- Amazon.co.jp ・本 (684ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010044
感想・レビュー・書評
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まさに『ブ、ブラヴォー・・・・・・』の一言に尽きます。
ドストエフスキーの『白痴』といえば5大長編の一つということしかあまり語られることがなく、僕も「恋愛小説」という前知識くらいしかなかったのですが、これほどの美しくも凄まじい悲恋物語であったとは知りませんでした。
本書は『文学史に輝く究極の恋愛小説』の一つと言っても過言ではないでしょう。
ドストエフスキーと同じロシアの偉大な文豪で『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』で有名なレフ・トルストイも本書について
「これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っているものにとっては何千というダイヤモンドに匹敵する」
と評したと言われています。
どうしてもドストエフスキーというと『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』の2大傑作ばかりがクローズアップされてしまいますが、いやいやこの『白痴』、素晴らしいですよ。ちょっと世間の評価は低すぎるのではないでしょか?
まさに本書はドストエフスキーの描いた究極の『愛』の形。
ラストで描かれるこの静謐な情景。
愛する者の遺体を目の前にして横たわる2人の恋敵。
あまりにも感動的です・・・。
この場面は、星の数ほどある世界中の恋愛文学のなかでも1、2位を争う美しいシーンなのではないでしょうか。
もう僕の脳内ではその情景がありありと浮かび上がり、もし僕に絵心があったならばライフワークとしてその情景を描き続けたいくらいです(笑)。
そしてなにより本書に描かれるキャラクターがみな素晴らしい。
主人公レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵が中心となり、薄幸でありながらその手腕と美貌で全てを手に入れた究極の美女・ナスターシャ・フィリポヴィナ、ムイシュキン公爵の無垢な人柄に惹かれるエパンチン将軍家の美しき3姉妹の末娘、美少女アグラーヤ・イワーノヴナ・エパンチナ、ナスターシャをひたすら愛するやくざな大金持ち・パルフョーン・セミョーノヴィチ・ロゴージンの4名による究極の四角関係が形作られます。
ムイシュキン公爵とロゴージンとの間で揺れ動く究極の美女・ナスターシャ。
ムイシュキン公爵を健気に愛するツンデレ美少女・アグラーヤ。
ナスターシャをどんな方法でも手に入れようとするやくざなロゴージン。
そして、ナスターシャもアグラーヤも純粋に愛してしまうムイシュキン公爵(←っていうか、あんたの優柔不断が一番悪い)。
もう、ここまでドロドロだと、笑いを通り越して感動すら覚えてしまいます。
ラスト前で繰り広げられるムイシュキン公爵を目の前にしてのナスターシャとアグラーヤの文字通り『女同士の一騎討ち』は、もう世界文学史上、最もひどい、それこそ最悪の『修羅場』として記憶されるべきでしょう。
1868年に上梓された本書、つまり今から150年前以上も前に描かれた『女同士の修羅場』は必見です。
この修羅場のシーンから怒濤のラストまでの約100ページを読む為だけに、このドストエフスキーの『白痴』(総ページ数、約1400ページ)を読破すべきと僕は言いたいですね。
はっきりいって度肝を抜かれます。
ふう。
素晴らしい物語でした。
もし僕がムイシュキン公爵だったら、ナスターシャとアグラーヤのどちらを選ぶかなあ。
ナスターシャもアグラーヤもどちらも超絶美女。
ナスターシャの若き日のどん底生活から這い上がってきた苦労、そしてナスターシャが「自分のような穢れた女と一緒になったらあなたは不幸になってしまいますわ」という自虐的でありながらも、その尊い気持ちも痛いほど分かる。
「今度うちに遊びに来ても、口きいてあげないんだからねっ!(※僕の脳内で再生されたアグラーヤのムイシュキン公爵に対するセリフなので若干原書とは異なります)」などとのたまう、箱入り娘アグラーヤの純粋無垢で思いっきりツンデレな可愛らしさも捨てがたい。(そう、150年以上も前からこの『ツンデレ』という萌(もえ)要素は確立されているのですw)
ムイシュキン公爵が悩むのもよく分かります(笑)。
しかし、僕だったらここは、究極の美の権化・ナスターシャでもなく、超ツンデレ美少女・アグラーヤでもなく、あえて『ヴェーラ・ルキヤーノヴナ』を選びたいところです。
は?お前、それ誰やねん!全く今まで出てきてないやん、ええ加減にしいや!
