女の一生 (新潮文庫)

  • 新潮社
3.54
  • (44)
  • (78)
  • (125)
  • (15)
  • (4)
本棚登録 : 1051
感想 : 87
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102014011

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 小学生のころ、私は活字中毒だった。

    とにかく、本であればなんでも読みたくて・・・母が借りてきていた、女の一生を読み、見つかって怒られた。

    小学生が読む本じゃないと。

    大学になってから、再度読んで思った。

    小学生が読む本じゃなかった。

    すでに2回読んでいるのだけれど、図書館で目に留まった。年をとってから読んだらまた違うのかな?と。

    で、3回目読むと・・・

    なんとおぼえていたのと結末が違っていたΣ( ̄□ ̄||)

    もっと救いのない、暗い話のイメージだったけれど、そうでもないなーという感想。

    恵まれた環境にいながら、自らどんどん不幸にしたいく女。

    自分で道を切り開くことをまったくしなかった女。

    ささやかな幸せを感じることができなかった女。

    世の中の不幸のほとんどはこうやってできているのかもしれない。

    そして・・・
    確かに、小学生の読む内容ではない。
    でも、小学生の時、この本のエロさにはまったく気づいてなかったなーーー

  • ボーッとしてたら搾取されて一生終わってしまう。

  • この著作を端的に表すなら、独身の人が周りの人からなんで結婚しないの?って聞かれてうざいなと思ったら「結婚したって『女の一生』みたいになるだけだから。」と答えてもいいくらいの、暗い作品。最後のオチだって、一応絶望エンドではないけれども、いい方向に向かうのかこれ…?と疑問に思わざるを得ないような終わり方だ。
    最初の段階で、両親(特に父親)に純粋純潔に育てられて修道院を出たお嬢様、という描写でもう悪い予感しか無いと思ったが事実そのとおりに。
    だが皮肉にも、主人公の状況がひたすら暗いほうに転がっていくに従って話の内容としては面白くなっていくと個人的には思う。この当時では女の人生なんて生まれた家と配偶者次第なんだろうけど、現代であればいくら容姿に恵まれてもちゃんと自分の頭で考えて行動しないと痛い目に遭う、というような結果になっているからか。

  • 何か問題に出会ったとき、泣いたり悲しんだり、頼ったりするのではなく、ちゃんと逃げずに問題に立ち向かわなければダメだ。そうじゃなきゃ、惨めな事態に陥っても、何も解決しっこないのだ。ジャンヌは、夢みがちで、感情の振り幅が広く、純粋な女性だ。母性愛を深く持っていて、美点はある。ジュリアンとくっついてしまって、あいつがどーしょもないのは不運としか言いようがない。でも、子供の育て方はどうにも良くない。スポイルしている。台無しにしてしまっている。一方、ロザリは、最低な主に手込めにされ、妊娠し、あげく追い出されたにも関わらず、人情深く、優しく、賢く、器がでかい。ジャンヌが、屋敷の家具を売ったお金3600フランを息子にそっくり送ろうとしたのを見破り、咎め、でも600フランは送ることを許す場面は、とても大きくて暖かい人間性がわかるような気がする。最後も、法的なあれこれを全て片付けて、孫を抱いて戻ってきてくれる。ロザリのような女性にはなれないけど、友達になりたい。最後の終わりかたは、少し暖かくて、赤ちゃんの温もりを感じれるところがいい。モーパッサンすごい。

  • 名著と言われてるものがこんな昼ドラみたいな話しでいいの?と思った。
    でもやっぱりただのドロドロした恋愛物語なわけじゃない。
    育つ環境も時代も違うけど、現実味があって、どんな女性にも共感できる部分があるのではないだろうか。
    夫にしても子供にしても、盲目にならずに冷静に考えるのが大切だな、と思った。

  • 最初のあたりは、主人公ジャーヌの少女的な表現の連発にちょっと読むのが大変でしたが、
    そこを越えるとわかりやすい描写でするすると読むことができました。

    全体の3/4くらいまでは、主人公ジャーヌに対して気の毒に思いながらも、
    「全てに対して受身だから、どんどん悲惨な状況になっていってしまっている。幸い資産家の娘なのだし、あまりにも最悪なジュリアンには見切りをつけて、次の幸せを探すべきでは?」と、行動を起こさないジャーヌに対しての怒りもありました。

    でもよく考えてみると、この時代、離婚などは有り得ないことで、
    そもそもそれを考えのひとつに入れられるようには教育されていなかったのだろうと気づき、深く考えさせられました。
    誰もが自分で考え、努力すれば道を切り開くことができる世界になれば良いと、心から思いました。

