アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101357218

感想・レビュー・書評

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  • 朝ドラの原案本。赤毛のアンを読まずに育った僕が言うのもなんだが、今この時代に村岡花子の生涯がドラマ化されることに、とても大きな意味があるような気がした。

     まずは、翻訳というものの価値。グローバル化が進み国際交流が進むと、より大事になってくるのが翻訳だと思う。日常会話レベルのコミュニケーション能力をより早期から教育することを要請される時代こそ、もっといろんな国の文章が翻訳されて欲しいと思う。勤勉に学び、翻訳を通じて児童文学の発展に貢献をしたということにまずは敬意を表し、改めて自分も児童文学を学び直したいと思った。

     そして大正デモクラシー、関東大震災、第二次世界大戦という大きな物語を生き抜いた一人の女性の人生として読んでみても、凄い。まだ参政権すら与えられていなかった時代の農民の娘が、独学で英語を習得し、自分の信念に基づいて生き抜いたという「自立心」。

     庭にこども図書館を作ったという花子。子供たちに「良質な物語」を送り続けることは時代を超えて大きなテーマだと思う。アニメの世界には、今まさにそのような豊かさがあると思う。活字の世界はどうだろうか?「わくわくすること」をきちんと生み出していけるか、が問われる。「花子とアン」の世界観は、大人にそれを気付かせてくれるものだと思う。

  • 同僚に借りた本。
    赤毛のアンの映画は学生時代 録画して何度も観た洋画のひとつ。
    戦時中に文学誌においてこぞって軍国主義を主張していたのにはこんな背景があったとは驚き。 そして今 当たり前にある女性の地位や参政権など、 この時代の女性や海外の人々の協力と努力あってこそのことであると改めて理解し、感謝。 またその逞しさと頼もしさに憧れと尊敬。
     NHKの朝ドラも多少見ていたけれど伝えようとしていたこのの少しも理解できていなかったことに我ながら情けなく 反省。
     今ある いろいろな意味での自由は先人たちの努力と感謝しつつ 有意義に過ごさなくてはと改めて奮起。
     次回赤毛のアンの映画を観る時は カナダの島に思いを馳せる 花子たちの時代に生きた人たちのことも思いながら観ることになるだろう。 より一層楽しく観れるのではないだろうか。

  • 「赤毛のアン」は、いかにしてうまれたか。
    時代へ必死で抗う女性の力、偉大なり。

    連ドラつながりですが、村岡花子さんも広岡浅子さんとの交流があったとのこと。あささん、本当にバイタリティに溢れた女性だったんだな。

  • たくさんの子どもたちへ、物語は続いていく。

    ようやく読んだ。村岡花子の生涯だけでなく、その時代の雰囲気や女性の姿もわかる一冊。女子高校生におすすめしたい。英語の力(そしてもちろん国語の力)や、我が子だけでなく日本の子どもみんな(もちろん世界の子どもたちにも)のためなど、時代が変わっても変わらない「働く」「生きる」ことの教えがある。

    『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』が作者にとって、どれほど生きる力の源になったか。そのような本に出逢えることは幸せだと思う。

  • 翻訳家・村岡花子さんの評伝。NHK朝ドラにすっかりはまり手にした本書では村岡花子さんの生涯を孫にあたる恵理さんが順を追って丁寧に描く。

    ノンフィクションだからこそ知れる村岡花子さん像は、まっすぐ芯の通った落ち着きのある姿。混沌と大きな変遷を辿った時代に立ち上がる女性たちの一人として時代を担った彼女は、当時では一握りしかいなかった教育を受け、多くの出会いのなかでご主人の支えや多くの女性たちとの交流を通して活躍の場を広げていった。仕事と家庭を両立させ、たくましく時代を生きた村岡花子さんを前に背筋が伸びる。

    戦火のなかでも『赤毛のアン』を世に出すため命からがら翻訳に勤しんでいたという事実には脱帽。現代でも尚多くの人に愛されている名著となっていることを、ぜひご本人に知ってほしいと願うばかり。

  • 夢中になってみている「花子とアン」の原作。
    村岡花子という名前は知っていても、その人のことは知らずにいた。また、大好きな「赤毛のアン」が日本で紹介されるまでのエピソードも知らずにいた。
    今、彼女の生涯を知り、「赤毛のアン」が紹介されるまでの道のりを理解すると、また違った形で「赤毛のアン」を読むことができそうだ。村岡花子の生涯を追うことは日本の明治から戦後にかけての歴史や女性の歩みを知ることにもなった。たくさんの知的でバイタリティあふれる素敵な女性たちが、村岡花子に刺激を与え、今日の女性の活躍の場を作ったのだと思うと感慨深い。
    ただの夢見がちなお嬢様が作った本ではなく、夢を持った1人の自立した女性が赤毛のアンを日本に紹介したのだと思うと、その翻訳に多くの人が熱狂したことが頷ける。明日からの朝ドラがさらに楽しみになるとともに、とにかく目の前にあることを頑張ろうと思えた。

