葬送 第二部(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (457ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101290355

作品紹介・あらすじ

千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。民衆の怒涛の奔流は、首相の解任、王の退位を実現し、共和国を生み出した。貴族達の惑乱と不安、活気づく民衆。ショパンは英国に移るが、過酷な演奏旅行を強いられ、体調は悪化する。一方ドラクロワは、ある画家の評伝の執筆にとりかかる。時代の巨大なうねりを描く第二部前編。

感想・レビュー・書評

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  • ここでは各登場人物の紹介をしたい
    個人的な目線なので偏っていることをご了承いただきたい


    ■ショパン
    リサイタルを好まず、小さなサロンでの演奏会や作曲活動、教育活動の方が好きな音楽家
    教え方は熱心だったようだ
    繊細、優美、(この辺りは想像通り)感情的にならず、醜い心もできるだけ表に出さずジェントルな姿を披露
    大きなリサイタルが嫌いなのも納得ができるほどの繊細ぶり(悪く言えば神経質)
    一方身に着けるものなど、結構な浪費家
    それほどお金があったわけでもない割に贅沢さを随所に感じる
    人に対しては誠実な印象
    とにかく愛された音楽家であることがよくわかる
    皆がショパンを助けようと一生懸命で必死だ
    ショパンが気を回さないよう気づかれないようショパンを援助する人たちがいかに多いことか
    皮肉なことにショパンの愛情は報われなかった
    そう、サンド夫人とその娘に対する愛情だ
    さらに悲しいことに彼女らには届かなかっただろうが、長年にわたり相当深かったであろうと感じる
    そしてショパンの才能をあらわした文章
    ~六週間もかかって何度も書き直した数小節が、まるで一分と掛けずに書き上げられたかのような自然さ
    苦しみ抜いた挙句に発した声が賛美歌のように明るく美しい~
    ショパンは感覚的でなく、緻密にロジックを以て芸術を突き詰めるタイプだったようだ

    ■ドラクロワ
    画家
    「民衆を導く自由の女神」が有名で個人的にも好きである
    かなり理屈っぽくこだわりがあり、自分の芸術に対する強い思想を感じる
    寂しがりやで「孤独だ!孤独だ!」と嘆いている割に、人に愚痴ったり、人に会いに行ったりして、気を晴らしたりもする
    他人とのコミュニケーションより、無意識に自分の芸術が最優先してしまう…というタイプ
    人と考えを分かち合いたいのに、なかなかわかってくれないと寂しく思っているあたり、自分の才能をわかっているんだかいないのかしら?
    家族に恵まれないタイプだが、彼の性格の災いもある気がする
    それでもフォルジェ男爵夫人という、なかなか好感もてる愛人とそれなりにうまくやっていく
    内省的に思考(長考)するタイプで彼の独演会があちこちに出てくる
    悲痛な心の悩みだろうが、凡人からすると贅沢な悩みに聞こえる(だからひがまれ敬遠されるんじゃないのかなぁ 天才ゆえの悲しさである)
    ただ、芸術に対するウンチクは面白いし、参考になることも多々あった
    (どんなに激しい気持ちを表現しようとしても、綺麗に演出することの大切さ…など為になった)

    ■サンド夫人
    ショパンの愛人
    小説家
    女手で子供たちを育て上げ、小説家として独立し、政治活動にも参加する精力的な女性
    勝手はイメージはショートカットでパンツにピンヒール(時代が違うけど…)
    そのせいか自分の考えに自信満々で人からの意見は受け入れられないタイプ
    当然プライドも高い
    ショパンのことも「年下で子供を育てたこともないくせに!」と心で思っているため、聞く耳を持たない
    娘に対しても同様、「これだけ愛情をかけてあげているのに、どうしてわからないのかしら?
    一体何が不満なのかしら?…」
    本気で理解できないし、しようとしない
    うーん、困った人だ

    ■ソランジュ
    サンド夫人の娘
    母親からの愛情が希薄だと思い込み、素直になれず、ひねくれたものの見方をしている
    だが母親の存在を常に感じ続け、完全に母親を断ち切れない
    また思い込みが激しく、世間に疎く幼稚
    ショパンは彼女の性格をわかっている上で、それでもとても大切にしている