とここまで、この僕の上下巻に渡る冗長なレビューを読んでくれた人全員がこう思うと思います。
そう、ヴェーラは準ヒロインでもなく、脇役キャラにちょっと毛が生えたような女性です。
彼女は、ムイシュキン公爵が世話になっている小役人レーベジェフの娘で、ムイシュキン公爵の身の回りの世話を時々してくれる美少女なんですね。
ムイシュキン公爵もヴェーラのことを『なんて可愛らしい娘さんなんだろう』と褒めており、ムイシュキン公爵の他にもいろいろな登場人物の口からその美しさが褒められているので、ヴェーラの美少女っぷりは間違いないところです。
一説によるとこの『ヴェーラ』はドストエフスキーの姪のソフィア・イワーノヴナがモデルとされています。
そしてこのヴェーラもムイシュキン公爵を陰ながら慕っており、ムイシュキン公爵がうちひしがれている時でも、そっとその心を慰めようといろいろと世話をしてくれるのです。
どうです?素晴らしい女の子ではないでしょうか。
もし、これからこの『白痴』を読んでみようかなって思う人がいたら、ちょっとこの『ヴェーラ』に気を止めていただけたら幸いです。
本書は、150年以上も前に男女四角関係をその深層心理まで描きあげた傑作です。
この小説のモチーフは現代の恋愛小説や映画にも多大な影響を与えたのではないでしょうか。例えばダスティン・ホフマン主演の名画『卒業』での名シーン、結婚式場から花嫁を奪っていくところなど、この『白痴』にでてくるあるシーンそのままです。
という訳で、最後は訳の分からないレビューになりましたが、本書はドストエフスキーの描く恋愛小説の傑作あることは間違いありません。ドストエフスキーと言えばやはり『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』(実は『カラ兄』、僕は未読です・・・)ですが、読むべきドストエフスキーの傑作の一つにこの『白痴』も加えていただきたいと思います。 -
下巻の冒頭はドストエフスキーの独白(待ってました)!
ロシアの歴史的背景に迫り、あれやこれやと批判しながらこねくり回す
今回は「わが国には実務的な人間がいない」
からはじまり、一体このトピックはどこへ向かうのか?
…そうこんなふうに考えながら読むのがなかなかオツである(物語最後も、もう登場せずにはいられない!という感じで再登場)
いつもの如く気になるキャラクター達でいっぱいなのだが、上巻ではリザヴェータ夫人、下巻はロゴージン(個人的に)かな
ロシアにきて初めての知り合いとなったロゴージン
最初の出会いはお互いに好意を持って始まった二人だが、気付けばライバルという悲しき運命に
彼らの友情の行方も気になるが、ロゴージンの心の中の深い深い漆黒の闇が結構切ない
あまり(ドストの割に)心理描写が語られない分、心を持っていかれた
他に目立ったのは、イポリートという肺病の余命わずかな青年
彼の滑稽さと究極の恥辱を描く
かなりの嫌悪感と妙な共感
触れられたくない心に土足で入ることを好んでいるかの皆の会話
下巻ではイポリート君という死を前にしたパッとしない青年にスポットをあて、人間の醜さと滑稽さ、羞恥心をこれでもかと見せつけられる我々読者
そして一応(失礼)メインである公爵の恋は…
四角関係(なのかねぇ?)の行方は…
「自分を世界じゅうの誰よりも堕落した、いちばん罪深い人間だ」と信じているナスターシャ
自分の卑しさを証明するために公爵から逃げたナスターシャ
彼女の追い詰めまくった自暴自棄な狂った破滅的な精神は最後まで圧倒され続け、これは一体どこが着地点なのだろう
と興味深かったのだが…(うーん、そうきたか)
そしてライバル女同士の修羅場
相手をとことん精神的に追い詰める
もう崖っぷちまで追い詰めて逃げ場を全て潰しにかかる…
怖すぎるんだけど
読んでいて関係ない私が気絶しそう…
一方の主人公公爵
公爵自身あわれんでいるだけでもうナスターシャを愛していないと気づくのだが…
彼の苦悩と、なぜその道を選び行動したのか
あの一瞬はなんだったのだろう…
はぁ、ラストは凄まじかった
ジェットコースターに乗って振り回されて、ヘトヘトになって
そして最後がもう極めつけで…途中から酸欠になり、久しぶりに読書をしてグッタリしてしまった
重たいヘドロの布団を被っている上から誰かがどすんどすんと不法侵入者が自由勝手にトランポリンしているみたいな感じ
なぜここまで人間の本質に迫り、それを何のオブラートも使わず惜しげもなく開放していくのだ
何度も言っているが一応恋愛モノとされているが、正直私には人間モノだろコレ…としか思えなかった
とにかく多角的な読み物であるのは間違いないのだ
そして後を引く引く、そして引きまくる
途中までテンポよい展開でドストにしては明るく読みやすいと思っていたが、やはりそのまま単純には終わらない
最後にきましたわ
これぞドストエフスキーである
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ハイジさん、こんばんは(^^
