人間を幸福にしない日本というシステム 新訳決定版 (新潮OH文庫 8)

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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102900086

感想・レビュー・書評

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  • 著書より抜粋
    『サラリーマンは会社で知的なエネルギーも気力もほとんど使い果たしてしまうため、有意義な家庭生活を営む元気を失っている。中流階級の男性社員は、目を覚ましている時間のほとんどすべてを会社に吸いとられる結果、会社以外の個人的な関係に費やす気力が残らない。そのために最悪の影響をこうむるのが、サラリーマンの家庭生活である。日本人の結婚生活が情緒的に空虚であることは、これまでに何度も論じられてきた。それが子供に悪影響を及ぼしていることも、いろいろ語られてきた。これらの問題をここで詳しく述べるつもりはないが、明らかな結論だけは言っておきたい。つまるところ、責任のほとんどは日本の企業にある。社員に対する精神的な要求が多すぎるのだ。』

    この論述に深くうなずいた方は、一度この本を読まれることをお薦めします。20年前に出版された本ですが、取り上げられている問題はどれもまさにいま私たち日本人が直面している問題です(つまり20年間なにも解決していない)。

    この本は、日本人よりも日本の歴史、文化、日本社会の本質に精通しているオランダ人筆者が、真面目で誠実な日本人なら空気を読んで言わずに心に留めておくであろう様々な問題とその本音について、空気を読まずにバンバン指摘しまくる本です。
    著者はこの本の中で、「アカウンタビリティー」という言葉を何度も使っています。アカウンタビリティーは日本では「責任」と訳されがちですが、正確な和訳は「説明責任」だそうです。本来「管理者たち」は、自分がなぜそういう戦略、目標、指針を掲げたか、自分がなぜそういう行動をとっているのかを説明する責任があり、市民からその責任を果たすよう常に監視されているべきであるにもかかわらず、暗黙の了解や建前や連帯責任が日常的にはびこる日本のシステムは「管理者たち」がその説明責任からうまく逃られるよう逃げ道を提供している、と述べています。そういうシステムになっている根本原因は何かについて、本書で追求されています。
    ちなみに「管理者たち(アドミニストレーター)」とは、官僚、終戦後にアメリカの言いなりになった政治家、既得権益者たちを指した著書内の言葉です。官僚非難や政治家バッシングなんかは結構ありきたりな論述に思えます。しかしこの著書が本当に非難しているのは、実のところ私たち一般市民だというのがこの著書の本質だと僕は思います。
    仲間同士で居酒屋に行くと、そこで出るたくさんの愚痴や不満、こうすればもっと社会は良くなるのにという意見、こういった意見は著者に言わさればどれもとても的を得ているそうです。それなのに、一般市民は公の場で「管理者たち」に対してこういう不満や意見を一切言おうとしない。「シカタガナイ」と言って、世の中を変えることを諦めてしまう。そういう日本の一般市民の態度を暗に非難している、(というか自分自身が著者から非難されている)、そう感じさせる本でした。

  •  真の民主主義国家なら、収益を無視して生産力の無限の拡大を国家の最優先課題とし続けられることなどできないはずだ。少なくとも、日本で実際に行われているほど長くは続けられないだろう。
    その為に日本の人々の幸福が甚だしく犠牲にされているからだ。(p.66-67)

     日本の社会・政治現象をじっくりと観察し、欧米の先進工業国と比べてみると、驚くべき事実に気がつく。
    ー日本には、政治に影響力を持つ中流階級がほぼ完全に欠落しているのである。(p.67-69)

     日本のサラリーマン(中流家庭)には、会社以外の場所で使うための政治的な能力を身につける機会がほとんどない。
    会社の仕事にあまりにも多くの時間と知的エネルギーを奪われるので、政治活動をする時間もエネルギーも残らないのだ。日本の大企業は、潜在的に最も強力なこの階級を政治的に監督し続けることで、政治の現状維持に手をかしている(p.69)

    こんな状態だから、日本にはサラリーマンが作った政党も、サラリーマンの利益を代表する政党も存在しない。
    彼ら献身的な会社員からなる日本の巨大集団は、日本の最も重要な巨大消費者集団でもあるのに、政治的には何も発言できず、何も行動できないのである。(p.72)