  • #花子とアン 
    関連モノには乗せられまい・・と普段は敬遠するのだが、急遽、ちょっと遠出をしなければならないときに、旅のお供に持参しようと思ったのがこの本だった。読まねばならないモノもあったけど、お供にはあまり(内容的に)重くないものがふさわしい。かといって、ぱっと思い浮かんだ話題の小説は湊かなえさんのもので、別の意味で重い。全てにおいて今回ちょうどいいように思ったのがこの一冊だったというわけだ。
    道中読んだきり、忙しさにかまけて読めていなかったのを、ドラマの方もそろそろ佳境に入ってきたということで、この日曜の午後、一気に読み進めることとなった。
    ツイッターでは最近やや批判も多いこのドラマ。この本の筆者の村岡恵理さんも、この本で描かれている花子の生涯とはますますかけ離れてきていて、戸惑っているらしい・・とのうわさも聞こえているのだけど、まあ・・そうだろうな・・・・・(~_~;)
    たまたま今再放送している「カーネーション」も実在の人物がモデルで、しかもかなりの脚色を加えているけど、あれは未だにかなり評判がいい。同じ時間帯に続けて放送されているのが却ってアダになってるかもしれないと思うほど・・。
    「赤毛のアン」のエピソードを盛り込んだり、特徴的な脇役を登場させたり、ドラマとしての見どころはそれなりに押さえているとは思うんだけど、元々の素材が持つ面白さを伝えてなくて、この本を読んだ人には特に物足りなさを感じさせているらしい。
    「赤毛のアン」では後に夫となる幼馴染ギルバートを髣髴とさせる朝市とは結ばれないのも、視聴者に混乱を来たしている一因かもしれない。もちろん、そんな人はこの本の中には登場しない。
    ドラマにも登場する英英辞書は、実際に夫となる人に贈られたものらしいが、いくら思いを絶つためとはいえ雨の中、窓から捨てようとするなんて・・というのも、視聴者のお怒りの種になっている。もちろん、そんなことは実際の花子はしない。
    子ども時代からはなが「花子」にこだわったのも、アンがAnnではなくAnneにこだわったことに由来するのだけど、昔の女性は子がついたりつかなかったり結構あいまいで、ドラマほどのこだわりは実際の花子にはなかったようだし・・。
    この本の中に感じる、女性にとってある意味不遇の時代に、それでも何かを目指そうとしてきた「気概」のようなものが、どうやらドラマでは今すっぽり抜けている印象があり、そこに物足りなさを感じるのかなあ・・というのが、この本を読んで感じたドラマの感想でもある。

    たまたま今日、自国カンボジアで地雷撤去の仕事をしている若い女性の話を聞く機会があったのだけど、かの国での女性の地位というのは、おそらく昔の日本がたどってきた道と同じもの。教育を受けることさえないがしろにされ、それが故にますます女性の権利が低いままというスパイラルに陥っているらしい。
    帰ってきてからこの「アンのゆりかご」の続きを読み進めたのだけど、あの女性はいわばかつての日本の市川房江であり、また村岡花子なのではないだろうか?
    彼女は「女に学問なんて。(嫁に行くべき)」と村人に陰口をたたかれながら、町の大学へ進学した。学費を支えたのは長兄だったという。子どもの頃、近所で立て続けに起きた対戦車地雷の事故で隣人が幾人も亡くなったことから、進学後、地雷除去にかかわる仕事に携わるようになる。現在、そこで得られた収入を実際に地元と実家に還元しながら、女性の地位向上と農村部の生活水準の向上のため、教育の大切さを訴え続けている。
    これからの夢や展望は・・と聞かれて答えた20代の彼女の口から、日本の同年代の女の子が語るような甘い個人的な夢が語られることはなかった。

    花子は声高に何かを訴え、人々の先頭に立ち先導するようなことはしないが、きっちりと自分に与えられた仕事をすることで、多くのものを日本人とりわけ少女たちにもたらした。その最たるものが「赤毛のアン」だったのかもしれない。

    かのカンボジアの少女たちがこんな物語を読める時代になったとき、あの国に本当の平和と安寧が訪れるような気がしている・・。

  • 生き方に矛盾を持ちながらも
    自己を信じて生き生きと
    そんな花子だったからこそ
    アンを大事にして 世に送り出してあげれたんでしょうね

  • 連続テレビ小説「花子とアン」の原作。ドラマで出て来たエピソードもあって読みやすかった。

  • カナダ人小説家モンゴメリによる「赤毛のアン」の翻訳者、村岡花子の生涯を描いた本である。以前から読みたいと思っていた。
    時代は大正から戦後までである。花子はクリスチャンの父親の意向で、カナダ人女性宣教師たちが運営する東洋英和女学院に入学し、8年間の寄宿生活を送る。そこで学んだ英語とカナダの文化の知識を活かし、現地に行かなくてもみずみずしい和訳をすることができた。
    翻訳がメインの仕事ではあったが、彼女は福祉活動や教育にも力を入れていく。生涯翻訳をし続けながらも、華やかな友人たち(市川房江や宇野千代など)とともに、様々な分野で活躍し、大人も子どもも楽しめる本の出版に貢献し、働く女性たちの礎になった。
    孫による著作で、自分の身内を褒め称える内容なら白けてしまうが、きちんと第三者の視点で線引きして書かれている。正直なところ、この本が出るまで村岡花子という人のことを知らなかったが、村岡氏の活躍は素晴らしいと思った。家族を大切にし、関東大震災や戦争も潜り抜け、宣教師からもらった本を世に送り出すという意志を徹した。赤毛のアンをいつかもう一度読んでみようと思う。

著者プロフィール

1967年東京都生まれ。1991年より姉の美枝とともに、祖母・村岡花子の資料をまとめ「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として保存している。著作に、「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」など。

「2014年 『赤毛のアン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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