ホスピスという選択: 人生の最期を迎えるとき、そこに医療の可能性を求めたい (新潮OH文庫 61)
- 新潮社 (2000年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102900611
感想・レビュー・書評
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「終末医療」というものは時々話題にはのぼるものの、いざ当事者となってみると適当な病院の医師にすべてをお任せしてしまうというのがほとんどの人ではないだろうか。「病気は治すもの」あるいは「病気は治るもの」という考えで、手術して薬を飲んで先生の言うこと聞いていればなんとかなると思う人が多いのではないか。とはいえ「完治」という意味での治療可能な病気はそれほど多くはないと思う。まして癌は一旦発生すればどこに転移しているかわからない。そして再発を防ぐために再手術したり抗癌剤を服用したりする。しかし、そうした一般的な治療行為が免疫力などの人間本来の能力を蝕むと主張する研究者もいる。このようなことを思うと「理想的な人間の生き方」というものはいかにあるべきか、を考えざるをえない。そのためには「理想的な人間の死に方」も考えざるをえない。ヘタレなあたしは「苦しい思いをしてまで生きたくない」と思っているのでチューブだらけで死ぬよりは、おいしいものを食べたあとに「思わず死ぬ」あるいは「なんとなく死ぬ」ってほうを選択したい。とはいえ「生かす医療」は儲かるが、その反対を行くホスピスにはお金の問題が大きく絡むのも現実であるようだ。患者が「殺してくれ」と言っても生かしておくほうが「金になる」のである。あたしたちは経済のために生きてるのか?死ぬことすらも「お国様」「企業様」維持のためには許してもらえないのか?こうした疑問は自殺関連の議論でも話題になるが「ホスピス」という具体的なシーンではさらに切実な問題点が浮き彫りになってくるものだ。
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2002年6月 読了。六甲病院のホスピスを中心に。