殺人者はいかに誕生したか: 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103287612

作品紹介・あらすじ

閉ざされた記憶、明らかになる事件の真相…。勾留施設での面会と往復書簡から炙り出す、その凄絶な生育歴。

感想・レビュー・書評

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  • タイトル通り「いかに誕生したか」にスポットライトを当てて書かれている。 臨床心理士である著者が、かたくなに閉じた獄中の者の心を開き、対話をかさね、殺人の経緯を手繰り寄せていく手腕が見事。 中立の立場であろうとする筆者であるが偏った報道によって世間の誤解を生み、心理鑑定がままならなくなるのがやるせない。 裁判は弁護士と検察官の駆け引きの場であって、「なぜ殺人を犯してしまったか」という経緯はないがしろにされがち。死刑をもってこの事件は終わり、納得しませんよ。

  •  臨床心理士にして大学教授の著者は、よく知られた殺人事件の犯人と、心理鑑定などを通じて「獄中対話」をくり返してきた。その対話に基づき、犯行の心理的背景を探っていく本(一部は虐待致死事件)。

     登場するのは、宅間守・宮崎勤・前上博・畠山鈴香・小林薫・金川真大・山口県光市母子殺人事件の「元少年」など。
     秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大についての章もあるのだが、10人のうち加藤についてのみ、現時点で著者は面会していない(今後面会を行ないたい旨が記される)。

     版元が新潮社であることもあって、『新潮45』がよくやるような煽情的な「殺人ポルノ」(殺人事件の詳細を、ポルノを楽しむように楽しむ目的で書かれた下世話な読み物)ではないかという危惧もあったのだが、読んでみたらすこぶる真摯な内容だった。

     殺人者たちと対話した記録としても高い価値があるし、日本の刑事訴訟のあり方についての提言としても傾聴に値する部分が多い。
     たとえば、著者は次のように言う。

    《社会が抱く大きな誤解は、「刑事裁判によって事件の真相が明らかにされる」という思い込みです。事件事実だけでなく、犯人の動機、そしてどうしてこのような悲劇が起きたのかという原因の究明……。残念なことに、これらを明らかにすることを裁判は目指してはいないのです。
     量刑判断――。
     これが刑事裁判の意味だということを、鑑定に携わるようになってはじめて知った時、私はおおいに落胆したのでした。量刑を判断する上で専門家による調査(各種鑑定)がなされることがあります。しかしそれは真実の究明を目的としているのではなく、あくまでも判決を決める裁判の一プロセスに過ぎず、場合によっては判断材料とすることがあるという程度のものでした。》

    《たとえ真実を察していたとしても、検察官も弁護人も、それぞれの立場から不利なことには触れません。いったん主張したら、あとには引けないという勝ち負けの世界。検察官は有罪かつ重い判決を、弁護人はその逆を目指します。》

     10編それぞれ読みごたえがあるのだが、圧巻は前上博(自殺サイト連続殺人事件の被告。すでに死刑執行)の章と金川真大(土浦無差別殺傷事件の被告)の章。2つの章とも、不謹慎を承知でいえば、文学的感動すら覚える。殺人者という「人間の究極」の心に分け入ることで、優れた文学がそうであるように「人間が描かれている」のである。

     著者は、よくある「人権派」のように加害者側に一方的に肩入れするわけではなく、あくまで中立的な立場を保っている。そのうえで、どれほど凶悪な殺人者の心にも人間性の輝きがあることを信じ、殺人に至った心の軌跡を丹念に読み解いていく。その読み解きのプロセスが、前上、金川の2人についてはとくに印象的なのだ。

     金川真大は、死刑になって死にたいからという理不尽な理由で無差別に殺人を犯し、裁判で「被害者の気持ちは考えないのか」と質問され、「ライオンがシマウマを襲うときに何か考えますか?」と答えたことで知られる。
     著者は、人の感情をもたないモンスターのように見える金川との面会をくり返し、その「感情の否認」が特異な生育歴から生まれた「病的な防衛機制」だと看破していく。そして、彼に宛てた手紙の中で、「ライオンの心がわかった」「金川真大こそがシマウマだった」と記すのだ。

     登場する10人のうち、宮崎勤を除く9人は明らかな崩壊家庭に育っている。親から虐待を受けつづけて育ったり、家族がバラバラで完全に絆が断ち切られていたり……。そのことに、改めて慄然とさせられる。 

  • 実際に対面して話した内容や、著者の見解と世間との評価が違う犯罪加害者の内面や背景をわかりやすく書かれていて、興味深かった。そして裁判や刑罰の意味や更生についても勉強になりました。