  • 本書には明確な書誌情報が記されていないが,ともかく日本では1994年に出版されたもので,私が読んだのは2000年の新訳。1994年版では篠原 勝氏による翻訳で,ウォルフレンの著書の翻訳を多く手がけている人物。今回の訳者である鈴木主税氏は私も名前を知っているくらい,多くの翻訳を手がけている翻訳家。そして,私は初めて買う「新潮OH!文庫」の1冊。
    本書のことは1994年の訳書出版当時に知っていたが,基本的に日本論の類は読まない。今回大学講義のレポートの課題図書に指定して,私も読むことにした。

    第一部 よい人生を妨げるもの
     第一章 偽りの現実と閉ざされた社会
     第二章 巨大な生産マシーン
     第三章 無力化した社会の犠牲者たち
     第四章 民主主義に隠された官僚独裁主義
    第二部 日本の悲劇的な使命
     第一章 日本の奇妙な現実
     第二章 バブルの真犯人
     第三章 日本の不確実性の時代
    第三部 日本はみずからを救えるか?
     第一章 個人のもつ力
     第二章 思想との戦い
     第三章 制度との戦い
     第四章 恐怖の報酬
     第五章 成熟の報酬
    暴かれた日本の「素顔」(志摩和生)

    本書を含め,著者による日本論は数多く出版され,その多くが日本語訳もされている。1989年に出版された『日本/権力構造の謎』が大きな反響を呼んだという。その本と本書の違いはよく分からないが,恐らく同じような論調で同じようなキーワードを使っているのだろう。確かに,そういわれてみると,本書のキーワードである「説明責任」という言葉は,昨今の選挙戦でもよく使われる言葉のように思う。本書を読んでいても,どこかで聞いたことのあるような話のようにも思う。
    本書は日本の政治経済の実態を論じたものだが,やはり基本的な日本論の特徴を兼ね備えていると思う。確かに論じられていることは説得的なものかもしれないが,学術的な意味ではそうではない。事実を述べていると思われる一つ一つの記述が何の根拠に基づいているのか全く不明なのだ。その事実がどこに書いてあって,あるいはどのような調査や取材から得られたものかも判然としない。
    前著のタイトルにもなっているように,本書の内容な日本の社会の構造がいかに政治権力・経済権力によって歪められているかを明らかにすることにある。その端的な表現は「官僚制度」である。しかし,ここで官僚というものを私が理解しているかというとそうではない。いわゆる分かったつもりになっている言葉の典型的なものかもしれない。私の理解では官僚とは政治家である。ただ,いわゆる政治家は名前を前面に出して選挙戦を行うことによって選出されるが,官僚は名もなき政治家という印象がある。いわゆる役人のお偉方であり,名のある政治家たちの公約を具体的な政策とし,行政の仕事として翻訳し,実行する人たち。総理大臣が代わっても基本的な政府の政策に大きな違いがないのは,実際にはそうした人たちが政策や行政を担っているからと考える際に重要な役割を果たす人たちのこと。
    しかし,本書ではそういう人たちを「政治官僚」と呼び,それ以外の存在の重要性を指摘する。それは「経済官僚」とも呼べるようなものなのだろうか。財閥など大企業が政治家たちに圧力をかけ,自分たちの経済活動に都合のよい社会構造にしたてるというように理解できる。しかし,本書ではけっしてそういう人たちが影で政治を操っているというような言い方はしていない。そういう人たちですら,自分たちは自分たちの金儲けのためではなく,国のために尽くしているのだということを主張しているのだという。しかし,それがいったいどういうことなのか,はっきりとは書いていない。
    ともかく,本書は一般論である。抽象論ではない。著者はどのような形で得たものか分からないが,日本に関する知識の寄せ集めの中から著者の頭のなかに構築されたシステムがあり,それを著書としてまとめているのだ。まさに,確たるものとしては実在しない「日本人」や「日本文化」というものを都合のよい素材によって実在物にしたてあげる日本人論,日本文化論と共通するものだと思う。もっといえば,血液型で人間の性格を判断するようなこととも共通する側面を有するともいってもいいと思う。
    ただ,本書は学術書ではないので,こういう言語活動は表現の自由の観点からも十分ありえると思うし,読者に対する意識改革という意味ではむしろ歓迎すべき著書である。しかし,著者の真意が必ずしもきちんと伝わるわけではなく,間接的な情報を通じ,また別の日本のステレオタイプを生み出すことにもなるという意味では,やはり本書のようなものに対抗する言説も必要となろう。