    ■スターリング嬢
    ショパンが大大大好きなスコットランド貴族
    この方は非常に厄介だ
    決して悪い人物ではない
    彼女のショパンにたいする愛情は純真で、誠実で、一生懸命だ
    ただ気持ちが純粋過ぎるせいか、その気持ちにばかり夢中になり、ある意味ショパンを追い詰める羽目に
    ええ、ショパンのことを思っての行動なんですよね?
    わかるんだけど、そこまでするとショパンがほらますます追い詰められるでしょうに!
    最後は彼女の善意がショパンをがんじがらめに追い詰め、体調が悪化する…
    この人をみていると愛情というのはバランスが大切だと実感

    他にも、魅力的な人物や、いけすかないやつや、面白い人や、素敵な女性や…
    たくさんの個性的な登場人物に事欠かない上、彼らの心理描写も深く掘り下げられるのでドラマ性がある内容になっている

    次回はとうとう最終巻となる

  • 第3巻。

    重苦しい空気が漂い、物語の展開も陰鬱であった前二巻とは打って変わって、第二部は華々しいショパンの演奏会で幕を開ける。
    著者自身が曲を聴きこんで聴きこんで、徹底的な取材と分析を重ねて書いたのであろう「紙上演奏会」は圧巻の一言で、読者は鬼気迫るショパンの姿をハラハラしながら見守ることになる。ここまで感情移入させられてしまうのも前二冊によって形作られた「ショパン像」が読者の中にあるからで、これぞ長編小説の醍醐味だと思わされる。

    復活を果たした病弱な音楽家に贈られる惜しみない拍手と歓声は、そのまま革命のシュプレヒコールに変わる。この華々しさと喧騒と、時代の変化を憂うかのような厭世感が物語を支配しているのだが、きっと当時のパリもそんな雰囲気だったのだろう。

    全体を通してみて、第一部はドラクロワを視点に据えた描写が多かったのに対し、この巻ではショパンを中心として物語が進行している。
    そのためだろうか。もしかして全四巻から成るこの小説は、四楽章で構成された一つの楽曲であるのではないか、という印象を新たに抱いた。
    初楽章と第二楽章は短調で書かれていたのに対し、この巻は第三楽章にふさわしく長調で書かれ、前述のような華々しい第一主題と、勇ましく野心的な第二主題を持っている。

    はたして最終楽章はどの調で書かれ、どのような響きの主題を持っているのだろう。とても楽しみだ。

  • “病の牢獄”からどうやったら抜け出せるのかわからない。健康になるように工夫をしても、あまり効果は無い。
    ショパンは日に日にやつれていった。スターリング嬢が病の直接的な原因では無いだろうけど、嬢に気を遣って慣れないことをして病状悪化が加速したか。
    ブルジョワ側のサンド夫人が、なぜ突然共和主義革命を起こした民衆に共感して、引っ張って行こうとしたのか。
    仲の良かったヴィヨとドラクロワの友情にも陰が見え始めた。それ以外でも芸術の世界の派閥が、けっこう複雑に絡まっていて煩わしそう。

  • 読み終わるのに半月もかかってしまった・・・。

    3冊目に入り、益々内容が濃くなっていく。
    私とショパン、ドラクロワ達と共有する時間もどんどん増えて、あらゆる想像を巡らせながらページを捲っていった。

    あぁやっとここまで来たか・・・

    でももう、あと残り一冊しかないのか・・・

  • なんだか引き伸ばし感出てきたな〜

  • 「葬送 第二部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01
    458p ¥660 C0193 (2023.08.26読了)(2013.10.01購入)

    【目次】(なし)
    一~十一

    ☆関連図書(既読)
    「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10
    「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10
    「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05
    「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25
    「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25
    「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20
    「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01
    (アマゾンより)
    千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。民衆の怒涛の奔流は、首相の解任、王の退位を実現し、共和国を生み出した。貴族達の惑乱と不安、活気づく民衆。ショパンは英国に移るが、過酷な演奏旅行を強いられ、体調は悪化する。一方ドラクロワは、ある画家の評伝の執筆にとりかかる。時代の巨大なうねりを描く第二部前編。
    ショパン生誕200年のメモリアルイヤーを彩る、美と感動の長編小説

  • 今回もかなり盛りだくさんでした。
    ✔︎ショパンのピアノ論(リストとの比較)
    ✔︎ショパンの演奏会
     →表現が秀逸過ぎて音色が聞こえるようだった
    ✔︎人々のショパンの演奏会の感想(技術面に特化した)に対してのドラクロワの反発
     →分析よりも驚嘆が先に来るはずだというドラクロワの芸術論。「知識の増加が感性の摩耗を招くというのは、どうした不幸な現象だろう?」
    ✔︎フォルジェ男爵夫人の恋心と葛藤
     →会えない寂しさと、会うことによって生じる寂しさ
    ✔︎ドラクロワの天才としての葛藤、それをヴィヨに言えなくなってしまった気まずさ
    ✔︎ショパンの事故
     →死への恐怖よりもピアノが弾けなくなる恐怖の方が大きい
    ✔︎ドラクロワの花の模写
     →「個々の事物を意味の交わりに於て眺めるのではなく、その色の関係に於てのみ観ることに彼は強い安堵と心地好さとを感じた。」

