不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101465210

感想・レビュー・書評

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  • 図書館でお借りしたんだけど、これは買わないとダメな本だ。ハードカバーほしいけど文庫本しかないらしい。600円なんて安すぎて申し訳ない、と思ってしまう…

    実は大学の時、副専攻で翻訳コース(通訳コースが別にあったので、通訳は学ばず翻訳に特化)をとっていたのです。幸い、卒業してから今まで、仕事で日常的に英語を使う機会に恵まれ、自分が通訳することはほぼないけれども通訳者さんに依頼をして、通訳のお仕事を目の当たりにする機会も時折あります。初めて通訳者さんをお願いしたあの日から今日まで、私にとって通訳者さんは超能力者。どういう頭の構造をしていれば、外国語を聞くことと日本語を話すこと、あるいはその逆を同時にこなしてしまうのか、あのブラックボックスでどんな処理プロセスが走っているのか。。。その疑問に応えてくれる、貴重な資料。

    実用書かエッセイかこれまた悩ましいんだけど、本当にすごくためになる、かつときどきふふって笑ってしまう通訳お仕事エッセイ。タイトルの「不実な美女」「貞淑な醜女」は通訳のアウトプットを表現したもので、「原文を裏切っているが美しく整った訳文」と「原文に忠実ではあるが、翻訳的でぎこちない訳文」のことなのだけど、適訳だなぁと感心する。ちなみに米原さんの文章は(本書に限らず)ユーモアを兼ね備えた美女なので、あっという間に読み終わってしまった。

    あまり中身に触れているところがないのですが、読みたい方、必要としている方にぜひ読んでいただきたいので、大まかな章立てをまとめておきます。


    第一章:通訳翻訳は同じ穴の貉か
     通訳と翻訳に共通する3つの特徴を紹介

    第二章:狸と貉以上の違い
     通訳と翻訳の大きな違い
     通訳は同時に「二人の主人」に仕えるお仕事

    第三章:不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か
     訳の正しさと文章の美しさについての考察
     美女の作り方
     めっちゃ悩んだ挨拶文の解決方法がここに!
     
    第四章:初めに文脈ありぎ
     正確な通訳に求められる要素とは?
     テクニックやヒント、アドバイスがたくさん

    第五章:コミュニケーションという名の神に仕えて
     ただ正しく伝わるだけの訳文を超えて…
     文化や状況や背景を汲み取ることや、日本語の大切さ

    特に第五章で、母語(日本語)の大切さ、母語を学ぶことが外国語を豊かにするために必須だとおっしゃっていたことが強く記憶に残った。幼少期からの英語教育が大切だと叫ばれる昨今において、たくさんの幼児向け英語教材や講座が用意されているけれども、確かに日本語があやふやな時分に英語を平行して詰め込んでいくのは危険を伴う気もする。米原さんが日本の日本語教育の不十分さを嘆いている点も、とても印象的。

    --

    同時通訳者の頭の中って、一体どうなっているんだろう?異文化の摩擦点である同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる著者が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同時通訳の内幕を初公開!「通訳」を徹底的に分析し、言語そのものの本質にも迫る、爆笑の大研究。

  • 英語ができないしもちろん他言語もできないわたしは、外国語を話せる、そして通訳ってだけで尊敬に値する。同時通訳さんなんて惚れ惚れする。そして通訳さんて、言語のコミュニケーションのプロ中のプロだけど、いかに相手に伝えることができるかなんだなと思った。そして雇われるっていう苦労もあり。あとやはり日本語のボキャブラリーが豊富で、そして美しい日本語を知っているからこそ、通訳ができるんだなと感動した。もっと勉強しよう。

  • 尊敬する米原さんのエッセイ。米原さんの口調は軽やかだけれども、エッセイと呼ぶには奥深く、同時通訳という特殊な世界での数々の驚きのエピソードが非常に面白いです。私が翻訳の仕事を始めた頃にはすでに故人になられていて、生でその同時通訳の肉声を聞いてみたかったと思えてなりません。軽やかなパフォーマンスの裏に血の滲む努力があったこと、記憶に留めておきたいです。

