日本の原爆: その開発と挫折の道程

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103136729

作品紹介・あらすじ

戦時下の日本で秘密裡に進められていた、陸海軍の「原子爆弾製造計画」。戦局の挽回を期し、軍部が命じ科学者の叡智を極めたその営みは、しかしやがて頓挫するのだった-。科学者の内なる葛藤、軍人との駆け引き、そしてその後の彼らの生き方とは?戦後、原発立国へと大きく舵を切った日本の、原子力との「前史」を繙く。今、問うべき昭和史の一断面。

感想・レビュー・書評

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  • 展示期間終了後の配架場所は、開架図書(3階) 請求記号 559.7//H91

  •  日本の原爆開発がどこまで進んでいたのかがわかるが、アメリカやドイツの開発内容にまで踏み込んでいない点がやや不満が残る。
     本書を上梓するにあたり、著者は過去の取材以外に努力をしたのかどうかちょっと疑問を持った。

  • 日本における原爆研究の歴史。

    理論はあってもまずウラン鉱石を入手することができず、核分裂の実験さえ成功していなかったことに、まあ納得。

    福島原発の事故を経験した今、「原子力の二つの顔(原子爆弾と原子力発電)とは、悪魔と天使に二分できると錯覚していたことを率直に認めるべきかもしれない」との一文が重い。

  • 「東京原子核クラブ」というお芝居で戦時中の日本の原爆開発の歴史を知る機会があったので手に取ってみました。

  • 今度の戦争中、日本でも原発の開発が行われていたことは広く知られている。日本の戦局が思わしくなくなった頃、巷ではマッチ箱一つの爆弾で町がふっとぶといううわさがまことしやかに流れていた。それができれば戦局を挽回できると考えていたのである。理化学研究所の仁科研究室や京大の荒勝研究室の物理学者たちは、それぞれ陸軍と海軍の支援により原爆の開発にかかわっていた。しかし、かれらは、日本の国力と予算では、今時の大戦中の完成も不可能であるし、米英独にもつくれないと踏んでいた。いや、最初からかれらは原爆をつくろうとしたのではなく、軍の意向のもとに、潤沢な予算を与えられて基礎研究を行っていたと言ったほうがいいかもしれない。ある意味、かれらはうまく軍を利用して研究をすすめたともいえる。また、それが完成しなかったからこそ、戦後に科学者としての良心の呵責にさいなまれることから免れたのである。ただ、かれらの多くは、戦後,大学にポストを得たとはいえ、研究に専念し、中曽根、正力らの政治家によって推し進められた「原子力の平和利用」には積極的にかかわろうとはしなかった。一方、湯川秀樹、武谷三男らは原子力が政治に利用されること、アメリカの従属化におかれることを警戒し、それは原子力の3原則(民主・自主・公開)へと結実していった。中には仏教の道へと進んでいったものもいた。保坂さんのこの本は原爆開発にかかわった研究者たちの戦中戦後史である。

  • 理化学研究所の仁科芳雄が実質的な原爆開発のリーダーだが,実際の開発はほとんどできなかった.研究費を巧妙に獲得し優秀な研究者の徴兵を合法的に回避することを目論んでいたようだ.軍当局が「一発で町を吹き飛ばす爆弾」を求めたのは,ジリ貧になった戦況から止む負えない戦略であったが,泥縄的な構想ではできるものもできない.戦後の核の平和利用にも言及しているが,中曽根・正力ラインがそもそもボタンを掛け違えたことがフクシマの原因の一つではなかろうか.

  • 太平洋戦争末期、日本を震撼させた米軍による原子爆弾の投下。こうして日本は世界で唯一の戦争による被爆国となった。しかし、その日本でも極秘に「原子爆弾製造計画」が進められていた———。後に、我が国が原発立国へと進んでいったきっかけともなるこの極秘計画。保坂正康氏がその全貌を描く。

  • 日本にも原爆製造計画はあった。意図的に「マッチ箱一箱の爆薬でロンドンが吹き飛ぶ」爆弾製造が進行中であるとの噂を流し国民に「神風」を期待させる軍部。それが自身の国に降りかかるとは夢にも思わない国民。現代にも通じる情報操作の恐ろしさを感じる。計画の破綻から戦後の原子力平和利用までの道程を多数の関係者の証言に基づき描いているのだが昭和26年にもう中曽根康弘が登場する。あの人いったい幾つなんだ?

  • 日本の原爆製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに、陸軍では『二号研究』、海軍では『F号研究』と称して、それぞれ敗戦まで研究を要求し続けたのだが、その実態は原爆製造計画と名がつけば予算が貰えたので、研究者は自分のテーマを研究していたのだ。彼らは鼻から日本では原爆製造は不可能と知っていた。また、今日の原子力エネルギー政策は、政治家や官僚が「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに電力の供給を続けている。これらの大義は時代の要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けていると批判している。

  • 戦中科学者は原爆の理論を説き今の日本の力では無理と諭すが、国民にはマッチ一箱で都市が飛ぶという噂がひろがる。これがあれば起死回生と神風を恃む軍部、国民。そこにそれが自分たちの身に降りかかるという発想はなかった。そして結局自分たちにできそうもないとわかった時、それに変わるものが出た。特攻隊。

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著者プロフィール

1939年生まれ。同志社大学卒業。ノンフィクション作家。とくに昭和期の軍事主導体制についての論考が多い。

「2022年 『時代の反逆者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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