人魚を見た人: 気まぐれ美術館

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103110057

感想・レビュー・書評

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    以前、もっと早く洲之内徹の『気まぐれ美術館』に出会っていれば良かったと書いた。
    でも、今は、この年齢になってから出会って良かったと思う。

    どうしてそう思うかというと、こういう本を10代や20代で読んだら、自分のことが分からなくなってしまったんじゃないかと思うのだ。
    本に登場する画家たちのように生きなくてはいけないと思い、様々な画家のそれぞれの考え方に翻弄されてしまったんじゃないかと思う。

    事実、10代の頃は絵をやるなら早死にしなくちゃいけないと思っていた。今では不治の病ではないが、結核ですと診断されれば何となくほくそ笑んでしまうような私だった。
    自殺未遂もしたし、年がら年中死にたいと思っていたし、狂気に駆られていなくてはいけないとも思っていた。
    幻覚や幻聴にも憧れた。

    と、振り返ってみると、かなり病んでいる10代だなぁと思う(というか10代自体がそういうものなのかも知れない)。
    それが20代になって、色々な経験をして、絵なんて私には必要ないと思った時期もあって、気付けばもう36歳。
    美しいと思うものも増えた。

    今では早死にしたいなんて思わない。できたら長生きしたい。よぼよぼの婆さんになって絵を描いていたらちょっとカッコイイななんて思う。

    人は人、私は私、と思えるようにもなった。
    本を読んでそこに出てくる沢山の画家の作品をただ素直に素晴しいと思える。自分も頑張ろうと思う。比較はしない。

    たぶんそれは自分の目指す絵がある程度確立されてきたからだと思う。人と比較したって意味がない。
    観て学ぶことは大いにすべきことだけれど、その感動や勉強から先は自分との会話だけしかない。自分自身と対話することで絵が生まれる。
    才能がなくても私には絵しかない。
    私は私の感じる心を私の方法で表現するだけである。
    自分の身に起こった様々なことを糧として、自分を削り取っていくように真摯に真面目に取り組むだけである。

    なんて、ちょっとカッコつけたこと言いましたが、
    でも、本当に30代半ばになってようやく色々なことが見えてきたなぁと感じるのです。

    そしてそういう自分になったからこそ、洲之内さんの気まぐれ美術館が心にぐっと沁み入るのだと思う。

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    【ひたひたの水(井上員男 いのうえかずお さんの話)】より

     折から風薫る五月で、野も山も緑に燃えているが、こういう植物の繁茂のない冬のほうが水が広く見え、葦の線が鋭くはっきり出ていいと井上さんは言う。私は、風に揺れる樹々の梢や、まだ伸びきらない今年の芽の上に突き出た去年の枯葦の穂が、明るい五月の空を背景に一斉に靡くのを見ながら、風景がなぜ風景なのかわかったと思う。自然は生きて動いていて、それを動かすのが風なのだ。おまけにその風は、草の匂いや花の香りを運んでくる。水面を波立たせ、それを銀色に光らせたり、鉛色に沈ませたりするのも風ではないか。

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    【今年の秋】より

     中村彝(なかむらつね)は光の描ける画家なのだ。物に光が当って明るい部分と陰の部分ができるという意味の光ではなく、まんべんなく空間を充たしている光、光があって物は見えるというその光である。
     だから、描かれた物に存在感がある。物が存在する。

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    【薔薇の手紙】より

     私は正平さんと話しながら、絵を見るということの意味を考えた。正平さんの薔薇の絵を見るとき、私は薔薇の見方を教わっているのだ。そうではあるまいか。いい絵は、物の本当の見方を教えてくれる。

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著者プロフィール

洲之内 徹(すのうち・とおる):1913 - 1987年。愛媛県出身。美術エッセイスト、小説家、画商。1930年東京美術学校建築科在学中、マルクス主義に共感し左翼運動に参加する。大学3年時に特高に検挙され美術学校を退学。20歳で再検挙にあい、獄中転向して釈放。1938年、北支方面軍宣撫班要員として中国に渡り、特務機関を経て、中国共産党軍の情報収集に携わった。1946年、33歳で帰国してからの約20年間、小説を執筆。3度芥川賞候補となるが、いずれも受賞はかなわず。1960年より、田村泰次郎の現代画廊を引き継ぎ画廊主となった。1974年から連載を開始した美術エッセイ「気まぐれ美術館」は人気を博し、小林秀雄に「いま一番の批評家」と評された。

「2024年 『洲之内徹ベスト・エッセイ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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