- Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103325819
感想・レビュー・書評
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子どもの頃、近所に「女子挺身隊」だったというおばあちゃんがいた。
その人の話がやたらと面白くて、とにかくとことん明るく戦時中を語るのだ。
まぁ、なんの後悔も無いよ、精一杯働いたから。というお決まりの結び文句までしっかり覚えている。
暗く悲惨なイメージが先行する戦争体験談が一般的だが、こういった人たちも案外多いのではないか。
西川美和さんのこの本も、その時代に生きた親戚の伯父さんの「軽やか」な体験談から生まれたもの。
しかしそこはさすがの西川さんで、静かで淡々とした筆致ながらも見事にツボは抑えている。
【終戦当時、ぼくは広島に向かった。この国が負けたことなんで、とっくに知っていた】という帯文に惹かれて読み出した私は、またもや「してやられた」。ええ、本当に。
終戦間際に通信隊に召集された、作者の伯父さん。
その手記と証言から、終戦までのわずか3ヶ月間の心理描写を、丹念に、細かに、綴っていく。
激変した故郷広島に舞い戻るまでの主人公の心情には、心音すら聞こえてきそうなリアル感が漂い、終末に近づくにつれ、読み終えるのが惜しくて惜しくて。
時間軸の使い方も巧みで、ひとの持つ汚さや愚かしさ、たくましさや優しさなどが、静謐な文体で見事に描かれていている。
いつもながら、ひとの感情にはこんなにも色々な側面があるのだと、その描写力にはヒヤッとさせられる。
短い作品の最後では、広島で耳にした「ツクツクボウシ」の鳴き声から、人生を思索している。
その終わり方も、(戦争ものでありながら)実に美しいのだ。
現代の若者がそのまま戦時中にタイムスリップしたかのような主人公の考え方や感覚がむしろリアルで、こういった描き方もあるのだと、深い読後感に浸ってしまった。
ここがいいなと思う場面がいくつもあって、読まれた方はたぶんそれぞれに見つけられることと思う。
後書きがまた秀逸で、「3.11」の体験が、この作品を世に送り出す必然のタイミングとなったという。
北野武さんが、東日本大震災について「2万人が一度に亡くなったのではなく、1人の人間が命を落とした事件がいっぺんに2万件起きた、と考えるべきだ」という内容の話をしていたのを思い出す。
そしてこの作品もまた、「真ん中の話しではなく端っこの物語」だが、紛れもないひとりの人間の戦争体験談なのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
西川美和さんの中編。第二乙種で陸軍の通信兵となった主人公の3ヶ月に渡る体験記。題名の「その日」とは終戦の8月15日の早朝の事、物語はそこから始まる。特に訓練や営巣の様子、空襲等がとてもリアルで映像として迫ってくる。汽車の窓にモールス信号で別れを告げた友人との関係も淡々と描かれているからこそ切ない。
あとがきも本文同様説得力があった。 -
1945年8月15日の早朝5:25東京初の列車で故郷広島に向かう陸軍特殊情報部の通信兵吉井と益岡。
玉音放送前のこの時間、彼らは日本の敗戦を知っていた。
太平洋戦争に関する小説の中では、常に取り上げられてきていた空襲や原爆、外地での戦いなどとは一線を画したような、至って淡々としたストーリーです。
でも、これも戦争の事実なのでしょう。
死と常に向かい合わせだった時代。
こんな風にその時を乗り越えてきた人達がいたからこそ、今があるということもあるのかも。
著者の叔父様の実体験が元になっているとのこと。
それを手記として残して下さったことに感謝。おかげで素晴らしい小説に出会えました。 -
西川美和さんの本はいつも行間に熱い何かを秘めているので、読みやすいばかりでなく心に長く残るものが多いのです。これもそうですね。
第二次世界大戦の終息を淡々と一兵卒の視線で。
奇しくも大震災と重なってのご執筆ということで付されたあとがきにも感銘を受けました。 -
この戦争は終わるだろう、終わったという感覚は、きっとこんな日常の延長であったのかもしれない。と、いつも冷静で淡々としている主人公。著者の父がモデルという。
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その日とは、昭和二十年八月十五日のこと。そうあの日です。
その日の東京発五時二十五分発の汽車に飛び乗った通信兵の青年ふたり。部隊が解散され故郷へと帰る彼らは日本が負けたこと、戦争が終わったことを既に知っていた。
作者曰く「全てに乗りそびれてしまった少年」の戦争物語。銃撃戦もなければ空襲から逃げ惑うこともありません。しかし確かにそこに「戦争」はあるのです。過激な表現もなく涙を誘う盛り上がりもありませんが、目の前に「戦争」があるのです。その見えないものを見せる手法が却って映像的に迫ってきます。
主人公の周りに配される女性の役割も面白く、訓練する兵隊を遠くからじっと見るシスターたち、汽車で乗り合わせる幼い子連れは自らの希望にすがりつき、そしてたくましい姿を見せる火事場泥棒のふたり組。彼女たちもまた「戦争」と直面せずとも、隣り合わせで生きている人たちなのでしょう。
「戦争」という日常から「戦争が終わった」日常へと移り行く瞬間。全てが終わった後の広島の地に立ち歩み出す主人公に、そんな思いを重ねてしまいます。 -
始まりの場面は終戦の日。その明け方。
主人公の青年が家族のことや軍隊での経験を淡々と、時には楽しそうに軽やかに語る。
祖父の思い出の場面など、やりとりが目に浮かぶようで、とにかく文章がさりげなく上手い。
あとがき迄もがひとつの作品。