- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101340517
作品紹介・あらすじ
小さな虫の動きも逃さず捉えて感動できる「虫眼の人」養老孟司と、日本を代表する「アニメ(眼)の人」宮崎駿が、宮崎作品を通して自然と人間のことを考え、若者や子供への思いを語る。自分を好きになろう、人間を好きになろう、自然と生きるものすべてを好きになろうという前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く。カラーイラスト多数掲載。
感想・レビュー・書評
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この二人の対談はオモシロい!
こういう考えもあるのかと感じて生きやすくなる!
イラスト集だけでも読む価値あり!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2人とも賢すぎてよくわからない部分もあったが、全体的に言いたいことはつかめたかな??子どもは外で遊ぶのが一番だということはわかった。
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なんか人生悟ってる人生の先輩の本を読みたいなという気持ちで、随分前から積読していたこの本を手にとった。宮崎駿と養老孟司の対談本。
読んで思ったのは「あれ、これ、10年以上前の本だよね…?なんなら対談してるの20年以上前だよね?」ということ。今もし同じ話をしてもらったらもっとひどい感じかもしれないけど、それでも「今の話してます?」というくらい、ウン十年前から日本ってこういう感じだったんだなあと思った。この頃彼らが話題にしている「こどもたち」に私は間違いなく含まれていて、「もののけ姫」とか「千と千尋の神隠し」とか私たちのために作ってたんだなあ、はやお…と思うとちょっと胸アツだった。
こどもの私は、もちろん言語化なんかできなかったけど、それでも宮崎駿からのメッセージは受け取っていたと思う。千と千尋を映画館で観て、うわぁ…!って思った気持ちは今でもちょっと取り出して思い出すことができるように思う。キラキラしていた最後の千尋をすごく覚えてる。
もう一度みたくなったな。そして今更もう、いいオトナになってしまってはいるけど、今からでも「自分なりの見方でもって目の前のことに対処できる、普通の人」に自分を育てていくことはできるのかしら?と期待を持って本を閉じた。 -
養老孟司さんと宮崎駿監督の対談本。
何かこう、ものすごいことが語られていて興奮しちゃうって本ではありません。
戦前に生まれ、戦後の日本社会の変化を体感してきた二人の老人(この本が出されたころはまだお若いですけれども)が、軒下に出された縁台の上で団扇片手に世間話しているのを、横で黙って聞いているような感覚。
つまりなんだか「懐かしい」のです(懐かしさは本書で語られるテーマの一つです)。
誰しも経験ありませんか?
あるいは本当に経験したかどうかは怪しいけれど原風景として刻まれていませんか?
大人たちの話を訳も分からないままにぼんやりと聞いていた記憶。
何を話しているのかはよく分からないのだけれど、なぜだか安心感だけはあって、ずっと聞き続けていられる、そんな風景。
そういう感覚で僕はこの本を読んでいました。
こんなおじいちゃんたちが娘の側にいてほしい。
親戚付き合いするのは少し面倒臭そうな気がしないでもないですけれど(笑) -
人生の大先輩な二人であり、その一人はクリエイターとして雲の上にいる存在。そんな二人の対談が面白くないわけがない。最初から最後まで好奇心を刺激される内容だった。
これから先の人生、こういう素敵な本を一冊、また一冊と本棚に並べていく喜びを味わいたいものです。 -
対談が好き。好きな人同士ならもっと好き。
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なんか変な題名だと思いましたが、解剖学者養老孟司と、アニメーション作家宮崎駿の3度にわたる対談集で、それぞれの持つ目を表現した意味になっています。
自然との共存、未来ある子どもたちについて、お互いがそれぞれの目線から必要性を解き、現在への警鐘を鳴らしています。
「トトロ」を何十回も観るのは危険だという宮崎氏。
外で遊んでいないで、TVを観ているだけなのは、実際の経験値が上がらないからだとのこと。
ビデオの箱に「見るのは年1回にして」と書きたいとまで言っていました。
