- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101204963
作品紹介・あらすじ
膨大な犠牲と反省を残しながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。
感想・レビュー・書評
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近現代史専門の東大教授である著者が、歴史研究部の中高生(とても優秀な)への講義録。
教科書のような各項目で途切れない歴史。その流れを膨大な資料に基づいて対面で講義されている。
日清戦争から太平洋戦争までの戦争開戦となる流れを多方向から検討されている。本で読んでもなかなか把握しきれないけど、学生さん達が講義を理解して、教授の問いかけに、自身の考えを回答している事に驚きます。私は、3日くらいで忘れそう。
ソ連、アメリカと戦いに勝算などあったのかなあと思っていたけど、データ的に勝利できる戦略はあったらしい事は興味深い。
「日本人」はどの時点で戦争を回避出来たのかな。
回避は、どのような日本にしたのかな。戦争が対話で回避できるとも思えないんです。今もウクライナで戦闘が続いてる。
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歴史学者の加藤陽子教授による、日本の近現代史、特に戦争・紛争についてを中心に記述したもの。また、この本の大きな特徴は、加藤先生が、中高生に対して、5日間の講義として、それを語るということだ。
扱っている戦争・紛争は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争。こうしてみると、明治維新後、太平洋戦争まで、日本は多くの戦争・紛争の当事者となっている。それは、何故なのか、また、特に太平洋戦争を始めてしまったのは何故なのか、についてを中高生に対しても分かるように、説明するというのが、本書の意図である。
加藤先生と、生徒の間には、双方向のやり取りがある。例えば、太平洋戦争についての、生徒側からの加藤先生に対しての疑問・質問は以下の通り。
1) 日本とアメリカには圧倒的な戦力差があることはわかっていたのに、どうして日本は戦争に踏み切ったんですか。
2) 日本軍は、戦争をどのように終わらせようと考えていたんですか。日本軍の最終目的が知りたいです。
この質問に答えるのは容易ではない。シンプルな答えがあるわけではなく、歴史上の出来事や流れ・事実を丹念に追って説明するしかない。また、これに答えるためにこそ、記述を日清戦争まで遡って始めるしかない。
それを加藤先生は丁寧にやられているし、生徒たちも、自分の頭で考えながら、ついて行っているのがよく分かる。
歴史を学ぶ大切さと面白さを両方感じさせてくれる。 -
「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」「満州事変と日中戦争」「太平洋戦争」の五章立てで近代日本の戦争を振り返る。東京大学の教員である著者が、2009年頃に栄光学園において歴史研究部の中学一年生から高校二年生の20名ほどの学生向けに行った特別講義の書籍化である。要所で学生たちに問いかけを行い、質疑応答を繰り返しながら理解を深める箇所が進行上の特色である。
書店でたびたび面陳列されているのを見かけて気になっていたところに、昨年の学術会議問題もあって関心が高まった。そのような流れの読書だったため、反戦色の強い内容なのかを確認することも読書の動機のひとつだった。序章の時点で「人は過去の出来事について、誤った評価や教訓を導き出すことが多い」といった戒めの言葉を掲げており、全体を通しても、あくまで事実を検証することに重きを置いていると感じた。
五章に分けられた戦争の歴史のなかでは、第一次世界大戦の終戦を受けて開催されたパリ講和会議で日本の指導者層が受けたある種の「傷」を重視する見方がポイントではないだろうか。その後の「満州事変と日中戦争」「太平洋戦争」については、基本的には「なぜ起こるべきではない戦争がなぜ起こってしまったか」といったスタンスに転じているように思える。他方、第一次世界大戦以前の日本の戦争参加については、マーク・ピーティー氏の「日本の植民地はすべて、その獲得が日本の戦略的利益に合致するという最高レベルの慎重な決定に基づいて領有された」という言葉を紹介するなど、他の欧米の帝国主義国家に比べれば常識的な範囲内の判断とする捉え方は、意外であるとともに印象に残った。
書籍のタイトルを「日本」ではなく「日本人」としているところから、日本の一般大衆寄りの視点での振り返りにも期待していた。所々で学校や新聞紙上のアンケート結果や、一部の文化人の声を紹介するといったあたりに、民衆の意識を窺わせる要素も散りばめられているが、全体としてはわずかに留まった。中心となるのはやはり、政治家、軍人、天皇などといった、政治の中枢にいた指導者たちの言動であり、個人的にタイトルから期待していた側面については十分には満たされずに終った。
