晴子情歌 上

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103784029

作品紹介・あらすじ

昭和五十年、洋上にいる息子へ宛てられた母・晴子の長大な手紙。そこにはみずみずしい十五歳の少女がおり、未来の母がいた。三十になって知る母の姿に激しく戸惑いながら、息子・彰之は初めて母という名の海へ漕ぎ出していく。

感想・レビュー・書評

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  • 暗く重い過去をめぐり、すくいようのない人間の一面がえぐり取られている。6

  • 結構なボリュームがある2002年の作品、母から息子への書簡の形で家族の歴史が浮かび上がってくる形式。青森の町を舞台に大正生まれの母がさまざまな思い出をかなり詳しく長文に何十通もしたためるけど奉公から入った女性にしては教育レベルの高い内容ですね。

  • たくましく生きる、でも愛らしい主人公晴子が好きだ。
    古き良き日本が眼の前に浮かんでくる。
    特に、にしん漁の様子はまるで映画のシーンのようだ!

  • ミステリを離れた高村さんが女性を主人公に昭和を描いた作品。
    大人になった息子へ長い手紙を書くという形式。
    大人しそうに見えて妖艶なものを秘めたヒロインの波乱の人生。
    ミステリの雰囲気と違う、日本らしさを意識した柔らかで冗長な文章に読者は驚いたかも。
    色っぽい母と息子は、じつはいつもの高村作品と似たキャラクター?かも。

  • #2602-113-364

  • 高村薫さんの小説に合田雄一郎シリーズというのがあるが、それと「福澤彰之シリーズ」が交差する。

    この小説、今までの高村ものと全然毛色が違うんですな。第一、事件が起こらない。人間の内面に深く切り込む新境地、というように説明されているが、確かにそういう野心が感じられる。

    「晴子」というのは母である。
    「母と息子は本質的にわかり合えるのか?」 それがテーマのように思われる。

    息子彰之は、大学を出てから遠洋漁船に乗り込んでスケソウダラとかを獲っている。
    息子に、晴子は長い長い手紙を送る。
    その手紙…青森・野辺地から北海道・初山別などを舞台にした母の少女時代から息子を産む辺りまでの回想と、現在(といっても昭和五十年頃)の北方の荒れ海を舞台にした息子を取り巻く人物や心象風景とが、交互に描かれる。

    母は鰊漁に湧く北海道や戦争に向かう日本を背景に、一方息子は労働争議や学生運動を背景に(双方の空気感は少し似ている)、それぞれの生を生きる。時に女として、時に男として。

    二人の時空の隔たりは、物語を追うにつれ次第に近づいていく。ラストシーンでクロスするのかと思っていると、二人のラインは微妙にすれ違ったまま終わる。

    母と息子はクロスしない…それが作者が描きたかったポイントらしい。

    作者が描きたかったといえば、そもそも作者の根元的な動機は、母の手紙の舊仮名遣ひや青森弁(南部弁か)を書きまくることにあった気もする。

    なんにせよずっしりと重い作品であった。

  • 1

  • ようやく読み終えたというのが、正直なところ。
    旧仮名遣いで書かれた文章は、重々しく、理解しづらいところも多く、かなり骨が折れる。
    行きつ戻りつしながら読むため、遅々として進まない。
    不安定な足元を、転げ落ちないようにしっかりと確かめながら高い頂を目指す、そんな形容がしたくなるような読書だった。
    途中で投げ出すことなく読み終えることができたのは、この小説が持つ強力な磁力に引っ張られたがゆえである。

