています。それによると、”ダイエットの必要性を感じる機会が増えた”と答えた方が全体の31.6%、10代と30代の女性では4割を超えたという結果が報告されています。外出自体が減り、在宅勤務が進んだコロナ禍。仕方ないこととは言え、当然ながら、私もそのことによる運動不足はとても気になりました。

    そんな『ダイエット』の目的は人それぞれだと思います。スポーツ選手の場合、試合に出るための基準があるでしょうし、漠然と痩せなきゃ…という思いのままに突き進む場合もあるでしょう。そして、こんな理由もあるかもしれません。

     『美しく服を着るため』

    さてここに、『理想の体型美を作るため』の『コルセット』に光を当てる物語があります。『苦しい下着を女性たちはこぞって身につけて、少しでも美しく見せようとした』という西洋の女性たちの思いを今に残された『コルセット』に見るこの作品。傷んだ『コルセット』を『当時の姿に戻すこと』に情熱を注ぐ補修士の”お仕事”を見るこの作品。そして、それは「クローゼット」という書名が暗示する、ある出来事に端を発する物語です。
    
    『変わった子ね、あなたは』と言われながらデパートの『婦人服売り場』を『母親について』歩くのは主人公の下赤塚芳(しもあかつか かおる)。『婦人服売り場から靴売り場…』と『どこもキラキラしていた』という光景が好きという芳は、『あんな服が欲しい、と指』をさすものの『あれはね、女の子の服だから』と言われてしまいます。『でも、きれい。欲しい』と縋るも『芳は男の子でしょう』と言われてしまいます。しかし、『高い天井を見上げて大声で泣』く芳に母親は『お父さんに内緒よ』と、『リボンが可愛』い『水色のワンピース』を買ってくれました。『人前で着ては駄目と言われ』たものの、我慢出来なくなって外出した芳に『砂糖菓子に群がる蟻のように寄ってきた』『団地の女の子』。一方で『気持ちわりい…男女』と『下の階のタカシ君』にものを投げつけられ尻餅をついた芳は、『服が汚れてしまう』と思います。そんなところに『大丈夫、お洋服は洗えば落ちるから』と『大人びた喋り方』の女の子が現れ助けてくれました。そんな過去を思い出す今の芳はデパートで働いています。そんなある日、『イベントホールで何かを設営しているの』を目にした芳は『「ラグジュアリーな下着」の文字』を目にします。『特別展示で下着の歴史展みたいのもするらしいよ』という『内巻きの女性』の声を聞いた芳が近寄っていくと『人手が足りてないんだ。手伝ってあげて』と男性社員に声をかけられます。そんな時、一人の『女の人が顔をあげ』、『凄い美人だ』と思う芳は、『なんか手伝いましょうか』と訊くも『誰でも触っていいものじゃない』、『破損された場合、そちらで修理できる保証はありますか?』と言われます。『十八世紀から二十世紀のコルセットたちのレプリカよ』、『地味に見えても超高級品よ』と続ける女性。それに『触れないんですよね。服って着れなかったら意味なくないですか…昔の人が着ていた、もう死んだ服ばっかりなんでしょう』と言う芳。そんな言葉に女性は目をむき、『勢いよく立ち上が』ります。『ぱっと手があげられ』『叩かれる、と思った瞬間、「晶!」と後ろから細い声がし』女性の動きが止まりました。『青柳さん、ごめんなさい、遅れてしまって』と言う言葉に会話を始めた二人。結局、『あなたには無理。手伝いなんて要らない』と言うと二人は作業に入りました。
    場面は変わり、次の朝、『イベントホール』へと赴き、展示台の『女性の細い腰からひろがっていくスカートのライン』を見ていると『クリノリンといってね、スカートを膨らませるためのものだ』と言いつつ『杖をついた老人』が現れます。『綺麗な鳥が羽をひろげたみたいだ』と言う芳に『面白いことを言う』と返す老人は、展示の説明を続ける中、ふと『君の着ているブラウスは女性もの?』と問います。それに『あ…まあ、そうです。肩を落としたデザインのものだったし着れるかなと思って…』と理由を説明する芳。そんな芳に『興味があったら見にいらっしゃい』と老人は名刺を差し出します。そして、場を後にした老人。そんな名刺に記された『青柳服飾美術館』という文字を見て『美しい服が見たい。もっと、もっと見てみたい』と思う芳が一歩を踏み出す先に運命の出会いが描かれていきます。

