ぐるりのこと (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253381

感想・レビュー・書評

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  • おそらく再読。内容はそんなに覚えていなかったけれど、「どうしたらこんなにも深く、広く思考ができるのか」と驚嘆したことを、感覚として、よく覚えている。そして凝りもせず今回も梨木香歩さんの思考の深さにひれ伏したい気持ちになると同時に、私は日々何を考えてるんだ、私のバカバカ、と思ってしまう。いつも、今日の予定、仕事は何か急ぎがあったっけ、夕食は何にしよう、週末あれがあるから、スーパーで買い物しておかなきゃ・・・・そんなのばっかり。人間本来、自分本位なもの。だからこれでいい、ではない、ぐるりのこともきちんと見つめて自分で解釈して、間違っていたら軌道修正して、思考に落としていかないといけない、そういわれている気がした。

    「もっと深く、ひたひたと考えたい。生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい。味わいながら、考えの蔓を伸ばしてゆきたい。」

    例えばセブンシスターズで、切り立った崖の上と向こうの海との境界を認識し、残忍な争いに人が落ちていってしまう様を、内側と外側とで思考し、曖昧な境界があれば、と深く思考を沈ませていく。

    例えば、今では少なくなってしまった垣根について、ダルがゆえに多くのものを内包し、その存在を助けてあげていたことを知り、イスラームの女性が被るヘジャーブの内側と外側について思考を馳せる。

    なるほど、境界・・・か、と読む方も少しずつ思考を始める。そして思い浮かべる、垣根のような物理的な境界と、宗教、文化や政治などが絡んでくる複雑な心理的精神的な境界を。

    例えば、目的地やゴールに最短距離でたどり着くことを良しとする教育について考える。これは何についての思考から派生したものだったか。

    この人はこんなところからこんなにも思考を広げていくのか、と少し気後れするくらいにあちこちに思考が飛ぶ梨木さんの文章を読みながらも、気づいたら、梨木さんの思考の端っこにちゃっかり参加させてもらっている。私はそんなふうには考えられない、私にはどうもこうも表現できない、と思いつつも、自分なりに必死についていこうと思考をめぐらせる。

    日々流れてくる悲しい、辛い事件について、むしろ情報が足りないのではないかと思うロシアとウクライナの情勢について、「悲しい」「辛い」「悔しい」「行き場のない怒り」を胸に抱いては、それ以上疲弊してしまうことを恐れて、思考をストップしてしまいがちだったと自らを省みる。疲弊しきってしまっては元も子もなく、バランスも必要だけれど、思考を止めてはいけない、たとえそれが自分の影響の範囲の外であっても、思考することに無駄はない、と思った。

    読了後、本を閉じると、もう梨木さんのような深い思考はできない。日常に追われる。また、梨木香歩の思考に浸りたくなったら、この本を開こう。

  • 私達をぐるりと取り囲む異世界。
    ぐるりの内側へ籠りがちな私に、もっとぐるりの外側へ開いていけよ、と梨木さんから温かくも厳しい言葉をもらった。

    ぐるりの内側と外側は言語や風習、文化等といった差異があり、その違いに混乱し時に大小様々な争いも否めない。
    ぐるりの内側に籠り隠れることはとても楽ちん。
    けれどそこに安住していてはいけない。
    一歩一歩確実に自分の足で歩いていく。
    「自らの内側にしっかりと根を張ること。中心から境界へ。境界から中心へ。ぐるりから汲み上げた世界の分子を、中心でゆっくりと滋養に加工してゆく」

    梨木さんの常に五感を研ぎ澄ませじっくり丁寧に物事を見極める姿勢は相変わらず。
    以前読んだエッセイで紹介された、ウェスト夫人の言葉「理解はできないが受け容れる」にも通じることだと改めて思う。
    今回のエッセイを読んで、私にとって梨木さんは人生の道標的存在である、と改めて思い知る、とても大切な一冊となった。

  • いままでとは違った視点、物事の考え方を教えてもらった。
    これぞ読書の醍醐味。
    私も誰かやマスコミなんかに惑わされず、自分自身でぐるりのことを丁寧に深くじっくり考えていきたい。

    「もっと深く、ひたひたと考えたい。生きていて出会う、様々なことを、一つ一つ丁寧に味わいたい。味わいながら、考えの蔓を伸ばしてゆきたい。」

  • てっきり映画の原作だと思っていたら全く関係ないエッセイ集でした。

    目的を設定し、最小の労力でそれに辿り着く最短距離を考えるー(中略)何かをしたい、という情熱が育まれる以前に、「何かをするためのマニュアル」が与えられてしまう。

    ↑ここが一番ぐっときた。日本の教育について考察する場面なのだが、私は正にこの通りに育っていると思う。
    著者はこういった教育を批判し切り捨てるのではなく、一定の理解を示しつつもっとなんとかならないものかと憂いている。
    しかし、この短絡性を援助交際や恐喝などの犯罪に結びつけてしまったのは私には残念だった。
    もっと「情熱を育む」という部分に焦点を当てて欲しかった。

    著者はこれほど意識的に生活していくことに、疲れないのだろうか、と読んでいて心配になった。
    自分で深く深く考えていても結局世界が変わることは(多分)ないのに。
    何か行動を起こさないことに罪悪感を覚えたりしないのだろうか。
    そう思うと同時に、著者にとっては作品を書いて世に発表するということが、行動を起こすことなのだ、と思った。

