- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101270036
感想・レビュー・書評
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20150602 何と無くムズムズする話。真剣に捉えれば誰もが体験することなのかも知れないが難しく考えるとこうなるのかも。考える人が減ってるような今日、この本の成果かためされると思う。
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「居眠り先生(伊集院静)」から興味を持って読んだ。歪な親子関係を軸に人生について考えさせる。主人公の状況が特殊すぎて理解しづらい部分もあるが、大筋では「読んで損なし」の印象だった。老いることについて考えさせられる。
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―私は弟を貴重なものに思いだした。
軍人だった厳しい父親と影の薄い母親。
薄暗い家に弟が生まれ、少し大きくなると、
どこにでも付いてくるようになった。
充足というものの欠如。
父親の影響だけではないだろう、生まれながらに持ってきた屈託。
弟は著者のそういう部分を見てきた。
どうにもならない部分に対して、ふっと笑い合い言葉を交わす。
兄弟ってこういうものなのか。
そういう相手がいるということに、破天荒な生き方の著者に対して、全く関係のない自分の胸が、ほうっと温まる。
弟の結婚式で、もの思う著者の言葉が突き刺さる。
「おい、お前、こんな程度の晴れがましさを本気で受け入れちゃ駄目だそ。
烈しい喜びを得るつもりで生まれてきたことに変わりはないんだぞ。
式次第で生きるなよ。コースは一応もうできたんだから、あとはどうやってはみだしていくかだ。
とにかく、淋しく生きるなよ・・」 -
「好き」と「嫌い」の二言では表せない血族のしがらみ。
とんでもない暴君が家族のなかにいて、毎日緊張、毎日疲労。
それでも、社会的にも個人的にも完全には離れられない悪循環。
これは、問題を「背負う」というより、
問題に「取り込まれてしまう」あるいは「引き寄せられてしまう」
そんな感じ。 -
今読み終えた本が私小説短編なのであるが、その“私”の一言ひとことが池松壮亮の声で再生された。ということで、色川武大「百」読了。
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家族にまつわる私小説集。
『連笑』
――殴れば泣いてしまう、そのくせどこまでも後をついてくる――弟と、私。
『ぼくの猿、ぼくの猫』
軍隊でも、社会でも、家庭でも、終始ちぐはぐな父親。
「ぼく」は、毎晩、猿や猫の幻をみる。
のちにわかる、ナルコレプシー(睡眠障害)の症状が如実にあらわているお話。
『百』
「哀れなもンだなァ――孫に何かをやるのに、百まで生きなけりゃならん」
父親が老いていく。
すぐ死ぬだろうと思っていた父親は死ぬことなく、ひたすらに老いていく。
『永日』
父親が40のころの初子だった「私」にとって、父親と死は深く結びついていた。
この人は、私が成長するどこかで死んでしまうだろう、死とぶつかって、どうやって得心するのだろうかという興味をずうっと持っていた。
ほかのどの面でも父を凌駕していないのに、体力だけが勝ってしまう。
全部で負けなければ。
私のような男は、そうでなければ人を愛せない、許せない。
誰しもが経験のある絶対的な「家族」の存在、存在感。
『連笑』では弟に焦点をあてていたが、それ以降の作品はすべて父親に重きをおいている。
父親の絶対感と、死んでしまうと達観してそっぽを向いて全部を母親と弟に託していたのだが、いざ迫りくる父の死に絶望している「私」。
家族だからこそ許される「勝手さ」と、それぞれの「主張」が、なんともリアルで、ぞっとした。 -
色川氏の家族を綴った私小説。
弟との関係を描いた「連笑」、
幻視との奇妙な付き合いが恐ろしい「ぼくの猿 ぼくの猫」、
老耄の父親に振り回される家族を描いた「百」それに続く「永日」。
自分の家族と照らし合わせて読まずにはいられなかった。
どんなに逃げて離れたくても、ついてくる家族という因縁。
子供のころに抱いた劣等。
それでもなお、死なないでほしいという執着。
この世に生を受けた以上、逃れることのできない宿命が家族なのだと思い知らされた。
色川氏の底が知れない優しさに包まれて、絶望の色が薄まるようだ。
この作品に出会えて本当によかったと思う。 -
難しくて読むのに時間がかかった。
父親に対する気持ちは共感できた。
父親を捨てたっていう表現が何度かあって切なくなったなー。
ただ、暗くて...
もっと時間が経てば違う捉え方ができるのかな。 -
この世にいることがどうにも辛い、そんな人の話。のっぴきならない自分自身のことを書いている。
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色川武大の私小説は、現実なのか作者の想像・妄想の類いなのかの境界線が曖昧な所が良い。
自分の現実とかけ離れていて、安心しながらとろとろ読んでいると、深い屈託の中に引き込まれていてなんとなく頑張れば出られるんだけど、出るのもなぁみたいな気分にさせられる。
それでまたとろとろと色川氏の世界に埋もれていってしまうわけです。