ハッとしました。確かに、アニメで夢を膨らませるのは必要ですが、やはり実際に外に飛び出していかないと、豊かな感性の子供には育たないのでしょうね。
養老氏の話では、蝶は好きな場所を飛んでいるわけではなくて「蝶道」と呼ばれるルートにそってひらひら飛んでいる、という話が印象的でした。
以前、家を増築したら、それだけで蝶の飛ぶ場所が変わったそうです。
つまり、蝶は周囲の環境を把握しているとのこと。すごい能力ですね。
ほかに、筑波の学園都市に、19cのイギリスの田園風景を再現していこうという計画が持ち上がったそうですが、そもそも19cのイギリスの田園風景は、山形県の農村を手本にしたものなんだそうです。
つまり100年たって、ぐるっと回ったとのこと。おもしろいですね。
薄い本ですが、学ぶところの多い、いろいろと考えさせられる一冊です。 -
宮崎駿監督のトトロを見るのは年に1回位にしてほしいと言う発言にはズシっとくるものがあった。本当にその通りだと思う。
トトロを1回くらい見たら、どんぐりを拾いに行こうと言う気持ちにもなるけど100回見るような子はどんぐりを拾いに行くような子にはならない、らしい。
大人には見つけられないものが子どもには簡単に見つけられる、虫眼など
大人がいとも簡単に子どもたちの可能性をつぶしてしまっているんだろうなと感じました。
今の子ども達は、遊びから何から何まで商業主義の波にのまれてしまっているので
そこから避けるのはものすごく大変なことだと思いますが、出来る限りそうしていきたいと思った。 -
「おれはおれだ」で最後まで同じでいると思ってる人がとても多い。だから、たまには考えたほうがいい。一体おれはどこだって。
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偉人達の考え方が、体に染み入るように読める本。
2人の会話は不思議。
でも言いたいことは分かる。
リアリズムなのに夢がある、というのはこういうことなのだろうか。
印象に残ったのは、子どもの本質は悲劇性であると、宮崎駿が述べている事。
生まれているときは限りのない可能性があるのに、その可能性はだんだんと失われる。
大人になった今、子どもに接する時、自然と可能性をつぶしている可能性がある。そのことは意識しなければいけない。自分自身も可能性に満ちた生き方ができるようにしたいと思った。 -
高校生のときに、書店でこの本を発見し、敬愛する宮崎駿、養老孟司が対談をしていたことに、新種の昆虫を発見したかの如き衝撃を受けた。
神と神の対話。
どうか長生きしてください。 -
この本を読む途中で、かこさとしさんと養老孟司さんの対談を読んでいて、比較すると宮崎駿さんと養老孟司さんの組み合わせの方が感性が近いような気がした。かこさとしさんと養老孟司さんとの文章は考えの差がしっかり言語化されており読者には整理されて読みやすかったが、感性が近い人というのは第三者が読むとちょっとわからなくなることがある。そんな感覚をこの本を読みながら覚えた。つまり、高い感性を持った人同士の話は一般人がおいそれと入り込むことはできないなと。。
でも面白いなと思うエッセンスはもちろんたくさんちりばめられていて、ページをめくるごとに考えさせられた。私たち人間は昔から実は何も変わっていなくて、昔からもしかしたら自然をぞんざいに扱っていたのかもしらない。今はそれがたかが外れたレベルってなだけで。
トトロやポニョ、ハウルの動く城あたりはほんと何度みたかわからなくてジブリは我が家の生活の一部になりつつあるんだけど、繰り返し観てても一回の自然体験に勝ることはなくて、デジタルに浸かってる子どもをどうやって自然界に連れ戻すかは我が家のここ半年のテーマでもあり、本当に興味深く本を読んだ。 -
解剖学者とアニメ監督の対談をまとめたもの。1/5ぐらいは宮崎監督が描いた理想の町の絵。これだけでも少し得をした気分になった。
全体的には取りとめのない内容で、子供の教育をどうすべきかとか、最近は自然をおろそかにしているとか。もののけ姫や千と千尋の神隠しが出た辺りの本なので、あのシーンはこういう意図で作った等の話題もある。
お二人とも事を実行してきた方のためなのかは分からないが、この対談をしたところで何も変わらないだろうと思いながら対話してたんじゃないかと、そう感じた。 -
とても良かった。
養老孟司の解剖学から一歩進んだ考察というのが宮崎駿との対談の中からポロポロこぼれ落ちてくるところが、とても自然な感じで良かった。
すべてのものは自然と人の中にあるのだなぁと、三浦梅園のことを思い出したりしつつ考えて読んでいた。 -
同年代のこのお二方の対談集、実に興味深く読めました。