トルストイの独白を終始にわたって楽しめる人はそういないと思います。こういった忍耐を経ると、あとはなんでも...ハイジさん、こんばんは(^^
トルストイの独白を終始にわたって楽しめる人はそういないと思います。こういった忍耐を経ると、あとはなんでも読める気がしますよね(笑)。
こうしてドストを時系列的にみていると、はじめはそうでもなかったのですが、だんだん暗闇に向かって爆走し、たぶん底は『悪霊』かしら? ふとどこかで光をみつけてたどり着いたた(『カラマーゾフ』)といった、勝手な思いがしたりします。いずれにしても人間描写はすごいです。
またドストのレビューを楽しみにしていますね♪2023/08/20 -
アテナイエさん
ありがとうございます
やはり彼の人生を背景に感じることが大切そうですね…
また時を経て挑戦したいですね
(時間は必要です...アテナイエさん
ありがとうございます
やはり彼の人生を背景に感じることが大切そうですね…
また時を経て挑戦したいですね
(時間は必要ですね
立て続けはしんどい(笑))2023/08/20 -
ハイジさん、暑すぎるので本はゆっくり楽しまれてくださいね~とくにドストの後は(笑)。わたしは史記をペースダウンして、エッセイや短歌を楽しんで...ハイジさん、暑すぎるので本はゆっくり楽しまれてくださいね~とくにドストの後は(笑)。わたしは史記をペースダウンして、エッセイや短歌を楽しんでいます(^^2023/08/20
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アグラーヤとの結婚は確実と思われていたのに、まさかのどんでん返し。
ムイシュキン公爵は結局ナスターシャを選ぶことになる。
そのナスターシャがロゴージンに殺され、また公爵が白痴に戻ってしまうというのがとても切ない。
ラストの、ロゴージンと公爵によるナスターシャの通夜のシーンが神秘的で美しい。
あとがきを読んで、ドストエフスキーの伝えたかったことがよくわかった。
「作者は「無条件に美しい人間」を周囲の人びとに「白痴」と呼ばせることによって読者に挑戦しているわけである。われわれはいったいいかなる人物を「白痴」の名で呼んでいるのか、と。」 -
あまりにも悲しい。
そしてあまりにも愛おしい物語。
泣けた。
ドストエフスキーが自作で最も熱愛した作品らしい(あとがきに書いてあったが)。
最も完成された美を備えた人を描こうとする大作家の理想的到達点はイエスキリスト。
ドストエフスキーには彼だけが完全無欠の理想であり、その理想的型を備えたムイシュキン公爵が主人公である。
恋愛小説と言う形を取りながら、
完全無欠の善なる存在が、あらゆる罪の蔓延る
この世に登場した場合、
その存在はあまりにも滑稽に、
『白痴』のように見えると言う悲しき現象を
徹底的にリアルに、底知れぬ愛を持って描いている。
悲劇的ヒロインであり傾国の美女ナスターシャは、純粋な魂と聡明な知性を持ちながら、過酷な運命によって情婦として育ち、憎悪に燃えて破滅に突っ走っている。
あくまで純粋なる憐憫と人類的愛アガペの愛でもってナスターシャの魂そのものを救おうとするムイシュキン公爵。
エゴイズムの権化であり利己主義の究極的人物ロゴージンは公爵とは対極的位置におり、彼は情欲的恋によってナスターシャを愛し、我がものにしようとする。公爵とはカインとアベルのような宿命的関係性にあるが、対極的愛でナスターシャを愛している2人。
ナスターシャは本性では公爵が抱く無限の同情と尊敬を求めながら、自己に渦巻くドロドロの憎悪と罪の宿痾を恐れて、光の源である公爵に近づくことが出来ず、同じく破滅型のロゴージンと共に運命を共にする。
その代わり、唯一本当の自分を見てくれた恩人の公爵には情婦ナスターシャと対極的位置にいる罪なき絶世の美女アグラーヤと結婚するように仕向ける。
完全なる人には、完全なる相手が相応しいとでも言うように。
アグラーヤはナスターシャに比肩するほどの美女であり、世間の汚さから隔絶された場所で育った天真爛漫な地位も財産もある完璧な女性。
ナスターシャが憧れるほどの完全無欠の美の象徴である。
アグラーヤは婚約者として申し分無い地位も名誉もある男を振り切り、白痴の公爵を選ぶ魂の純粋さを持っている。
彼女もまたナスターシャのように、公爵の『清さ』に胸を打たれた一人なのだ。
アグラーヤは天真爛漫だが馬鹿ではない。
ナスターシャを無限の憐みで愛している公爵の気持ちに、気付かない訳がない。
それが憐みと言う気持ちであっても、
公爵が自分を思う愛より上回っていれば、それは苦痛になる。そこでアグラーヤは遂にナスターシャと一騎討ちに向かうのである。
この作品の登場人物は一言で言うと可哀想なのだ。
なにより可哀想なのは公爵だ。
公爵の純粋性が、
この世界が欺瞞や虚飾、利己主義や虚無に
満ちていればいるほどくっきりと浮き彫りになり、
特に後半、社交界と言う社会の上層部における
知と財を武器にした虚栄と傲慢の駆け引き場所で
まさに『白痴』のように見えてしまう。
