地下室の手記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010099

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  • 第1部は「地下室 」。ペテルブルクに暮らす40歳の下級官僚の独白。「 ぼくは病んだ人間だ…」という書き出しから始まる。屈折し歪んだ思考。ねちっこく濃密に語られる。その主張の一つは、人は必ずしも理にかなった判断のみをするとは限らない、というもの。時に人は(彼は)全てをぶち壊したくなる衝動や考えで行動する存在だと説く。
    読み進めるうちに閉塞感が募り、comfortable でない読書と感じた。

    第2部は「 ぼた雪にちなんで 」と題されている。
    第1章はペテルブルクの街にぼた雪が舞うところで終わるのだが、そのぼた雪をきっかけに「男」は16年程前の記憶を思いだす。男が24歳の頃の苦い思い出。ある2日程の出来事と、それから3日程すぎた頃の後日談である。
    男は、3人の同窓生が集う送別会に強引に出席。招待されていなくて、歓迎されてもいない酒宴に無理矢理参加。普通の人間ならいたたまれない状況だが、男は逆に意地を張り意固地になってこの酒宴に居続け、しかも主賓らに噛み付いて雰囲気をめちゃくちゃにしてしまう。
    さらに二次会の店まで勝手に付いてゆく。売春窟みたいなところなのだが、今度はそこの娘に対し “風俗嬢に説教”という最もみっともないことを始める。
    憂さ晴らし、八つ当たりで娘リーザを罵倒侮辱したのだ。しかしリーザは逆にそんな「男」を憐れみ、それに気づいた「男」は自分の愚かさを思い知る。

    かようにして「男」は、歪んだ思考・持論を披瀝しつつ、やがて自分の卑小さ虚飾を晒してゆくのであった。そうやって自分の思考や性格の歪さの告白を臆せず徹底してゆく「男」の姿勢は、逆に、ありきたりの欺瞞な生き方をする多数派に比して、求道者のように見えて来る気がした。

    ※「 地下室 」は実際の地下室ではなく、ひとつの比喩のようである。

  • 最初から最後までインターネットにいるキッッッッッッッッッッショい自我の話が繰り広げられていて、ここまで普遍的な実存の苦しみを、「エッセイ」じゃなくて「小説」として書けるドストエフスキー天才か?となった。今まで読んだドストエフスキー作品の中で一番楽しめたかもしれない。
    自分以外の全ての人間が鈍感で野蛮に見えて、まともな人間はこの世で自分だけなんだと思ってんだけど、そういう風にしか他人を見られない自分のことが惨めでたまらなくて、さらにここまでの思考の道筋を他人の視線に目配せしながら曝け出してしまうの完全にTwitterにいる人(私含む)じゃん…「かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動にも踏み出すことができない」(解説より)耳が痛すぎるだろ。たぶんオーパーツなんじゃないか、この小説は

  • いわゆる古典で声を出して笑うことって自分にとっては中々無いことだったけど主人公のあまりに膨れ上がった自意識と側からみたらぶつぶつ神経症のように独り言を呟いているだけで何も行動せず、誰とも交流できない様があまりにもリアルで、滑稽で笑ってしまった。序盤の自意識や理性、恣欲についての文章では彼が何年もかけて理論武装してきた毒々しい文章が不思議と身近に思えてきた。
    随所で見られる「読者は〜だと思うかもしれない。しかし、〜」構文はいかにも自意識過剰な自分の意見をメタに見ている感じがして本当に面白い。
    イギリスで始まった産業革命の波がロシアにも確実に押し寄せている19世紀中盤において、科学がきっと人類全体を善き方向に導いてくれるという漠然とした期待があったに違いない。それを嘲笑うかのようなドストエフスキーの筆致。理性で人間を導くことは不可能だし、科学が発展を極め、人間の根源的な欲求さえも計算できるようになったら、それこそ糞面白くもないのだ。