    主人公・晴子が息子・彰之に送った100通を超える手紙と、それを受け取った彰之の現在の心境や回想によって物語は描かれていく。
    その手紙に綴られるのは、50年に及ぶ晴子の数奇な人生である。
    晴子は大正9年、母の実家である東京本郷の岡本家で生まれた。
    父・康夫は東大文学部を出て、東京外国語学校で講師を勤める左翼系のインテリであったが、若くして亡くなった妻の死をきっかけに、残された4人の子供を連れて康夫の実家のある青森県津軽地方の筒木坂(どうぎざか)へと帰っていく。
    そして実家の野口家に晴子たち4人の幼い子供を預けたまま、北海道へと渡ってしまう。
    野口家の次男が働く江差の鰊場に、職を得たためであった。
    昭和9年、晴子15歳の時である。
    その後、晴子たちは父が働く鰊場に移り住むことになるが、翌年、父・康夫は死亡、その結果弟妹は東京の母親の実家に引き取られることとなり、晴子はたったひとりで生きていくことになる。
    筒木坂に帰った晴子は、新しい奉公先となる野辺地の福澤家で働くことになる。
    福澤家は古くから醤油製造業を営む県下有数の名家であり、当主・勝一郎は事業家として様々な会社を経営する傍ら、衆議院議員として政治の世界でも重きをなす人物であった。
    そこで女中として働く晴子は、やがて福澤家の跡取りである榮の子を産み、戦争から帰ってきた画家を志す放蕩息子・淳三と結婚することになる。
    そして昭和50年、彰之は東大理学部を出たものの、ある日突然漁船員となることを告げ、北転船に乗り込んで遠洋漁業へと旅立ってゆく。
    そこから晴子の彰之へ送る手紙を書く日々が始まる。
    その手紙に描かれるのは、これまで歩んできた晴子の人生と家族の姿であるが、それと同時に激しく揺れ動く昭和という時代を描いた叙事詩ともなっている。
    津軽や北の大地の因習や風土、そこに根差して生きる人々の姿、さらに大家(おおやけ 津軽弁で大地主の意)である福澤家の複雑で陰湿な家系と政治の世界、そして戦争というものの実態、さらに息子・彰之の章では、それらが彼の視点からも描かれ、揺れ動く心の襞が書き加えられていく。
    そしてそれが言葉の奔流となって押し寄せてくるのである。
    晴子が文学少女であるという設定にはなっているが、それにしてもこの奔流はただ事ではない。
    これはそうした膨大な言葉の渦によって書かれた昭和史であり、民衆史である。
    その醍醐味に、そしてその熱量に、心底圧倒されてしまったのである。

    ところで昨年の秋、津軽半島をドライブしたことを以前書いたが、それは小説の最初の舞台になった木造町(今はつがる市となっている)の筒木坂(どうぎざか)に行ってみようと思ったからである。
    果たしてそこはどんな場所なのか、その風景をいちどこの目で確かめてみたいという思いがあったからである。
    津軽半島の付け根に位置する漁港・鰺ヶ沢から北に延びる国道をしばらく走ると、広大な田園地帯が現れてくる。
    そこが目指す筒木坂であった。
    しかし行けども行けども人家が見当たらない。
    秋の穏やかな風景ではあるが、ひと気はなく七里長浜から吹きつける風は強い。
    冬になればおそらく荒涼とした雪景色になるだろうことは容易に想像できた。
    ましてや主人公・晴子たちが、この地に足を踏み入れた昭和初期の頃となると、それはさらに荒々しいものだったにちがいない。
    小説ではそれを「嵐が丘」の描写を引用して、「大気の動亂(どうらん)」と呼んでいる。
    その一部を書き写すと次のようなものである。



     そして間もなく林が途切れ、その先に山のような砂丘があらはれたときの驚きと云ったら!その砂の山はなだらかな上り下りを伴ひ、見渡すかぎり續いてゐました。薄く被った雪が風に巻き上げられて煙を上げてをり、さらに砂は別の煙になってそれに重なり、滲みあひ、濃淡を作りながら流れていきます。その下では、未だ色のない草が間断もなく風になびき續け、砂丘そのものがうねりながら動いてゐるかのようです。しかも、何と云ふ風でせう。それはもう鼓膜をぢかに震はし、ほとんど何も聴こえません。その風を見てゐるとき、ふいに「大気の動亂」と云ふ言葉が一つ浮かんできましたが、『嵐が丘』と云ふ小説の中で、そこに吹く風のことをそのように書いてあるのです。まさに風の姿が小説家にそのような言葉を思ひつかせたのか、小説家のこころの有りやうが風の姿をそんなふうに見させたのか、どちらが正しいのかは私には分かりませんが、ともかくその外國の小説の感覚が突然身近になり、私はしばし言葉を失いました。