    “服飾美術館を舞台に、洋服の傷みと心の傷みにそっと寄り添う、新たなお仕事小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。表紙に描かれた独特な雰囲気を漂わせる造形物に一瞬疑問符が頭の中に浮かんだ私ですが、これはこの作品の中で色濃く描かれていく『コルセット』が描かれたものです。「クローゼット」という書名を冠したこの作品はどの家庭にもあるであろう文字通りの「クローゼット」が象徴的に語られる一方で、『十八世紀から二十世紀のコルセット』の世界が魅力たっぷりに描かれていきます。

    では、まずはそんな『コルセット』の世界を見てみましょう。私はこの作品を読むまで『コルセット』に関する知識はほぼゼロでしたが、あなたはどこまで知っているでしょうか?

     ● 『コルセット』について
      ・『矯正下着』
      ・『西洋の服はね、まず身体なの。この下着たちは理想の体型美を作るためのものよ』
      ・『西洋の女性がコルセットをしなくなったのは一九二〇年代』、『それまで五百年以上、コルセットは当たり前のものとして着られていた』
      ・『化粧でいったらファンデーションみたいなもの。ここに色をのせていくの』
      ・『きつく締めすぎて気絶したり、肋骨が下すぼまりになって内臓を圧迫したり、健康には悪かったでしょうね』
      ・『女性たちはこぞって身に着けて、少しでも美しく見せようとしたの』
      ・『可憐な拷問器具』

    この説明と表紙のイラストによって一気にイメージが自分の中に出来上がってきましたが、『可憐な拷問器具』とは上手く言ったものです。『美しい服を着るために』は、現代の世の中であっても『ダイエットをしたり、脚を長く見せようとヒールを履いたり』します。『美の基準も時代によって変わる』という中にかつて『西洋の服の基礎』を形作ってきた『コルセット』。そして、まさか!と予想外な記述も登場します。

     『あのコルセットがあった時代はね、刺繡はむしろ男性のためにあったんだよ』

     『レースも男女共に使っていた。男性服の刺繡はね、それは見事だよ』

    物語には、上記した主人公の芳が老人からもらった名刺に記されていた『青柳服飾美術館』へと訪れ、そんな場で働く人々に深く関わりをもっていく姿が描かれていきます。そして、舞台が『青柳服飾美術館』だからこそ、そこにはさまざまな『服飾』の世界が描かれていきます。そこに『刺繍が男性のためにあった』というまさかの知識が語られます。中でも私が特に印象に残ったのは『アンティークレース』です。

     ・『手作業で作られた当時のレースは貴族や聖職者しか身に着けられない高級品だった』

     ・『特に十七世紀から十八世紀のフランスの宮廷では、男女ともに豪華なレースが服を飾っていた』

    そんな風に紹介される『アンティークレース』。千早さんは絶妙な文字の表現で読者にイメージを伝えていきます。『ベルギーのアンティークレースが好きだ』と言う白峰纏子(しらみね まとこ)は、その魅力をこんな風に説明します。

     『小さな小さなバラの花がミモザのように寄り集まっているロザリンレースは何時間でも眺めていられる。ビーズをちりばめたような、名の知らない花々も可愛い』

    『拡大鏡を使わなくてもよく見えないものもあるくらい細かい』というレースに魅せられていく纏子は、そこに『息を呑むほどに密やかな世界がひろがっている』と考えます。

     『こんなに美しく完璧な世界を自分の手で作れたらどんなに幸福だろう』

    そんな風に願う纏子。物語では、この纏子がもう一人の主人公として謎めいた存在感を見せていきますが、そこに纏子が魅せられていく服飾の世界の魅力も存分に感じられる仕上がりとなっています。千早茜さんというと、言葉を発しない”植物”の不気味な静けさを描き出す「ガーデン」、文字の上から”香り”が漂ってくる「透明な夜の香り」など何かしらに徹底的にこだわった描写が独特の魅力を放つ作家さんです。千早さんはこの作品では『服飾』に徹底的なこだわりを見せられていきます。この作品を執筆するにあたって京都服飾文化研究財団(KCI)を訪問されたという千早さん。これから読まれる方には千早さんがこの作品で魅せられる『服飾』にまつわる描写の数々に是非ご期待いただきたいと思います。