序章にもある、歴史から誤用をせずに正確な教訓を導かなくてはならないという訴えが、全体にも通底する本書最大のメッセージのひとつだろう。ただし、著者が示すようにかなり優秀で教養のある人物であっても、歴史の捉え方についてはたびたび過ちを起こした過去を鑑みれば、歴史を正確に考察する作業は一般人にとってはかなり困難な課題だと思える。 -
育児の合間に少しずつ読み進め、2ヶ月かけてやっと読了。
すやすやと眠る子ども達の隣で読み進めながら「この子達の未来のためにも、過去から学ばなければ」という気持ちが沸々と湧いた。
戦争に至る要因や適切なタイミングで降伏しない理由は複合的だが、結局、誤った選択へとひたすすむ人間の心理はシンプルである。
・物事の過大評価
・盲信、過信
・自身(自国・自分の所属する組織)の弱点を直視しないこと
等々、頑なで狭い視野を持つことは、人間を失敗へと導く。
それは現代も変わらない。
私の祖母は、戦後満州から引き揚げの際にソ連兵に捕まり投獄され、危険な目に遭いながらも数年後に日本への帰還を果たした。
もう一人の祖母は、地方に集団疎開したおかげで東京大空襲の被害に遭わなかったものの、大半の知人は亡くなったそうだ。
歴史から学ばなければ。 -
#読了 2021.8.20
夏になると戦争について考えたくなる。
93歳で死んだ天草のじいちゃんは、15歳で満州鉄道に就職して、戦後シベリア捕虜になって帰ってきた。たまにその頃の話をしてくれた。賢くて聡明で品のあるハンサムなじいちゃん。じいちゃんのお兄さんは空母千代田に乗り、レイテ沖海戦で沈んだ。墓参りの時に、この墓にお兄さんの骨は無いんだよって教えてくれた。じいちゃんはお兄さんのために毎年靖国神社のみたままつりに提灯を献灯してた。
文章は、実際の中高生に向けた講義を文章に落とし込んだ作り。国民や官僚や軍がどんな本音や大義名分で動いていくか、それによってどんな流れができた(できてしまった)のかが、詳細に語られている。すごくおもしろかった。
ただ講義を文章にしてるので、口頭なら分かりやすいんだろうけど、文章だと脳内に浮かべづらくてメモしながら読んだ。地理的にここを制圧すると有利だとか経済的においしいとかの理解が必要だし、一方その頃国内では?とか各国は?とか同じ時期を行ったり来たりすることも多くて整理が必要だし、この戦争でこういう条約があって、これがあったからこっちが仲良くなってー…って、前回の戦争では敵だったのに次の戦争では同盟国とか当たり前で、それを把握した上での登場人物たちの心理だから、頭を整理しながら読まないと入ってこない。戦争についての卒論でも書くの?ってくらい付箋ペタペタ読み進めた。
個人的には、三国干渉からのその後への影響がすごく面白かった。国同士のことはもちろん長い歴史の流れがあるけど、三国干渉がその後の大きな戦争のトリガーだったんじゃないかなと思う。
1894年日清戦争
翌年4.17下関条約→4.23三国干渉
年表で見て暗記したらそれだけの話だけど、これがどういうことだったのかってのは本当に興味深い。当たり前だけど、歴史は突然起きたわけではない。
中高生向け講義といっても相当レベルが高い。出てくる中高生の質問も歴史ガチ勢。人生の中でも最も勉強している時期=中高生って意味で中高生向きかなと思った^^;
私も大学は世界史受験だったけど、だいぶ抜けてしまってる。高校生当時だったらもっと楽に楽しめたかなぁと思うw
いや、当時も近代は苦手だったな…w
戦後76年。私が学生時代に戦後50年があって、学校の授業でも戦争について考えたり、おじいちゃんおばあちゃんに話を聞こうとかよくあったけど、今はどうなのかな。
年に1度でも戦争や平和について考える時間を持てたらいいなと思う。異常な価値観の中に迷い込んだ時、異常だと判断できる感覚を持っていたい。
◆内容(BOOK データベースより)
膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思いなお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。 -
社会人になってから改めて近現代史、特に太平洋戦争について学びたい。そう思うことが何度かありました。そんな中、「高校生相手の講義形式」という本書の説明をみて、「これは知識の浅い私でもイケる!」と思い手に取りました。
しかし、その「高校生」とは栄光学園という超エリート校の、しかもその中でも歴史オタクのような人々ということを知り、「あぁやっぱり、無理かも」と最初は思いました。
でも、結局、本書を読み切ることができ、今は充実感でいっぱいです。
