その日東京駅五時二十五分発

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103325819

感想・レビュー・書評

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  • 子どもの頃、近所に「女子挺身隊」だったというおばあちゃんがいた。
    その人の話がやたらと面白くて、とにかくとことん明るく戦時中を語るのだ。
    まぁ、なんの後悔も無いよ、精一杯働いたから。というお決まりの結び文句までしっかり覚えている。
    暗く悲惨なイメージが先行する戦争体験談が一般的だが、こういった人たちも案外多いのではないか。

    西川美和さんのこの本も、その時代に生きた親戚の伯父さんの「軽やか」な体験談から生まれたもの。
    しかしそこはさすがの西川さんで、静かで淡々とした筆致ながらも見事にツボは抑えている。
    【終戦当時、ぼくは広島に向かった。この国が負けたことなんで、とっくに知っていた】という帯文に惹かれて読み出した私は、またもや「してやられた」。ええ、本当に。

    終戦間際に通信隊に召集された、作者の伯父さん。
    その手記と証言から、終戦までのわずか3ヶ月間の心理描写を、丹念に、細かに、綴っていく。
    激変した故郷広島に舞い戻るまでの主人公の心情には、心音すら聞こえてきそうなリアル感が漂い、終末に近づくにつれ、読み終えるのが惜しくて惜しくて。
    時間軸の使い方も巧みで、ひとの持つ汚さや愚かしさ、たくましさや優しさなどが、静謐な文体で見事に描かれていている。
    いつもながら、ひとの感情にはこんなにも色々な側面があるのだと、その描写力にはヒヤッとさせられる。
    短い作品の最後では、広島で耳にした「ツクツクボウシ」の鳴き声から、人生を思索している。
    その終わり方も、(戦争ものでありながら)実に美しいのだ。
    現代の若者がそのまま戦時中にタイムスリップしたかのような主人公の考え方や感覚がむしろリアルで、こういった描き方もあるのだと、深い読後感に浸ってしまった。
    ここがいいなと思う場面がいくつもあって、読まれた方はたぶんそれぞれに見つけられることと思う。

    後書きがまた秀逸で、「3.11」の体験が、この作品を世に送り出す必然のタイミングとなったという。
    北野武さんが、東日本大震災について「2万人が一度に亡くなったのではなく、1人の人間が命を落とした事件がいっぺんに2万件起きた、と考えるべきだ」という内容の話をしていたのを思い出す。
    そしてこの作品もまた、「真ん中の話しではなく端っこの物語」だが、紛れもないひとりの人間の戦争体験談なのだ。

  • 西川美和さんの中編。第二乙種で陸軍の通信兵となった主人公の3ヶ月に渡る体験記。題名の「その日」とは終戦の8月15日の早朝の事、物語はそこから始まる。特に訓練や営巣の様子、空襲等がとてもリアルで映像として迫ってくる。汽車の窓にモールス信号で別れを告げた友人との関係も淡々と描かれているからこそ切ない。
    あとがきも本文同様説得力があった。

  • いやあ、素晴らしかった。お見事でした。

    長編、という程の長さはなく。短編、という程に短くもなく。中編、ですね。まさに中編、という感じ。程よい長さ、という塩梅です。うむ。これぞ中編、という感じ。

    一切内容を知らずに手に取りましたので、まさかの戦争もの、という事が分かった時は、まあまあビックリしました。まあ、物語の序盤直ぐぐらいで「コレは戦争ものですよ」って分かるんですが、そこに至るまでは、マジで一切わからなかった。

    題名からして「その日東京駅五時二十五分発」やないですか。なんだこの題名?なんだこの意味?って感じで、どっちかゆうたら、なんかオシャレ系の題名やないですか。古臭い表現するなら、トレンディードラマみたいな題名だな、って思いましたもん。

    物語は、まず、主人公の回想から始まる
    さい。実家の祖父がとんでもねえ怖いおじいちゃんなんだよ、って回想。そのおじいちゃんのお蔭で、僕は人のされこうべ、しゃれこうべ、頭がい骨の形が想像できるようになりました、という面白すぎる回想。

    で、その後、現実世界になる。主人公と、その友人、益岡が、土嚢の上で寝ている。土嚢?土嚢って、なんだ?とかちょっとひっかかるけど、このあたりでも、まだ、戦争モノだと分からない。お、主人公、19歳なんだ。そうなのか。ふーん。って読み進めて、その後いきなり、憲兵、登場するんですよ。け、憲兵?憲兵って。って、この辺りで、自分はようやく、あ、これ、戦時モノだ、戦争モノだ、あの時代が舞台の話なんだ、って理解しました。そこに至るまでの、時代設定の飲みこめなさが、いやあ、上手いなあ!ってね、思ったんですよねえ。

    主人公の口調が、まず、なんというか、全然古臭くない。2021年現在でも普通にいそう。この小説は2011年頃の作品なんだそうですが、いやあ、、、全然、戦争小説の体のカケラも感じさせない、主人公の口調の「いまふう」さ。