    さて、そんなこの作品には面白い工夫がなされています。その一つが構成です。この作品は明示的に章だてはされていませんが、ハンガーとトルソーのアイコンが章区切りのように描かれています。そうです。この作品はこの二つのアイコンに先導されるように二人の主人公に交互に視点を切り替えながら展開していきます。

     ・下赤塚芳(ハンガーアイコン): デパート内にある『婦人服売り場のカフェ・ベルベーヌ』のアルバイト
       - 『昔から、男の集団の中にいるよりは女性といる方が楽だった』
       - 『女性になりたいわけじゃなくて、自由が欲しいんです。着られる服の選択肢がもっとあったらいいなって』

     ・白峰纏子(トルソーアイコン): 『服飾美術館で補修士として働く』
       - 幼少期のある出来事をきっかけに『男性恐怖症』となる
       - 『わたしの仕事は眠り続ける洋服たちの時間を止めること。傷んでしまった洋服たちを当時の姿に戻すこと』に情熱を捧げる

    物語はデパートが催した『ラグジュアリーな下着』の展示会の準備の現場で芳と纏子が出会い、その先に、纏子が働く『青柳服飾美術館』に芳が出入りするようになった先の物語が展開していきます。

     『美しい服が見たい。もっと、もっと見てみたい。そう思った』。

    そんな心のままに『青柳服飾美術館』に収蔵された数多くの『服』を目にし、その奥深さにどんどん魅せられていく芳。そんな場で『服』の『補修士』として働く纏子。二人は次第にそれぞれを強く意識しあってもいきます。

     『わたしは、どうやらひとつのことしかできないようだ。それも、ひどく顕著に』。

    自らをそんな風に認識する中に、『男性』を恐れビクビクしながら生きてきた纏子。そんな纏子にやがて変化が訪れていきます。そして、そんな二人の関係の中に書名の「クローゼット」という言葉に光が当たります。『むかし、むかしの話。クローゼットの中は秘密の隠れ家だった』という過去の記憶の先にそんな場所が特別な場所に位置付けられていく二人。

     『クローゼットの中は自由だった。そこではなりたい自分になれた。ひとつの閉じた完全な世界があった。けれど、クローゼットから一歩でると、現実の自分がいて、ガラスの靴は粉々になった』。

    物語は幼き日の記憶をベースにその先に続く今に光が当たっていきます。『服』に囲まれる「クローゼット」という場所。『青柳服飾美術館』という『完璧かクローゼット』の中で物語はこの二人にその関係を取り持つかのように関係していく学芸員の青柳晶の三人が物語を引っ張っていきます。そして、独特な雰囲気感に包まれた物語は過去の「クローゼット」の記憶の先の今を生きる主人公たちが見る世界を鮮やかに写しとってもいきます。そこには、『服』にこだわる千早さんの『服』への深い想いを見る印象深い物語が描かれていました。

     『わたしの働くこの白い建物の中には、大量の服が眠っている。その数、一万点以上。十七世紀から現代までの、主に西洋の服たち』。

    そんな『服たち』を収蔵する『青柳服飾美術館』を舞台に展開するこの作品。そこには、『服』の世界が秘める奥深い物語が描かれていました。これでもかと記される『服』の歴史やマメ知識に、『服』の世界に魅せられるこの作品。『服』の『補修士』という職業の”お仕事小説”でもあるこの作品。

    極めて千早さんらしい雰囲気感漂う物語の中に、「クローゼット」に眠る『服たち』のことを思う、そんな作品でした。

  • 看板も何もない、真四角の白い建物。
    それが、何百年も前のコルセットや宝石より高価なレース、ディオールのドレスまで、約一万点が収納されている、服飾美術館。

    その美術館で、補修士として働く、白峰纏子は、幼い頃に受けた傷が元で、男性が苦手であった。

    デパートのカフェでアルバイトをしている、下赤塚芳も、女性の服が好きというだけで、幼い頃に傷付いた過去があった。

    美術館所蔵の品々に魅せられ、芳は、ボランティアで、服飾美術館に通うようになり、そこで二人は、出会った。

    二人は、幼い頃に、共通の思い出を持っていた。

    纏子の章には、トルソーのイラスト。
    芳の章には、ハンガーのイラストが書かれている。
    そのイラストがとても、可愛い。

    千早茜さんの作品を読んでいると、不思議と時間がゆっくり流れるようで、とても静謐で心穏やかになる。
    もっと、他の作品も読んでみたい。

  • 服の美しさに魅せられた青年。服の修繕の仕事に出会った女性。生きづらさを抱えた主人公たち。優しさに触れるなかで少しずつ強さを取り戻していく物語。補修士という仕事。服飾美術館で働く人たちの輝く姿に、自分の好きなことに出会えるのは本当に幸せなことだと思った。
    その時代や環境により変化する価値観や固定観念。歴史を知ることで、もっと自由になっていくといいよね。著者の込められた願いを感じた。

