感想を書くのが難しい。
結局のところ☆5、☆1と評価する本は感情丸出しのレビューをする他はないのだけれど。僕の場合。
読書中はだいたい「ゲロ吐いちゃいたい」ぐらいに思っていた。
まるでセックス・浮気・離婚だけが人生の中心にあって、我々人類はそのまわりをぐるぐる回るしかないような書き方。人間ってもっと崇高なもんじゃないんスかね?と言いたくなる。
だからある時ポッと頭に浮かんだ「典型的な腐れおま○こ」という言葉がいつまでも頭を去らない。我ながらどうかしてると思う。
これはつまるところ、「シルバニアファミリーなんだな」と考えることにした。
そう考えるとすとんと納得がいく点がいくらもある。
まず人の名前を「リス」とか「クマ」としても何ら弊害がないという点。特に登場人物が4人以上になるとかえってこちらのほうが読みやすい。
五十過ぎて出世コースを外れる、煙草を買ってから愛人に会いにいく、妻がマンションを建てろとうるさい。……これらはテレビドラマの書割、大舞台のようなものだ。本物である必要はない。だって絵なんだから。けど「本物っぽさ」は要求される。だからありきたりであればあるほど効果的だ。これが「赤い屋根のおうち」。
これで準備が整った。読者はただくつろいで、いい歳こいた大人のままごと遊びをただ眺めていればいい。
文章が過不足ないというのは、それがシルバニアファミリーを「本物っぽく」見せるうえで過不足ないだけだ。
本当の人間を相手にしたらこうはいかない。脳卒中で倒れた男は、「頭のなかの地虫がじじ、じじ、」などでは済まないだろう。
汗が噴き出すだろうし小便ちびっちゃうかもしれないし、急に神様のことなんか考えだしちゃうかもしれない。
人間の汗…本当の臭い…が、この文章から漂ってくる必要はないのだ。だってシルバニアファミリーだから。
逆説的になってしまうけれど、でもだからこそこの作者は唯一無二なのだろうとも思う。何故なら、紙一重なんだ。あと半歩でも踏み出せばもはや「文章ですらない」ものになりかねない。「本物っぽい」というのは、実はすごく淡い境界なのだろうとも思う。
だからいくらこの人の文章を写生したって、絶対にこの人のようには書けないだろう。
そういう意味で、「ゲロ吐いちゃいたい」とは思いつつも、すこし離れて眺めてみると、「だからすごいのかな?」とも思う。
まあどちらにせよ手放しで感動できる本も、ゲロ吐いちゃいたい本も、どちらも同じくらい珍しいことは確かだ。