魂でもいいから、そばにいてーー3・11後の霊体験を聞く (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101233116

作品紹介・あらすじ

未曾有の災害で愛する者に突然死なれ、絶望の淵に立たされた人々の心を救ったのは、奇跡としかいいようのない体験だった。布団に入ってきた夫を「抱いてあげればよかった」と悔いる妻。階上の息子の足音を聞く母。死亡届を書いている時に兄からメールを受け取った妹。それは夢だったのか、幻なのか――。再会を願う痛切な声と奇跡を丹念に拾い集めた感動のドキュメンタリー、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 震災で家族を亡くした方々の貴重な体験談を集めたノンフィクション。それぞれの物語というより著者との対話を通じたナラティブな内容が胸に迫る。あの日をあの人を忘れない...。残された者たちの回復過程がここにある。「冬の旅」の発刊を待望。

  • 未曾有の災害で愛する者に突然死なれ、絶望の淵にたたされた人々の心を救ったのは、奇跡としかいいようのない体験だった。布団に入ってきた夫を「抱いてあげればよかった」と悔いる妻。階上の息子の足音を聞く母。死亡届を書いている時に兄からメールを受け取った妹。それは夢だったのか、幻なのか…。再会を願う痛切な声と奇跡を丹念に拾い集めた感動のドキュメンタリー、待望の文庫化。

  • 3.11東日本大震災...突然襲いかかった未曾有の大災害で、親兄弟、我が子、つれ合いを亡くした人々が、胸に秘めていた「亡き人との再会」ともいえる霊体験を拾い集めた奇跡の記録。ここに収められた悲痛な声のドキュメントは、「この世」と「あの世」との交信を信じる、信じないとか、科学的根拠のない死後の世界をうんぬんするものではない。東北の地で「霊媒師・オガミサマ」が、死別し悲嘆に暮れる人々を力づけ支援するように、〝亡き人との魂の触れ合い〟の体験をとおして、喪失からの回復が垣間見える証言の数々に涙する。

  • 東日本大震災で、家族を亡くされた方の遺族が体験した不思議な霊的な話。夢であらわれたり、おもちゃのスイッチがかってについたり、遺体が見つかった場所に行くたびに、遺品が見つかったり不思議な体験がたくさん乗っていました。私が一番驚いたのは、津波で家族をたくさん亡くした人が避けられたり、たくさん保証金がでたんだろと噂されたり、同じ被害者の中で、人間不振になるような行為があるんだと思いました。天皇陛下が訪れて、お声掛けしてもらい立ち直ったというエピソードもありました。

  • 被災者の被災の体験は映像で見るより怖いものがある。

    霊体験といわれると、なんか違うような。
    霊体験っていわなくてもいいと思う。

  • 考えてみれば自分は、同居家族を亡くす、ずっと一緒に暮らしていた人がある日突然いなくなってしまうという経験をしていない。その悲しみがどれだけ深いものなのかを知らない。
    なのでここに紹介されている霊体験を語る人々の話には逆に違和感がない。そういうものなのかもしれない、と思う。


    P14 「お迎え現象は、臨終が近づくにつれて訪れる生理現象で説明できるが、幽霊は正常な意識を持ちながら、身体的にも異常がないのに発現する現象だ。それもおk人氏や宗教観は関係なしに出てくる。つまり脳循環の機能が低下したとかそういう生理現象ではないという事だ。おそらく、この社会が合理的ですべて予測可能だと思っていたのにそれが壊れた時に出てくるんじゃないのか?」

    P15「霊は科学で認識できないが、霊に遭遇した生者にとっては事実であると?」
    「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんという事だよ。」

    P73 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケアなのだと思う。

    P191 人は物語を生きる動物だが、その物語はけっして不変ではない。津波という不可抗力によって突然断ち切られた物語を、彼岸と此岸がつながるという不思議な体験によってふたたび紡ぎなおす。とりあえずつながった物語は、時の経過とともに自分が納得できる物語に作り直されていく。作り直すことで、遺されたものは大切なあの人と今を生き直しているのである。

    P308 家に漂う、もういない人たちの気配。そうした説明のできない現象に直面したとき、証言者たちに生じるのは恐怖ではなく、安堵や喜びといった感情だ。死者たちのメッセージの多くは「自分はもう大丈夫だ」「苦しんでいない」と伝える。きっと証言者たちが、何よりも欲していた概念なのではないだろうか。(解説・彩瀬まる)