    後半の同窓会に行くシーンはそのまま今クールのドラマで描かれていそう。膨れ上がった自意識でどこか生きづらさを感じ、直情型の体育会系に引け目を覚える多くの現代人にとって、この「地下室の手記」は秘蔵本になるだろう。決して、救いの書ではない笑。

  • かなり面白かった。

  • プライド高く、斜に構えた叙述。

    人間は、抽象的帰結に弱いようにプログラムされており、合理性よりも”自分独自の私欲”を優先するとか、、
    理性、名誉、効用に無意識に逆らい、もっと本源的な利益に対して動くとか、、

    ネガティブに世の中を捉え、やや拗れた世界観を持つが、どこか本質を突く部分はある。

    直情で活動家な体育会系とかドストエフスキーは大嫌いだったんだろうな〜

    変に自信のある自尊心の強い若者の事も嫌いだったんだろうな〜

    スラスラ読みたい人には、向かない。
    個人的には展開が遅く、ネチネチ述べたこの小説はわりと大好物

  • 主人公のプライドの高さ、自意識の過剰さや独占欲の行き過ぎに苦笑する部分もあったものの、それでも人との関わりを渇望してる内面を見て人間味を凄く感じた

    内容的には第一部が難し過ぎて正直理解出来ていない部分かほとんどだと思う、、

  • ドストエフスキー作品の読みづらい感じを集約したような難解さを感じたが自伝だと思えばまだ入り込めた。あとがきにもあるようにこの作品が後のドスト作品の名作につながってるらしい。主人公が一貫してこじらせている。こじらせた主人公による手記、日記調だから途中の読みづらさがすごい。ドストエフスキーらしさが集約されてる。読みのが辛くなるくらい人間のクズな部分が晒し出されてる。

  • ■憎悪、偏愛、嫌悪、復讐、執念、侮蔑、屈辱、恥辱、虚栄、悔恨、演技、腐敗、自虐、臆病、傲慢、苦悩、エゴイズム…病的なおもしろさ■


    「僕にとって愛するとは、暴君のように振る舞い、精神的に優位を確保することの同義語だからだ」

    手記の著者である主人公は、自身で認めるとおり、虚栄心の塊みたいな男である。
    精神の病み具合、頭のイカレ具合が尋常ではない。それでいて自身の虚栄心、病的心理、過剰なまでの自意識を冷静かつ精緻に分析して記述している。なんという自意識か。

    高すぎる知性ゆえ、プライドを傷つける者に対し懲罰を与えたいという執念にも似た欲求と、虚栄心を満たすことへの渇望が彼の原動力である。そしてそれを完全に認識しつつも止められない。むしろ止めることをよしとしない。


    「僕にはならせてもらえないんだよ…僕にはなれないんだよ…善良な人間には!」

    悲痛な心の叫びのように聞こえるが、彼自身、本気で善良な人間とやらになりたいと思っている節はない。仮になったとしても、翌日には100%偽善であることを自ら認め、笑い飛ばすに違いない。

    さて、本書前半は非常に読みづらい。主人公の御託が延々と続く一方で、ストーリーに動きがないため、文字の上を目線が滑っていく。楽しむための読書であれば、それで全く構わないと思う。
    一転して後半、ようやく人物とストーリーが動き始めてからの主人公の病的な言動と心理描写。このおもしろさは圧巻だ。

    本書を読み、自分の性格のひねくれ具合など、まったく取るに足らない、かわいいものだと妙に安心してしまった。はてさて、これでいいのやら…

  • 「正常な人間はもともと頭が弱いはずのものかもしれない」って言葉がずっと引っかかって、友人とずっと話してた。生物的に優れているのはどちらなんだろう。大馬鹿者で、理性的でないようなとんでもないことをしでかす人間の方が長期的な目で見ると優れているのかもしれない、だから生存選択で生き残って、この本が共感を集めているのは結局このタイプの人間が多数で、倫理を説く人間より優れてるんだろう。そうしたら人間って可愛いしすっごく天才的な選択された生物な気がしてくる……?かも。