  • 1994年刊行。今から20年以上前に書かれた本。当時、日本は責任を取らない官僚独裁の国。新聞報道は横並びで本当のことは書かず、政治に興味を持たず「仕方がない」が口癖の一般市民。

  • 東大、京大、北大、広大の教師がオススメするベスト100
    No.11

  • ウォルフレンの本は初めてではないが、これだけ売れているのも満更タイトルのインパクトだけではなさそうだ。そこまで踏み込んでいいのか? と思うところも少なくなかったけれども、それもまた筆者の言う「シカタナイ」日本人根性なのかもしれない。日本の首相が誰になろうが変わらないという主張には基本的には同感だ。どういうブレーンを持っているかによって変わることはあるかもしれないけれども。

  • 確かに日本はそうだと思わせる記述が各所にあり、認めたくないと思いつつも、認めざるを得ない。
    一番の日本の問題は、日本では言論と報道が市民の側にはないこと。つまり官僚主導と記者クラブにより、日本人はなかば飼い馴らされている状態にあることだという。
    確かに原発問題にしても小沢一郎の逮捕報道ににしても、そして最近では遠隔操作事件の誤認逮捕にしても、マスコミは市民の側に立った報道をしているとは到底言いがたかった。
     しかし、日本人は実は集団になると暴動を起こしやすいのも事実かもしれない。つまり、個人ではあまりだいそれたことはしないのだが、集団になると暴走するとう性癖があるのではないだろうか。そして、官僚たちはそのことを知っているから、国を守るためには国民を飼い慣らす必要があると判断したのだろうと思う。
     本書にはそういった推測も含まれていて、面白い。

  • 良質な日本人論。日本で生まれ育つと見えにくい点をオランダ人の著者が鋭く突っ込んでいます。官僚独裁主義が日本の問題点であるとしてきします。バブル経済の原因も官僚主義によるものと考えています。日本の中流階級は政治的にまったく機能しておらず日本人独特の「しかたない」とすぐにあきらめる態度が問題を解決しない惰性の道をつくりだす原因になっていると看破しています。また部落開放同盟の脅しの問題など、勇気のない日本人には書けない内容まで書いています。外国人の著者から日本人は自国を愛し、勇気を持って問題解決にあたれろ暖かい励ましをもらいました。20年前の本だけどよい本です。

  • 在日歴が40年以上を超える著者が日本社会の裏側に鋭くメスを入れる。普段生活しているだけでは、意識する事のない日本の権力構造と企業の癒着の構図、そして日本の中での市民社会の不在等について論じられている。読んでみて、あまりにも自分が意識している「日本」とかけ離れていたので途中から「ホントかよ」と思う事も多かったが、それは自分の知識のなさに起因しているのかもしれない。もう一度読んだらより良く理解できそう。

  • 「そんなに心配されるほど、日本に生きてて不幸じゃないですから」
    というのが正直な読後感。
    自分自身は幸せに30年以上生きてきているので実感がわかない。
    それが「偽りのリアリティなのです」と言われれば、反論のしようもないですけどね。

    と、ひねくれていてもシカタガナイ(笑)のね、きっと。

    1994年に刊行されてから17年近くたっている今ではずいぶんと日本の状況も変わってきていると思う。
    薬害エイズ問題も進展があったし、小沢一郎さんもいろいろ大変だったし、
    ホリエモンやユニクロなど、日本のこれまでの経済の常識を破る企業や経営者も増えてきたし。

    他の先進国の人たちに比べて、私たちが政治にあまり関心がないのは事実。
    そして、政治に関心をもったほうがいいのも事実。
    ウォルフレンさんが提案する、政治的な運動、もちろん素晴らしいとは思う。

    でも・・・
    そういう意欲のある人は大体、東大とか早稲田で弁論部とかに入って、
    官僚になったり新聞記者になったりするから、現実的に難しいんじゃないかなあ・・。

    そうじゃない人が本当に政治的に「変えたい」と思うことがあるならば、
    企業の中で仕事をして、出世をして、業界団体に顔を出せる立場になり、
    政治家や官僚に、その企業の経済力を盾にモノ申せる立場を目指すほうが
    日本では現実的なのでは。

    そして、2011年現在・・・
    原発の問題で、みんなの関心が政治にすこしむきはじめている今、
    彼は日本の現状をどう見ているか気になります。

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