  •  「レースを見つめていると、一面に霜柱がたった寒い冬の朝を思いだす。庭に咲きほこる花々が時を止め、世界の欠片が白く凍りついたよう。」
     「透明な夜の香り」の一香が一人称の文章を読んだときも感じたけれど、欲望という言葉が不似合いで、繊細でささやかな主人公を通して見る世界は、どうしてこんなに美しいのかと思う。
     過去のトラウマから、男性に触れられることに強い恐怖心をもつ纏子が、芳の唇や拳が震える様子をみて、「手を握りたいなと思った。人はこんな気持ちで人に触れたいと思うのだと知」る場面が涙がでるほど印象的。身体とか、男女とか、美しさとかについて、考えるきっかけになりそうな一冊。

  • 真っ白な服飾美術館を舞台に、服飾修復師の纏子の再生のおはなし。
    著者の服飾に対する愛情がひしひしと伝わってくる。

    素敵なものがたりだったなあ。自分の作品を本当に大切にしているんだろうなあ。
    読んでいるこちらも、ゆっくりと噛み締めて読みすすめる。
    晶、纏子、芳のような主要人物だけでなく、周りの大人も魅力的。
    写真家さんは石内都さんを彷彿とさせるよね。

    ウィスキーのように、また時間を重ねて読みたい一冊。

  • 服装にもこんなに歴史があって、昔ながらの流行とその理由を知っていくのはとてもおもしろい。
    そんな洋服に魅了された人たちのお話

  • まきこは服飾美術館の洋服補修士
    才能も技能もある
    幼い頃のトラウマがあり
    男性恐怖症を抱えている
    そんな彼女を支えている晶は学芸員
    一方、デパートのカフェアルバイトの芳は
    何となく日々を過ごす
    彼も傷ついた過去をもつ
    デパートの展示をきっかけにまきこと芳は出会う

    補修して歴史ある服と向き合う登場人物達は
    キラキラしていて美しい
    好きを仕事にする輝き
    消せない過去の傷み
    好きな仕事、人との出会いが少しずつ人を強くする

    一見チャラい芳がお気に入りのコートを
    大切にブラッシングする描写が印象に残った
    私も自分に寄り添う身体に馴染む服を探そうと思った

  • 強さ、脆さ、生きづらさを語りつつも静謐...。知らんことも多々あったが、そんなことはどうでもいいぐらい身に纏った鎧、価値観、こだわりに鋭いメスが突き刺さる...。今、この作品に出会えて良かった。クロージングも好みでした。読めば服を買いたくなる一冊。

  • 心に傷を抱えた二人をめぐる物語。
    時代を経て傷んだ服を補修しよみがえらせる洋服補修士の仕事と、その服を保存管理する服飾美術館についての描写がとても興味深い。
    服の歴史について初めて知ることがたくさん。

    ただ、個人的にはストーリーを楽しむというよりも、“お仕事小説”として楽しみました。

    期待値が高かったのと、作品に漂うどこか陰鬱な雰囲気がどうも私にはあわずモヤモヤしたままの読了。

  • 100年以上前の洋服たちが1万点以上保存されている服飾美術館。
    その場所に魅了された人達の、心の傷み。
    芳、纏子、晶の3人が、少しずつ寄り添いながら前に進む姿に心を打たれました。
    ファッションには疎いけど、こんな美術館があったら行ってみたいなぁ。

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著者プロフィール

1979年北海道生まれ。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。09年に同作で泉鏡花文学賞を、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一賞を受賞。他の著書に『からまる』『眠りの庭』『男ともだち』『クローゼット』『正しい女たち』『犬も食わない』(尾崎世界観と共著)『鳥籠の小娘』(絵・宇野亞喜良)、エッセイに『わるい食べもの』などがある。

「2021年 『ひきなみ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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