  • ぐるりのこと −外の世界、境界− について書かれたエッセイです。
    そんなに易しくもなく、難しくもありません。

    ・「個人の生」と「時代の生」
    ・「個」と「群れ」
    ・生け垣と有刺鉄線

    対称的な言葉の組み合わせは色々出てきますが、
    記憶に残っているものはこの3組です。

    大台ヶ原に移住してきた春日山の鹿の話は分かりやすかったです。

    人と人とが関わり合う、文化と文化が触れ合うということを
    考えさせられる一冊。

  • まわりの世界と
    自分の境界
    そういうぐるっとしてことなど
    世界に対してどう開いていくか

  •  タチアオイの花は、下から上へ花をつけてゆき、最後まで咲ききると梅雨が終わるそうです。梨木香歩さん、昭34年、鹿児島生まれ、英国留学、カヤックを趣味に、北方へ帰る鳥たちに会う旅を続け、大型犬と暮らしてるそうです。「ぐるりのこと」、2007.7発行、8編のエッセイ集。自分のぐるりのことにもっと目を向けてほしい。ぐるりから世界に心を開いてほしいとの思いが、このタイトルになったとか。「境界」もこのエッセイのポイントのようです。日本はアジアの中で、かつて歴史になかったほど西洋に近づいた一国。モデルはどこにもない。

  • 言葉が分からないという関係のなかで、どうにかして相手を理解しようとすることが、コミュニケーションの大事な部分であると思う。
    相手の人生観、宗教的な背景、など知ろうとすること。
    通訳を通して得た言葉は、ただの言葉として分かりやすいけれども、本当に得るべきものは、相手を知ろうとする意識なのだと思う
    旅の途中、共通言語のない人との会話に四苦八苦したときのことを思い出した。

  • 梨木さんの文章や思考は循環的というか、むしろ連想的というか、思考の順番をそのままにしているので、ちょっと分かりにくいところもあるが、それでいてとても奥が深い。

  • 日々の生活の中で梨木さんの胸に去来する強い感情、そして歴史や政治、社会問題に関する深い教養に裏付けされた思索が、エッセイの形で書かれていた。受験勉強などを通じて、目的に対して最小の労力でそれに辿り着く最短距離ばかり追い求めてきた私にとって、このような、自分を芯に添えて、ぐるりのことと交流しながら深く思考するということはとても新鮮だった。受験勉強で習ったことも、ただの知識に留まらず、思索の幅を広げる道具に出来たらいいなと思った。純粋に考えることの楽しさを感じた物語だった。


    『共感する、というのは、大事なことだ。が、それはあくまで「自分」の域を出ない。自分の側に相手の体験を受け止められる経験の蓄積があり、なおかつそれが揺り動かされるだけの強い情動が生じなければ働かないのだ』

    『個人や集団の中で混沌としていたものを、クリアな対立関係に二分しようという性急さ。さあ、おまえはどっちなのだと日本は迫られ、個人も迫られ、その度に重ねていく選択が、知らず知らず世の中の加速度を増してしまう。クリアな境界に、ミソサザイの隠れる場所はないと言うのに。(有刺鉄線と生垣)』

    資本主義社会の教育に触れた一節で印象に残ったものがあった。
    『目的を設定し、その最短距離を考えるー受験対応型マニュアル教育が基本にある。何かをしたい、という情熱がはぐくまれるまえに、「何かをするためにマニュアル」が与えられてしまう。1番の弊害は、立ち止まって深く考え続ける思考の習慣が身につきにくくなることだ。資本主義的な営為のもとで、この短絡性は社会全体が切磋琢磨して育んできたものだ。』
    私が今感じている人生の虚しさ(笑)も、小さい頃から目標、最短距離、ゴールばかりを繰り返してきた結果として生まれたものなのかもしれない。
    『世界の豊かさとゆっくり歩きながら見える景色、それを味わいつつも、必要とあらば目的地までの最短距離を自分で浮かび上がらせることが出来る力が欲しいのだ。』まさにその通りである!人生を豊かなものにするために、自分で速度を調節出来る力が欲しいのだ。

    また、戦時中の日本の全体主義や国民主義などにも触れている。
    『「死をも恐れない美学」群れ全体の組織性にアイデンティティを見出しているほど、命はたやすく投げ出せる。』
    『長い長い間、東北アジアの大地に染み込んだ儒教精神で、いちばん人を安定させ得たファクターは、やはり、先祖から自分を経由して子孫にまで連綿と続いてゆく、その根っこの感覚、続いているという感覚だろう。しかし、その群れに人を健やかに安定させる力がけえ失せているとしたら、もう群れる必要はない。』
    『群れのなかにあるということは、人を優越させ、安定させ、時に麻薬のような万能感を生む。しかし、その甘やかな連帯は、快感への渇望が暴走すると、異分子を排除しようと痙攣を繰り返す異様に排他的な民族意識へと簡単に繋がる。』
    戦争を繰り返す人間の本質をよくついていると思う。私の心の奥にもまた、個人と群れが同居している。意識せぬまま自分を共同体の1部として捉えている「私」が、群れからのサインを受信したが最後、神話の時代さながらの激しさと高ぶりを持って、あっという間にひとつの生命体のような群れを、まるでありのようにひとつの目的に向かって突き進む。そんな気がしてたまらなく不気味な不安に襲われてくる。民族を生きるということは、そういう不気味さを生きるということでもあろう。気付かぬ間に、個がねじ伏せられていく。自分を保つとは、どういうことなのだろうか。個の生と時代の生を生きること。そのバランスはとても難しい。

    とにかく、色々な刺激を得た本だった。

著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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