  • 言わずと知れたロシア語同時通訳の第一人者であった米原万里の通訳論。何度も読んだがやはり文句なしの名著。通訳を目指す人ではなくても、言語そのものに興味のある人は読んでおいて絶対に損はないだろう。

    学校の英語の授業では基本的には字句通りの解釈を求められる。もちろん、それが外国語を学ぶ上で必要不可欠なことは言うまでもない。字句通りの解釈は基礎を学ぶ上では有効であるし、大量のインプットなしにアウトプットもありえないことは本書を読めばよく分かるだろう。しかし、ある程度のインプットが済めば次のステップとして求められるのは「ある外国語の発言や文章が何を言わんとしているのか、その核心をとらえること」だろう。言葉とは意味を伝える媒介であるということは、つまり言葉の根底にある意味を掴まなければ意味がないということだ。そしてそれこそが、つまり言葉によって伝達しようとしている発話者の生み出した概念をつかんで外国語に移し替えることこそが、通訳者の仕事なのだ。尚「通訳の全プロセス」におけるこの「言葉の前の概念」は本書で説明されているが、この考え方は外国語を扱う人にとって何かヒントになるものなのではないだろうか。

    それにしても通訳という仕事をこれほどまでに魅力的に語った本が他にあるのだろうか?まぁ自分自身、通訳論について書かれた本を数多く読んだわけではないのだが、おそらく、いや絶対にこれほど面白く通訳について書かれた本はないだろうと言い切れるほどに本書は面白く興味深い。言葉を通して数々の考え方、思考方法を疑似体験できる通訳という仕事の魅力が本当によく理解できる一冊だ。

  • 言語を学ぶ人間としては、筆者の「言語」に対する考え方・捉え方は新鮮で、読んでいて新しい世界の見方を得れる感覚があった。
    その見方も突飛過ぎず、「言われてみればそうだね」という適度な距離感なのがさらに印象深いものにしている。
    また、全体を通してユーモアが散りばめられており、思わず吹き出してしまうこともあった。
    伝えたいメッセージは散発的に出てくる印象で、読後に一言でまとめようとするとまとめにくいが、全体を通して「言語」に対する新しい角度からの見方を教えてくれる、そんな気がする。

  •  鳥飼久美子著『歴史をかえた誤訳』を読んでこの本の存在を知った。鳥飼氏は私が中学生の頃から憧れた同時通訳者で、ほとんどアイドル的存在だった。本書の著者米原万里氏は今回初めて知った。ロシア語通訳で、エリツィンやゴルバチョフが大統領の頃から活躍しているという。

     ロシア語通訳としての豊富な経験から多くの実例を挙げ、通訳者あるいは翻訳者の使命を語る。また同業者や通訳としての先駆者たちの著書からの引用も的確で面白い。ロシア語通訳でありながらロシア語だけに偏らない書きぶりも好感が持てる。とにかく面白くて直ぐに読み終えた。素晴らしい通訳者はアウトプットに優れているのだろう。

     本書の『不実な美女か 貞淑な醜女か』というタイトルが目を引くが、これは訳文が原文に忠実かどうかを「不実」と「貞淑」で表し、訳文が美文かどうかを「美女」と「醜女」で表すという、今ならおよそやってはいけないようなことをしていた。あまりに面白い例えで、思わず唸ってしまった。

     先日読んだ吉村昭の『黒船』も幕末のペリー来航時に通詞を勤めた男の物語であった。この通訳という家業が如何に大変な仕事かわかる。

     この手の話になると、どうしても自らの失敗を思い出してしまう。地元の港湾と米国の港湾との協定の下訳を誤訳してしまった経験がある。後にきちんと訂正されたが、まだどこかに原稿が残っているかもしれないと思うと、いまだに顔から火が出るようだ。

  • 刺激的なタイトルに惹かれて思わず購入。
    ロシア語の同時通訳者として活躍する著者の『通訳』という仕事の妙を教えてくれる作品。

    外国語もからきしだめ、日本語もおぼつかない私からすれば、バイリンガルな人の頭の中は奇々怪々にしか感じられないが、この本にはわかりやすくそれを解説してくれている。更には著者や他の通訳の方々の失敗談、体験談を通し、異なる文化異なる価値観での会話の中で、日本という国の文化の輪郭を確かめることもできる。
    気軽なエッセイ、異国への紀行本のように、通訳を目指していない人でも楽しく読むことが出来るだろう。