    ドストエフスキーはこういう一般的なこういうものを持っている人間に対して何を思っていたんだろう。きっと自分の中にも持っていたのだから「これが一般的なものと気付いている私の方が世間より少しだけ上だ」って思ってたとか。けれど手記中の見透かされたような語りかけを読んでいると、そんな単純に推し量れるものではないのだと思う。頭が良い人が本当に羨ましくなる……。

    「とんでもないことをするのは自由なことを選択する権利が自分には残っているって証明するため」ってあって、自分の中のもやもやした気持ちを言語化するのがなんて上手なんだろう……!って感嘆してた。言葉のセンスも好き。「しゃぼん玉と惰性」って言葉すごく惹かれる。ごみ溜めの中に1つましな言葉があっただけの事かもしれない……。

    通りで道を譲ることに耐えかねて、肩をぶつけて将校と対等であることを示すために給料を前借りして立派な服を用意するエピソード、好きすぎる。

  • ひたすら社会や周囲を見下して自分はえらい間違っていないなどと自意識がやたらに強く後悔もしない悲劇的で醜悪な人間をえがきだした作品。

    とはいえ、出だしから『ぼくは意地の悪い人間だ。』『これは肝臓が悪いのだと思う。』でも医者が嫌いだから『いっそ思いきりそいつをこじらせてやれ!』という無茶苦茶なことを言い出したからこれはギャグか??と笑ってしまった。
    絶対に絶対に帰ってやる!!!→だが、帰らなかった、のように心で毒づきまくって勢いのいいことを言うくせに実際には実行にもうつせず余計に事態を悪くさせていく様は滑稽で醜悪。

    第一部は主人公がぐだぐだと思想(とはいえないとおもうけど)を披露し続けるだけなので、読んでて多少きついところがあるけど、第二部になり同窓生たちと会う場面以降になると一気に読みやすく面白くなる。
    同窓生たちのことも見下してバカにしているから向こうからもそれ以上に嫌われる。
    それなのによばれてもいない送別会に無理やり出席して、皮肉を言い、喧嘩し、暖炉から椅子の間を三時間にもわたって靴をカツカツさせながら歩き回り、しまいには娼館にいく金を借りようとする始末。
    あまりのひどさに笑いが止まらなかった。
    実際にこんなひとがいたらまぁ恐怖のほうが強くでるだろうけど、読んでるぶんにはシュールなギャグと紙一重。

    その後娼婦との事後、態度が気に入らなかったことと同窓生たちに冷たくされた苛立ちから『きみなんかの人生はどんどん落ちこぼれてひどくなって最後は広場で男に殴られながら客をとる始末になるし、しめった墓地にうめられるときは墓堀人たちにめんどうくさがられるだろう』的なことをダラダラとひとりでしゃべり続けたあたりで私は本格的に引いた。
    生意気な女には身の程をわきまえさせてやろう、自分はいいけどお前はこれだけ身分が低くて卑しい人間なんだと思い知らせてやろう、というゲスな男によくいるような典型で本当にどうしようもないやつだとおもった。
    そんなことを言っておいて、その女を助けてやった、感謝されるだろう、自分は救世主だ、みたいな考えなところが全く解せない。
    なぜそう思えるのか。


    でも、私もあまり人間生活が得意ではなく息苦しさをいつも感じているから心当たりがある部分もあった。
    『《生きた生活》に対してある種の嫌悪を感ずるまでになっている。』や、『自分の臆病さを良識と取違えて、自分で自分をあざむきながら、それを気休めにしている。』などは読んでいて辛かった。
    だからこそ、《生きた生活》が苦手だとしても決してこの主人公のようにだけはならないように気を付けようと自戒できたのでよかった。
    私のように心当たりを感じるひとは楽しめるだろうけど、生きるのが楽しくてあまり悩みもないようなひとは読んでも自己愛の強い人付き合いの下手な主人公が奇行にはしったり文句言ってるだけのうっとおしい話にしかうつらないのかもしれない。

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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