- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101379098
感想・レビュー・書評
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白州正子さんが若い時に好きだった百人一首について書いたもの。
百人一首について改めて知ったことがいくつか。
・百人一首の成立にはいくつか説があるが有力なのは(この本が書かれた時点で)、藤原定家が親類の別荘の障子を飾るために自ら歌を選んで色紙に書いて送ったという説。定家は「新古今和歌集」の選者の一人でもあったが、勅撰集であった新古今集と異なり、楽しみながら選んだといえる。
・百人一首の歌は読人として名前の上がっている人一人の作とは言えないものも多い。古い歌を「本歌取り」してアレンジした歌や古くから有名な歌が少しずつ変わり、実際には誰の歌か分からなくなっているものもある。
・読人の中には実在したかどうか、本当にその人の作か分からないのもある。柿本人麻呂、蝉丸、小野小町など。
・百人一首は番号の古いものほど時代が古く(1番は天智天皇)、番号の若いものほど時代が新しい(新古今集の時代)。古い歌のほうが素朴である分、魂がこもっていて、新しい歌は万葉集の歌などを本歌取りして技巧でアレンジしたものが多い。
・歌の並べ方は時代だけではなく、ライバルといえる歌人の歌を続けて並べたり、同じモチーフの歌を続くようにして比較できるように並べられている。
・平安時代の「歌合」は文台や硯箱や紙にも宝石や金銀を散りばめた華やかな社交の場であった。つまり、歌とは単に詩心だけのものではなくアートの一つであった。
白州さんの解説を読んで、「この歌は好きだ」と思えたものをいくつか。
・天智天皇
秋の田のかりほの庵のとまをあらみ わがころも手は露にぬれつつ
実った稲を鳥獣から守るために、仮の小屋を作り、その屋根を葺いた苫が粗末なので、衣が露に濡れて悲しいと言う労働歌。かりほは刈ると仮に、露は涙にかけてある。万葉集に詠み人知らずの原歌があり、天智天皇の作とは考えにくい。
・持統天皇
春すぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふあまのかぐ山
香久山は古代から信仰された神山、白妙(白い衣)は巫女の衣装。神聖な山を象徴する白と言葉には表れていない夏の若葉の緑が背景になってすがすがしい。
・柿本人丸(人麻呂)
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のなかながし夜をひとりかもねむ
単に山鳥の尾の長さと一人寝の夜の長さを掛けただけではない。山鳥というのは雌雄谷間を隔てて寝る習性があるので、昔の人は「山鳥」と聞いただけで、直感的に答えるものがあった。
・中納言家持
かささぎの渡せる橋におく霜の
白きをみれば夜ぞふけにける
七夕の「男女を取り持つ橋」を象徴する鵲と「霜」。季節は真逆であるが、「夜も更けたから女のもとに行きたい」というそこはかとない願望が秘められているようにも感じられる。
・紀友則
ひさかたの光のどけき春の日に
しず心なく花の散るらむ
「ひさかたの」と「しず」の響きが美しい。美しいのどかな春の日に「しず心なく」で爛熟した王朝文化にひたひたと忍びよる影が感じられる。
・西行法師
なげけとて月やはものを思わする かこち顔なるわが涙かな
「かこち顔」は良くわからないが、心の中で泣いている様子が痛いほど分かる。
・権中納言定家
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
やくやもしおの身もこがれつつ
「松帆の浦」に「待つ」をかけ、海女の塩焼く煙に身を焦がす思いをかけている。
「訳してしまうのは面白くない」とすべての言葉を解釈しつくさず、白州さんなりの自由な解釈をされていた。確かに掛け言葉で意味が幾重にも取れる和歌をわざわざ現代語訳してしまうのは野暮なことだろう。一つ一つの歌について関連のある原歌や読人の背景など詳しく書かれており面白かった。読人の中には「光源氏」のモデルになった人も三人くらいいて(源融、在原業平、在原行平など)、リアル源氏の世界にも少し触れて楽しかった。
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百人一首に関する書籍は数えきれないほどあるだろう。
専門家による研究書から多少怪しい謎解き本までそれはもう。
「私の」としたのは、学者さんたちの研究には及ばない、「私なりの」と謙遜した一面もあり、「私だけの」という愛着の表現もあるのだと思う。
この本は百人の詠み人の名を見出しとして「百人一首」の歌を紹介、著者ならではの読み方を綴っている。
どの言葉がどこに掛かるかで意味が違ってくる、との論争のある歌も多いが、そういう細部をあまり掘り返すことはせず、調べの美しさを楽しみたいという。
