- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101294759
感想・レビュー・書評
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久しぶりに、家の本棚にあった本を読み、また、それが堀江敏幸さんということで、申し訳ないような、肩身の狭い思いであったのだが、読むと毎回、私にすごく合う心地よさを感じさせる、その素朴で味わい深い世界観が好きです。
主人公の「蕗子さん」が、亡くなった父の遺品を整理するために、父のアパートを訪れたことをきっかけに、これまで知らなかった父の面影を知っていくことで、彼女の中の過去の記憶が塗り替えられるだけではなく、そこになかった父の生き方を知ることで、彼女自身の行動指針を変えるきっかけにもなることには、親子の繋がりの存在の確かさと愛おしさを感じさせられるとともに、それが色々な人達との交流によって得られる、人情味の温かさも感じました。
そして、蕗子さんの場合、それが重苦しく描かれるのではなく(体調は悪そうだが)、不器用で真面目なのは父親譲りで、細かいところと抜けてるところがすごく平和に共存していると言っていた、友人の「レーミン」の言葉が正に彼女の個性を言い当てており、本人は悲壮感を漂わせているつもりでも、時折、ノスタルジックで素敵な語彙に、思いを馳せつつ、明るくマイペースな雰囲気で描かれるのです。
また、本書だけではないが、堀江さんの作品に登場する人物たちは、皆、地味で譲れぬものを持ちながらも個性的で、嘘臭くない人格者ばかりで、特に本書は、元大工の「宗方さん」の、明らかに相手が悪いであろう一方的な言い掛かりに対して、自分が侮辱されたことよりも、むっときた自分の度量のなさに滅入ったという話に、私の人となりを恥じたのだが、解説の東直子さんの「もういい年だというのに、あわてたり、落ちこんだり、うろたえたり、いらいらしたりしてしまうことがあるのだけれど」の文章に、今度は勇気づけられて、つくづく自分って都合のいい人間だと実感いたしました。
また、東さんの、「堀江さんの文章を読むと、とても落ち着く」にも、同様の共感を覚え、勇気づけられたことも確かです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まるでファミリーヒストリー見てる気分で
心の涙腺が緩々。
決して派手さは無い
一市民の家族をたどる話ながら
蕗子さんの凛と品格ある人柄にも惹かれてしまった。丁寧に生きてたい、そう思った。
堀江氏はやはり私の精神安定に寄与してくれる、大事な作家さん。 -
およそベストセラーになどなりそうもないタイトル。そもそも「めぐらし屋」というのが、例えば八百屋、あるいは魚屋などといったように、そのものの属性を現しているのか、それとも屋号なのかも読んでみるまではわからない。本書はおそらく、堀江敏幸の小説を読みたいと思って手にする読者だけを想定しているのだろう。関心のない人は読んでもらわなくていいのだという「いさぎよさ」に立脚しているのだ。しばしの間、蕗子さんとともに、たゆたうような、それでいて確かな実在感のある物語の世界に時を過ごすのは、まさしく小説を読む楽しみなのだ。
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堀江先生の作品は思考の「とりとめのなさ」が特徴にあると思う。今作は「めぐらし屋」というタイトルだが、主人公の蕗子さん自身は血の巡りが悪い。それが原因の体調不良を起こす事もしばしば。
蕗子さんは血液を全身に循環させる為、ゆっくりと呼吸する。ストーリーも同じように、じわじわと細い毛細血管の先まで血が巡り身体が色付いて動き出すように。ゆっくりと物語が動いていく。
登場人物達の会話や思考は回りくどいようにも思うけれど「めぐらし屋」自体よりも、一つ一つの風景に立ち止まり、思考を巡らせる人々の姿が今作のメインである
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購入したのは数年前で、当時すぐに読み始めたものの一度挫折し、今回初読了。