    さらにその先にある七里長浜の海辺の描写へと続いていく。



     前方の海は鈍く光りながら濱を覆ふばかりの波を繰りだして打ち寄せ、濱一面が飛沫とさらに細かい水煙の中にありました。眩しい白さは、まるで無数の光の点のやうです。濱は色がなく、海と砂丘の間に開いた水煙の靄の廊下のやうで、一軆どこまで續いてゐるのか分かりません。その先の方は半分明るく、半分翳ってをり、空と陸の境も分かりません。
     沖にはガスがかかってをり、薄い桃色と黄色に色づいて空と繋がり、そこからは仄かな日差しが透過してきて、ガスと海と濱の全部をぼんやり照らしてゐます。その遥か上方で鳴り續ける風音も、沖の方から傳はつてくる轟音も、いまは少しくぐもって響き、そこに打ち寄せる波の朗らかに高い音が加わると、まるで天と地が呼び合つてゐるように聴こえます。さらに私の耳のせゐでせうか、そこにはやがてリン、リンと云ふ明るい鈴の音が混じり始め、初めは微かに響いてきただけでしたが、その音はしかし、遠くから確かに近づいてきます。
     そうして突然、水煙の靄の濱にいくつかの人の姿があらわれたかと思ふと、それらの人影は少しづつ間隔をあけてゆらゆらと濱を近づいてくる行列の姿になりました。私は、海辺の蜃気樓を見てゐるような心地になり、さらに目を見開きます。いまはリン、リンと鳴り續ける音のほかに、ほーお、ほーおと云ふ齊唱も聴こえてきます。私は靄の中でゆらめき續ける人影を八つまで數へましたが、それは網代笠と墨染の衣と白脚絆と云ふ姿の人びとで、右手の小さな持鈴を鳴らし、ほーお、ほーおと詠うやうに長閑で、なほ鋭い喚声を上げてゐるのでした。その行列の上に波しぶきの光の塊が降り、海と空から曇硝子を通したやうな光が降り続けます。
     やがて、それは私たちの直ぐ傍まで来て止むと、間もなく今度は私たちの垂れた頭の上に、低く呟くやうな聲が降ってきました。ほんの短い間、意味も何も分からないままに、むへんぜいぐわん、むじんぜいぐわん、むりょうぜいぐわん、むじやうぜいぐわん、と云ふ不可思議な言葉の響きが耳に滲み込みます。そのときの心地を云ひあらわすなら、僅かに嬉しいやうな、楽しいやうな心地だったと云ふところかしら。否、より正しくは、そこには同時に邊りがしんと冷えていくやうな、森閑として寂しい心地も混じってゐたと云ふべきかしら。
     行きずりの子供に四弘誓願(しくせいがん)を唱えてくれた雲水たちは、そうして再び濱を遠ざかっていきました。



    これからの晴子の人生を予感させるような描写である。
    そして訪れた筒木坂の景色をイメージしながらこれらを読むことで、より深いリアリティを感じることになったのである。

    ちなみにこの小説を読んだ後、筒木坂(どうぎざか)という地名の由来について調べてみたところ、次のようなことが分かった。
    筒木坂は縄文土器で有名な亀ヶ岡遺跡の隣に位置する集落で、筒木坂でも縄文土器が出土することがある。
    そこから「陶器が出土する坂」という意味をこめて、この名がつけられたということだ。
    それを知って考えたことは、この長大な物語は、太古の昔から連綿と続いてきた人間の変わらぬ営みに繋がる、壮大な人間ドラマとして捉えることができるのではないかということ。
    そうした巧まざる意図が、そこから匂い立ってくるように、感じられたのである。

  • 4-10-378402-4 376p 2002・5・30

  • 遠洋漁船乗組員・彰之に宛て、母・晴子が書き綴った手紙の形をとった小説。冒頭から退屈で、読みづらく途中で挫折しました。晴子は大正9年生まれと父と同年生まれであり、晴子及びその両親の生活ぶりに自らの祖父母、父母の歩みを見ることが出来そうに思いました。改めて読みなおしたいと思います。

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著者プロフィール

●高村薫……1953年、大阪に生まれ。国際基督教大学を卒業。商社勤務をへて、1990年『黄金を抱いて翔べ』で第3回日本推理サスペンス大賞を受賞。93年『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)で日本推理作家協会賞、『マークスの山』(講談社文庫)で直木賞を受賞。著書に『レディ・ジョーカー』『神の火』『照柿』(以上、新潮文庫)などがある。

「2014年 『日本人の度量 3・11で「生まれ直す」ための覚悟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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