    結末に関して言えば、孫と一緒に生活できるようになり、本当に良かったです…。

  • 風景描写が素晴らしかった
    目の前にその光景が広がるようで、まるで見たことのある景色のように感じる。
    海がみたくなった。
    ジャンヌが夢見心地から現実を知る時が来た時はつらかった。
    結婚するような年までそういったことに全くの無知であることは、恐ろしい事だと思う。

    愛したひとからの裏切り、不信続きの人生だが、孫娘とロザリによってこの先は幸せに生きられるのか。
    叔母の最後の登場がいつか思い出せない。
    でも読み返してまでいつだったかを確認する気もおきない。 いつの間にか一読者である自分さえも叔母を軽んじている不思議

  • 短編を読んで好きになったモーパッサンの長編を初めて読んだ。中には自ら招いたものもあるようだが、次から次へと悲観的な出来事がジャンヌに降りかかる。しかし、この嫌なものの残らない読後感は一体どうしたことだろう。

    ロザリの台詞として書かれた最後の一文が救いなのだという考えもあるのかもしれない。だが、既に歳を重ね、体力も落ちているジャンヌがどうして育てきれるのか。戻ってきたポールが簡単に改心するとも思えない。そして、そのわずかな望みも、ポールが約束通り戻ってくればの話ではないか。どこにそのような保証があるのか。

    時に登場人物の台詞として書かれる言葉にドキリとさせられる。

    「自分たち二人は、けっして魂までは、心の奥底まではたがいにはいりこめないということ、二人は肩を並べて歩いていて、ときにはからみあうおりはあっても、けっして融けあう仲ではないということ、われわれ人間各自の精神的存在は、永久に一生孤独であるということに、彼女ははじめて気がついた。」(p.116)

    「年とってから、若いときの思い出にまた鼻を突っこむほど、恐ろしいことはないからね」(p.265)

    しかし、極めつけはこのジャンヌからロザリに対するこの台詞だろう。

    「だってしょうがないじゃないか、お前。人はそういつもいつも自分の思うようにはできないものだよ。」(p.377)。

    ああしようと思っても実現できないこともあれば、なぜあの時、こうしようと思い至らなかったのかという後悔もある。

    思えば、ロザリが最後に述べた最後の一文は、このジャンヌの台詞への答えとなり得るのかもしれない。

    しかし、最も心に刻まれたのは次の箇所だ。

    「それからまた、自分のまわりのいたるところで、何かしらがすこし変ってきたように思われた。太陽は自分の少女のころより、すこし熱が冷めてきたのにちがいない、空もすこし青みが失せてきた、草もすこし緑が薄らいできたらしい、と思われた。そして、花も、色あせ、匂いも薄れて、もはや昔のようには酔わせなかった。」(p.433)

    何と美しく、何と的確に、時を重ねることについて述べるのか。本作の要約であるようにすら思える。

    美しさという点では、モーパッサンの描く土地の自然についての描写は見事であり、作品の重要な一部を占めているように思う。

    だれかの不幸を冷笑的に描いた作品などでは決してなく、人生と対峙し、命を削って書き上げられた名作。

  • 順風満帆な貴族の娘のジャンヌ。彼女の幸せな少女時代とそこから転落していく人生がひたすら悲惨だった。だからこそ、物語を締めくくる最後のセリフは悲しみを乗り越えていくジャンヌと読者の胸に希望を灯す美しいものだった。

  • 学校卒業からの、夢の人生の始まり、自分の人生の始まり、と思いきや、あっけなく出会い結婚、人生に翻弄される貴族女性の話。

    原初のタイトルは Une vieということ。
    本当にいろいろ起きて、場面によって喜劇であり悲劇。

    主人公の女性の周りにもさまざまな登場人物がいて、その女性はそのうちの一つの生き方、そのような一つの人生についての視点として読めるのかなと思う。
    多分楽しんでいるときもあるけど、割と一貫して悲劇が印象的。女性を翻弄する人間関係とは対照的に、自然や情景の描写は、読者にも少し安らぎを与える。

    解釈によって人生は悲劇になり喜劇になり、重要なのはその人自身の解釈なのではないかと。

全87件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

フランス人。1850〜93年。母の友人フローベールにすすめられ文筆に転向。最初の成功作『脂肪の塊』(1880)で一躍新聞小説の寵児となる。短編約三○○、長編数作を書く。長編に『女の一生』(1883)『ベラミ』(1885)。短編小説『幻覚』や『恐怖』は戦慄させるほどの正確さで狂気や恐怖を描写し、この狂気の兆候が1892年発病となり、精神病院でなくなる。

「2004年 『モーパッサン残酷短編集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

モーパッサンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×