挫折した理由は恐らく、描写のピントが遠景から急に接写ズームになるような、文章の独特のテンポ感に私自身が対応できなかったからだと思う。
時間をおいて(そして少なからず年齢を重ねて)再度読み進め、今度こそ本作の淡く穏やかな世界に無理なく身を浸すことができたことが個人的に嬉しく、新たな読書体験となった。 -
父の遺品のノートに書かれた「めぐらし屋」という文字。全く聞き覚えのないその仕事の依頼を何の気なしに受けてしまった娘の蕗子さん("さん"付けが肝要)は、疎遠だった父の足跡を辿ることになる―。地方都市に暮らす市井の人々の日常には目玉となる事件も大きな山場も存在しないが、些細な偶然の巡り合わせは彼女の記憶の扉を開き、淡くぼやけた想い出は輪郭を帯びていく。作中に流れる穏やかで優しい空気、立体的で色味のある描写の数々が魅力的で、読み終えるのが名残惜しかった。波長が合う小説に巡り逢える喜びは何物にも代えがたいですね。
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蕗子さん と地の文でも表現されるように、蕗子さんのぼんやりしているけれど暖かい人柄。出会う人達の丁寧な姿勢が終始本全体を包んでいた作品だった。
“巻末の さまざまな形のつながりが、人生に蓄積されていく。人と関わることは面白いのだと、素直に感じられる一冊である”という東直子さんの解説がとてもしっくりくる一冊でした。 -
読んでいる間中、ぽかぽかと温かい気持ちになれました。
ヒロインの蕗子さんは、長く疎遠だった父が亡くなり、父の居宅で遺品整理をします。
その中に、大学ノートがありました。
大学ノートには「めぐらし屋」と書かれていました。
果たして、めぐらし屋とは何か。
そこへ、めぐらし屋を依頼する客から依頼の電話が来ます。
ここから物語が動き始めます。
読者はヒロインと共に、ヒロインの父の足跡を概ね逆方向にたどることになります。
他者からもたらされる情報、それから蕗子さんの回想があいまって、徐々に父の輪郭がはっきりとしてきて、やがて実際の人物像が立ち上がって来ます。
その筆致は常に柔らかく、温かみがあります。
蕗子さんの性格も、おっとりとしていて、どこか間の抜けたところがあり、親近感を覚えます。
終始温かい気持ちで読み終えたのは、この蕗子さんの人物造形によるところが大きいでしょう。
ところで、ぼくはおかげ様で両親とも健在ですが、父は数年前に認知症になりました。
今となっては思い出話をすることもかないません。
本書を読みながら、父とは一体、どんな人だったんだろう、何に悩み、何に喜びを感じて生きて来たんだろうと何度も考えました。
読者を、そんなふうに誰かを思うように導くのは、本書が良書である証左でしょう。
最も身近な存在である家族でも、分からないことはたくさんあります(むしろ家族だからこそ、分からないのかもしれません)。
少なくとも、100%分かるなんてことは、あり得ません。
蕗子さんが、こんなふうに回想する場面があります。
「わからないことは、わからないままにしておくのがいちばんいいと、娘に教えてくれたのは父だった。いまは、それが正しいのかどうかも、わからなくなっている」
めぐらし屋とは何なのか、蕗子さんは突き止めます。
でも、父という存在を100%理解できたわけではないでしょう。
そこが悲しい。
悲しいけれど、この宿命ともいえる悲しみは、恐らく自分と他者との結びつきを強める何かです。
ぽかぽかと温かい気持ちで読めたのは、逆説的ですが、この人生の悲しみがあればこそなのだと思いました。 -
蕗子さんの亡くなった父の遺品の中からでてきたのは“めぐらし屋”と書かれたノート。
蕗子さんが父を思い出すとき、それは自然と自分の日々の何気ないことを想起すること。
そうやって物語は綴られる。
日々の何気ないことの積み重ねで。
堀江さんのお話はそういう物語。
ただただ優しく愛おしい。 -
自分の親が、どう生きてきたか。知っているつもりでいて、案外、知らないものだ。死んだあと、関わりがあった人たちから聞く自分の知らない父親のこと。それはとても不思議で心が動かされる。体調のあまりよくない蕗子さんの心のさざ波が文章から、しみじみと、ときには、ほろりと、伝わってきた。