    この本では通訳という仕事は多様な表現を受けている。たったその場限りに重宝がられ、事が終わればおさらばされる売春婦、ふたりの主人に仕える従僕、絶対的な時に抗う存在でありながら、異なる宇宙を繋げる存在でもあり、コミュニケーションの神に仕える信徒だ。通訳という仕事の大変さと興味深さを広げてくれる。

    元より人が何かを表現する、何かを伝えるにあたっては必ず齟齬が生じるのは必然。それは通訳ではなく、普通の日常会話の中でも勿論発生する事態だ。
    伝言ゲームはもちろんのこと、一対一であっても伝えていたものが伝わっていない、意図していないものが伝わり相手が不愉快を呈することもしばしば。
    人との対話の難しさと、それが通じたときの心の底から溢れ出る歓喜を思い出させてくれる本だった。

  •  通訳から言語、国際関係まで自身の経験から面白くかつ、鋭く切り込んでいる。外国語を学んでいる人には是非読んでほしい。久しぶりに人に薦めたいと思う本に出会えた。
     通訳という職業について様々な苦労と失敗談が語られているが、エピソードの紹介に留まらず考察を深めているところが凄い。差別語から差別の実態についての意見には思わず納得。卑猥な会話が仲間の雰囲気を作り出すということが、国を超えてあることだということも面白かった。
     訳の仕事は大きく翻訳と通訳に分けられる。私のような素人は対象の言語を熟知していればどちらもできるのではないか、と思ってしまう。しかし両者の間には大きな隔絶がある。まず音声と文字では頭での認識の仕方が異なる。同音異義語などは音声から認識する場合、誤認識する可能性がある。また訳すまでの時間の違いも両者の決定的な違いだ。通訳は即時に変換しなければならないが、翻訳は納得のいく訳を考え吟味できる時間がある。
     なぜ通訳が機械にとって代わられないのか、という疑問にも説得力のある説明をされている。単語は言語間で一対一の関係ではないし、同じ言葉でも会話の流れ、前後の文脈でまったく異なる意味になる。さらに文化という大きな文脈が異なるために機械で自動的に翻訳しようとしてもうまくいかないのだ。
     通訳者が発言者の言葉を聞いて、正しく理解し、それを正確に表現する外国語の言葉を組み立てて、相手が正しく理解する。これは相当大変なことであることが分かった。通訳者は単に言語に堪能というだけでなく、集中力、知識、事前準備など様々な努力があって為し得ることなのだ。しかもどんなに通訳者がうまく訳そうにも、原発言がとんちんかんでは手の施しようがないという宿命を背負っている。
     最後に、外国語は母国語よりうまくならない、ということを肝に銘じておきたい。今盛んに英語力の向上が叫ばれているが、まず日本語が未熟では英語もそれ以上にはなりようがない。また自国のことを知らない人は尊敬の対象にはならず、国際力があるとは言えない。 

  • 通訳という魔界。

  • 早世されたロシア語同時通訳者、米原万理さんの初めてのエッセイ。彼女の著作を読んだのはこれが4冊目だが、渾身の一冊といえよう。彼女の魂が入っている。
    第一線で活躍した米原さんの、通訳業にまつわる苦労ややりがいや失敗の経験がつづられている。言語に関すること以上に文化人類学の視点からも考察があり、興味深い。通訳に求められるのは、外国語能力以上に母国語能力だという。
    米原さんは少女時代を外国で過ごしたが、母国語の日本語がとても美しく、この本も十分なリサーチをしたうえで、理路整然と書かれている。通訳を目指す人もそうでない人も、一度は米原さんの本を手に取ってもらいたい。

著者プロフィール

1950年東京生まれ。作家。在プラハ・ソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学卒、東京大学大学院露語露文学専攻修士課程修了。ロシア語会議通訳、ロシア語通訳協会会長として活躍。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)ほか著書多数。2006年5月、逝去。

「2016年 『米原万里ベストエッセイII』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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