共通しているのは現代の世の中や子育て環境への憂慮。何かが違う、何かが変だ、と感じる感性が失われつつあることへの警鐘。
しかしけして深刻ではなく、むしろ淡々と飄々と語られている。
読めば、感じるものの多い本だと思いました。
それぞれによる後書きがなんとも良いです。 -
2017.2.23 読了
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20170213読了
2008年発行。虫好きな養老さんとアニメ作りの宮崎さん、3回にわたる対談を収めたもの。●表紙に続き巻頭20ページほどにわたって宮崎さんが理想とする街のイラストを掲載。生活が変わって街や家を変えるならこんな感じならのびのび暮らせそう、というイメージ。●P159 千と千尋、電車のシーンについて。暴れるカオナシをハクと千が鎮めて大団円だったら、たしかにただのエンターテイメントになりそう。電車に乗るシーンがあってこその奥行き。 -
本を読むとは、他人の視界を通して物事を観ることだ。
昔から言われてることなのかもしれないけど、初めて自分の中で言語化できた気がする。
地球の裏側に住んでる人の視界を通したり、存在しない空想の世界の住人の視界を通したりすることができるという意味でもあるし、同じ景色を観ていても、他人の視界を通したら違うものに観える、という意味でもある。
「虫眼とアニ眼」というタイトルはまさにそれ。
二人とも面白い視界を持ってるなと思いました。 -
どうにも賛成はできないんですね。少なくとも宮崎監督が自覚している通り、人間は移り変わるものだし、世界だって移り変わっていくもので、私には、これはある種の不適応なのではないか、と思えてしまったといいますか。
自然の中で人々は生きているし、同時に、人の営みの中でも人は生きていて、自然といったって宮崎監督ご自身がおっしゃるとおり、完全な自然の中にいて平気な人間などいない。人間のいう自然というのはせいぜいその程度の自然でしかないことはよく解っておられる方々だと思います。そんな中にあって、スペインですらシエスタの習慣を失いつつある中、日本だけこの方向に舵を切れるわけもないし、仮に舵を切ったところで、それはそれで別の懐古趣味が蔓延ってくると思うのですよね。あらゆるハイテク技術に囲まれた社会へのノスタルジーが生まれてくるのではないか。
SF作品もハイテク社会に警鐘を鳴らしますし、一方の宮崎アニメもそういうところがあるわけですが、そういう社会への恐怖を「過去へ戻れ、田舎へ帰れ」という方向で打ち消そうとするのは何にもならないのではないか、と思えてしまうのです。もう帰れない場所へ帰れといったって帰れないし、それを再現しようとしたって、まったく同じものは再現できないし、やっぱり共存を前提にしていくしかできないし、何のために共存していくのかと言われて、たとえば人間性の回復だのなんだの言われて、それに素直に頷けるだろうか、と思えてしまうのです。人間性は環境によって与えられるものだったか、と思いますし、言葉にできないけれども確かにそういうものがある、というのは、私にはどうしても逃げに思える。言葉にできないのは語彙力だの文章力だのの問題であって、その壁によって言葉にできていないだけで、何かの観測技法を使えば観測できてしまうかもしれない。観測できて初めて、実は同じだと思われていたAさんの考える人間性とBさんの考える人間性とは異なっていることが判明して、人間性の定義を再考する必要がでてきたぞ、となるのかもしれないし、私にはそれが間違っているとは思えない。神秘的なものを残しておきたい、情緒を残しておきたい気持ちはわかる、けれども、そういう気持ちの有無とは別に、明らかにしうるものもあって、そこに夢を見る見ないは各人の自由だろう、と私は思ってしまうのですね。ご両人から見ればつまらない人間でしょうが、私はやっぱり、ノスタルジーはノスタルジーでしかないと思ってしまう。適応の問題だと思ってしまう。懐古しつつ共存するしかないじゃない、などというのは、最適解ではない気がするのですよね。
あとね、これは余談ですが、宮崎監督の表紙や幼稚園の構想図なんかは宮崎テイスト全開で、まあこの監督ならさもありなん、と思いながら眺めるのですが、文庫の裏表紙に書かれた本の中身の要約が荒っぽい。「前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く」て。誰ですかこれ書いた人は。まとめるのに困ってとりあえず万能ワードを万能雰囲気の中にぶちこんでおきました系の要約じゃないですか! もっと! 読み応えのある要約を! 読みたかった! -
16/5/2読了