はじめは現代語に訳すことも考えたが、詳しく訳せば訳すほど遠ざかることを知って、よほど分かりにくい歌を訳すだけにとどめたと、あとがきにある。
その代わり、興味は(歌人の)人間とその周辺に向かった、とあり、歌の紹介とともに、詠み人の生きた時代やそこでの地位、人間関係などが語られている。
あまり記録が残っていない歌人もいるが、とんでもエピソードの残る人間くさい人たちも多い。
そこで、なぜか性格や行状に問題アリな人に限って美しい歌を詠んでいる、との感想。
(百人一首の選者と伝えられる)定家はどういうつもりで、あるいは心境でこの歌を選んだのだろうと、常に定家への興味が見える。
百人一首は、天智天皇、持統天皇からはじまりほぼ年代順に並んでいるので、最後は定家の時代で終わる。
天皇親政の時代に始まり、奈良から、藤原氏が権力を握った平安貴族の時代、やがて武士が台頭し、平氏から源氏の世に移る。その間も貴族たちは変わらずに歌を詠み続けた。
定家は後鳥羽院にその歌の才を愛でられる一方で、源氏方の鎌倉幕府にも繋がりを持っていた。
定家と後鳥羽院に関しては、かなりの紙数をさいている。
都と鎌倉の確執の末の承久の乱。
敗れた後鳥羽院は隠岐へ、息子の順徳院は佐渡へ。
百人一首には今も多くの謎が残り、定家の時代には最後の二首、後鳥羽院と順徳院の歌は鎌倉をはばかって載せていなかったという説もある。
現在のかるたの形式になるまでにはいろいろあったのだろう。
今は、正月にかるた取りをする家庭はどれだけあるのだろうか。
まず、百人一首のかるたを持っていないと遊べませんね。
ちなみに白洲正子さんのかるたは、京都の骨董屋で見つけた、元禄年間のものだとのこと。
武家社会において公卿は生計のためにかるたを作ることを内職にしていたということだ。 -
百人一首の本を書くのって、きっと大変なんだろうな、とかねがね思っていた。
書くことが浮かぶ歌ばかりでもないだろう。
特に紙数が決められていて、きちんとそれに収めなければいけない作りの本なら、なおさらだ。
で、本書は白州正子の読みが示される。
でもそこは白州さん。
興味のない歌人はあっさり。
貫之にはさすがに言葉は費やされているが、「興味がない」とばっさり。
新潮選書への書き下ろしだったそうで、自由に、好きなように書くことが許されたらしい。
薩摩出身の高級軍人のお嬢様だけに、かるた取りの感覚や、お能の経験などに裏打ちされた捉え方も、まあ面白い。
でも、本書で一番惹かれたのは、彼女の持っていた元禄時代に作られたというかるたの写真である。
流麗でもあるけれど、どこかたっぷり、ぼってりとした「御家流」の書体に目を奪われた。 -
平安期にその高みを極めた日本文化の深みを教えてくれました。もし、和歌の意味を知っていて、藤原・天皇家の系図や因縁を知っていれば、もっと楽しめるのでしょう。白州さんの教養が凄すぎて、こんな風に百人一首を読み解く様子に憧れを抱いてしまいました。
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ひらがながどうにか読める頃から、百人一首遊びは家族で楽しんでいました。
大切な思い出です。 -
幼い頃から、百人一首で遊んできましたが、改めて歌の意味を深く理解できました。
新潮文庫ではなく、愛蔵版です。 -
毎日丁寧に、一句ずつ読むとよろし。
欲張らないで。
歌には余白が必要だから。
だけど、やっぱり、上手いわ。
(^∀^)
2022/02/14 更新 -
百人一首については、田辺聖子「小倉百人一首」が、挿絵も素敵で読みやすい。
白洲正子のは、当然、和歌の意味はわかるでしょ、現代語訳なんてしちゃダメですというスタンスなのですが、実朝や、定家、後鳥羽院についてまた、少しわかったような気がします。
百人一首の成立については、たくさんの人がいろいろな説を出していますね。百首が複雑なパズルのようになっていて、共通の言...
百人一首の成立については、たくさんの人がいろいろな説を出していますね。百首が複雑なパズルのようになっていて、共通の言葉を組み合わせると全体が後鳥羽院への鎮魂の錦絵になるという説が面白かったですが、さてどうでしょうか。藤原定家と後鳥羽院とはなかなか微妙な関係でしたね。
へー!そんな説があるのですね。
同じモチーフの歌が続いたりするのも「パズル」のためだとしたら面白いですね。
へー!そんな説があるのですね。
同じモチーフの歌が続いたりするのも「パズル」のためだとしたら面白いですね。
この人なら、もっといい歌があるのに?とか同じ言葉が使われている歌が何首も、さらにそれが多数あるということに疑問を持っ...
この人なら、もっといい歌があるのに?とか同じ言葉が使われている歌が何首も、さらにそれが多数あるということに疑問を持った人が立てた説ですが、それなりに説得力があるのですよ。