スズキさんの休息と遍歴またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103775010

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  • 40歳を過ぎ、広告代理店の副社長という職にありながら、スズキさんはいまだに世の中に対して怒っている。いや、怒っているのではなく、本人としては正論を唱えているつもりなのだが、一人息子のケンタにはパパはいつも何かと闘っているように見えるのだ。

    妹と海外旅行に出かける妻を空港に見送ったら母親に息子を預け、久しぶりの休暇を楽しむはずだったのに、何を思ったのかスズキさんはケンタを乗せたまま会津若松目指してシトロエン2CVで旅立つ。スズキさんをそんな行動に駆り立てたのは、その朝郵便受けに入っていた一冊の本のせいだった。スズキさんは、なぜか無性に本の送り主である学生運動時代の仲間に会いたくなったのである。

    その本というのは、岩波少年文庫の『ドン・キホーテ』。言うまでもないが、スズキさんの旅は、騎士道の廃れた時代に騎士道を求めて遍歴する「憂い顔の騎士」ドン・キホーテの遍歴譚のパロディである。かつてはあれほど真剣に革命を目指して闘った闘士達も実社会に出てしまえば、みな訳知り顔の大人になってそれなりの生活を送っている。時代は変わった。イデオロギーの出番はなくなり、左翼はいつの間にか消えてしまった。

    スズキさんは、ラ・マンチャの騎士よろしく、ロシナンテならぬドーシーボーに跨り、サンチョ・パンサの代わりにケンタ君を連れて、会津から八戸、そして最後は北海道の留萌まで旅するのだった。学生運動家であった頃、仲間から「弱り顔の戦士」と呼ばれ、今なお「在日日本人」を名のってはばからないスズキさんの言動のハチャメチャぶりは、充分にドン・キホーテのパロディとなっているばかりでなく、日本の現実が持っている嘘っぽさや、惨めったらしさを暴くことに成功している。

    何かというと、警官に対してたてをつき、外車というとミニでもボルボでも均一料金というフェリーの代金にくってかかり、ディズニー映画が胡散臭いからと言って(東京に住んでいるのに)子どもをディズニーランドに連れて行かなかったり、スズキさんの行動はかなりおかしい。多くの人は、スズキさんの行動に腹を抱えて笑うだろうが、その奇行愚行ぶりを笑いながらもどこかに共感を抱くのではないだろうか。

    官憲にも暴力団にも敢然と立ち向かうスズキさんはケンタの目には頼もしいパパであり、中年の読者にとってもいつの間にか自分の中で失われたものをいつまでも持ち続けている眩しいヒーローのように見えてくる。その意味では、これは『ドン・キホーテ』のパロディであるばかりでなく、矢作の書くハードボイルド小説をネガとすれば、そのポジになっているのかもしれない。

    本文イラストもまた矢作の手になる。これが、手慣れていて素晴らしい。伊丹十三が自分のエッセイに描いていたイラストも巧かったがあれに負けていない。タテカン風の書き文字はただただ懐かしく、結末の淡いロマンス風の味付けをノスタルジックに彩る。

    学生運動華やかなりし時代には少し遅れ、世界同時革命の夢は破れた映画ポスターの中で色褪せ、風に弄れているのを見るばかりだった。しかし、その後、この国はその頃より少しでもましになったか。「しかたなしに日本に滞在している日本人」である「在日日本人」というのは、正直偽らない自分の心境に近い。作中、「ドン・キホーテの何が悪い」と呟く人物が出てくるが、たしかに悪くなんかない。ただ、人はいつまでもドン・キホーテを気どることはできない。夢から覚めた後をどう生きるかが問われているのだ。

  • 2009/1/12購入
    2010/7/16購入
    2012/7/21読了

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著者プロフィール

1950年、神奈川県横浜市生まれ。漫画家などを経て、1972年『抱きしめたい』で小説家デビュー。「アゲイン」「ザ・ギャンブラー」では映画監督を務めた、『あ・じゃ・ぱん!』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、『ららら科學の子』で三島由紀夫賞、『ロング・グッドバイ』でマルタの鷹協会・ファルコン賞を受賞。

「2022年 『サムライ・ノングラータ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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