    現代の若者が、戦時中にタイムスリップしたんじゃねえの?って思わせるくらいの、圧倒的な「いまふう」さ。それがなんちゅーか、すっげえな、って思いました。西川さんの語りの凄さを、なんだか、しみじみと感じた。

    この主人公のモデルは、わたしの叔父の実際の体験談なんです、ってことが、西川さんの後書きで明らかになるんですが、そこでの主人公(叔父)を評した西川さんの言葉が、またお見事すぎるんですよ。

    「全てに乗りそびれてしまった少年」

    というね。お見事すぎる。上手すぎる表現だな、と。まさに戦争のド真ん中の時代を、少年兵として生きながら、その「戦争そのもの」から、かくも遠き場所で少年兵だった叔父さん。戦場には出ない。超理不尽な戦争の残忍さを味わうこともない。広島出身だが、あの未曽有の大惨事、原爆投下の場面には、現地にはいない。「戦争そのもの」を本当にガチで経験することは最後までないまま、終戦を迎える。だがそれすらも、その流れすらも、それでも間違いなく「戦争そのもの」だったのだ、という感じ?

    圧倒的な当事者意識の無さを通して語られる戦争、とでも言いましょうか。この視点。凄い。お見事すぎる。とね、思うんですよ。こんな戦争小説、初めて読んだ、という気がしました。

    あと、終わらせ方も、なんという潔さ、という感じ。乾いている。でも不思議な温かさもある。主人公、終戦とともに、原爆投下され全てが灰燼と帰した広島に帰ってくるんですが、家族の安否を知る事になる前、で、小説、終わるんです。バッサリと。え!?そこで終わり!?という。普通だったら、家族の安否を確かめさすでしょ?なんか、そこの落とし前、ちゃんとつけさせませんか?

    西川さん、そうしない。そこを描かないんだな。うわ、凄いな、って感じ。主人公の「全てに乗り遅れてしまった」感を強調するためなんだろうなあ、って、勝手に自分では理解したのですが、どうだろうか。アレが逆に、お見事すぎる終わらせ方、だと思いました。

    主人公以外の登場人物が、なんだか、主人公よりも活き活きと描かれているのが、なんだか、これまた良い。同僚の益岡との、大阪駅で別れる時のモールス信号?でのやりとり。滅茶苦茶良い。

    長居電車の旅で、向かい合わせに座った若い女と幼子の組み合わせも、良い。あの幼子のふてぶてしさと逞しさ。母と子、ではないんですよね。女は叔母であり、子は女の兄の子なんですよね。その組み合わせもまた、良い。うーむ。こういうのを描く西川さんは、ホンマに上手いな、と。

    あ、物語の最初のほうで、主人公が航空機用エンジンの生産工場で旋盤を回すのが楽しすぎてウキャーウヒヒ、ってなってるやないですか。あの工場の、左足が義足の班長さん。凄く不気味だけど凄く良い人のような凄く腹黒い人のような。いやあ、上手い。上手いんだよ。

    掛井智常中尉は、どうしてもどうしても良い。この話の中の、最高の一服の清涼剤。これほどに見事な人が、おそらく、当時、本当にいたのだろう。そのことが泣けてくるほど嬉しい。掛井中尉、どうか、どうか、生き抜いて頂けた事を心から願います。

    あと、やっぱなんといっても、最後の最後に登場する、広島の、火事場泥棒?と思われる?二人組の姉妹。あの二人の圧倒的な逞しさ。屈託のなさ。あっけらかんさ。生きて行く、ということの圧倒的な強さ。ありゃあもう、、、凄い。凄いな。

    西川さん、この作品は、映画化は、、、しないのかな。2021年現在で、もう10年前の作品ですからね。おそらく、されないんだろうなあ、という気がします。うーむ。勿体ない。凄くこう、凄くこう、良い映画に、成りそうな気がするんだが、、、うーむ。勿体ない。気がする。しかしまあ、流石の西川美和。やっぱ、この人は、凄いわ。

  • 1945年8月15日の早朝5:25東京初の列車で故郷広島に向かう陸軍特殊情報部の通信兵吉井と益岡。
    玉音放送前のこの時間、彼らは日本の敗戦を知っていた。

    太平洋戦争に関する小説の中では、常に取り上げられてきていた空襲や原爆、外地での戦いなどとは一線を画したような、至って淡々としたストーリーです。
    でも、これも戦争の事実なのでしょう。

    死と常に向かい合わせだった時代。
    こんな風にその時を乗り越えてきた人達がいたからこそ、今があるということもあるのかも。

    著者の叔父様の実体験が元になっているとのこと。
    それを手記として残して下さったことに感謝。おかげで素晴らしい小説に出会えました。

  • 西川美和さんの本はいつも行間に熱い何かを秘めているので、読みやすいばかりでなく心に長く残るものが多いのです。これもそうですね。

    第二次世界大戦の終息を淡々と一兵卒の視線で。

    奇しくも大震災と重なってのご執筆ということで付されたあとがきにも感銘を受けました。

  • 東京駅駅舎を空襲から護る土嚢の上で仮眠していた真夜中1時半、憲兵に「どこの隊のものか」問われ困る吉井と益岡。益岡の大袈裟な芝居で乗り切ったがー

    ◆1945年春に召集されて終戦まで三ヶ月陸軍特種情報部の通信兵として訓練した伯父の体験記から構想得たという8月15日の話。絶対今日読もうと思ってた。でも戦争の悲惨さ、そこを耐え抜いて復興した強さ、みたいな物語じゃなくてむしろ「そうか、こういう人もいるよね」と思った。