  • 第二卷可以很明顯地讀到故事所漸漸展開的悲劇性。卷首先是鋼琴公司替蕭邦安排了大型演奏會,用文字描寫音樂本是至難之舉,作者相當細緻淋漓地描寫演奏會每一首曲子,一邊讀一邊聽曲子更有感受,作者的文采充分彰顯了蕭邦高貴、精緻而沉鬱的氣質。二月革命爆發,三位主角的生命也開始出現轉折。蕭邦在演奏會之後,依然處在與喬治桑分手的低潮中,這時他身邊的弟子史達林小姐認為自己苦守寒窯終於等到機會,建議他離開佈滿路障的紛亂巴黎,前往音樂家紛紛逃難的倫敦。蕭邦因為革命感到不安也為ソランジュ的小孩夭折陷入低潮,但也知道如果此時介入將會讓ソランジュ更難與母親喬治桑和解,便答應前往倫敦。

    德拉克羅瓦則是為了守護自己的作品,想起之前作品被革命所燒毀之痛,在二月革命之後立刻建議官方自己十八年前的自由女神那幅畫拿出來展,也順利在新政權中至少不至於被認定為反動的象徵,但是也被新進畫家誤解為退翻舊弊的象徵拱他出來成立新協會,然而他向來慎重不脫離官展也不認為古典派和浪漫派僅是順序的不同而已,他保身的行為也引起新進畫家認為此人沒有節操。而他一直想要的羅浮宮初代館長的職位居然被他的友人ヴィヨ拿到而且沒告訴他,也讓他感到沮喪,ヴィヨ妻子向他吐露丈夫領悟到自己才能侷限度,在天才身邊心也感到很疲倦,這是德拉克羅瓦這樣的天才無法理解的,也在這種屈折的心態下,知道自己混不出名堂,不如早點轉換跑道。然而德拉克羅瓦也向她吐露,自己被才能綁架,不由自主也無法選擇的宿命與孤獨感,比起被賜予這個才能,更多的是被創作之苦追著跑,這種強烈的窒息感,永遠無法得到心靈的安寧,總是被逼著去創作。兩人距離一口氣拉近,雖然和ヴィヨ之後還是一如往常地相處,但兩人都知道已經回不去了,ヴィヨ甚至對坊間流傳德拉克羅瓦就是無節操的塔列蘭公爵的私生子、在他出門期間給他戴綠帽這件事情漸漸感到越來越介意。

    喬治桑則是一開始在革命萌發時認為自己的左派理念和階級理念開始獲得實踐,意氣風發馬上跑來巴黎參一腳變成要人,乍似呼風喚雨,也急著把自己兒子弄成ノアン市長。但在選舉之後風向趨向盡速安定,因此喬治桑一轉變成落水狗,躲回ノアン,兒子也灰頭土臉地辭職。一直處在低潮的蕭邦,不能理解喬治桑為何對階級理念如此執著,這件事明明就與她的人生與生活方式無關,也不可能單純是因為家計很辛苦而偏向社會主義,然而蕭邦很羨慕至少在革命那瞬間她是綻放著生命力的光彩,相較之下自己悲慘地行將就木也沒有任何希望。然而等到喬治桑驟然失勢,他又對她的慘狀無法等閒視之。自己在倫敦發展地並不順利,一來英國不認為音樂家是藝術家他並沒有受到相應的尊重(在沙龍隨便就叫他彈幾首來看看),再來是由於拒絕當地樂壇重量級協會的邀約因此得罪人家。而史達林小姐和姐姐則是用善意鋪成通往地獄之路,很熱心地替他排東排西,讓他大量地移動表演並且參加很多陌生人的場合餐會,帶去四處介紹給親戚,也讓如玻璃般的蕭邦身體終於垮掉,然而蕭邦礙於史達林小姐的好意,也不想讓她丟臉,一直沒有明白表示拒絕的曖昧,也讓這個情況越發展越糟,史達林小姐認為蕭邦終於是她的也不准任何人介入,還無意否定蕭邦要和她結婚的流言,一再違反使用說明書(巴黎的友人都知道他的脾性和身體狀況,不讓他出遠門,也不會逼他彈琴,或者進入太多社交場合)的結果是蕭邦奔波勞形,身子終於崩潰,已經看到悲劇的結局。