  • 10の凶悪事件の犯人の、そこへ至る過程を、獄中対話で読み解きながら、犯罪を防ぐためのヒントにしよう…という感じ?でも変わる社会(特に戦争の全くない状況)や、今後さらに増えるだろう外国人を考えると、最早無駄なような気がしてきます。子供の気持ちを慮り、大事に育てても世界じゃ通用しないだろうし。でも犯罪に巻き込まれるのは勘弁。難しね。ま、同じ状況で育っても、人を殺さない人は多いと思う。

  • ノンフィクション

  • 全てがそうではないのでしょうが
    親子関係が悪い中で育った人が人を殺す人になるのか…。そして人格障害、アスペルガー、etc. 色々な本で障害自体に危険はないとも念を押されてはいるものの、やっぱり(人格障害者にいたぶられた側としては;)危険要素を持つタイプの人に限っては普通に世の中に放たないようにした方が良いと思ってしまいます…。普通にぶっそうな事言ってたし。(自分と合わない人に対して暴力をふるいたいと職場で堂々と言ってた(怯))

    海外で養子縁組した子供達の成長を追跡した結果
    •犯罪者の親に犯罪者の子供
    •普通の親に犯罪者の子供
    •犯罪者の親に普通の子供
    •普通の親に普通の子供
    (犯罪者でも養子縁組可能なのか?という所にも驚きましたが。日本だと養子縁組って条件のハードル高いんですよね?;)

    やはり成長した子供が犯罪者になる率が一番高かったのは
    •犯罪者の親に犯罪者の子供
    で、どのように育つのかは結局
    育つ環境がおおいに影響するという結果だったそうで。

    犯罪は遺伝云々だけでなく「育つ環境」というのはどこでも同じようですね。

    この本を読むと加害者にも痛みや苦しみがあった、という事は分かるのですが被害者にしてみればこう言った本は犯罪者を擁護するようでいい気分はしないかも。
    特に池田小学校事件のあの人。
    この本を読むと随分印象が変わってしまうのですが
    再度ネットなどで
    実際に見える所での態度や言った言葉の数々を読むと
    無関係の私でさえ死ねばいいとしか思えないという。


    反省しない、理解も共感も出来ないまま死刑になってしまったり
    死刑になりたくて殺すなんて話を聞いてしまうと
    遺族はどれほど悔しい事か。
    某国のようにガス室での死刑でも取り入れてみたら殺人事件起こすの躊躇う人もいるのでは…。
    絞首刑だと長時間苦しまず楽に死ねてしまう(らしい)のである意味犯罪者に対して救いがありすぎるというか。

  • したことはやっぱり許せない。
    でもなぜしたのかは知らないといけない。
    これからの未来のために学ばないといけない。

  • 救いようのない殺人者と思っていた加害者にも、こんな一面があった!虐待されていた幼少時代、彼や彼女だけが罪を背負うべきなのか?
    弁護士という人たちにも色々な人がいるのも知りました。

  • 犯罪を犯すことは絶対に悪

    でも、なぜそうなってしまったのかを考えなければ、また同じことが繰り返される、ということを改めて感じました。

    誰もが知っている凶悪事件の裏の部分を知れました。

  • 裁判は量刑を決める所で、真実を突き止める所ではない。
    その事が悲しいし、せっかくだから成育歴から何から調べ上げて再発防止というか、何かしら今後に活かして欲しい。
    でも、成育歴や、精神障害なんかを理由に、犯人が同情されるべきではないと、私は思う。
    「乖離が生じていたから」の理由で、その人が裁かれなかったら、誰を裁けばいいのか。
    私は死刑には反対だけど、犯した罪はやっぱり別人格だろうとなんだろうと、大きな意味で「その人」が犯したならその人が償うべきだと思う。

    この本は「その人」達の生の声が垣間見られる興味深い。

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著者プロフィール

1959年、愛知県生まれ。東海女子大学人間関係学部心理学科教授。名古屋大学大学院教育学研究科博士後期課程中退。専門は心理療法。1999年に「親子連鎖を断つ会」を設立し、虐待する親のケアに取り組んでいる。スクールカウンセリングや犯罪心理鑑定など、幅広い実践活動に日々奔走している。
著書に『子どもたちの「かすれた声」』、『たましいの誕生日』、『こんにちは、メンタルフレンド』(いずれも日本評論社)、『しつけ──親子がしあわせになるために』(樹花舎)、『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか』(東ちづると共著、マガジンハウス)などがある。

「2003年 『たすけて! 私は子どもを虐待したくない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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