    広島出身の西川さんが後書きで「どうして私たちは、自分の知らない時代のものの起こした戦争の、嫌な話や、悲しい話を聞きながら育たなければならないのだろう、とずっと思ってきました。日本人として、広島に生まれたものとして「知っとかなきゃいけない」というのは理屈では分っていても、殺したり、殺されたり、焼いたり、焼かれたり、そんな話ばっかし。頭が割れるほど嫌だった」本当に、修学旅行で「連れていかれる広島」じゃなくて。「終戦記念のテレビ特番」じゃなくて。自分の意思で見ないことには。

  • 分量が少ないので、あっという間に読んでしまった。
    が、あっという間に読んでしまった理由はそれだけではないと思う。
    とにかく惹きつけられ夢中になって読んだからだ。

    今まで自分がどれだけ太平洋戦争がテーマの本を読んできたのかさっぱりわからないし、たぶんそんなに多くもなかったと思う。
    でも、おそらく戦争の話は、なんていうかな、本書よりきっともっと凄惨だったり鮮烈だったり、ではなかったかな?
    または、戦争を題材にした小説はそのようなものと自分が思い込んでいるだけかもしれないのだが。

    しかし本書には、そんなシーンは微塵も出てこないのだが、それでも、ひしひしと、これは間違いなくあの戦争の話だと私に感じさせる筆力が素晴らしいと思った。

    私はまだ両親から戦争の話を多少は聞いて育った世代だから、読んでいて光景が想像できるのだが、私の子供達世代はどうだろう、シーンが全く想像できないかもしれないな。

    ただ、私よりずっと若い作者が、広島に生まれたというだけで、物心ついた頃から戦争や原爆にまつわる話に囲まれて育ってきて、しかもそれがものすごく嫌だったということを作者あとがきにて知った。
    私が親から多少聞かされたなんて比じゃないのだろう。

    また本編を読んでいる時、そんな記述があるわけではないのにもかかわらず、なぜか私は東日本大震災とオーバーラップさせてというか、脳裏に浮かんだのだが、実はそのことも本書に大きく影響していたということをあとがきから知ることになる。
    本文には書いていなくても作者と同じことを思い浮かべていたのは、果たして作者の意図と筆の力なのか、それとも私も作者と同じ感覚であの3・11の震災を捉えていたのかはわからないが。

    本編で、上官が写真を燃やすところと、益岡が大阪駅のホームで別れ際にモールス信号を送ってきたところは、目頭が熱くなった。

    あとがきから察するに、これも映像化されているのかもしれないが、観たいとは思わない。
    逆に、この作者が「ディア・ドクター」と「ゆれる」の作者だと知り、どちらも(内容は覚えていないが)映像は観ているので、「ディア・ドクター」の原作を読んでみたい。(と思って調べたが、原作の小説は無いようだ)

  • この戦争は終わるだろう、終わったという感覚は、きっとこんな日常の延長であったのかもしれない。と、いつも冷静で淡々としている主人公。著者の父がモデルという。

  • その日とは、昭和二十年八月十五日のこと。そうあの日です。
    その日の東京発五時二十五分発の汽車に飛び乗った通信兵の青年ふたり。部隊が解散され故郷へと帰る彼らは日本が負けたこと、戦争が終わったことを既に知っていた。
    作者曰く「全てに乗りそびれてしまった少年」の戦争物語。銃撃戦もなければ空襲から逃げ惑うこともありません。しかし確かにそこに「戦争」はあるのです。過激な表現もなく涙を誘う盛り上がりもありませんが、目の前に「戦争」があるのです。その見えないものを見せる手法が却って映像的に迫ってきます。
    主人公の周りに配される女性の役割も面白く、訓練する兵隊を遠くからじっと見るシスターたち、汽車で乗り合わせる幼い子連れは自らの希望にすがりつき、そしてたくましい姿を見せる火事場泥棒のふたり組。彼女たちもまた「戦争」と直面せずとも、隣り合わせで生きている人たちなのでしょう。
    「戦争」という日常から「戦争が終わった」日常へと移り行く瞬間。全てが終わった後の広島の地に立ち歩み出す主人公に、そんな思いを重ねてしまいます。

  • 始まりの場面は終戦の日。その明け方。
    主人公の青年が家族のことや軍隊での経験を淡々と、時には楽しそうに軽やかに語る。
    祖父の思い出の場面など、やりとりが目に浮かぶようで、とにかく文章がさりげなく上手い。
    あとがき迄もがひとつの作品。

著者プロフィール

1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2002年脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、2006年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。2009年公開の長編第三作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。2015年には小説『永い言い訳』で第28回山本周五郎賞候補、第153回直木賞候補。2016年に自身により映画化。

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