  • 辛い読書でした。

  • 正直なところ、震災当時は九州に住んでおり、関東の様な余震すら感じられなかった事、さらに10年以上の月日が経過し、記憶からはだいぶ薄れてきていた。勤めていた会社は本社が東京にあったし、同僚の親族や社員自身も数名が行方不明となり、家族も関東に暮らしていたから聴き伝わってくる情報はある程度はあった。しかし自身が直接的に経験していないことが、何処か遠い世界の様にも感じられた。仙台始め東北地方を周遊したりと若い頃は何度か訪れた地が津波の映像で流されていく様は、そんな外側の人間から見ても恐怖と悲しみに渦巻いていた様に思う。当然被害に遭われた方々や家族を亡くした多くの方々にとっては、私などでは想像も出来ない苦しみがあったと思う。
    本書を読む前にも、情報として触れてきた被災者の不思議な体験は衝撃的だったし涙なしには見る事もできない様な体験話が多かった。だがやはり時が経過すると記憶も薄れる。そんな私が何気なく本屋で手に取ったのが本書だ。時間が経つにつれ、歳をとるにつれ同じ国で起こったこの大きな悲劇を記憶に残さなければと急に思った。誰かが「忘れないで」と言っているかのように。
    普段霊的なものを信じるとも信じないともどちらの立場とも言えない。幼い頃や若気の至りで「危ない」場所で体験した事も、当時は事実と信じていたが今となっては詳細は忘れたし、偶々とか見違えたとか酔ってたと言われれば確かにそうだったのかもしれない。とは言え人のその様な経験も心理的なものか非科学的な何かあっても、特段おかしくはないと思う。よく見てる夢だって実際の体験とは違うから、私の記憶や考え方が、眠りによって外界から遮断され、頭が一番フラットな状態で意識を映像化しただけだと思う。それが強い願望、深い悲しみなど通常とは違う精神状態にある時に、眠っていない状況で見える事もあろう。また同時に複数人で体験する事も科学的に証明できない以上は「ない事も証明できない」と考えれば否定はできないと考える。
    その様な考えであっても、本書を読み進めるのはかなり辛い。筆者が言うとおりノンフィクション作家が扱って良い内容かという葛藤もわかる。あまりにリアルであまりに悲しく、そしてあまりに切ない。読書が追体験であればあるほど胸が苦しくなる。人目も憚らず涙が溢れて止まらない。
    なぜあの時、なぜ言わずに、なぜ救えなかった、この様な心の叫びがインタビューの描写と文章から滲み出てくる。また、それを抱えながらも強く生きようとする人々。失った大切な人と一緒にいるから救われている。それを否定できる人間などいないだろう。
    感受性の高い方は読む場所や時間は選んだほうが良い。また本書を読む事で強く生きる糧として欲しい。

  • 最初はタイトルに惹かれて、興味半分の購入でした。

    最初は怖いかなと思ったのですが、読んでいくうちに鳥肌が立ったり、相手に対する愛する思いみたいなので泣いたりとしました。
    私は、被災者ではないので、当時のこともニュースで見たぐらいで詳しくは知らなかったです。
    ただ、この本を読んでみると、体験したことないはずなのにその現場にいるような気持ちになる、みたいな、言葉で説明するのが難しいですが、そのような気持ちになっていました。

    また、本にも書かれていたように、この様な霊体体験をしたというのは、科学的には説明も再現もできないため、本人の気の所為や幻覚せん妄、偶然と言われてしまえばそれまでです。
    ただ、この本を読むと、世の中には科学では説明できないことはたくさんあり、私が知らないだけで多くの人がその様な体験をしていたことがあるのではと思いました。

  • 12年目の3.11が到来する。本書は知ってはいたものの、購入には躊躇していた。文庫化されたのを機に読了。前段の躊躇は思い過ごしだった。自分も、大好きな祖母が亡くなった時に、霊でも良いから会いたいと思った。それが、大震災のために近しい人を亡くした遺族には、もっと切実な願いなのだ。第1話は妻を失った話だが、涙しながら読んだ。それ以降は、覚悟を決めながら少しずつ読み進めた。すると、ここで語られる不思議な体験は、生き残った人々が生き続けるための切っ掛けになったという結果につながったことを嬉しく思う自分がいた。

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著者プロフィール

奥野 修司(おくの しゅうじ)
大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。
1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。
帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。
1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」は25年、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」は12年と、長期間取材を行った作品が多い。
2011年3月11日の東北太平洋沖地震の取材過程で、被災児童のメンタルケアの必要性を感じ取り、支援金を募って、児童達の学期休みに
沖縄のホームステイへ招くティーダキッズプロジェクトを推進している。
2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。

「2023年 『102歳の医師が教えてくれた満足な生と死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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