本書は、歴史を教えるというより、当時のある人物になりきって一緒に考えてみようよ、という基本スタンスがあります。私も栄光学園の生徒と一緒に必死で頭を働かせて考えてみました。中学レベルの知識の私を決して置いてきぼりにせずに「いいから一緒に考えてみようよ。」と手を引いてくる不思議な優しさと力強さが本書にはあります。
この一緒に考えるという作業はかなり労力を伴うものですが、一人の人間にとっての戦争のリアリティを感じることができ、それを積み重ねることで戦争とは何だったのかという大きな問いについて思いを巡らせることができます。(もちろん、その正解なんてわかりっこありませんが。)
最後の方に、一人の生徒がこの講義について、「クタクタになった」という感想を述べます。まさに本書は、マラソンを歯をくいしばって走りきるように、クタクタになりながら読むべき本なのではないかと思います。
戦争についてクタクタになりながら考える、そういう貴重かつ絶対に必要な経験を本書は授けてくれました。 -
今年の夏はこの本を読んだことで、大きなセミナーを体験したと自分を慰めたいと思う。人生いつ迄経っても勉強ではあるが、優秀な中学生や高校生に混じって「えっ⁉そんな質問にも反応出来るの!」と驚きながら勉強出来るのは、なんか気持ちが若返ったような気がした。
加藤陽子先生も驚いていましたが、満州アンケートで丸山真男も居たあの東京大学で88%の学生が「満蒙のために武力行使は正当だ」と考えていたそうだ。満州事変が起きる直前、マスコミが大宣伝をする直前の科学的な知識を持った人々の認識です。日中戦争から日米開戦に至る道は、ある意味避けられない処まで行っていたのだと、やはり思ってしまう。
現代の国民の意識はそこ迄はいっていない。しかし、じわりじわり近づいている気がする。現代の尖閣諸島問題と非常に似通っているなあと思うのは、例えば以下のようなところです。
「満蒙に対する意図がずれている点は、軍人たち、事件を起こす政治主体たちには百も承知のことでした。国民の中にくすぶる中国への不満を条約論・法律論で焚きつけますが、実のところ、軍人たちにとって最も大切な問題は、対ソ戦と対米戦を戦う基地としての満蒙の位置づけだったのです」(336p)
本当の意図を隠して国民にわかりやすい不満だけを焚きつけるやり方に、我々は二度までも騙されるのだろうか。
ありもしない核攻撃やありもしない中国の武力侵略の前に、我々は戦争というものに対する常識を、ここで大きく変容する必要がある。アフガンにしても、イラクにしても、アメリカは戦争に勝って相手国の軍事力を無力化しただろうか。相手国を搾取しただろうか。もちろん相手国の土地を奪ったり、軍事駐留することが目的ではなかった。ルソーは言う。「相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)これに変容を迫るものこそ、戦争だ」
だから、(加藤陽子先生はこんなことを言っていませんが)北朝鮮や中国から戦争を仕掛けてくることは絶対にないのです。むしろ、アメリカには「動機」があります。アメリカも日本も韓国も、北朝鮮の憲法を変えたい。アメリカは、中東やアフリカや南米でそうしたい国か山ほどあります。それに日本が手助けをしてくれるならば、大賛成でしょう。
と言うようなことをこの本を読みながら、考えました。もっといろいろ考えたのですが、今はまとまっていません。機会があれば整理したい。
2016年8月21日読了 -
まずはとにかく面白い!
歴史は主観的な要素があると思うが、著者はなるべく史実を丁寧に見て事実から組み立てている。
更にそこから自らの視点も入れており、歴史の見方を考えさせる1冊だった。
今の生徒たちは歴史総合など横断的に学ばなければあるいけなくて大変だが、この著者の考え方に触れて学習を進めたら、科目をこえてより一層、「歴史」を学ぶことが面白く感じられると思う。
自身は何も考えずに勉強としてやってしまったが、、
本書の中で登場する生徒たちは優秀すぎて、知識も考え方も凄いが、そこまで知識がなく歴史上の人物をよく知らなくても楽しめる。
著者が多数の文献や資料を参照していることが読み進めるとひしひしと感じられる点も良かった。 -
ざっくりと日本はxx年くらいにに◯◯戦争あったよね、勝ったよね、負けたよね。くらいが近代史についての自分の知識です。この本はそれを多角的な視点から「なんで日本人はあの戦争へと向かっていったのか」という内容になっている。わからないことはちょっと調べながら読んだ。とてもとても勉強になった。高校生向けの講義と書いてあるが、著者の問いに一つも答えられなかったのがただ歴史の表面を追ってる程度の知識では何も語ることができないということを痛感させられた。
庶民がまっさきに犠牲になる。それは日本だけではない。日本人が受けた悲惨な過去ばかり追うのではなく、誰かを虐げてきた日本人も同様にいるという事実にちゃんと目を向けなければいけない。
夏になったら嫌でも「戦争」というものに触れる時期なので、積読になっていた本書を読もうと思っていた。やっと今年の夏読了できた。もっと早く読むべきだった。