ムイシュキン公爵はただただ情の人だからだ。
そんな真に愛すべき人が
バカに見えてしまうことが本当に悲しいのである。
ドストエフスキーは読者にも問いかけている。
あなたが今バカのように見えている人物は
どんな人ですか?と問いかけてくる。
それはつまり、イエスキリストなのだ。
当時の19世紀ロシアに突然現れた、
現代に蘇ったキリスト本人なのである。 -
ドストエフスキーが作家としての到達点としてそれほどまでに描きたかった「無条件に美しい人間」は、現代、特に日本ではごく普通にいそうな正直者の人間像でしかないような気がしてしまった。それではこの小説、ムイシュキン公爵という登場人物の意義とは何かと言ったら、ドストエフスキーの小説に共通して登場する「ロシア的な」人々、すなわち狂気と隣り合わせの激情的な人々の中に、公爵のような人間を放り込んだところにあるのではないか。第4編冒頭の《ありふれた人たち》に関する作者の考察は、そのあたりを裏付けているとも言え印象的だった。
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はじめまして。
たった今、『白痴』読み終えたばかりです。
ryosuke0032さんがおっしゃるように、私もムイシュキン公爵が“白痴”であ...はじめまして。
たった今、『白痴』読み終えたばかりです。
ryosuke0032さんがおっしゃるように、私もムイシュキン公爵が“白痴”であるということに疑問を抱いていました。
こちらのレビューを拝見し、少しすっきりしました。2013/03/23
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ドストエフスキーの「無条件に美しい人間」を作る試みである本作品はどのような結末を迎えたのだろうか?
だれもが公爵の心の美しさに惹かれるが、結局は彼を憎む、疎むようになる。終局でのリザヴェーダ夫人のように、一歩離れたところからでないと付き合えないものということ?
純粋無垢な人間はこの社会では生きられず、結局白痴でいるしかないということ?
それとも我々の醜さを浮き彫りにするのが試みだった?
ドストエフスキー作品を多く読んできましたが、この作品は苦手なようです。
ただ以下のあとがきの文章が、読解の手助けになると思います。
あまりに深読みする読者が、この言葉(白痴のこと)を「無垢の人」といったニュアンスで受け取ることのないよう注意しておく。作者は「無条件に美しい人間」を周囲の人びとに「白痴」と呼ばせることによって読者に挑戦しているわけである。われわれはいったいいかなる人物を「白痴」の名で呼んでいるのか、と。
もちろん私は深読みしていました・・・ -
背表紙にネタバレ載せるんじゃねぇッ・・・!!!
おはようございます。
いいね!有難う御座います。
吉原裏同心シリーズは、今回で32作目になります。
佐伯泰英さ...
おはようございます。
いいね!有難う御座います。
吉原裏同心シリーズは、今回で32作目になります。
佐伯泰英さんの本は、最初に「居眠り磐音江戸双紙」を読んでから「鎌倉河岸捕物控」を除いて全ての作品を読んでいます。
佐伯さんには、感謝をしています。
居眠り磐音が出てからは、他の時代小説も字が大きくなってきましたし、多くの作家が書くようになりました。
一時は、時代小説ブームが到来したと言われ、書店に行くと一番いい所に時代小説が並んでいました。
わたしも、大活字本だけでなく文庫本も読めるようになりました。
本当に感謝しています。
やま
kazzuさんのおかげで、...
kazzuさんのおかげで、「白痴」がとても気になっています!!
正直なところ、Amazonのカートにここ数ヶ月、ずーっと入ってます!!
ですが、ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフ」ですら読むのにかなり難儀しましたので、果たして自分にこの作品を完読できるのかと不安になってしまい、注文確定ボタンを押せません。。。
kazzuさん、こんな僕に、「白痴」を読む勇気を与えてくれないでしょうか?
情けないお願いですが、宜しくお願い致します。。
こんにちは。コメントありがとうございます。
コメントのお返事遅くなってすいません。
確かにドストエフスキーを読み始め...
こんにちは。コメントありがとうございます。
コメントのお返事遅くなってすいません。
確かにドストエフスキーを読み始めるのは勇気がいりますよね。でも、この『白痴』はおすすめです。
ドストエフスキー5大長編の唯一の恋愛ものですし、話も分かりやすいです。特に『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を読破されたのなら問題なく楽しめると思います。
特に本書に登場する女の子たちがみんな非常に魅力的なので、自分の好みの女性を思い浮かべて、脳内再生しながら読むのがおすすめの読み方ですねw。
ぜひ、本書を読破して感想を語り合いましょう!!