    第二卷作者依然很仔細地描寫書中人物的心境,真的是相當思辨性的小說,也讓人不斷思考。德拉克羅瓦說到自己作品被燒掉之後那段時間也被剝奪、挖空的思考;說要寫グロ(GROS)小論文那一段,他說他終於了解,在新銳畫家中看到自己的影子,但是是被誤讀的影子,這也是背負應該守護的傳統的グロ感到驚恐的原因(就像所有小孩都開始學CURRY投三分球,但是CURRY從來沒有說投三分球就好,他也不是只有三分球)。德拉克羅瓦向友人妻子吐露自己的孤獨與宿命那段,也寫得相當出色,不過這兩個人似乎越走越近,フォルジェ男爵夫人有點可憐....。此外,描寫演奏會那一段可以寫到如此晶瑩剔透,如此純粹無垢,如此纖細的氣質,如此執拗的描寫,真的是一場閱讀的盛宴。每個人物心理絲絲入扣的感情幽微的轉折與外部動作的描寫,當然是這部作品的主軸,現在已經慢慢地看到在這些不經意的或有意的,每個人的情念、思惑、忌妒、防備、保身、自我檢視等等的感情微妙地交錯,鋪展出第四卷即將出現的悲劇,多麼細緻又大器的作品!不需要任何做作華麗或曲折離奇的故事,只需要描寫人心的渦卷,就一路把悲劇性鋪陳出來,這種誠實正直的態度相當有好感,不需要變魔術或弄什麼花招,用千百年來文學一貫描寫的主題就可以產生一部傑作。越讀越尊敬這位作者。

  • ショパンの演奏会が開催されることになり、多くの人びとの注目が集まるなかで彼の芸術観が反映された演奏を、著者が緻密な文章で描写しています。しかしその後、フランス革命の勃発によってパリの街は混乱の渦に飲み込まれ、ショパンはジェイン・スターリング嬢にみちびかれてイギリスへわたることになります。しかしそこでの生活は、彼の意に染むものではありませんでした。

    一方ドラクロワも、フランス革命の混乱のなかでみずからの作品を守る術を考えます。そんななか、親友で銅版画家のフレデリック・ヴィヨが、ルーブル美術館の絵画部門部長に就任したという報せを受け、さまざまな思いが彼の胸を駆けめぐります。ヴィヨの家を訪れたドラクロワは、ヴィヨの妻を相手に「天才」についての思索を語ります。

    カントの『判断力批判』における天才論などを参照しながら展開されるドラクロワの議論では、創造能力と判定能力を区別して、前者をさずかった者こそが天才であり、自然はそうした天才を通じて創造を実現するという主張が展開されています。その一方で著者は、ショパンの演奏会の魅力をことばを通して緻密にえがきだすという試みをおこなっています。本作は、19世紀に完成された「小説」のスタイルを模倣する試みだとされていますが、上のような一見矛盾するかのような試みは、「小説」の形式にのっとりつつも、そうした「形式」そのものを内側から問いなおす試みということができるでしょう。そうした意味で、本作はやはり現代小説であるというべきであるように感じました。

  • 210125*読了
    第二部上巻の特筆すべき点は、前半のショパンの演奏会につきます。ピアノを弾くシーンはいろんな小説で描かれていますが、その中でもこの小説のこのシーンにおける描写の美しさは群を抜いている。こんなに緻密に、こんなに美しく表現できる平野さんの文章力!まるで当時、その演奏会で席に座り、ショパンの奏でる音色に耳を澄まし、感動に胸をいっぱいにしているかのような、そんな気持ちになりました。
    その後、革命が起き、ショパンはイギリスへ赴き、ドラクロワはフランスで自分の立場を守るために画策するわけです。病弱なショパンがますます弱っていく様子は胸が痛い…。社交や演奏会、もうやめてあげて…と仲裁に入りたかった。ドラクロワについては、ヴィヨとの関係や絵を描くことに対する気の浮き沈み、気難しさと自分としては正しいと感じる行動など、癖が強いお人だなぁと感じました。笑
    どちらにも愛着があるからこそ、次巻で終わってしまうのが寂しい…。「葬送」という題名の意味するところがきっと分かるわけで、ドキドキと最終巻を手に取ります。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

平野啓一郎の作品

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